Promise

託される約束 1


「ふわあ……」
 起きぬけにノエルは大きなあくびをした。
 窓からまぶしい光が差し込んでいる。今日もいい天気になりそうだ。
 同室で眠っていたはずの男性たちはもういない。先に起きて朝の仕度をしているのだろう。
「エイプリルさん、起きてください」
 ぐっすりと眠るエイプリルに声をかけてから、服を着替える。しかし今日は武器は携えても防具は身につけない。
 なんせ今日はこの町で開催されるお祭りへ遊びに行く予定なのだ。重い防具を身につけていては疲れてしまう。
「……おはよう、ノエル」
 ……やっとエイプリルが起きだしてきた。
「おはようございます、エイプリルさん。あたし、先に行ってますね」
 未だ寝ぼけたままのエイプリルを残して部屋を出る。朝ごはんの前に顔を洗いに行かないと。
 宿の廊下で魔術師の青年とすれ違った。
「おはようございます、ノエル」
「おはようございます!」
 にこにこと微笑む暗紫色の青年を残し、廊下を歩いていると、再び魔術師の青年に出会った。
「継承者殿、朝食の準備ができております」
「はい。顔を洗ったらすぐに行きます!」
 ……待て。
 今、ありえないことがなかったか?
 ノエルが振り返ると、そこには遠ざかっていく濃灰色のマント姿があった。
 それならばはじめに挨拶したのは……?
「ノエル〜!?」
 クリスが廊下をバタバタと走ってきた。規律正しい彼が廊下を走るなんて珍しいことだ。
「ノエル! ノエル! ノエル!! 今! 今食堂に!?」
 わたわたと慌てふためきながらノエルの手を掴み、さらうように彼女を食堂に連行する。
 するとそこにいたのは……。
「クリス=ファーディナント、廊下は走るものではない」
「普段あなたが言っていたことじゃないですか」
 眉をしかめるレントと困ったように微笑むトランの姿があった。
 しばし固まっていたノエルだったが、はっ……と我にかえると、辺りをキョロキョロと見回した。
「じ、時間軸は!? 時間軸はいつですか!?」
「いや、ノエル。そんなとこに書いてないから」
 ……というか時間軸以前の問題である。
「実は死んでなかったとか、造り直されたとか……?」
「いやクリス。きっぱり死んでたし、いくらダイナストカバルでもまったく同じ人造人間を造り直すことはできません」
 クリスたちは預かり知らぬことだが、レントにはトランの部品の一部が使われている。修理したり、造り直すのは不可能に近い。
「ならお前はなぜここにいる」
「おはよう、エイプリル。……そのいてはいけないような言い方が気になるんですが」
「別にそういうわけじゃない」
「わかってるんですけどね、気になっちゃって」
 のんびりと笑うトランにノエルがトコトコと近づき、彼の体に触れた。
「……あったかい。…………トラ」
「ストップ。泣くのは禁止です。今日は笑顔だけ、わたしに見せてくださいね」
 名を呼んで泣きだしそうになったノエルの唇に指をあて、トランが笑う。
 かろうじて涙を引っ込め、トランに頭を撫でてもらっているノエルの姿を見るレントの瞳がどこかせつなそうにゆれている。
「レント……?」
「……いるのだから、しかたがない」
 どこか苦いものが混じるレントの声とは正反対にトランがあっけらかんと言う。
「そうそう。いるんだから、しょーがないんですよ」
 きっと……レントの言葉とトランの言葉には微妙な差異がある。
「で、トラン……これからどうするんだ? また一緒に旅」
 クリスの問いを遮って、トラン寂しそうに首を振った。
「わたしが、こうしていられるのは、今日一日だけなんです」
「今日一日、だけ……?」
 悲しそうにつぶやくノエルの頭を再び撫でて言葉を続ける。
「……だから」
「だから?」
 トランは満面の笑みを浮かべて、こう続けた。
「今日はぱあ〜っと遊びましょう!」
「「待て!」」
 クリスとエイプリルからツッコミがはいった。二人が顔を見合わせてから、代表してクリスが口を開く。
「……お前、遊びに戻ってきたのか?」
「そうですよ?」
「いや、こういう時は何か心残りがあって……ってものだろう!?」
「心残りですとも」
「遊ぶことがかっ!?」
「そうじゃなくて」
 クリスとのじゃれあいのような言い合いを一度止めて、しんみりとトランが言う。
「……わたしって壮絶な死に方をしたじゃないですか。……だから、あなたたちにとってわたしのことが悲しい、辛い記憶になってないかと……」
 優しくいたわるような微笑みで仲間たちを見つめ、言葉を続ける。
「あなたたちには、わたしといてこんな楽しいことがあった、こんなにいいことがあった……って、いい記憶だけ覚えていてほしいんです。……だから、皆で遊びましょう、最高に楽しい一日をあなたたちと過ごしたい」
 あたりにしんみりした空気が満ちる。それを打破したのはノエルだった。
「そういうことなら遊びに行きましょう、今すぐにでも!」
「その前に朝食をとってください」
 今にも出かけてしまいそうなノエルをレントが制止する。彼女は素直にうなずくと、再び宣言した。
「じゃあ、朝ごはんを食べたら、みんなで遊びに行きましょう!」

