Connection of mind



 世界が救われてから早一年。この一年、ずいぶんといろいろなことがあったが、中でも一番の大きな事は彼が地上に還って来た事だろう。
「ずいぶんと腕をあげたな、クワットロ」
 自分に稽古を付けてくれていた男が剣をおろして言った。それに親指を立てて答えて見せると彼はこう続ける。
「ああ。私などの腕は当の昔に追い抜いている……私が稽古など付けるのはおこがましいほどにな」
「(しかし、どれだけ腕を上げようとも、実経験の差は埋められない)」
 彼と会話するのに黒板は必要ない。彼とその友人である女性は読唇術を身に付けている。
「実経験の差、か。しかしそれも君とノーヴェの連携があれば埋められる程度のものだ」
「(弟子がそこまで研鑽を重ねたのは喜ぶことだろう、イザヤール)」
「ああ、その通りだとも。だから安心して旅立つことが出来る」
 旅立つ?
「セントシュタイン国王がルディアノ復興のために人を派遣するのは知っているな?」
 ああ、それは昨日聞いたばかりだ。
 なんでもセントシュタインでの調査はこれ以上することがなくなったらしく、現地に人を派遣して調査をしつつ、土地の復興を目指そうということになったらしい。……そういうことを昨夜その調査団に選ばれたラフェット女史から聞いた。
「私も護衛としてそれに参加するつもりだ」
「(ノーヴェはどうするつもりだ?)」
 ノーヴェの親友であるニオもラフェット女史の補佐をするために参加すると昨日の時点で言っていた。ならば、イザヤールもルディアノに行くのならば、ノーヴェは一人残されることになる。
「もう二度と逢えないというわけではない。それにノーヴェはもう私などいなくても大丈夫だ」
 ……家族のように親しいものと離れて大丈夫なはずがないと思うのだが。
「私がいなくても君が……いや、これは私の口から言うべき事ではないな」
 イザヤールが自嘲気味に笑い、帰宅を促すように自分の肩をたたいてくる。
「さあ、戻ろうか。ノーヴェにも話さなくてはならないからな」



 机に突っ伏して大きくため息をつく。
 誰かに相談しようにもウーノは学校だし、トレもこんなときに限って里帰りをしている。かといって悩みが悩みだけに元天使たちに訊くわけにも……。
「何を悩んでんの、青少年」
【……少年がつくような年じゃない】
 黒板にそれだけ書き込んで顔を上げると、ルイーダがジョッキ片手にそこにいた。
「うじうじ悩むようじゃ大人の男とは言えないわよ。はい、これ。特別におごってあげる」
 受け取ったジョッキを一気にあおる。酒かと思ったそれはただの水だった。顔をしかめて見せると彼女は楽しげにこう告げた。
「悩んでるときにお酒はよくないわよ。さあさ、お姉さんが聞いてあげるから言っちゃいなさい」
 ……自分は話せないのだが。いや、それはどうでもいいか。人生経験豊富な彼女なら何かしらの答えを示してくれるかもしれない。
【ノーヴェの友人たちがルディアノに行くと】
【オレは彼女に付いて行くように勧めるべきなんだろうか】
 イザヤールがルディアノ行きを告げた時、彼女はただ「お気をつけて」とだけ答えた。自分もついていくとは言わなかった。でも、本当に彼女は彼らと離れることになってもいいのだろうか。……もしかして自分たちがいるから残ろうと思っただけなのかもしれない。それならば自分のことなど気にせずついていって欲しいと思う。
「……なるほどねえ」
 なんだ、その微妙な笑みは。
「つまりこうよね? ノーヴェが友達とかと離れずにすむように彼女に付いてくように言わなきゃって思ってるのよね」
 うなずく。
「でも言いたくないのよね。……自分がノーヴェと離れたくないから」
 思い切り顔をしかめて見せるが彼女はどこ吹く風。小さな子供にするように頭をなでてきた。
「ノーヴェと話してきなさい、クワットロ。付いてくか行かないかなんてそんなことどうでもいいから話してきなさい」
 なでる手をそっと振り払うが彼女は機嫌よく笑ったまま、最後に自分へとこう尋ねた。
「彼女がよく読んでる手紙の中身を知ってる?」



