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(今日も、疲れた……)
 シャワーを浴びながら、ヒデオは大きくため息をついた。
 神霊班に勤務しはじめてから、心休まる暇がない。本当は風呂など無視して寝たいのだが、うっかり汗臭い体で職場に行こうものなら、上司と同僚からの言葉責めで完膚なきまでに叩き潰されるので、そういうわけにはいかない。
 シャワーを止め、鏡のくもりをふくと、以前より引き締まった体がそこに映った。……と言っても以前のように食べていなくて引き絞られたわけではない。地道に鍛え、筋肉がつきつつあるのだ。
 ヒデオに割り振られた仕事は悪霊などの退治である。しかし退治と言ってもヒデオにはそんな霊媒師のような真似事は出来ない。常識の外側との接触のせいか、視る事と話だけは出来るので、彼らの愚痴など聞いたり、会話したりして、なんとか交渉で仕事をこなしている。
 だが、相手は悪霊。身の危険も多い。襲われて怪我したり、取りつかれかけて睡蓮にお祓いがてらにどつかれたり、仕事が遅いと翔香に張ったおされたり……。なんだか同僚からの暴力で怪我してる方が多い気がする。
 それはともかく、本当に命の危険がある時はロソ・ノアレが守ってくれているので死ぬことはない。きっと自分に死なれるとつまらないのだろう。
 命の危険なく仕事を行えるのはありがたいが、自分の意思でなくても彼(なのか彼女なのか)の力を使うのはよろしくないだろう。
 自分の身は自分で守れるようにならなくては……。そんな自分の考えを聞き付けた翔香が剣の稽古をつけてくれたことがあるのだが……ヒキコモリであった自分には厳しすぎた。うっかりロソ・ノアレに再会しかけてしまった。
 それ以来、自己流ではあるが地道に鍛えている。……通勤を全て徒歩にし、慣れれば早足に、帰りに余裕があればランニングをする。まあ、あとは腹筋やら腕立て伏せやら、自宅で出来る運動をやっている。そのおかげで、以前よりか体力がついた。……気がする。(……ないな)
 どうやら下着を持ってくるのを忘れてしまったようだ。だが男の一人暮しだし、気にするほどのことではない。
 バスタオルを腰に巻き、部屋に戻るため扉を開け……。
「あ、マスター」
「こんばんは」
 バタンと扉を閉める。今のはウィル子と確かマリアクレセルとかいう天使……。
 さっきまで誰もいなかったのに、何故……。というか、タオル巻いててよかった。危うく真っ裸で彼女らの前に立つ所だった。
「マスター? どうしたのですかー?」
 いや、察してもらいたい。さすがにパンツもはかず女の子の前に出られない。
「あ、着替えを忘れたのですね。持ってきましょうか」
「いや。少し席を外してもらえば、自分で」
「それには及びません」
「……っ!?」
 マリアクレセルのその言葉と同時にヒデオの体を衣服が包む。黒の詰襟に金ボタン、パリッと糊のきいたその衣服は……。
「なぜ。学ランなのか、と」
「趣味です」
 男に学ランを着せるのが趣味なのではなく、制服が好きなのだろう。……きっとそうだ。
 目の前に現れた自分をまじまじと見つめ、ウィル子がポツリと呟く。
「似合ってませんねー」
(……。)
 当たり前だ。こんな物を最後に着たのは何年前だと思っている。美男子が着るのはありかもしれないが、自分のような男が着てもイタいだけだ。
「お話があって来ました」
「そう! そうなのですよー」
 唐突に話し出した彼女らに麦茶を出して座る。この際、自分の姿は気にしないことにしよう。
「もう一度尋ねます。天界に来る気はありませんか?」
「……? 以前に、答えたはず。僕は、この世界で。生きていきます」
「そうですか。考えは変わりませんか」
「今になって、なぜ」
「"闇"の力を使用しているでしょう」
「しかし、それは。自分の意思では」
「理解しています。その力に頼らぬように、あなたが努力していることも」
「それならば……」
「天界としては"闇"の力の使用を看過できません。今は微弱なものでも、この先どうなるかわかりませんので」
「……どうする、と」
「あなたに監視をつけます」
「ウィル子がそれに立候補しました!」
 元気に挙手するウィル子をチラリと見て、マリアクレセルは続ける。
「公私ともに彼女と行動を共にしてください。宮内庁には彼女をあなたのパートナーとするように手配しました」
