Happy Valentine



 エイプリルが保存食を買うために店をうろついていた時、何かを真剣に見つめる男を見つけた。
 その男、旅の魔術師は周りからの視線に気付かないほどそれをー皿にのった焼き菓子ーを睨んでいた。
「……やはり無駄遣いか。でもたまにはなぁ……」
 そこでエイプリルは彼、トランが甘い物を好む事を思い出した。ただ彼はそれ以上に無駄遣いを嫌うために、腹の膨れない物を滅多に買わないだけだ。
「せっかくのイベントですしねぇ……」
「(……ああ、そうか)」
 そういえば今日はバレンタインデーだった。
 彼女自身はこういうイベントが苦手なため、気にもとめなかったのだが、そこらかしこに珍しいチョコレート菓子が並べられている。
「……あいつは、甘い物が好きだったな」
 そう呟くと手近にあった菓子を持って勘定に向かった。
 ……いまだ悩み続けるトランを残したまま。



「ああ、おいしそう〜。どれにしようかなぁ」
 その頃、ノエルは沢山のチョコレート菓子の前で悩んでいた。
 目の前に陳列されたそれらは甘い匂いと愛らしい形で彼女を魅了する。
「こっちのこれも美味しそうだし、あっちのあれもかわいいし……」
 ノエルの目がせわしなく菓子の上をさまよう。
 そうしている内に彼女の目にピンク色の何かがうつった。
「これ……チョコレート?」
 その箱の中には細やかな細工の施されたチョコレートらしきものが四つ納まっていた。
「はい。そちらはバレンタインデー限定のチョコレートです」
 ノエルの興味がそのチョコレートに向けられたのに気付いた店員がいろいろな説明をしてくれた。
 なんでもこの店でこの時期にしかつくられないものだとか。
「え〜と、じゃあ……それください!」
 少々高価だったがノエルはそのチョコレートを買うことに決めた。
 限定という文句に惹かれたのもあるが、なによりも形が気に入った。
 それはある意味、彼女を待っていたともいえるような形をしているのだ。
「お買い上げありがとうございます」
 ノエルはそれを受け取ると意気揚々と帰路についた。
 ……財布は軽くなったが彼女の心はそれ以上に軽かった。


「これで買い出しは終わりかな? あ、そうだ……エイプリルにワインを頼まれてたっけ」
 そう呟くクリスの片手にはもうかなりの荷物がさげられている。。
 ……あれやこれやと頼まれていく内に買う物が増えたのだ。基本的に彼は頼み事は断らない性質なので。
「こんにちは〜」
「はいはい、いらっしゃい。何にしましょ?」
「予算は……これくらいで旅に持っていけるワインが欲しいのですが」
「それならこれはどうですか」
 ……思いの外安価で良いワインを選んでくれた。
 さあ、勘定を払おうかと財布を出した時、酒店には不似合いなものを見つけた。
「チョコレート?」
「この店特製のワイン入りのチョコですよ。毎年この時期だけ売り出すんです。お一ついかがですか?」
「あ、いや……私は酒は苦手で……」
 そこまで返答しかけてから、ふと思い直す。
 自分は苦手だが彼女は……甘い物にはうるさい彼女もこういう物なら食べるかもしれないと。
「それ、一つください。勘定は別にしてもらいたい」
 商品を受け取り、宿への帰路につく。それぞれ出掛けていた仲間たちもそろそろ帰っているだろう。
 その帰り道、クリスは購入したチョコレートを見つめ、照れたような微笑を浮かべて呟いた。
「……男から贈ってもいいよな?」