「話って何?」
 黒板に書き記す前に、まずは首からある物を取り外す。それはずっと借り受けたままだった対なる装身具。彼女が自分らと別れて彼らに付いていくならば返さねばならないし、自分たちの元に残るというのであっても、これは自分ではなくイザヤールが持つべきだろう。
「ん?」
 受け取りながらも首をかしげるノーヴェに黒板を差し出す。
【返す。オレが持ってるべきじゃない】
「なんで?」
 いや。なんでって。この対の装身具はもともとノーヴェとイザヤールの物だ。ずっと借り受けていたままだったが、彼が還って来た今となっては彼らに返すべきだろう。そう、ノーヴェに伝えると彼女は軽く首をかしげてこう言った。
「それがなくてもイザ師匠は私を探し出してくれるし、別に大丈夫だよ。……借りたままの状態が気になるなら明日にでもお願いしてきて正式に貰い受けてくるけど」
【お前が彼を探せないだろう?】
「別にそれはなんとも思わないかな」
 彼を含めた故郷の人々を全て亡くしたとき、あれほどまでに悲しんでいたのに?
「あの時は皆消えてしまったと思ったから悲しくてたまらなかったけど、今度は違うから。生きる場所は違うけど同じ大地の上で同じように暮らしているなら、別に四六時中一緒にいなくてもいいかなって。ルディアノに行くって分かってるんだから会いたければ会いに行けばいいし」
【寂しくないのか?】
「いや、だって……君がいるし」
 クワットロが自分を指差し首をかしげると、ノーヴェは朗らかに微笑んで言った。
「ずっと隣で支えてくれるんでしょう? 君がずっといてくれるなら寂しくなんてない」
 そうか、自分たちがいれば彼女は大丈夫なのか。
 ……いや待て。
 ノーヴェは君と言った、君たちではなく。ということは彼女が言っているのは自分一人?
「……っ!」
 クワットロの顔に瞬時に血が上る。それに伴い普段は血色の悪い肌が朱に染まった。
「そう、露骨に反応されると恥ずかしいんだけど。っていうか私も顔熱いし……。ああ、もう。ルイーダさんが言ってた事が今更分かったよ」
 ノーヴェは自分とは真逆の色黒の肌だから赤みはほとんど見て取れない。しかし彼女もそうとう恥ずかしいらしく目をそらし、頬をぽりぽりとかきながら言う。
「イザ師匠達の事も大好きだけど、私が一緒にいたいのは君だから……いや、もちろんトレ達もだよ?」
 暑そうに顔をパタパタと手で仰ぎ、装身具を握りこんだもう片方の手を突きつけてくる。
「ともかくこれはクーに返す。っていうか持っていて欲しい。君が、私とつながったままになるのが嫌ではなかったらだけど」
 嫌なわけがない。
 ノーヴェが天使界へ帰ったとき、自分は彼女が恋しいと思った。
 自分はずいぶん以前から、彼女に強く惹かれていたのだ。
 初めは恋などという甘いものではなく、ただの興味として、共に旅する仲間として、戦いの中背中を預けあうパートナーとして。
 そして今は? 
 きっと自分の思いは自分でも知らぬ間に定められ固まっていた。そう、それを無意識のうちに自分は吐露していたではないか。
 ――神の樹の下で彼女に示した言葉の中に。
「……」
 ノーヴェに告げるべき言葉を口に出す。それは相変わらず音にはなってはくれないが、それでも彼女は嬉しそうに微笑んだ。
 差し出した手のひらの中に装身具が落とされる。触れた瞬間、目の前にいるノーヴェを、より強く身近に感じられた。
「君がいるのがわかる。ううん、さっきまでだって目の前にいたんだけど心でクーがいるって感じるとすごく安心する。それになんだか、幸せな気も……」
 胸に当てられたノーヴェの手をとり、その手のひらの上に指で五文字の言葉を刻む。……それに対する返答は口数の多い彼女には珍しくたった一言だけ。
「……私も」



「収まるべきところに収まったというところか……」
「愛弟子が離れるのは寂しい?」
「寂しくなどないさ。ノーヴェにとって我々は家族、ニオは友人。ならば生涯を共にする者を他に選ぶのは何の不思議もない。いっそ嬉しいくらいだ」
「そうね。あの子が幸せになるのは私も嬉しいわ」
「ねえ、先生。ノーヴェ、結婚式には呼んでくれると思います? わたし、ノーヴェのドレスを選んであげたいなあ」
「それはまだ早い」
「イザヤール?」
「イザヤール様?」
「いいや、なんでもない。……いや、やはり少し寂しくもあるな。確かに嬉しいと感じているはずなんだが」
「父の心境といったところかしらね」
「……ともかく。数日中にはルディアノに発つのだからその準備をしなくてはな」
「逃げたわね」
「逃げましたねー。でも準備はちゃんとしなければいけないのも本当ですし」
「ええ、そうね。ノーヴェが安心して私たちを見送れるように」
「はい、先生」
 逃げるように去った男の背中を女性と少女が追いかける。彼女と彼のやり取りは気になるがこれ以上は自分たちは知る必要などないだろう。
 羽をもがれた娘の傷は自分たちのもとで充分に癒された。ならば彼女が飛び立つのを引き止める理由はない。ただただ彼女が幸福でいてくれるようにと願うのみ。
 振り返ってみれば、共にいる者を自ら選んだ娘の笑顔がある。
「大丈夫そうだな」
「私たちがいなくてもね」
「ダメですよ。恋人だけじゃなく家族と親友もいないと」
 愛する娘の幸福の兆しを見届けて、元天使らは互いに笑顔を交わすのだった。





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