Promise

鏡越しの約束 1


『――さん、早く早く!』
 お嬢様がはしゃぎ、わたしの腕を引っ張る。
『ほら、花火ですよ! 綺麗ですね!』
 ああ、確かに。初めて見るそれはとてもきれいだと思う。
『……あれ買ってください!』
 小さな屋台の安物の鈴。それを買ってあげると彼女はとても喜んで……。
『……来年も、このお祭りで、わたしと一緒に――』
 わたしの物でない声がわたしの喉から発せられる。
 ……誰だ?
 お嬢様、何故そんな笑顔で会話するのですか?
『それと――』
 彼女が期待するような目でわたしを見上げ、そして……


「おーい、レントー、起きろー」
 その声に従い、目を開ける。そこには呆れた様子のクリス=ファーディナントの姿があった。
「……夢?」
 そう、そのはずだ。わたしにあんな記憶はない。前任者からの報告もされてない。念のために記憶回路を検索するが、該当データは見当たらない。
「お前が寝坊するなんてめずらしいな。……朝飯できてるぞ」
 ……どうやら今朝は起動に随分と時間がかかってしまったようだ。
 クリスはどうでもいいが、お嬢様をお待たせしてはいけない。
 わたしは起き上がると急いで服を着替えはじめた。


「あ、レントさん。おはようございます」
「おはようございます、お嬢様。……お待たせしてしまったでしょうか」
「いいえ。大丈夫ですよ〜」
 お嬢様はそう言ってくれたが、その次の瞬間に彼女の腹がきゅうっと鳴った。
「あう……」
「申し訳ありません」
「いえ、いいんです! さあ、食べましょう。いただきます」
「「「いただきます」」」
 口にする食事は冷えてはいなかったが、少々ぬるくなり始めている。やはりずいぶん待たせてしまったようだ。
「あ、レントさん。今日はお暇ですか?」
「予定はありませんが」
「お買い物に付き合ってください」
「……エイプリルは?」
「悪い。俺は予定がある」
 すでに食事を終えたエイプリルが食器を集めながらこたえた。
「クリスは?」
「私も用事がある」
「……そうか。お嬢様、わたしでよければお付き合いいたします」
 わたしの答えにお嬢様はにっこりと笑った。
「ありがとうございます。寝巻きを買いに行きたいんですよ〜」
 そういえば寝巻きのすそなどがほじけてきたといっていた。わたしが縫い直してもよかったのだが、彼女が新しいのがほしいというので買いなおすことにしたのだ。……ちなみに古びた寝巻きは手ぬぐいなどになる予定だ。節約・倹約・物品のリサイクルはダイナストカバルの基本方針である。
「食事が終わったら出かけましょうね!」


 というわけで、今服飾店にお嬢様と二人でいる。彼女は目に入ったものをとっかえひっかえ体に当てて、きゃあきゃあはしゃいでいる。
「レントさんレントさ〜ん! これ似合いますか!?」
「ええ。とてもよくお似合いです」 
 赤いチェックのシャツは本当にお嬢様によく似合っていて……。
 それを体にあて、笑っている彼女は可愛いと思う。

『お二人は白と黒ですか』
『やはり聖騎士たるもの白い服をまとうのがよいかと』
――白いタキシードって……結婚式でもあるまいし――
『うるさい!』
――ま、神殿の犬はどうでもいいです。……その赤いドレス、よく似合ってますよ、ノエル――
『ありがとうございます〜。――さんも黒いタキシードがお似合いですよ!』