* * *

 というわけで今、五人は祭の真っ只中にいる。
 トランはノエルの隣で楽しそうにしているし、ノエルはトランとレントに挟まれて嬉しそうだ。……一人、レントだけがつまらなそうにしているのが気にかかるが。
「トランさん、トランさーん。レントさんひどいんですよ。いまだにあたしのこと『継承者殿』って呼ぶんです! 一度はちゃんと『ノエル』って名前で呼んでくれたのに!」
「はあ……、それはいけませんねえ。レント、なんとかならないんですか」
 二人から視線をそそがれて、レントは悩むかのように小首をかしげた。しばらくそのまま固まっていたが、どうやら考えがまとまったようだ。おもむろに口を開く。
「……ではお嬢様とお呼びいたします」
「……名前で呼んでくれないんですか?」
「継承者殿は、偉大なるダイナストカバル大首領の御息女。こうお呼びするのが相応しいかと」
「……トランさ〜ん」
 ノエルが不満げにトランを見上げるが、彼は肩をすくめるだけだ。
「いえ、一理ありますので……。むしろわたしもそう呼んだ方がいいのかと思ったりもしますし」
「絶対にダメですからね! ……レントさんも、いつかちゃんと名前を呼んでくださいね」
「……善処いたします」
「話は終わったか?」
 そんなエイプリルの声で振り返ってみると……。
「はい、ノエル」
 クリスにわたあめを渡されてしまった。
「せっかくのお祭りなんですから、こういう時にしかないものを食べないと」
 たしかにわたあめなんかは祭の時以外あまり見かけない。
 さっきまで少し沈んでいたノエルの顔が明るい笑顔に彩られる。
「いただきま〜す」
「いただきます」
 ノエルがわたあめにかじりつくのと同時に、トランもそれにかじりついた。……無論違う箇所にだが。
「おいしいですね、トランさん」
「ええ。甘くておいしいです」
「レントさんもどうですか?」
 眼前に差し出されたわたあめを、どうするべきかしばし悩んだレントだったが、意を決してそれをかじりとった。
 口の中にやわらかな甘みが広がる。……なぜか胸があたたかくなった。
「甘い……」
「おいしいでしょう?」
「はい」
 レントは心のどこかで理解する。ノエルがすすめてくれたからこそ、このわたあめはおいしいのだと。
 一つのわたあめを分け合って食べている三人にクリスがあきれたように声をかけた。
「……お前ら自分で買えよ」
 私はノエルに買ってあげたんだ……という不平が聞こえてきそうである。
「……こんなに食べられない」
 レントは少し分けてもらえば満足らしい。
「身一つで蘇ってきたのでお金がありません」
 いつものマントと帽子は身につけているが、確かにトランは何かを持っているようには見えなかった。
「そっか。じゃあ、これ食べるか」
 トランの言葉に頷いて、自分の食べかけフランクフルトをクリスが差し出す。しかしそれを首をふって固辞する。
「……あなたとの間接キスは遠慮したいですね」
「……私も嫌だな」
 クリスが笑ってフランクフルトをひっこめる。
 ……後ろで今更ながらにその事実に気付いたノエルが顔を赤くしているが、時すでに遅く、魔術師二人が口をつけた場所を含めた大部分はすでに彼女の腹におさまっている。
「ちょっと待て」
 そう断ってからフランクフルトに口をつける。半分ほどまでハグハグと食してから、口をつけた所を指でちぎりとった。
 そして残った半分をトランに差し出す。
「ん。やる」
「いただきます」
 差し出されたフランクフルトを今度は受け取った。それはずいぶんとぬるくなっていたが、……なんというか優しさを感じる味だった。
「これだけでかい祭だ。ダイナストカバルも出店してるんじゃないか」
「お父さん、きてるかなあ……」
「大首領がこられているかはわかりませんが、組織が出店しているのは間違いな……ってエイプリル! いつの間にそんなに食ったんですか!?」
 気付けばエイプリルの隣のゴミ箱は焼鳥の串などでいっぱいになっていた。自分達がここで買い食いするまでは空に近かったはずだから、このゴミはほとんど彼女が出したということになる。……どうやら自分達がじゃれあっている間に黙々と食べていたらしい。
 ……にしてもこの量。彼女の腹はどこの異次元につながっているのだろう……?
「……エイプリルさん、まだ食べますか?」
「いや。ここらへんのは食べ尽くしたからいい」
 男三人が何とは無しに顔を見合わせる。
「腹がいっぱいになったからよいのではなく……」
「全種類食べ尽くしたからいいんですね……」
「ってことは新しい食べ物屋を見つけたらまた食べるのか?」
 ……なぜか、ため息がでた。
「で、ノエル。まずはどこへ行きたい?」
「え〜と……」
 男たちがあきれている間に、ノエルたちの会話は進んでいるようだ。せっかくの祭りなんだし、遊ばなければ損というものであろう。
「あ、金魚すくいがしたいです!」
「金魚すくいかあ……。釣りのほうが得意なんだけどな」
「しょうがありませんよ。祭りで魚釣りなんてありません。あるとすればハムスター釣りくらいですよ」
「いや釣りの種類が違うし」
「はむすたぁ……。それもいいなあ」
 クリスとトランの会話を聞いたノエルがうっとりと夢見るように空を見上げる。そんな彼女を現実に引き戻すためにレントが静止をかけた。
「おやめくださいお嬢様」
「だな。ノエルはやめといた方がいい」
「え〜。どうしてですか〜」
「お前、釣ったハムスターを置いて帰れるのか?」
 エイプリルの言葉にノエルが固まった。
 手のひらの上で、ちょっと小首を傾げて、つぶらな瞳でじ〜っと見つめてくるハムスター……。
 置いて帰るなんて絶対無理だ。
「レントさんっ!」
「はい」
 レントの服をがしっと捕まえて訴える。
「使い魔にどーですかっ!?」
「……携帯大首領がありますので」
「クリスさんは?」
 クリスは少し困ったように笑って首を振った。
「私は使い魔を持つ予定はありません。それに考えてみてください。私は前線で攻撃を受け止めるんですよ。私と一緒にいたら痛い思いをさせてしまう」
「そう、ですか……」
 ……とても残念そうだ。
「ま、まあまあ。暗い顔しないで! とりあえずみんなで金魚すくいをしにいきましょう」
「そ、そーですね! 行きましょうみなさん!」

