A knee pillow
〜ウル〜
心地いいような不快なような、そんな不思議な感覚にとらわれる。
押し潰されるような圧迫があるのに抱き締められているような気になるのは、きっとこの暖かな熱のせいだ。
ユミルが預言書で何かしているのだろうか。彼ならば変なことに預言書を使うことはないだろうが、こう押し潰され続けたら押し花にでもなったような気がする。……いや、自分たちは預言書の中でしおりの形をとっているのだけれど。
『ユミル、何をしているのですか』
スルリと預言書から抜け出して彼に声をかける。しかしいつもならすぐに返るはずの返事はなかった。それもそのはずだ。ユミルは眠っていたのだから。
しかも預言書を枕にして。
『あなたは……。預言書をいったい何だと……』
思わず説教がもれそうになったがすぐに口を閉ざした。眠っている者に何を言っても無駄だ。しかし彼を起こす気にはなれなかった。彼はよく頑張っている。クレルヴォを止め、世界の崩壊を先伸ばしにした後、懸命に世界創世の旅をして……ついには自分達の枷を外してくれた。
たまにはこうのんびり昼寝をしたってかまわないだろう。
……だが預言書を枕にするのはいただけない。
『しかたないですねえ」
ため息をつきながら自分の体を実体化させる。ユミルのそばに座り、彼の頭の下から預言書を抜き取って、自分の足をその下に潜らせる。
「うーん……」
枕の位置が変わったせいか、男の膝枕が嫌なのか、ユミルがコロコロと寝返りをうつ。しかししばらくすると落ち着いたのか、また気持ち良さそうな寝息をたてはじめた。
「んー……レクスデュランまってー」
そんな寝言を呟きながらニコーッと笑う。きっと友人たちと遊んでいる夢でも見ているのだろう。
この少年は友人をことのほか大切にする。世界創世の旅に出ながらも友人たちをないがしろにしない。全力で旅にあたり、全力で遊ぶ。どこにそんな体力があるのか、時々不思議に思う。
「リボンは……リボンはいやだ。……レンポもわらわないで……」
そういえばこの間ミエリに強制的にリボンを結ばれていた。それがまた変に似合っていて、思わず笑ってしまいそうになった。
しかしあの出来事はユミルにとって夢に見るまで嫌な事だったようだ。……あとでミエリに注意しておこう。
「……ごめんなさいごめんなさい、ウルごめんなさい……」
……自分はそんなに怒ってばかりいるのだろうか。……そんなつもりはないのだが。いや、こうして彼が夢に見るくらいだからそうなのだろう。
……今後気をつけよう。
膝の上に乗せたユミルの頭をそっと撫でる。眠っている時だけは、年相応の表情を見せる彼の髪はサラサラと良い手触りがする。
物に触れられるこの体に、実体化する力を取り戻させてくれた彼に感謝する。
この少年は、時にはひどく大人で、時にはひどく子供っぽい。
自分を罵った町の人間をあっさりと許すかと思えば、菓子一つ奪われた事をいつまでも覚えていたりする。
……一度、尋ねた事がある。どうしてそんなに簡単に町の人間を許せるのかと。彼の返答はこんなものだった。
「みんなのことをよく知ってるからかな」
『知っているとは?』
「ヘレンおばあちゃんはお腹を空かした僕にご飯を食べさせてくれた。カムイさんやビスおじいさんは僕に沢山の事を教えてくれた。師匠たちは僕に戦う術を教えてくれた。……あの兄妹だっていい所もあるんだよ」
『本当は優しいいい人たちだと言うのですか。だから許すと……』
「ちょっと違うかな。みんな、優しいいい人たちでもあるんだよ。そりゃあさ、あの時は悪意ばっかりぶつけられて辛かったよ。でも僕はみんなのいい所もたくさん知ってる。だから……すれ違いや間違いがあったからって死んでもいいなんて思えない」
『しかし……』