「……あともう少しかな。今のうちにお茶の用意でもしますか」
 そう呟くとトランはオーブンを閉め、お茶の用意を始めた。
 ……今日はすこし渋めのお茶がよいだろう。
 トランがお茶の用意を無事に済まし、先に食器だけ部屋に運ぼうかとした時、クリスが宿に帰ってきた。
「……なんだそのカッコウは?」
 余程呆れているらしい。発音が変だ。
 その彼の目の前ではフリフリのエプロンをつけたトランが立っていた。
「ああ、やっとマトモな反応が!」
「は?」
「服が汚れるから宿のエプロンを借りたんですけどね。……エイプリルに似合っていると笑われて、ノエルにも大絶賛されるし……」
 ……いや、クリスも彼のエプロン姿が似合いすぎていたのに呆れたのだが。
「何か作ってたのか?」
「えぇ、ちょっと……。そうだ、もうオーブンから出さないと! これ持って行って下さい!」
 手に持っていた食器をクリスに押し付けて厨房に舞い戻る。
 なにやら後ろから文句が聞こえてきたが気にしない。
 焼き過ぎてしまったかと不安になったが、オーブンから出したソレは甘い香りを漂わせ、トランを安心させてくれた。
「お兄さん、できたのかい?」
 トランが菓子を切り分けているとき、後ろから宿の女将に声をかけられた。
「はい。いろいろとありがとうございます。厨房やエプロンを貸してくださるだけでなく、材料まで分けてもらってしまって」
「いや、あんなに迷っているのを見たらねえ」
「一から揃えると高くついてしまうので……」
 ……どうやら材料費に悩んでいたトランを見兼ねた女将が宿にある材料を分けてくれたらしい。「エプロンは洗って返しますので。これ皆さんでどうぞ」
 そう言ってトランは切り分けた菓子の半分を女将に手渡した。
「そうかい、悪いねえ。あ、それはこっちで洗うから置いといていいよ。……温かいうちにみんなでお食べ」
 そう言ってお湯の入ったポットを渡してくれた。
「はい、ありがとうございます」
 トランはポットと菓子を盆に乗せると仲間たちが集う部屋に向かった。
 ……フリフリエプロンをつけたまま。


