Nerine
かつて魔王と呼ばれた者がいた
かつて英雄と呼ばれる者がいた
英雄は伝説の書物を持ち魔王と戦い、それを討ち滅ぼしたという
しかしそれは遠い遠い過去の話
今はもう、その魔王の名も英雄の名も残されてはいない……
風にひるがえるのは若草色のコート。その手に抱えるのは重厚な真っ赤な書物。どこか疲れた顔を見せるその少年は何もない虚空に向かってポツリとつぶやいた。
「うん、大丈夫。つかれてないよ。ただちょっと、やっぱりカレイラに帰るのは辛いかな……」
書物をぎゅっと抱きしめ視線を下に落とす。足元に見える道の先に続くのはカレイラ王国の首都ローアン。……かの英雄の出身である町だ。
「みんながいるから大丈夫って言いたいけど、やっぱり辛い。……僕をおいてずっと先に進んだ町を見るのは」
首を振って前を見据える。
「うん。でもローアン祭には帰ってくるって約束したから。約束してからずいぶんと長い時間がたってしまったけど……約束は守りたいから」
そして一歩一歩足を進める。このままの調子で行けばローアン祭の開催日である明日の朝にはつくだろう。
「レクス、デュラン、ファナ、皇女、皇子……。今、帰るから」
「ようこそローアンへ! お帰りなさいカレイラの英雄!」
いきなり英雄と呼ばれた少年はぱちくりと目を丸くした。
「へ?」
「おや、ご存知ありませんか? この祭は魔王を倒したとされるカレイラの英雄が故郷であるローアンに帰られる日。それにちなんでこの日に訪れる少年は皆、英雄と呼ばれ、丁重に扱われるのですよ」
「そ、そうなんですか」
「ええ。三代前の王であるドロテア女王様からローアン祭を盛大に行うことになりまして、この御触れを出されたのです」
「そうなんですか。ドロテア皇……女王様が」
「そしても一つ出されたお触れがあります」
「なんですか?」
「この日に訪れた英雄の少年は必ず町長に挨拶をすることになっているのですよ。町長の家は町の広場を出て左手にあります。必ず、訪問してください。」
「わかりました。ご親切にどうもありがとうございます」
町の入り口を守っていた門兵に礼を言い、少年は町の奥へ向かう。その際また独り言をつぶやいた。
「……僕もびっくりしたよ。きっと――のためなんだろうね」
町長の家を訪れ、その扉をノックする。……意外と訪れる少年の数が少ないらしく待っているものは誰もいなかった。
「お帰りなさい、カレイラの英ゆ」
中から出てきたのは美しいエルフの女性だった。彼女は御触れどおり少年を英雄と呼ぼうとしたが、そのセリフは途中で凍りついた。
「……ユ、ユミル?」
「……ただいま、シルフィ」
「お帰りなさいユミル。さあ、入って!」
ぽろぽろと涙をこぼしながら、しかし笑顔で少年―ユミル―の手を引く。そんな彼女に優しく微笑みかけながらユミルは言った。
「……綺麗になったね、シルフィ」
「ありがとう、ユミル。……あなたは変わらないわね」
ユミルの前にいるシルフィの姿は彼の記憶とは全然違う。彼と同じくらいだった背はずいぶんと伸び、以前は少女らしく愛らしかった顔立ちも大人になって一際美しく成長している。……しかしユミル自身は違う。
彼は昔のままだった。
あれからもう何年経つのに、彼の姿はシルフィの記憶の中にある彼の姿と寸文の違いもない。……彼の刻は止まったままだ。
「私たち、ずっとずっと待っていたのよ? みんな、待ちつかれて先にいってしまって……こうしてあなたを待ち続けられたのは私だけ」
「うん、ごめんね。でも……」
「いいの、いいのよ。あなたはこうして帰ってきてくれたんだから。ちょっと待ってて」
シルフィが部屋の奥に行き、何かを取ってきた。
「これはね、レクスが作ってくれたのよ」
それは真鍮製の懐中時計だった。表面には小さな緑色の石がはめ込まれ……よくよく見ると模様に隠されて、友人たちの名前も彫られている。ふたを開けてみると、ふたの内側に何かが刻んであった。
―永遠の親友へ―
……涙が出た。彼は自分をずっと親友だと思っていてくれた。子供の頃に分かれたきり、彼の死に際にも顔を見せなかった自分を親友だと……!
