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 広く豪勢な部屋の一角で、ヒデオは震えていた。
 といっても寒いわけでも、何かに脅えているわけでもない。……いや、ある意味脅えているのか。
 ヒデオはこれからはじまるだろう一大イベントに震えているのだ。
(なんで、こんなことになったんだろう)
 考えるまでもない。あの時の自分の行動のせいだ。
 あの日、あの後……ヒデオは勤務先に休暇の申請を出した。長期の休暇は無理でも、一日くらいは休みをもらって、ウィル子と二人だけで過ごしたかった。
 副長に休暇の理由を問われたから、ごくごく自然に『結婚するから』と答えたのだが……。それがいけなかった。
 彼女らの個性が強すぎて、すっかり忘れていた。副長はあの勇者の姉で、その場にいた同僚はあの初代聖魔王の妹だった。ならば彼らに自分の結婚が伝わらないはずがなく、ならばあの好青年を絵に描いたような翔希が祝おうと思わないはずがなく、ならばあの楽しいことが大好きな鈴蘭が自分たちを放っておいてくれるはずがなく……気が付けば魔殺商会の覆面部隊に拉致られて、この隔離都市に連れてこられていた。
 豪勢な部屋―ヒデオに与えられた控室―には沢山の衣装が届けられている。鈴蘭が好きなのを選んでと置いていったのである。というか、あの短時間によくこれだけ用意したものだ。しかも彼女がしたのはそれだけではない。……大会に関わった全ての者に、自分(ヒデオ)の結婚式をするからおいで、と連絡したのだ。
 窓ガラスから外をチラリと見てみると、すでに沢山の人が集まっている。
(……無理)
 祝ってくれるのは嬉しい。本当に嬉しい。でもあの人数の前で婚姻の誓いを立てて、キ、キスを……。
 逃げたい。ものすごく逃げたい。
「マスター、なんてこと考えてるんですか」
 ふと気付けばウィル子がムッとした表情で背後に浮かんでいた。
「ウィル子、着替えなくても……」
 ウィル子はまだいつもの服のままだった。男の自分と違い、女性は時間がかかるものではないのだろうか。
「着替えるといってもウィル子は外見を変えるだけですから。それに訊きたいこともありましたし」
「……なに」
「マスターは、大人のウィル子と少女のウィル子、どっちがいいですかー?」
 ……なにを変なことを訊いているのだろう。そんなこと訊くまでもないではないか。
「どちらでも、いい。どっちもウィル子に違いないから」
 自分が共に生きたいと思ったのは、少女とか大人とか関係なく、"ウィル子"自身なのだ。どちらの姿をとっていようとかまわない。
 ウィル子が"ウィル子"であればいいのだ。
「わ、わかりました。それならいつも通り、この姿でいきます! そ、それよりもマスターこそなんで着替えてないんですか!?」
 自分から訊いてきたくせに、それよりもってなんだ。というか、なぜ彼女は赤くなっているのだろう。
「どれがいいのか、わからなくて」
 沢山の衣装のもとに二人で近寄る。自分に白は壊滅的に似合わないだろうから、それは却下として……どれがいいのだろう。
「んー……。これなんてどうですか?」
 渡された服に着替える。すると彼女は自分の髪に手をのばし、すかしはじめた。
「マスター……。石鹸でなく、ちゃんとシャンプーを使った方がいいと思います。髪がパサパサなのですよー」
 いや、今さらそんなこと言われても。式まで余裕があればそれなりに対応できただろうが、今日いきなり無理矢理連れてこられたのだから。
(……。)
「っていうか、なんでだんだん気分が沈んでいってるのですか!? 今さら"結婚は人生の墓場"なんて考えているのですか!?」
 いや、そんなことは断じてない。ただ……。
「結婚式といえば。その、人前で……するだろう? それが、その……」
 ウィル子の顔が愉快げにゆるむ。
「ああ、なるほど。マスターにとっては人前でのキスは苦行ですよねー。……ていうかファーストキスもまだだったりします?」
(……。)
「……あの、マスター?」
 ね、年齢一桁まで遡って、親戚のお姉さんを有りにすればなんとか……。
「そんなのはノーカウントです!」
 ……やっぱり。
 だってしょうがないじゃないか。この目付きと性格で彼女なんて作れるわけがない。恋人のいないまま二十年生きて、恋愛過程すっとばして嫁をゲットですよ? そんなものあるわけない。
「かくいうウィル子もないわけですが。昨日だって……意味ありげな暗転のわりにほっぺちゅーだけだったし」
 ヒキコモリがその場の勢いで一線を越えられるわけがない。
 もう……アレが精一杯。
「マスター……あの、リハーサルがわりに、その……れ、練習します?」
 頬を染めて見上げてくる彼女は可愛いと思う。こんな表情なんてほとんど見たことがないから、少し戸惑ってしまう。
「嫌ですか?」
 きっぱりと首を横にふる。ただちょっと心の準備が……。
「……じゃあ」
 ふわりとウィル子の体が宙に浮かぶ。彼女の手が肩に置かれ、顔が近づいてくる。
 目を閉じる彼女を抱き寄せ……。
 コンコン
「「……っ!?」」
 抱き寄せようとした瞬間に響いたノックに、ウィル子が驚いて姿を消す。
 結果、ヒデオの腕は何もない空中をかき抱くことになった。……かなり、悲しい。
「……どうぞ」
 気を取り直して訪問者を部屋に招く。それは司祭服を着こんだアーチェスだった。さすが魔族、さすが美形。後光が差し込んできそうなほど似合っている。
「あの……なぜ睨むんですか」
「別に」
 せっかくいいところだったのに……とかは考えていない。というか睨んでいるつもりもないし。
