Promise
鏡越しの約束 2
「あ、痛……。ここ、は……?」
ばあさんに殴打されて気を失って……、気がついてみれば自分は広い真っ白な部屋の真ん中にいた。
ただ広いだけで、ほとんどなにもない部屋だった。わずかにあるのは大首領像とフォア・ローゼスのメンバーの写し絵が数枚だけ。
……いや、他にもあった。
レントは視界の隅に小さな緑色のものを見つけた。そばに寄って確かめてみると、それは小さな植物の芽だった。よくよく見てみると、これまた小さな蕾を抱いている。
「こんなに小さいのに花が咲くのか」
この花を見てみたい……。
レントがそう思った瞬間、目の覚めるような青い花が咲いた。
それと同時にレントの視界に映像が浮かび上がる。
『は、名刺をご丁寧に……。だいなしのカバのハサミガメさんですか〜』
――違います! わたくし、ダイナストカバルに所属する……――
「……今のはお嬢様と前任者?」
これは報告にあった、ノエルを勧誘したときの記録だろう。しかしこんな風に勧誘していたとまではデータになかった。
「……あっちにもある」
小さな植物の芽は他にもあった。
一つは四色の花弁を持つ花。
魔法使いのじいさん達が担架で運ばれていくのを不安げに見つめるノエルの姿が見えた。
もう一つは陽の光を溜め込んだ小麦色の花。
アルテアや仲間たちと笑い転げながら川遊びをしているのが見えた。
それらは本当に小さな花だった。だがキラキラと輝かんばかりに咲き誇っている。
――レント……――
……今、誰かの声が聞こえた。
ここはレント自身の心の中のはずなのに、なぜ他の人間の声が聞こえるのだろう。
「いや。今のはもしかして……」
声に導かれるままに心の中をさ迷い、そしてそれを見つけた。
それは大きな鏡だった。その回りには美しい装飾の施された箱が積み上げられていて……。その中から零れ落ちたのだろうか、小さなキラキラした小石のようなものが転がっていた。
無造作に積まれたそれらはとても美しいように見える。
なのになぜこんな所に不要なゴミのように積まれているのだろう。
――あなたが不要と判断したから――
「え?」
気付けば鏡が光を発している。そして鏡の中、その光の中に現れたのは……。
「前任者……?」
――久しぶり……でいいんでしょうかね? ま、あなたもこんなところでわたしと再会するなんて思ってなかったでしょうけど――
そう言ってトランはくすくすと笑った。
「何故、あなたがそんなところに? それにわたしが不要と判断したとは?」
こんなに美しい品々を不要だなんて思うはずがない。
――生まれたばかりのあなたには、それがわからなかったんですよ――
「わからなかった……?」
――そう。当時のあなたは感情というものがなく、大切なはずのものをそうと理解できず……不要と判断してしまった。……一つ手に取ってください――
言われるままに転がる小石を手に取った。その瞬間にまた、映像が浮かび上がる。
――……ノエルが頑張るなら、わたしもお手伝いしますよ――
『本当ですか?』
――本当です――
『じゃあ、指切りしてください』
――いいですよ――
「今のは……。これはいったいなんだ?」
――それはあなたが不要と判断し、封じた……あなた自身の記憶――
「わたしの? いや、こんな記憶はデータにない」
――そう。トラン=セプターから受け継いだ記憶回路には今の記憶は記録されていない。……あれはそれよりも奥深いところに、あなたの魂に刻み込まれた記憶――
「わたしの? そんなはずはない。これは前任者の……あなたの記憶だ!」
――まだわからないんですか。わたしの姿をうつし出しているこれは……鏡なんですよ? ――
鏡とは本来、自分自身を写すものである。つまりここに写っているのは……
「あ……」
導きだした答がレントの内にすとん……と落ちる。
「わたしは、わたしはあなた、なんだな……」
――より正確に言えばトラン=セプターの生まれ変わりですね――
「わたしはどうなる?」
――あなたはどうしたい? ここにある封じられた記憶をどうしたいですか?――
積み上げられた品々、封じられた記憶は本当に美しく、大切なもののように思える。それをこんなところに捨て置くのは嫌だった。
「……記憶を取り戻したい」
レントのその言葉に、鏡の中のトランが嬉しそうに微笑んだ。
――じゃあ、全部開封しちゃいましょう。今のあなたなら開けられるはずです――
言われるまま、箱に手をかけると、それはなんの抵抗もなく開いた。
その瞬間、青が広がった。
その青はそのまま天井を染め上げ、美しい蒼穹へと姿を変えた。
箱を開けるたびに世界が染められる。
風のそよぐ草原に、香り高い花に、大地を潤す水の流れに色づけられていく。
全ての箱を開け終わったころには世界は完全に変貌していた。
ただ広いだけの殺風景な部屋はもうどこにもない。そこは穏やかな風の流れる美しい場所に変化していた。