* * *

 というわけで金魚すくいの出店である。
 五人そろって金魚すくいをするつもりなので、人のいないところにやってきた。
 クリスが代表して金を払い、全員の手にポイと金魚を入れる椀がいきわたる。
「ふっふっふ……。わたしは金魚すくいは得意ですよ?」
「そうなんですかー。あたしは金魚すくいって苦手なんです」
「私もちょっと」
「俺はあまりやらんが……まあ普通だな」
「……」
 レントだけ無反応だ。それもそのはず、彼は金魚すくいというものをやった事がない。
 一応刷り込まれた知識の中に金魚すくいがどういう遊びなのかもあったのだが、何でこんなことをするかが分からない。金魚をポイですくって椀に入れる。これのどこが楽しいのだろう。
「どうせなら競争しませんか?」
「いいですね、負けませんよ!」
「時間を決めて、その間に多くすくったやつの勝ちでいいな?」
「わたしはハンデを上げましょう。皆の半分の時間でいいです」
「その言葉、後悔することになるぞ、トラン!」
 皆うきうきと楽しそうだ。何が楽しいのだろう?
「おじさん、時間計ってください!」
 出店の親父が快く受けてくれるのを見て、ノエルが笑って宣言する。
「よーい……どん!」
 ひらひらと泳ぐ金魚を追ってポイが舞う。
 ノエルとクリスは苦手だと言ってた通り、金魚よりも水をすくっている。あれではポイはすぐにやぶれてしまうだろう。エイプリルは水面近くにいる金魚を狙っているようだ。
 そしてレントはというと……
 彼はポイを片手にしばらくじっと水面を見つめていた。そしてしばらくすると椀を手放して片手をあけ、くるくると水面に向けて指をまわした。
 すると水面に小さな渦が発生した。
 渦に巻き込まれ、目を回した金魚がプカリと浮いてくる。
 それをポイですくい……
「こら」
 トランが上からチョップがふり落とす。
「金魚すくいに魔術使うんじゃない」
 レントはアクアマスターの称号を持つ水系の魔術師である。おそらくその魔力を使い水面に渦を発生させたのだろう。
「しかし前任者。こんなものですくうのは非合理的だ」
「いいんですよ。遊びなんだから。……見てなさい」
 トランの目が光ったような気がした。
 ポイを持つ右手が軽やかに水面を走る。
 ポイが水面に上がるたびに椀の中の金魚が増えていき、勝負時間が過ぎたころには……
「な、ノエル。金魚いなくなってないか?」
「変ですよね? いっぱいいたのに」
 涼しげに泳ぐ金魚たちの数が三割ほどいなくなっていた。その金魚たちがどこにいるのかというと、それは言うまでもなく……
「ふう。久しぶりに頑張ってしまいました」
「前任者……」
 トランの椀の中にはびっちりと金魚がつまっていた。酸欠でも起こしているのだろうか。金魚たちがひたすら口をパクパクさせている。
「これだけ集まるとちょっと気持ち悪い」
「だな。逃がすぞ」
 エイプリルが椀を傾けると、狭い椀の中から解放された金魚たちがいっせいに逃げ出していく。それは赤い花びらが舞っているようでなかなか美しい。
「わたしの勝ち。……でいいですね?」
「認めないわけにはいかないだろう。ま、何の景品も出ないけどな」
