Photograph

〜デュラン〜


 よく晴れた日の朝。ユミルの家からパンの焼ける香ばしい香りが立ち上っていた。
『ねえ、こんなにもどうするの?』
 そう言うミエリの視線の先には、こんもりと積み上がるパンの山。いくら保存がきくものだといえども、一人では食べきれない量だ。
 粉を出しすぎて元に戻せなかったからとはいえ、作り過ぎてしまった。
「うーん……。レクスとかデュランとかにお裾分けに行こうかな」
 きっと彼らなら事情をさっして受け取ってくれる。もしかしたら何かと交換してくれるかもしれない。
「えーと……」
 この時間だとレクスは寝ているかもしれない。だから……デュランの家に行って、アンワールに届けて、それからレクスの家に行こう。
 そうと決まったら、さっそくパンを包んで出かけることにしよう。
「いってきまー」
『……(ユミル、預言書)』
「パンを届けるだけだよ。すぐに戻ってくるよ?」
『……(だめ)』
 ネアキの言葉(?)に従い、預言書を入れたカバンをさげる。……なんだかピクニックに行くような格好になってしまった。
 それはともかく、急いでデュラン宅に向かう。今ならまだ出かけていないはずだ。
「おはよう、デュラン」
「ユミル?」
 ユミルを迎えた友人の声はどこか間のぬけたような声だった。
「えっと……今日は何か約束してたかな」
「ううん。何も約束してないよ。……お邪魔だったかな」
 改めて見れば、いつもかぶっている帽子も黄色のショートマントも身に付けていない。そのかわりに彼を飾っているのは髪をまとめる三角巾とエプロン、剣の代わりに握っているのはほうきだ。
 ……どうやら掃除をしていたらしい。
 しかしいつもの彼ならこの時間には掃除を終えてお茶でも飲んでいるはずなのに。
「いや。そんなことないよ。それで何か用?」
「あ、うん。パンを焼きすぎちゃったから、お裾分けに来たんだ」
「ありがとう。嬉しいよ。……そうだ。手作りのジャムがあるんだけど、代わりにどうかな」
「ありがとう。……デュランが作ったの?」
「いや、そんなにマメじゃないよ。この間、頂いたんだ」
 散らかってるけど、と招かれたその部屋は確かにいつもとは違っていた。しかしあまり散らかっているという印象はない。ただいろいろな物がなくなってると感じるだけだ。
「いつもこんな風に掃除してるの?」
「いや。いつもは普通に片付けるだけだよ。でも毎日掃除していても、隅の方とかに埃がたまってしまうからね。たまにこうして大掃除するんだ」
 ……せ、背中が痛い。時々ちょっぴり口うるさいなと感じてしまう彼の見えない視線が刺さっているようだ。
『ユミルも見習ってはどうですか』
 いや。ちゃんときれいにしてるから。三日に一回は掃除してるから。
「あ。しまった……」
「どうしたの?」
「食料品に埃が入ったらまずいかと思って、二階に避難させていたのを忘れていたよ。ごめん。せっかく入ってきてもらったのに」
 二階に向かおうにも、階段には本棚から抜かれた本などがたくさん積まれている。……掃除終了まで通行不可能だろう。
「これじゃ無理だね。……そうだ。せっかく来たんだし何か手伝おうか」
「助かるよ。ベッドを移動させたかったんだけど一人じゃ出来なかったんだ」
「ベッドだけでいいの? あの本棚は?」
「ああ。あれは大丈夫だよ。ベッドと違ってずらすだけでいいし、そんなに重い物でもないしね」
 しっかりした作りの、なかなか立派な本棚に見えるのだけど、本当に大丈夫なのだろうか。
 そんなユミルの視線に彼も気づいたのだろう。本棚に近寄って、ヒョイッと片側を持ち上げて、その位置をずらして見せた。確かにそう重いわけではないようだ。
 持ってきたパンに埃が被らないようにしっかりと梱包して避難させる。
「じゃあ、ユミルはそっちを持ってくれるかな。少しだけ持ち上げて、移動させよう」
 力をあわせてベッドを移動させると、その下からもわもわとした埃がたくさん出てきた。
「……やっぱり。最近ベッドの下まで掃除してなかったからなー」
 ……マメに掃除しているデュランでさえ、こうなのだ。掃除は三日に一回、ベッドの下を掃除した日なんて覚えていない自分の家はいったいどいなっているのだろう。……怖いことは考えまい。
「ごめん、ユミル。少しだけ待っていてくれるかな。すぐに掃除してしまうから」
「うん」
 邪魔にならないように本棚近くまで避難する。そこでふと興味にかられた。
 ……デュランは軽々と上げていたけれど、いったいこの本棚はどれくらいの重さなんだろう。
 軽い気持ちで本棚をつかみ、持ち上げてみ……。
「う……くっ」
 ユミルの腕がプルプルと震える。
『どうした?』
 やけに爽やかな微笑で精霊たちに振り返り、首をふる。
『……(重いの?)』
 コクコクとうなずく。デュランは軽々と持ち上げていたというのに、なんだか自分が情けない。
「普段ハンマーとか振り回したり、魔物とも戦ったりしてるのになあ」
『それは……預言書の魔力が手助けしているのもあるかと』
「そうなの?」
『思い出してみろよ。ルドルドのハンマーは持ち上げられなかったけど、預言書から出したハンマーは使えただろ?』
「じゃあ、僕の力は……。少しは強くなったと思ってたけど、全部まやかしだったんだ……」
『全部ではありませんよ。預言書が与えてくれるのは、危険に耐える"力"と預言書を使用するための"魔力"のみ。技術的なものは、全てあなたが身に付けたものです』
「そっか。ちょっと気が楽になったよ」
 改めて掃除中の友人に目をやる。丁寧に床を掃き、埃を取り除く今の彼は、"勇者"の仮面を外した素の表情をしている。勇者云々の台詞のせいで気づくものはあまりいないが、デュランは優しく真面目な好青年だ。
 "彼女"のために人を救う勇者でありたいと望み、そのために努力を続けている。……こうでありたいと望んでもそのために努力を続けることはなかなか難しいことである。
 なかなか強くなれないと時には愚痴をこぼすこともあっても、諦めず鍛練を重ねる彼が素直に凄いと思う。
 惜しむらくは、その成果が剣技に反映していないことだ。
 しかし彼自身も気づいていないだろうが、鍛練の成果は確かに出ている。基礎的な能力では自分がデュランに勝つことは出来ないだろう。
 ……ウルの言う通り、少しは彼を見習わなくては。
『なあなあユミル。これ何だ』
 レンポに促されて見つけたそれは、手のひらサイズの紙片だった。本棚の裏のちょうど死角になるあたりにそれは張り付いていた。
「これは?」
 表がえして見てみると、そこには満面の笑顔のミーニャと緊張した面立ちをした友人たちの……幼い姿があった。
「そんな所にあったんだ……」
「デュラン、これって?」
「それはね、写真っていうもなんだ」
『カメラという機械を使って、風景や人物の姿を紙に写しとったものです』
「ふーん……そうなんだ」
「かなり珍しい物だからね。ユミルが知らなくてもおかしくないよ」
 そんな珍しいものを何故デュランは所持しているのだろう。彼の父グスタフはそういう物全般に興味はうすい。
「レクスのお父さんの関係でね、写真をとることになったらしいんだ。……でせっかくだから記念にと言ってくださって、僕とレクスたち子供三人でとってもらったんだ」
「この女の子って、ミ」
 慌てて口を閉じる。事件の後にこの町に移り住んだ自分がミーニャの姿を知っているのは少しおかしいし。
「ああ、この子? この子が、ミーニャ。レクスの妹だよ」
 写真の中の彼女は、路地裏にいる時と同じ服装で同じように笑っていた。
 写真の中の友人たちは身綺麗な格好をしていて……ともに並ぶ彼女もおめかししているのだろうことが推測出来た。そして時を止めた少女は寸分違わぬ姿のままこの世にいる。
 それはつまり……。
「ユミル、このあとレクスの家にも行くよね」
「へ? あ、うん。行くつもりだけどどうして?」
「この写真を、レクスに届けて欲しいんだ」
「……いいの?」
「レクスの分の写真は、あの時失われてしまったから……。彼に、持っていて欲しいんだ」
「……わかった。必ず届けるよ」
 手伝いを終え、デュランの家を出る。手荷物に増えた一枚の紙片がやけに重く感じられる。
「……ねえ、みんな」
 精霊たちに声をかけて、カバンの中の預言書に目をやる。
 預言書は次なる世界を創世するための奇跡の力。価値ある物を記すことによってそれを……無限に出すことが出来る。
「預言書を、僕の我が儘に使っていいかな」