……大首領像がど真ん中にたっているのが多少おかしいが。
――これで記憶は全て取り戻すはずです。……あとはわたしだけ。さあ、手を……――
「一つ、約束してほしい」
レントは手を差し出すかわりに鏡の中のトランに指を突き付けた。
「わたしの体を明け渡すのはかまわない。だが約束してほしい。もう、二度とお嬢様を悲しませたりしないと」
その言葉にトランは困ったように微笑んだ。
――じゃあ、あなたも約束してください。ノエルを悲しませたりしないと――
「どういうことだ? わたしはあなたになる……わたしの意識は消えるんじゃないのか」
――まさか! ……あなたはわたしにはならない……いや、なれません。そしてなる必要などないんです。あなたはノエルの言葉を聞いたでしょう?――
彼が蘇るなら自分が消えてもいいかという問いに彼女はダメだと答えた。そう、確かに聞いた。
しかし彼と自分と……どちらを彼女らがより望んでいるのかはわかっているつもりだ。
「だがお嬢様は……あなたを――」
――どんな人間でも過去に戻ることはできません。どんなに望んでも過去の自分には戻れないんです。……でも、過去の自分を抱きしめて今を生きていくことはできる。だから……――
鏡の中から彼が抜け出してきた。
しかし鏡を通り抜けたところから彼の姿が変わる。
ローブが暗紅色から濃灰色に、くせのない夕闇色の髪がやわらかな白雪色に変化する。
やがて彼は完全に鏡の中から抜け出し、目の前に立った。
しかしそこにトランの姿はない。やわらかな微笑みをたたえたレントの姿があるだけだ。
「わたしがあなたになるんです」
「あなたは自ら消えるというのか!? あんなに帰りたいと、ノエルの元に帰りたいと望んでいたのに!?」
三度目のフラッシュバックで……彼は帰りたいと言っていたのに……。なのになぜこんなことを言うのだろう。
「消えるんじゃありません。わたしはあなたの意識に溶け込んで共に生きていきます」
「……わたしは、どうなるのだろう?」
「しばらくは意識の差異に苦労するでしょうけど、いつか落ち着きます。その時あなたはわたしを過去の自分と認識することになるでしょうね」
レントは目を閉じて、考え込んだ。
彼を受け入れれば、自分はきっと今までの自分ではいられない。そのことを少し不安に思う。
「……あなたは、お嬢様を大切に思っているか、お嬢様の元に帰りたいか?」
ふいに口をから問いがこぼれた。しかし答はわかりきっている。彼がもし本当に自分と同一であるなら答は決まっている。
「……ノエルは大切な、愛しい人。もちろん彼女のもとへ帰りたいですよ」
彼が答えると同時に映像が浮かび上がった。
満天の星の下、トランがノエルを抱きしめ、何かをささやいている。
――ノエル……。トラン=セプターはあなたのおそばにおります。……ノエルの生ある限り……、あなたが望む限りあなたのそばに……――
続いて浮かび上がったのは光に向かって必死に訴えかけるトランの姿。
――わたしをノエルの元に帰してください! 彼女の力になりたい、彼女が生きている間だけでいいから! ――
光が揺らぐ。音なき言葉が伝わってくる。
……運命に打ち勝ちし者よ。我らに背く神竜を滅するならば、薔薇の巫女のためだけに生きるというならば、お前のその感情を代償として新たな生を与えよう……
――初めてあなたに感謝いたします。……ありがとう、神よ――
ああ、そうだ……。
自分は……自分はノエルのために帰ってきた、ノエルのために生まれてきたのだ。
それならばもうためらうことなど何もない。
自分も彼も……ノエルを思う心は同じなのだから……。
「帰ろう、ノエルの元に……」
レントの差し出した手に彼のものが重なる。
「はい。帰りましょう、ノエルのいる場所に」
彼の姿がどんどん希薄になる。彼が自分に溶け込んでくるのがわかる。
カシャン……
役目を失った鏡が軽い音を立てて割れる。光を宿した鏡の破片は天へ昇り、世界を優しく照らす太陽となった。
「ああ……」
降り注ぐ陽光はあまりにも優しくあたたかい。
世界を色づける風景が自分の記憶ならば、あの太陽は自分には未だ形作られていない、ある一つの感情だ。
「愛している……」
ノエルを、そして仲間たちを愛している。
だからこそ自分は帰ってきた。ノエルのそばに寄り添いたいがために、仲間たちとまた楽しい時間を過ごしたいがために帰ってきた。
それならばいつまでもこんなところにいる必要はない。
「帰ろう……皆のところに」
* * *
「運命に打ち勝ちし者に神の祝福を……か」
ぽつりと呟くと占い師のばあさんに変装したフェルシアは眠るレントを見た。
彼の顔はつらそうにしかめられている。……うまくいってないのだろうか。
彼女はレントを深層意識へと旅立たせた。
しかしそこからは彼女の預かり知らぬところ。レントの意識がどうなるかは彼が目覚めてみるまでわからない。
「おぬしらは死の運命に打ち勝った……」