「いえ、ありますよ」
 トランとクリスが顔を見合わせた。
「優勝したトランさんには次どこに行くのかを決める権利を差し上げます」
 ノエルがぱちぱちと拍手をしながら言う。そんないきなり行きたいところといわれても困ってしまう。
「そうですね……」
 ふと、トランに視界に何かののぼりが見えた。
「あれがいいです」

* * *

 トランが指し示した所に向かってのんびり歩く。ノエルとクリスは楽しげに会話をし、エイプリルは……また買い食いをしている。
 トランとレントは彼らの最後尾で何の会話をするでもなく、露店を眺めながら歩いていた。
 小さな木彫りの人形、宝石の原石らしきもの、子どもの小遣いで買えるようなアクセサリー……。
 ふらふらと露店を見比べていくうちにある露店の品物にひかれた。
 それは小さな金属の筒だった。紐を通して飾りに使うのだろう。それらは安物ではあったが、一つ一つが丁寧に作られており、なかなか美しい。思わず足をとめて見入る。
「きれいですね」
「……ああ」
 レントの視界に端にある品物が目に入った。
 それは二つセットの品物らしかった。一つはやや大きめな金色の飾り筒、もう一つは銀色の飾り筒だ。そのどちらともに複雑な薔薇の紋様が刻まれている。
「……店主、革紐を一本とそれが欲しい」
 レントは飾り筒を手にいれると、金の飾り筒に革紐を通し、手首へと巻きつけた。そして銀の飾り筒はというと……
「……ノエルにですか?」
「……」
 レントは何も言わなかったが、わざわざ薔薇の紋様の物を買ったのだ。たぶんそうなのだろう。
「ノエルとお揃いですね」
「……」
 レントの耳がうっすらと赤くなる。恥ずかしいようだ。
「クリスたちはわたしがなんとかしますので、その間に……。ノエルが喜びますよ」
 こくりとうなずいたレントはどこか嬉しそうだ。そんな彼の胸をポンっと軽く叩き、トランが言う。
「あなたのなかに芽生えつつあるその感情は、この先あなたを悩ませるでしょう……」
 レントは目を閉じて胸に手をあてた。確かにここにはあたたかい何かが芽生えつつある。こんなに心地よいものが自分を悩ませることなどあるのだろうか。
 トランは彼の手にある二つの飾り筒を見てやわらかく微笑んで続けた。
「しかしそれは大切なものです。大事にしなさい」
「……前任者、なぜあなたはわたしを気にかける?」
 ……わたしはあなたの居場所を奪ったのに。
 そんなセリフが無感情な表情から読み取れる。
 トランは首を振ってそれを否定すると穏やかな笑顔で言った。
「わたしはノエル達が幸せならそれでいいんですよ。それに…………あなたの幸せは、わたしの幸せでもありますから」
「え?」
 自分の幸せが彼の幸せ? ……意味が理解できない。
 ぽかんとするレントにトランが呆れた声をあげる。
「わからない? ……ったく、ノエルやクリスが感づいてるのに、レント、あなたって人は……」
 大きなため息をつき、一言。
「……我ながら情けない!」
 我ながら……?
「前任、者……?」
「行きましょう、レント。置いてかれちゃいますよ!」
 未だ頭を悩ませているレントの腕を掴み、トランはノエル達を追って走りだした。