「誰か〜開けてください〜」
「ん、ふぁい。今開けますね」
 扉をあけてくれたノエルの左手にクッキーが握られていた。
 ……噛ったあとがついているところを見ると、待ちきれなくて先につまんでいたらしい。
「……できればお茶を入れるまで待っててほしかったですね」
「すみません……」
「……というわけでこれは没収です」
 トランはそう言って、彼女の手からひょいっとクッキーを奪い、口に放り込んだ。
「ああ! トランさんひどい!」
「ふぉういえば、こえはられが?」
「何を言ってるかわからんな。食ってから話せ」
 エイプリルに言われて急いで咀嚼し、もう一度質問した。
「これは誰が買ってきたんですか?」
「……俺だ」
「……珍しいですね」
「……たまには付き合うさ」
「バレンタインデーだから?」
「お前こそ。無駄遣いは嫌いだろうに」
「……せっかくですからね。それに女将さんが材料をわけてくれたので安価につきました」
 ……などと無駄口をききながらお茶をいれる。
 ノエルやクリスだってお茶くらいはいれられるのだが、誰がうまいかというと、間違いなくトランが一番うまい。
 ……ちなみにエイプリルの名をあげなかったのは、彼女にはいれる意思がもとからないからだ。
「もういいですよね? じゃあ、いただきまーす」
 ノエルがトランの作った焼き菓子を頬張る。
「おいしい〜」
 彼女の満面の笑顔を見て、トランは嬉しそうに顔をほころばせた。
「そう言ってもらえると作ったかいがあります」
「……相変わらず器用だな」
 クリスが焼き菓子をつまみながら呟く。
「クリス、感想は?」
「……うまい。……のはいいんだが、これ何なんだ?」
「なんでもブラウニーというらしいです」
「店で見てたやつだな」
「えぇ、そうで……ってエイプリル! 見てたんですか!?」
「……かなり、注目をかっていたな」
「声をかけてくれれば……」
「目立ちたくない」
 ブラウニーをチビチビと噛りつつ言う。
「このクッキーはエイプリルが買ってきたんだよな?」
 クリスはそんな二人を横目に眺めつつ、クッキーをつまんで言った。
 口に放り込んだクッキーは程よくチョコチップが散らされていて心地よい甘味がある。
「うん、うまい」
「……そうか」
 エイプリルの顔がほころぶ。
「よかったですね、エイプリルさん。ところでクリスさんは何を買ってきたんですか?」
 ノエルがいまだ彼の手元に置かれた箱を見て尋ねた。
「私のはワイン入りのチョコレートです」
 包装を剥がしながら言う。そうやって置かれた箱の中には、一口大のチョコレートが数個ほど納まっていた。
「ワイン入り、のチョコレートねぇ……」
 トランが少し含みのある笑顔をクリスにむける。
「な、なんだよ。何か言いたい事でもあるのか」
「いいえ、別に。エイプリル、どうですか? 美味しいですか?」
「うまいな。……かなり」
 ……黙々と食べているところを見ると、余程気に入ったようだ。
 この分だとクリスのチョコレートは彼女一人で食べ切ってしまいそうだ。
 ……この際、一つ寄越せなどという野暮なことは言わないでおこう。
「……ノエルは何を買ってきたんですか?」
「あたしはこれです!」
「「「おお〜」」」
 箱を覗き込んだ三人の声が見事に唱和した。
「これは薔薇の形をしたチョコレートです!」
 ノエルがそれを配りながらいった。
「これはすごい! 花びらの一枚一枚まで作り込まれてる!!」
「しかもこの台座にしてるのは本物の花の砂糖漬けだな」
「壊すのがもったいないですが、ちょっと失礼して……」
 トランが花びらの一枚を割り取って口に運ぶ。
「なんだか……花の香りがします。……これは新食感かも」
 ノエルが不安げな表情で彼の顔を覗き込み尋ねる。
「……おいしいですか?」
「……好き嫌いが別れそうですけど、わたしは好きです」
「えぇ、おいしいですよ」
「俺もこれなら食べれそうだ」
「よかったー! あ、お茶がもうありませんね。あたしが入れます!」
 そう言ってトランのカップにお茶を注いだのだが……
「ああ! なんで真っ黒なんですか!?」
 ……もとは美しい琥珀色だったはずのそれは、暗く濁りカップの底を隠している。
「……どうやら出し過ぎちゃったみたいですね。……これは砂糖なしでは飲めないかも」
 トランがお茶を含み、顔をしかめて言った。
「ど、どうしましょう。お砂糖もらってきましょうか!?」
「あ、いや。大丈夫ですよ。……ほら!」
 そういうとトランは薔薇チョコの下に敷いてあった砂糖漬けの花びらをカップの中に落とした。そして一口飲むとノエルに笑顔で言った。
「美味しいですよ。飲んでみますか?」
「えっと、いただきます」
 そうやってもらったお茶は、色のわりに苦みが気にはならなかった。
 それどころか花の香りがほんのりして、けっこうおいしい。
 ノエルはトランにお茶をかえすと自分のお茶を手にとって呟いた。
「あたしのお茶、このままでもおいしいんだけど、真似しようかなぁ」
「甘くなりすぎやしないか」
「甘いの好きなんで。……うん、入れちゃおうっと」
 ノエルのカップに花びらが落とされる。トランのそれとは違い、砂糖衣が溶け、ゆっくりと沈みゆく様がはっきりと見てとれた。
「ん、おいし。あ、エイプリルさん、もしよかったらブラウニー分けてもらえますか」
「ああ、もってけ。クッキーも誰かいらんか」
「それは私が欲しい」
 …………
 和気あいあいとした、穏やかな時間が流れる。
「こういうのっていいですよね。また来年もやりましょうね」
「来年、ですか……」
「バラバラになってるかもしれませんよ」
「下手したら敵同士、だな」
 一瞬暗くなった空気を吹き飛ばすかのようにノエルは元気よく言った。
「それでもです!」
 些細な……いや抱えきれないほどの悩みでも吹き飛ばせるような力強い笑顔。
 その笑顔を見て三人の顔にも微笑がうかんだ。
「そうですね。それも楽しいかもしれない」
 ……とクリス。
「……悪くない」
 ……エイプリル。
「その前に、来年のバレンタインデーまでに沢山イベントがありますよ」
 …………トランが笑顔で答えた。
「じゃあ、全部いっしょにしましょう!」
 そう宣言するノエルは笑顔で。
 それにうなずく三人にも三者三様の笑顔があった。
 ……この時、四人は心のなかで同じ事を願っていた。
 ……この時間がずっと続きますように、と。





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