「それでですね、マスター……」
「……?」
 なぜ、ウィル子は顔を赤くしているのだろう。
「私生活の方は彼女に一つの方法を提案してはいますが、何分当人同士の気持ちが最優先ですので」
 気持ちが最優先? ウィル子とともに暮らすのなら、大歓迎だが。
「では、ウィル子」
「はい。あとで報告するのですよ」
 マリアクレセルが去ったあとも、ウィル子は何やらもじもじして何も話さない。というか、顔の赤みが増しているような。
 彼女が何も話してくれないので、とりあえず空になったコップを片付けることにする。
 流し台にコップを運び、さあ洗おうかとスポンジをもったところで背中をツンとつつかれた。
「マ、マスター。あの、ですね……これからずっと一緒にいるわけじゃないですか」
「……それが?」
 なぜ彼女はこんなに顔を赤くしているのだろう。一ヶ月とはいえ共に暮らしたことがあるのだから、今さら照れる必要もないだろうに。
「あの、マスターは男の人じゃないですか。だからその、将来お嫁さんとかをもらったらウィル子はそばにいられなくなるのですよ」
 ……ああ、確かに。自分が結婚出来るかわからないが、もし出来たならウィル子と自分がともに居続けるのは少々問題だろう。現実はどうあれ、伴侶でもない年頃の少女を側に置くのはよろしくないだろう。
「それで、だから……だから!」
 自分の服をギュッと握り、何度も深呼吸を繰り返し、ウィル子が言った。
「だからウィル子をマスターのお嫁さんにしてください!」
 ウィル子が自分と結婚する? それなら確かに先ほどの問題は解決する。……しかし。
「君は、僕なんかと。結婚してもいいのか」
「嫌なら、こんなこと言い出したりしません! マスターこそ嫌ではありませんか、ウィル子でもいいですか?」
 ウィル子と結婚か……。きっと隔離都市にいた時のような楽しい時間を過ごしていけるだろう。仕事でも私生活でも彼女は笑顔で自分に発破をかけてくれるはずだ。
 料理掃除洗濯は自分がすることになるだろうな。でもそれでかまわないだろう。洗濯は自分のものしかでないだろうし、自分も彼女も散らかす方でないから掃除もたかがしれてる。食事は彼女もするだろうが、何でも美味しいと喜んでくれる彼女のためなら料理も苦ではない。この際だから料理本とか買って練習してみようか。
 子供が生まれたら育児休暇をとるのもいいかもしれない。どうせなら外見はウィル子に似てくれればいいな。というか、人間と神の間に子供はできるのだろうか。
「……なんだ」
「マスター?」
 ……なんだ。悩むまでもなく自分の意思は決まっているではないか。
 アカネに『結婚してください』と言われた時も、美奈子に『父親に紹介したい』と言われたときも、こんな考えはちらりとも浮かばなかった。
 なのに今、ウィル子との未来が鮮明に視えた。
 そうだ。きっと自分は疾うの昔に彼女を選んでいた。ただ、それが恋などという感情よりも強いものだったから……そういうものには疎い自分は気づかなかった。
「……"ウィル子でもいい"なんてことはないな」
 ウィル子の顔が悲しげに歪む。
「……そうですか。そう、ですよね。今や神とはいえ元極悪ウィルスは嫌で」
「違う」
「え?」
 目を丸くする彼女の肩に手を置く。
「"ウィル子でもいい"なんてことはない。僕は"ウィル子がいい"のだから」
「え? え? あ、あの! それはどーいう意味」
 肩に置いた手を背中にまわす。言葉にせずともウィル子に心をよんでもらえば気持ちは伝わるのだが……これは、この気持ちはちゃんと言葉にして、自分の口から伝えなくては。
「僕はウィル子と、共に生きていきたい。僕とずっと一緒に……生涯、僕のパートナーでいてほしい」
「……YES。マイ・マスター」
 すがり付くように背中にまわされた腕があたたかい。幸せが溶かされた瞳に映るのが自分であることが嬉しい。
 自分の気持ちが彼女に伝わるのと同じように、彼女の気持ちも自分に流れ込んでくる。幸福で、全てが満たされる。
 ああ……。人を想い、想われることはこんなにも幸せなことなのか。
「ウィル子」
「マスター」
 気付けば、お互い床に座り込んでいた。
 互いに互いを見つめ、顔を近づけあい、そして……。




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Scribble <2009,03,01>