* * *

 トランはその文字を見て、心底後悔した。
『恐慌・絶叫・阿鼻叫喚! 恐怖の館』
 看板には黒地に血のように赤い文字がおどろおどろしく書かれている。いわゆるホラーハウスというやつだ。
「ノエル、止めときますか?」
「いえ、こういうのも記念ですし」
「お。意外に平気なんだな、ノエル」
「いえ、入ったことないだけで。エイプリルさんこそどうなんですか?」
「俺は平気だ。クリスは」
 クリスはというと固まっていた。
 肌が青白く見えるほどに血の気を引かせ、震えていた。 
「ワ、私はいいヨ。昔入ったことあるカラ。一応、言っておくケド、止めた方がいいと思うナ」
 なぜだろう、発音が変だ。目も泳いでるし、なんだか変な汗もかいている。
「怖いんですかクリス。仮にも神官のくせに」
「ソ、そういうのじゃないんダ。ト、とにかく私は入らない。出口で待ってるカラ」
 ……どうやらクリスはどうしても入る気はないらしい。
 武器は持ち込み禁止なので彼に預けて入り口に向かう。どうやらペアになって入るのが普通のようだ。
「ペアを決めるためにくじ引きをしましょう。はい、ノエル、レント。先に引いてください」
 トランの差し出したくじを引くとそれは両方とも真っ白だった。
「ノエルとレントがペアで、わたしとエイプリルがペアですね」
「……トラン」
「その話はまたあとでじゃあわたしたちが先に行きますので」
 トランはエイプリルの言葉を遮ると、彼女の手をとり、ホラーハウスの中に入って行った。

* * *

 トラン達がホラーハウスに入ってしばらくたってから、レントはノエルに声をかけた。
 せっかく彼が自分と彼女を二人きりにしてくれたのだ。この機会を逃すわけにはいかない。
「お嬢様」
「はい、なんですか?」
 しばし悩むように目を泳がせていたレントだったが意を決して彼女の手にそれを差し出した。
「その……これ、もらってください」
 ノエルの手に落とされたのは先ほどレントが購入した飾り筒だった。日の光を反射してキラキラと輝いている。
「キレイ……! これ、もらってもいいんですか!」
「はい。お嬢様にと買った物ですから」
「ありがとうございます♪ あ、でもどこにつけよう?」
「失礼いたします」
 レントは彼女の右手をとると、そこに巻きつけられていた鈴を通した紐をほどいた。そして先ほどノエルに手渡した飾り筒をそこに通して、再びノエルの手に巻く。
「ありがとうございます。これ、もっとお気に入りになりました!」
 ノエルが満面の笑顔を浮かべ、鈴と飾り筒を通した紐を握る。
 そんな彼女を見ていると、なんだか胸がさわさわした。……この感情はなんというのだろう。
『いぃやあぁぁ!』
 ほのぼのとした空間を切り裂くような低い悲鳴が、ホラーハウスの中から聞こえてきた。
「今の悲鳴……」
「前任者、ですね……」
「何があったんでしょう……?」
 ……入る前から恐怖感が心にのしかかる。
「次の方どうぞー」
 ノエル達の番がやってきた。
「レ、レントさん……。手、繋いでもいいですか?」
「どうぞ、お嬢様」
 差し出された手をしっかりとにぎりしめる。そうするとレントもわずかにだがにぎりかえしてくれた。
「い、行きましょう!」