 両手にさげた荷物がズシリと重い。あと少し、あと少しで家に着く。
「……あ!」
 グラリと体が傾ぐ。両手の荷物が邪魔で受け身を取れない!
「ユミル!」
 名を呼ばれると同時に、体を支えられた。目を上に上げて見れば、黄色のショートマントがあった。
「大丈夫かい? ……すごい荷物だね。手伝うよ」
 そう言ってデュランが片方の荷物を持ってくれた。苦労して持っていた荷物を軽々と持たれると何だかちょっとくやしい。
「どうしてここに?」
「パンと手伝いのお礼にジャムを届けに来たんだ。そう言う君こそどうしてそんな大荷物になったんだい」
「えーと。広場でヒースさんにあって、パンをわけてあげたんだ。そしたら食べきれないからって彼が買ってたチーズの塊を半分わけてくれて、その上もう少し食べた方がいいってたくさんの保存できる食べ物を買ってくれて……。アンワールやレクスもパンと他の物を交換してくれて、いつの間にかこんな大荷物に」
 みんな親切心からのことなのでうらめない。……っていうかヒースにもらった時点で一度帰ればよかった。
「そうなんだ。……帰りにジャムを渡さないでよかった」
 家に着き、荷物をテーブルの上に置く。ともに置かれたデュラン持ちよりの色とりどりのジャムが目に楽しい。
「わあ……。こんなに貰ってもいいの?」
「もちろん。ユミルには普段から世話になってるし、これでも足りないくらいだよ」
「ありがとう。……そうだ。僕もデュランに渡したい物があるんだ」
 カバンからそれを取り出して彼の手に握らせる。それを確認した彼の表情が固まった。
「これって……。レクスに渡してくれたんじゃなかったのかい」
 そう。それは彼から預かった写真だった。いや、正確に言うならば、それその物ではない。この写真は……。
「ちゃんと渡したよ。それは預言書の力で作り出した物」
 デュランの意思を尊重して写真のオリジナルはレクスに手渡した。しかし彼の意思とはいえ、彼が写真を手放すのはなんだか間違っているような気がした。だから……預言書の力を使って増やしたのだ。
 ユミルの我が儘を精霊たちは非難することはなかった。
 彼は写真を価値ある物と認め、彼女はユミルの思いに共感し……ユミルの行いを認めてくれたのだ。
「彼女が写っているこの写真はデュランにとっても大切な物でしょう? 手放しちゃ駄目だよ」
「ユミル……。ありがとう……」
 そうして見せてくれた友の笑顔は、今まで見たことがないくらい素晴らしいものだった。





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