神竜に負けたのなら言わずもがな、たとえ勝っていても第六の武具を解放していたのなら、ノエルはもちろんのこと、レントもまたその命を散らしていただろう。
……ノエルを亡くしていたら、彼女のために生を得た彼は自ら命を断ったのだろうから。
「それならばぬしらは幸せになるべきじゃろうて……」
フェルシアは思う。世界を救済せんと粛正をおこす神々も、真に人間の住むこの世界を見捨てているわけではないと……。だからこそ粛正を防ぐ手段が人間に残されている。粛正をおこすか否かは人間の手に委ねられている。
「彼は、選択することによって過酷な運命を背負ってしまった……」
いや、自分たちが彼に背負わせてしまった。
「だからあなたたちだけでも、幸せになってほしい……」
さらりと白銀の髪が流れた。こぼれる声も鈴の音のように美しい。
そこにはもう、占い師のばあさんはいない。四英雄が一人、フェルシアが魔術師の青年を見下ろしている。
「私ができるのは、ほんの少しの手助け。あとはあなたたちの手で、幸福をつかんで……」
「ん……」
レントが目を覚ますと、フェルシアはすでにいなかった。
辺りは夕闇に包まれている。……自分はずいぶん長い間、意識を失っていたらしい。
あれほど鮮明に浮かび上がっていた記憶の数々が、今はおぼろげにしか思い出せない。しかしそれは再び忘れてしまったということではない。その証拠に楽しかった、嬉しかったというような、思い出に付随する感情が心を満たしてくれる。
「きっと皆心配しているな」
そう呟きレントは苦笑を浮かべた。
以前の自分には、そんな気遣いなどなかった。
……いや、なぜ彼らが心配するのかもわからなかった。
でも今なら、愛を知った今なら彼らの気持ちがわかる。
仲間を心配するのはごく自然なことなのだ。
「早く帰ろう」
宿へと走りだそうとしたレントだったが、足を止めて振り返った。
「フェルシア……」
そこに彼女の姿はもうなかったが、こうせずにはいられなかった。
「……ありがとう」
心からの感謝を彼女に……。
* * *
「あ〜! やっと帰ってきた! もう! 遅いから心配したんですよ!」
ノエルが頬を膨らませて怒っている。しかしこれはわたしを心配してくれていたからのこと。不快に思うはずがない。
「申し訳ありません」
「あたしが聞きたいのはそんな言葉じゃないです。帰ってきて言うことは何ですか?」
ああ、そうだ。真っ先に言うべきはずの言葉を言ってない。
わたしは帽子をぬぐと、やわらかに微笑んで、その言葉を告げた。
「ただいまかえりました、ノエル様」
「え?」
ノエルの目が丸くなる。この微笑は彼を思い出させるのだろう。
「……トランさ」
「レントです」
……今は。
この先過去の記憶は統合され、わたしに影響を与えていくだろう。
だが、わたしがトランになることはない。
わたしはわたしだが、わたしはわたしではない。
この世に生をうけたときから、わたしはレントだ。
「……そうですよね。ごめんなさい」
わたしが前任者の生まれ変わりだと知れば、きっと彼女らは喜ぶだろう。
「いいえ、かまいません」
だが、今は言わない。
あなたは……わたしを見てくれなくなるでしょう?
「おかしいですよね……。いまさらレントさんをトランさんと間違えるなんて……」
「いいえ。わたしは気にしませんから」
わたしはあなたのために帰ってきた。しかしわたしはわたしとしてあなたの隣を歩きたい。
「レントさん、どうしたんですか?」
「……わたしはどこかおかしいですか?」
「いえ、そうじゃなくて! ……なんだか雰囲気が違うなあって」
「……気のせいです」
意外に鋭い彼女にはいずれ全てを話さねばならなくなるかもしれない。その時、わたしが彼以上の存在になれていればよいと思う。
「遅かったな、レント」
「……遅くなるときは一言残していけ」
背後からの声に振り返れば、安堵の色を表情にまぜたクリスとエイプリルの姿があった。……彼らもわたしを心配してくれていたという事実に胸が熱くなる。
「……ただいま」
わたしの言葉に二人は一瞬目を丸くして、そして次の瞬間には笑顔を浮かべた。
「おかえり……」
その言葉、笑顔でわたしは理解する。彼らはわたしがわたしだということに気付いている、と……。
「これからは気をつけろよ?」
エイプリルがわたしの背を叩き、
「次は……許してやらないからな」
クリスがわたしの帽子を取り上げる。
エイプリル、クリス、そしてわたしの視線が自然にノエルへと集まる。
「……え? あ、いけない! あたしまだ言ってなかったですよね!」
一度言葉を句切り、はにかむように微笑んで彼女は言った。
「……おかえりなさい」
過去から受け継いだのは幸福な思い出。これからはわたしがそれを積み重ねていく。
愛する彼女たちと共に……。
終
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