「それ、斜めに傾けてもう一度見て」
その通りにすると先ほどの文字下にもう一つ文章が現れた。さっきまではただの研磨の後だと思っていたそれは斜めにすることで姿を現す隠し彫りだったのだ。
―お前は弱いんだからあんまり無茶すんなよ―
今度は口元が緩んだ。彼が彼のままだったことが、預言書の主として刻を止めてしまった自分を以前と変わらず心配してくれていた彼の気持ちが嬉しい。
「みんなのところにも行くでしょう?」
「……うん、行くよ」
「それ、持っていって。見ればわかると思うけど、その時計はあなただけのために作られたものだから」
「うん、ありがとう」
シルフィに見送られて城へと向かう。彼女たちはもう、旅立ってしまって自分を知るものはいないだろうが、それでもそこに行きたかった。
王門をくぐり長い長い階段を上ると、やはりそこには兵士が立っていた。
「これより先は一般人の通行は禁止されている。たとえカレイラの英雄であろうと、も……」
兵士の目がユミルが持つ懐中時計に留まる。
「す、すいません。少々お待ちを……! だ、誰か王様にお伝えしろ! カレイラの盟友ユミル殿が参られた!!」
そう言うやいなや頭が地面についてしまうのかと思う勢いで頭を下げる。
「……どうぞ王様にお会いください」
そして彼に謁見の間に案内される途中、奥からこんな声が聞こえてきた。
「王様お待ちください! 王様が玉座を離れ客人を迎えられるなど!」
「何を言う! 大御婆様のお話を忘れたのか!?」
そうして現れたのは銀髪の青年だった。どこか見覚えのある顔立ちの青年の頭には豪奢な冠が飾られている。どうやら彼が現在の国王らしい。
「よくお帰りになられました、ユミル殿。私たちは待ち続けていました。あなた本人を知る町長からその時計を受け取り、訪れる……我らカレイラの盟友であるあなたの事を」
「僕のことを?」
「はい。大御婆様達は私たちにこう言い遺されました。『ユミルは必ずローアンに帰ってきてくれる。そして必ず城をお訪れてくれるはず。その時は必ずあなたたちが彼を出迎えてあげなさい。彼が遺される寂しさに涙を流さぬように』と」
国王がひざをつき、ユミルの両手を取る。王が子供に対してひざをつくなんて……と非難の声を上げるものもいたが国王は気にしない。やわらかく微笑みながら、彼はこう続けた。
「ユミル殿、どうか忘れないでください。このカレイラはあなたの帰るべき場所であり、我ら王族……ドロテア女王の子孫は皆、あなたの友です。いつでもここを、私をお訪ねください」
「ありがとうございます……えっと……?」
「ヴァルドです。大御爺様の名をいただきました」
「ありがとうございます、ヴァルド国王陛下」
「ヴァルドと呼び捨てにしてください。私はあなたの友なのですから」
「……ならヴァルドも僕をユミルと呼び捨てにしてください。友達に敬称で呼ばれるのはちょっと……」
「はい。では、ユミル……大御婆様のお墓に行ってはくれませんか? 大御婆様はあなたのことを待ち続けていました。ぜひとも彼女に逢いに行ってあげてください」
「わかりました」
「大御婆様は本人のご希望でローアンの墓地で眠りについています。あなたが気軽に逢いに来れるように、と」
「そう……」
「ユミル、旅に出てもまたこのカレイラに戻ってきてください。私は……私達はあなたの友としてあなたの帰りを待っています」
王城から再び広場に向かう。祭りはここがメイン会場になっているらしく芸人が楽器を鳴らす音や商人の呼び込み、詩人らしき男がカレイラの英雄の叙事詩を詠う声がユミルの耳に届いてくる。
「我等がために戦い続けたカレイラの英雄を
我等カレイラの民は疑い裏切った
しかし彼は我等を見捨てはしなかった
魔の手に落ちかけたこのカレイラを
救いを求めたカレイラの民を
彼は救ってくれたのだ
裏切りの過去は変える事は出来ぬ
だが未来は自らの意思で選び取ることが出来る
我等カレイラの民はもう裏切りはしない
何があろうとも彼を信じ続けよう
我等がカレイラの英雄、愛すべき友のことを……」