「あ……何?」
 今の記憶はなんだ?
 あんな記憶、データにない。
「どうしたんですか、レントさん?」
「いえ、なにも。……それにするのですか?」
「はい。レントさんも似合っているって言ってくれたし」
 そのまま代金を払うためにお嬢様はレジに向かった。わたしはその場で待っていたのだが……
「レントさ〜ん!」
 なにやら呼ばれてしまった。……もしや財布を忘れてしまったのだろうか。懐に財布があるのを確認して、お嬢様の元に向かう。
「レントさんレントさん。なんか、クイズに正解すると代金が割引になるんだそうですけど……。店員さん、かわりに答えてもらっていいですよね?」
「ええ、かまいませんよ」
 そう答える店員の顔には不敵な笑みが浮かんでいる。絶対に答えられないという自信の表れだろうか。
「早く問題を出せ」
「では……」
 店員の出したクイズ。それは確かに難解なものだった。しかしわたしにとっては、そんなもの子供に出すなぞなぞのようなものだ。
 あっさりと答えてやると、店員は明らかに落ち込んだ様子だった。
「では、半額にさせていただきます……」
「おお〜! さすがレントさんです!」
 そんなにたいしたことはしていないのだが、彼女にほめられると嬉しい。

『すばらしい! すばらしい英知です!』
『すごいです――さん!』
――こういうのはね、任せてくださいよ――
『あなたの英知は世界の宝と呼ぶにふさわしい!』
『――さん、すごいです! 拍手します!』
――妖精はむかつきますが、ノエルにほめられるのは……やっぱり嬉しいですね――

「……また」
 またデータにない記憶が。
 まったくもって不可解だ。
「レントさん、どこか具合でも悪いんですか?」
「いえ、大丈夫です」
「でも、顔色がよくないですよ? もう、帰りましょう」
 お嬢様に言われるがままに宿への帰路につく。彼女がいろいろと話しかけてくれているのだが、頭の中はさきほどの不可解な記憶のことでいっぱいで、彼女の言葉は頭に入ってこない。
 覚えのない不可解な記憶。それなのに思い出しても嫌な感じはしない。むしろ胸の奥底が温かくなるような……。
「お嬢様……?」
 ふと、声が聞こえなくなっているのに気づく。
 それでやっとわたしはお嬢様がいなくなっているのに気づいた。どうやらそれほどまでに自分は考え込んでいたらしい。
「お嬢様、どちらに……?」
 また、彼女を手放してしまったのか……?
 あれほど彼女のそばを離れぬと心に誓ったはずなのに……。

『――さん、――さん!』
――ノエルを、泣かせてしまった――
『あたしを置いていかないで!』
――彼女をなぐさめたい――
『あたし、あなたがいないと……!』
――帰りたい、ノエルの元に帰りたい!――

「あ……」
 胸が痛い。
 息が詰まるほどに苦しくなる。
 体がガタガタと震え、寒気までしてきた。
「レントさん!」
「お嬢様……!」
 いつの間にか側に戻ってきたお嬢様をぎゅっと抱きしめる。
 それと同時に胸が軽くなり、息ができるようになった。
「レ、レントさん!?」
「あ……申し訳ありません!」
 わたわたと暴れる彼女を開放し、深々と頭を下げる。
 ……自分はなんてことをしてしまったんだろう。
「いいんですよ。こちらこそ、勝手にどこかに行ってしまってごめんなさい」
 お嬢様がぺこんと頭を下げる。
 わたしが彼女を見失ってしまったのだから、お嬢様が謝る必要はない……そう思う。
 まあとりあえず二人で頭を下げあっていてもしかたがないのでお嬢様を宿に送っていく。
 わたし自身はというと、行かねばならない所ができてしまった。
「お嬢様。お嬢様を宿にお送りしたらわたしは少し出かけてきます」
「どこに行くんですか?」
「ダイナストカバルの支部へ。記憶回路の検査を受けてまいります」