* * *

 クリスはフルーツジュース片手にぼんやりとしていた。記憶違いでなければ、そろそろ聞こえてくるはず……
『いぃやあぁぁ!』
 中から低い悲鳴が聞こえてきた。
 ほどなくしてバタンっと扉を押し開けてエイプリルとトランが出口から飛び出してきた。
 トランがクリスの胸元を掴み、彼をガクガクと揺らしながら叫ぶ。
「な、なんなんですか!? ああいう恐怖ってありなんですかっ!?」
「そんなこと私に言われてもなあ……。というかなんて悲鳴あげてるんだよ、お前……」
 エイプリルはというと、肩を抱き、震えていた。悲鳴こそあげなかったが、彼女にも恐ろしい体験だったようだ。
「……飲むか?」
 クリスが差し出したフルーツジュースを奪いとり一息で飲み干す。それでいくらかは落ち着いたのだろうか、大きなため息をつく。
「正直、ナメてた……」
「私が入らなかったわけがわかっただろう」
 クリスの言葉に二人が大きくうなずいた。
「もう、こんなものはこりごりです」
 未だ冷汗を流すトランにエイプリルが声をかける。
「そういえばトラン。くじ引きの事だが」
「ああ。あれですね……」
 事情を知らないクリスにかい摘まんで、説明してやってから残っていたくじを二人に見せる。
 ……それは両方とも白だった。
 つまりは四本全てが同色、はじめにくじをひいた者同士がペアになるということだ。
「なんでわざわざレントとノエルを組ませた。……お前がノエルと組みたかったんじゃないのか?」
「まあ、ノエルと組みたかったといえば、そうなんですが……。レントが妬いていたようなんで」
 ……そういえばあの無表情なレントがむすっとしていたような。
「……感情が芽生えてきてるのか」
「よい傾向です。この調子で感情を取り戻して、あなたたちの中に溶け込んでもらわないと……わたしが困ります」
「困る? ……それはどういうことだ、トラン」
 クリスの問いに彼はからかうような口調で答えた。
「あれ? あなたたちは……気付いているんでしょう?」
 そう言って視線を向けた先にはホラーハウスがある。……より正確に言えば、その中にいるレントを見ているのだろう。
「わたしは願った。ノエルのもとに戻りたいと、彼女の力になりたいと。……そしてそれは叶えられた」
 誰が叶えたのかはあらためて言うまでもない。命をどうこうできる存在なんて限られている。
「神の愛は無限……でしたっけ? まったくあなたらしい言葉ですよ」
「……なんで知っている」
「もう、わかっているんでしょう? その時、その場で聞いていたんですよ」
「じゃあ、トラン、お前は……」
 クリスとエイプリルの視線もトランと同じ方向にそそがれる。
「神の愛は無限……。事実その通りなのでしょう。……悪の幹部の願いを叶えるくらいですから。……でもね」
 振り向いたトランの顔にはどこかはかなげな笑顔があった。
「……神の奇跡は、有限なんです。だから……レントとわたしは同一の存在というわけじゃない」
 肉体そのものを失ったトランは、神の力をもってしても、生き返らせることはできなかった。だから別の人間としての新しい命を与えられ、地上に還された。
 混乱が生じぬように、ある方法で記憶に鍵をかけて……。
 トランは自分達をこう認識する。
 自分達は一人の人間の過去と未来なのだと……。
「今のわたしはイレギュラーな存在。わたし≠フ願いを聞き届けたものが作り出した仮そめの存在に過ぎません」
「そうは、思えない……。お前はこうしてここにいて、私達と会話してるのに」
「でも、そうなんです。今のわたしは依り代に意識が宿っているだけ。……現にこの体の中にはみっちりわたが詰まってるし」
「わたっ!?」
「そうそう。昔ぬいぐるみ作ってたでしょう?」
 そういえばノエルと二人で作っていた。
「お前、ぬいぐるみなのか!? ……っていうか、もの食ってなかったか!?」
「ノリで食べちゃったんですけど……シミになってないかちょっと心配」
「……シミとか言う以前に食ったもんはどこに消えたんだ」
「あ〜……うん。神の奇跡?」
「そんな奇跡いらんわっ!」
「なんて事言うんですか、クリス。あなたの信じる神の奇跡ですよ」
 先ほどまでのしんみりした空気はどこへやら、うきうきとクリスとの口喧嘩を楽しむトラン。
「その考えが不敬なんだ!」
「ああ! 揺らさないで絞らないで! わたが! わたがよれる!」
 ……この男、クリスをからかって遊んでいる。
 ビリッ!
「「あ……」」
「なんてことするんですかクリス! マントが破れちゃったじゃないですか!」
「す、すまん」
「この体はぬいぐるみが依り代になってるんですよ! いつもより布地が弱いんです」
「……ごめんなさい」
「そ、そんな風に謝られるともう何も言えませんね。わたしの方こそごめんなさい。あなたをからかいすぎました」
『いやあああぁぁぁぁぁ!』
 二人のじゃれあいが止まったのを見計らったように、ノエルの悲鳴が聞こえてきた。
「そろそろ出てくるな」
「またジュースでも用意しとこうかな?」
「そうですね。それよりも……」
 トランは悪戯をたくらむ子供のように笑って言った。
「今の話はノエルには秘密にしてくださいね」

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