朗々と響く詩はユミルの頭の奥底にまでしみこんでくる。それで思い出させられるは過去の辛い思い出。けれど……。
「うん、そうだね。どんな事をしても根拠もなしに疑った過去は消えない。けれどもそれを教訓に今を変えることが出来たんだったら……きっとそれは意味のあることだよね」
広場を出て町の中心部に出た。ここでは子供が買いやすい安価な物を中心に店が出ているらしく、小さな子供たちが大人に連れられて歩く姿がたくさん見えた。
「あー! ユミルおにいちゃんだー!」
そう叫んでユミルを指差したのは髪を二つくくりにした小さな女の子。その声を聞きつけたのか周りからわらわらと子供が集まりユミルを取り囲む。
「ほんとだーゆみるおにいちゃんだー」
「ちょーちょーのおねーちゃんにみせてもらったのとおんなじとけーだー」
「お母さーん。ユミルお兄ちゃんがいるよー!」
「ユミルお兄ちゃん遊んでー」
子供達はきゃあきゃあとはしゃぎながらユミルを兄と呼んでくる。特に人懐こいらしい男の子がユミルの返事をききもせずに彼によじ登り始めた。
「え? え? ちょ……お、重いよ」
「こーら、お兄ちゃんに迷惑かけないの」
そう言ってユミルから子供を引き剥がしたのは亜麻色の髪をした女性だった。彼女はユミルににっこりと微笑み、こう言った。
「はじめまして。そしておかえりなさい、ユミル。私は孤児院で保母をしております……ファナといいます」
「ファ、ファナ?」
「はい。代々孤児院を受け継ぐ女性は設立した彼女の名を受け継ぎ、『ファナ』を名乗っているんです」
そこまで言ったところで彼女は子供たちを呼び集めた。そして彼らに小遣いを渡すとこの近くで遊ぶように言って聞かせ、その場から離れさせる。
「初代『ファナ』から保母と子供たちに言い伝え続けられていることがあるんです。『あなたたちにはユミルという家族がいる。必ず彼はローアンに帰ってくるからその時は家族として彼を迎えて欲しい』と」
「……ファナ」
「私達は家族であるあなたの帰りをずっと待っていました。……ユミル、どうか初代『ファナ』に逢って行ってください。彼女もあなたの帰りを待ち続けているのですから」
子供たちと彼女から別れた後も、なんとなく墓地には行く気にはなれなかった。そこに行けば友たちが眠りについた現実をその目に見ることになる。その覚悟はユミルにはまだなかった。
代わりに足を向けたのはかつて通った道場。記憶にある限り、友人は決して強くなかったから……もしかしたら道場はつぶれてなくなってしまっているかもしれない。
しかしユミルのそんな心配はまったくの杞憂だった。彼の通った道場は以前と変わらず……いや記憶にあるよりもやや立派になってそこに建っていた。
「ごめんください……」
「……今日は鍛錬は休みですが?」
そこにいたのは髪の真っ白になった老齢の女性剣士だった。しかし彼女の背筋はピンと伸び、目には力強い光が宿っている。
「息子も孫も祭りの警備に出ているのでいませんよ」
「あの……ええっと…….」
老剣士の目が首からさげた懐中時計に止まる。
「もしかしてユミルさん、ですか?」
「は、はい!!」
「お初にお目にかかります、ユミルさん。……あなたの事は父であるデュランより聞いております」
「デュランから?」
「はい。何よりも大切な友人だと……」
「そうですか。……あの、デュランは何か言い残してたりは」
「いいえ、何も。あなたはいつか必ずローアンに帰ってくるから、その時まで自分は魂だけとなってもあなたを待ち続けるから……話したい事はその時に話す、普段より父はそう言ってました」
「デュランらしいや……」
「ユミルさん、私はあなたにあえて嬉しい。……父が目標にし続けていたあなたに」
「目標?」
「友であるあなたが国を救った英雄ならば、自分は人を救う勇者であり続けると、父はそう言って人のために心を砕き続けたんです」
彼女は困ったようにため息をつき、続けた。
「正直、教え方は上手でも父本人は決して強い方ではなかったので、心配でしかたがなかったのですが……今となっては父が誇らしい」
デュランのことを思い出しているのだろう、老剣士は胸に手を当て微笑んだ。