「僕たちは人間なんだよ? 間違う事だってあるよ。僕だっていろいろ間違う事だってあったし、迷惑もかけてきた。でもみんな許してきてくれた。……まあ、さすがにあれは辛かったから、僕を信じてくれなかった仕返しをちょっぴりしたいなとは思ってるけどね」
『……』
「ありがとう。僕のために怒ってくれてるんだよね。でも、もういいんだ」
『利用、されているだけだとしても?』
「いいんじゃない? それなら僕も相手を利用するよ。お互いで利用しあえば公平だよね。……うーん。こういう場合は利用より協力の方が聞こえがいいかな?」
『……あなたという人は』
「あ、なに? 僕、何か変なこと言ったかな?」
『いいえ。さすが預言書が選んだ人だと思っただけです』
そして彼は最後にこう付け加えた。
「憎んだり恨んだりするのって苦しいよ。それなら僕は人を好きでありたい。好きになる方が楽で……気持ちのいいものだから」
この最後の言葉が彼の一番の理由ではないかと思うのは自分の考えすぎだろうか。
「ん……。うる?」
「おはよう、ユミル」
「おはよう。……僕、預言書を頭にひいてなかったっけ?」
「ええ。ひいてましたよ。しかし預言書を枕代わりにさせるわけにはいかないので交代しました。……男の膝枕で悪いですが」
ユミルは寝そべったまま預言書を受け取り、ふにゃりと微笑んだ。
「こっちこそ。膝枕の相手が男の僕でごめんね」
「いえいえ。普段あなたには怒ってばかりですからね、これぐらいはさせてください」
「……へ? ウルが僕に怒ったことがあったっけ?」
「夢の中でまで謝っていました……」
「うーん。何の夢を見てたかは覚えてないけど、ウルは僕を叱ったことはあっても怒ったことはないよ」
ユミルが勢いをつけて起き上がる。そしてにっこり笑ってこう続けた。
「叱ると怒るはちがうよね。だって僕のためにしてくれてるんだもの」
……本当にこの少年にはかなわない。いろいろ口うるさく言うこともあるが、彼はその真意をちゃんと読み取ってくれている。
「あなたは私にとって生徒のようなものですからね」
「生徒? もう少し親しい方がいいな。……ほら、弟とか」
「何万年も年上の兄でいいんですか?」
ユミルに手をとられ、立ち上がりながら尋ねる。彼の答えなどわかりきってはいるのだが。
「もちろん! こんなにカッコいいお兄さんなら大歓迎!」
「……私もあなた」
『それならオレらも兄弟だよな!」
預言書から三色の光が飛び出す。
実体化した赤の光はユミルの右を陣取って肩に腕をまわし、
『もう。お姉ちゃんになってほしいなら早く言ってくれればいいのに」
緑の光は左を陣取り彼の頭を抱く。
『ユミル、私も……」
そして最後に青の光がややためらいがちにユミルの腕の中にその体を預けた。
「おやおや……。ユミルは人気者ですね」
「うん。みんなに好かれてすごく幸せだよ」
ユミルは嬉しそうに笑い、両手をレンポとミエリの腰にまわし、頬をネアキの髪にすり寄せた。
「みんな僕の大好きな家族だ!」
「おう。兄ちゃんがお前を守ってやる!」
「お姉ちゃんもいるよー」
「私も……。私もユミルのそばにいる」
ユミルの顔が何か言いたげに向けられる。しかし彼の言葉を聞くまでもなく、伝えるべき事はわかっている。
微笑を浮かべ、彼の頭を撫でながら、その言葉を告げる。
「もちろん私もそばにいますよ。兄として……何でも教えてあげましょう」
「うん。たくさん教えて。そしてもし……僕が間違った事をした時は僕を止めてね」
「はい。……さっそくですが兄から一つ提案があります。そろそろ家に帰りましょう。風がでてきました」「はーい!」
三人にまとわりつかれ歩きにくそうにしながらも楽しげに丘をおりるユミルを見て、ウルは思わずにはいられなかった。
願わくは……世界崩壊の時がこの世界を愛する少年の寿命尽きた後であるように……。
終
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Scribble <2008,12,20>