 しかしなぜ彼は司祭服など着ているのだろうか。それを尋ねると彼は笑顔でこう言った。
「ほら、私は暗黒神とはいえ司祭じゃないですか。だから鈴蘭様に式の進行を任されまして」
 今、このタイミングで訪ねて来たのも式進行の説明ためだと言う。その説明を聞く限り普通のものに思える。
 そういえば、一つ気になることがあったから、きいておこうか。
「あの……僕たちは誰に。誓うことになるんでしょうか。ウィル子自身が、神なのですが」
 神が神の前で愛を誓うのはなんだか変な気がする。それとも、そういう関係専門の神でもいるのだろうか。それならそれでいいのだが……。
「ああ。そこのところはお任せください。適当にでっち上げ……もとい、最適と思われる形に改変しますので」
 ……でっち上げってなんだ。
「それでは私は失礼しますね。……ここまでお祝いに来ている人がいますが、会われますか?」
 ここまでということはこの部屋まで来ているのだろうか。なら、会わなければ失礼だろう。
 そうアーチェスに伝えると、入れ替わるように一人の男性が入って来た。
「よっ! 案外似合ってるな」
「案外は、余計だ。……リュータこそ、礼服が意外に似合ってる」
「そっちこそ余計……でもないか。こんなもの着たのは初めてだしな」
 鈴蘭が用意してくれたというその服は本当に彼に似合っていた。多少、服にのまれている感があるが、リュータもアーチェスほどにないにせよ、その容姿は整っている。多少のぎこちなさはあるものの、人を魅了するには充分だ。……いや、自分にはウィル子がいるしそんな趣味もないから惚れたりしないが。
「まさかお前たちが結婚しちまうとはな。兄妹のようにしか見えなかったのに」
 ああ。自分でもビックリだ。
「ま、なんにせよ。……結婚おめでとう、ヒデオ」
「……ありがとう、リュータ」
「……。今、笑ったか?」
 確かに顔は緩んだかもしれない。しかし自分が笑ったからといって何の意味があるというのだ。男の笑顔に何の価値もないだろうに。
「……ヒデオの笑顔なら希少価値だと思うぞ」
 いや。そんな神妙な顔で言われても困る。
「まあ、いいもんも見れたし、俺はそろそろ行くわ」
 一度ニッと笑ってから、神妙な顔で耳打ちしてきた。……この部屋には自分たちしかいないから、そんなことする必要ないのに。
「ところでさ、女どもがお前に会いたいって来てるけど、どうする?」
「……誰が?」
「霧島レナとアカネとかいう錬金術師と……美奈子」
(……。)
 ……なんだか部屋の外から不穏な空気が漂ってきている気がする。いや、しかしここまで来てくれているのだ。会わなければ彼女らに失礼になる。……それに彼女には言わなければならないことがある。
「結婚おめでとう、ヒデオ君!」
「おめでとう……って言わなきゃダメだよね、ダー……ううん、ヒデオさん」
「おめでとう、ございます」
 花束片手に軽やかな笑顔で入って来たレナとは対称的に、アカネの顔は寂しげに沈み、美奈子の表情は固い。
(……。)
「あ、ごめんね。ダーリン……じゃなくてヒデオさん! 私は相手にされてなかったってわかってるんだから! ただ純粋にお祝いに来たの!」
「そうそう! 暗い顔しないで! せっかくの晴れの舞台じゃない。こんな時くらい笑顔を見せてよ」
 レナが笑って、片手にもった花束から青い花を一輪抜き、ヒデオの胸元にさした。
「これはボクからのお祝い。この花は『お似合い』って花言葉なんだ」
 『後でウィル子ちゃんにも届けるよ』と笑顔で言うレナには、数ヶ月前に見せた影はない。今の彼女の生活は充実しているようだ。
「ダー……じゃなくてヒデオさん! 私、爆弾以外の物も錬金できるようになったの。だから今晩あげる花火は任せてね!」
 ……結局は爆発繋がりじゃないか。いやいや、お祝いしてくれるという気持ちをいただくだけにしておこう。野暮なことは言うまい。
「ヒデオさん……」
「あ、ボクたちは先に行ってるから」
「うん。ウィル子さんの部屋で待ってるから、美奈子さんはあとから来てね」
 美奈子が口を開こうとした瞬間にレナとアカネは部屋から出て行ってしまった。……き、気まずい。
 ……いや。これは好都合じゃないか。彼女には言わなければ――謝らなければならないことがある。
「あの、すいません……」
「ヒデオさん、なぜ謝るんですか」
「僕は……あなたに失礼なことをした」
 『父にあってほしい』と告白に等しい言葉を受け取っていながら、自分は返答を先伸ばしにし、ちゃんと断りもせずにウィル子との結婚を決めてしまった。
 見ようによっては彼女をキープしていたととれる。自分にそんな気はなかったのだが、それはただの言い訳にすぎない。
「気にしないでください。本官はお二人のお祝いに来たんですよ?」
 少し寂しげな微笑を浮かべ、彼女はこう続けた。
「本当は気づいていたんです。お二人の絆の強さに。本官があなた方の間に横から入り込もうとしてただけなんだって」
 ああ。彼女になんと言えばいいのだろう。こんな時に限ってうまい言葉が出てこない。
「だから謝らないでください。私の、心からの祝福を受け取ってください。……結婚おめでとうございます。末永くお幸せに……」
 謝るなと言われてしまえば、これ以上の謝罪の言葉は彼女に失礼になる。かといって『ありがとう』とも言うこともできなかった。
 だから、ヒデオは退出していく彼女の背中にただ深く、深く頭を下げたのだった。




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Scribble <2009,03,08>