「父は決して強い剣士ではなかったけれど、私は父以上に人に慕われる剣士を見たことがありません」
その言葉を聞いたユミルも友のことが誇らしく思えた。
物語や英雄譚のような派手な勇者ではない。しかし彼は人を救うという一点においては真実の勇者であり続けたのだ。
……子供の頃、ユミルに対し語った夢の通りに。
「ユミルさん、どうぞ父に逢ってやってください。きっと父は喜ぶはずです」
友人たちの家を回り、やっと墓地に行く決心がついた。
祭りの喧騒も墓地にまでは届かない。おだやかな静寂に包まれた墓地をユミルは一つ一つ墓石を確かめながら歩く。
―英雄の親友 ここに眠る 心は遥か彼方の親友と共に―
―数十の子の母 友を思いここに眠る―
―勇者として 人を助け続けた剣士 ここに眠る―
―カレイラを誰よりも愛し カレイラに誰よりも愛された女王 ここに眠る―
―女王を陰ながら支え続けた思慮深き王配 妻の側にて友を待つ―
「レクス、ファナ、デュラン……ドロテア皇女、ヴァルド皇子。ごめんね、逢いに来るのがこんなに遅くなってしまって」
彼らの好きだった花を手向け、さびしげに微笑んだ。
「まだ世界は終わりそうにないよ。だから僕がみんなに逢いに行くのはずいぶんと先になりそうだ。それともみんなの方が先に僕に逢いに来てくれるかな」
ユミルの両目からはらはらと涙がこぼれる。
「ごめん。レンポ、ミエリ、ネアキ、ウル……耳塞いでおいて」
彼らが自分の言った事をきいてくれていると信じて叫ぶ。
「僕もみんなと一緒に生きたかった! 万能の預言書なんていらない、創世の使命なんてどうでもいい! それより大好きなみんなと同じ思い出を作りたかった!!」
ユミルの叫びが墓地の中を響き渡る。その叫びは死者も起こしてしまうような悲痛な色を含んでいた。
「あの時はこんな風になるって全然思ってなかった。ただ世界が滅ばなくて良かったって、素直にそう思えたんだ。……でも」
一瞬浮かんだ考えを振り払うように、うなだれたままの首を振る。
「ううん。世界が滅ばなくて良かったんだよね。滅ばなかったからこそ大好きなみんなが幸せな一生を送れたんだから」
ごしごしと涙をふき取って顔を上げる。
「預言書を持つ僕はみんなと幸せにはなれなかったけど、預言書を持たない僕……新世界に生まれ変わった僕はそこに生まれたみんなと幸せになれるよね?」
『当たり前だろ』
『もう、どこにも行かせないから』
『もちろんさ。勇者である僕がついてるんだから』
『わらわも今度こそユミルと一緒に生きたいのう』
『今度は僕が君の力になるよ』
思わずあたりを見回すが、もちろん誰もいない。……寂しさからくる幻聴なのだろうか?
いや……きっとそんなものではない。実際彼らはここにいて、自分を待っていてくれていたのだ。
「……ここで、待っていてくれる? これからも、ここで見守っていてくれるかな?」
ユミルの問いかけに呼応するようにやわらかな風が吹いて樹木の葉を揺らし、優しい葉擦れを響かせた。
「みんな、ありがとう。僕、がんばれるよ……」
必死に涙をこらえ、精一杯笑顔を作って彼らに応える。……友が見守ってくれているのなら、辛い使命も耐えられる。……そう思えた。
「僕はもう行くよ。……世界創世の旅に、みんなとの幸せな未来を創る旅に」
またあふれてきそうな涙を振り切り墓地の入り口まで走る。そしてユミルは振り返り、この地で待っていてくれる友人たちに大きく手を振った。
「またね、みんな!」
……カレイラの英雄と呼ばれた少年は、これより先弱音を吐く事は一度もなかった。
なぜならば少年は気づいたからだ。
共に生きることはできなかったけれど、友は最期まで……いや、今でも自分を思ってくれているのだと。
……友の思いに支えられ、少年は長い長い旅を続けることになる。
世界が終わり、使命が果たされる時……
友との幸せな未来が待つ……新しい世界が始まるその日まで。
終
Nerine
和名 : ネリネ
花言葉 : また会う日を楽しみに
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