* * *

「ふ〜む。何も異常は見当たらんが」
「そう、ですか」
 レントはダイナストカバルの研究室で、ドクトル・セプターと話していた。今日あった不可解な、データにない記憶のフラッシュバックについて話した後、記憶回路を検査してもらったのだ。
「体の方は異常はないかね?」
 そういえば三回目のフラッシュバックのときは胸が苦しくなった。そのことをドクターに話す。
「……どのような光景が見えたのだね?」
「確か……上から見下ろしていました。上から前任者にすがって泣いているお嬢様を見下ろしていて……」
 帰りたい、ノエルをなぐさめたい。
 そんな声……いや、感情が伝わってきた。
「他のものについても話してくれ」
 ドクターの瞳が真剣な色を帯びる。何かに思い当たったのだろうか。
 それはともかくレントは思い出せる限りの不可解な記憶をドクターに語った。
 一度目のものは高価そうな服飾店だった。そこでノエルは赤いドレスを着ていて、クリスが白いタキシードを着ていた。
 二度目は古びた神殿の前だった。小さな妖精の出す問題に答えていた。
「ふ、そういうことか……」
 レントには何がなんだか分からなかったようだが、ドクターにはその記憶が何であるか理解できた。
 これはトラン=セプターの思い出だ。
 レントがトランの部品から受け継いだのは、知識や情報といった報告からなされるもの。だから報告の際に削除されたであろう、トラン自身の思い出は記憶回路には刻まれてはいない。だからレントにその記憶があるはずはない……。
 だが実際にレントにはトランの思い出を知っている。
 つまりそれは記憶回路などよりも奥深いところに刻み込まれていたということだと、ドクターは推測した。
「わたしはダイナストカバルの技術の粋を注ぎ込んでお前を作った。……だがお前に命を与えたのは、わたしではなかったようだ」
「……どういうことでしょう?」
 ドクター含みのある笑みをこぼすと出口への扉を指差した。
「帰りなさい、レント。お前には何の異常もない。そしてその記憶についてはいずれおまえ自身が解決するだろう」
 何の異常もないと、彼に言われてしまってはしかたがない。レントは不承不承ながらも宿に戻ることにした。
 重苦しい扉を抜け、それが閉まろうとする瞬間、ドクターのこんな言葉をレントの耳が捉えた。
「神も、粋な事をする……!」

* * *

 時刻は昼。
 レントが出店にて買い食いなどをして、必要なカロリーを摂取していると背後に気配が生まれた。殺気はないが不振な気配のするそれは彼が振り返ると同時に言葉を発した。
「ふ―き―つ―じゃ――……」
「……ばあさん。というか、フェルシア。あんたはなぜ今でもその姿を?」
「四英雄が一人フェルシアが町でうろついとると目立つであろ?」
 そういうものか……、とりあえず納得する。
 しかし彼女がいる理由は理解できない。今ここには自分一人。ノエルはいないのだ。
「今日はおぬしに用事がある」
「わたしに? というか今、心の中を読まなかったか?」
「占いじゃ」
「そうか」
 無論納得したわけではない。ただ問いただしたところで彼女は答えはしないだろう。
「で、何のようだ」
「うむ。おぬし、壊れかけておる」
「そんなはずはない。異常は何も見あたらなった」
 記憶回路の検査の際に、ついでだからと全体の検査と調整をしてもらった。異常があればその時点でドクターは何かを言うだろう。彼は自らのファミリーネームを与えたダイナストカバル製人造人間を、我が子のように大切にしている。壊れたまま使い捨てにするようなことはしない。
 彼が異常がないというのだから、それは本当に存在しないのだ。
「わしが言っておるのは入れ物ではない。おぬしの心、魂そのものじゃ」
「魂……?」
 作りものの命である自分にそんなものがあるのだろうか。
「ぬしの心にはぬし自身が知らぬふりをしておる記憶がある」
 もしやあのフラッシュバックしてきたあの記憶のことだろうか……。
「しかしいつまでも知らぬふりなどできぬ。それだというのにぬしの心はそれを拒否しておる。はっきり言って、かなり危険な状態じゃ。このままでは心が死に絶え、生ける屍になるかもしれぬ」
「……どうすればいい」
 自分の生死などどうでもいいが、ノエルを再び悲しませるような真似はしたくない。
「自らの心の中に入り、記憶と向き合ってみればよい」
「心の中に入る? そんなことどうやって……、待てばあさん! なぜ水晶玉を持って素振りをしている!?」
「さあ、行くがよい。自らの心の奥底へ!」
 ばあさんが飛び上がり、レントの頭上へと水晶玉を振り下ろした。



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