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 彼女を連れ、沢山の人たちに見守られて、その道を歩く。
 緊張よりも幸福よりも、ヒデオの心を支配していたのは一つの感情だった。
(……逃げたい)
 ……その思いが強くなるたびに、ウィル子の爪が食い込むので、堪えてはいるが。
 どうにかこうにかして、司祭役をしているアーチェスのもとまで歩く。……それにしても長かった。グラン・デ・ホテルの最上階、ワンフロアぶち抜きの展望室に急遽設置された教会もどきはあきれ返るほど広く……それにならってヴァージンロードもものすごく長くて……何度逃げ出したいと思ったことか。……そのたびにウィル子が爪をたててたので、自分の腕にはきっとひどいアザができているはず。まあ、自業自得だが。
 聖人君子のような穏やかな微笑を浮かべる彼の前には華奢な造りの美しい杯が置かれている。彼に視線を送ってみれば、彼は微かに頷いた。
 ……なるほど。もう、聖魔杯を作り直したのか。
 大会によって絆を深めた自分たちが、その大会の象徴の前で愛を誓うのは理にかなっているような気がする。
(……。)
 ……駄目だ。本格的に逃げたくなってきた。こんな大勢の前で、愛の誓いだなんだのとするのは拷問だ。
「ヒデオ君、そう緊張しないで。難しいことではありませんよ」
 小声でアーチェスが励ましてくれるが、自分が固まっているのは、その理由じゃないし。
「……新郎、川村ヒデオ。あなたは聖魔杯のもと、健やかなるときも、病めるときも、富めるときも、貧しいときも、彼女と喜びも悲しみも分かち合い、彼女を愛し、その命ある限り真心を尽くし、助けることを、電神たる新婦に誓いますか」
「……誓います」
「……新婦、ウィル子。あなたは聖魔杯のもと、健やかなるときも、病めるときも、富めるときも、貧しいときも、彼と喜びも悲しみも分かち合い、彼を愛し、彼の命ある限り真心を尽くし、加護を与え続けることを、あなたの使徒たる新郎に誓いますか」
「誓います」
 いつもとは違うウィル子の口調にちょっと笑いたくなってしまった。それはともかく、他の誰かにではなく互いに対して誓うのも、自分とウィル子の誓いの言葉の後半が多少違うのもアーチェスが改変してくれた結果だろう。
「……では、誓いの口付けを」
 ウィル子の顔をおおっていたベールをそっとめくる。じっと見上げてくる彼女は本当に可愛らしい。……可愛らしいのだが、でもだからこそ。
「マスター?」
 小声でウィル子が話しかけてきたが、ヒデオの耳には届いていなかった。……極度の緊張で、完全にフリーズしている。
「あの、ヒデオ君? 恥ずかしいのなら口でなくてもかまいませんよ?」
 そっとアドバイスしてくれるアーチェスの声もやはり届いていない。
 ウィル子が軽くため息をつき、手に持っていたブーケを祭壇に放り投げる。そして……。
「……っ!?」
 ヒデオの首筋辺りに腕を絡ませ、唇を重ねた。
(……。)
 状況を理解できず、瞬きを二度三度。
 緊張によるフリーズは解けたものの、今度は違う意味で固まる。
「……は」
 彼女の唇が離れる。
 羞恥で頭が白く染まる。
 ……プツン。とどこかで何かが切れるような音がした。それと同時に体が動き出す。腕はウィル子に伸び、足は出口の方へ。そうなったら起こす行動など決まっている。
 ……ウィル子を抱えて出口へと一直線に駆け出した。
「……に」
「「「逃げたーっ!?」」」
 参列者から総ツッコミが入った。いや、確かに花婿が嫁を連れて逃走するなど思いもつかない。
「捕まえて!?」
「いや、何で捕まえ」
「いいから!」
 何がいいんだか。
 それはともかく。ヒデオの足は止まらない。ヴァージンロードを駆け抜け、展望室からそれに繋がるテラスへ。そこに設置された椅子に駆け上がり、転落防止の柵に足をかけ……。
「マ、マスター!? ここが何階だと!?」
 ……飛んだ。
「「「えええぇぇぇ!?」」」
 背後から悲鳴やら何やらが聞こえてくる中、ヒデオは冷静になっていた。
 自分にはロソ・ノアレの加護がある。死ぬことはない。
(……ああ、でも)
 きっと怪我はするだろう。それは嫌だから、初めて彼に願おう。
 幸福であったのと同じくらいに、自分の心は緊張と不安でグダグダになっていた。その心をきっと彼も楽しんだのだろうから、力を貸してくれるはず。
 望む力の種別とその結果を、しっかりと頭の中に固定して、願いを言葉という形にする。
「頼む、ロソ・ノアレ」
 視界いっぱいに闇が広がる。
「な、なんなのですかー!?」
 ウィル子の悲鳴はとりあえず無視。落ち着いたら心を読んでもらおう。
 落下していく体がフワリと浮かぶ。そして瞬きを数度繰り返すかいなかというところで闇ははれ、ヒデオの足は地面についていた。
「〜〜〜〜!?」
 遠くから何やら叫ぶ声がする。チラリと見上げてみれば、こんな遠くからもわかるくらいの人だかりが屋上に出来ていた。
 ……落ちないといいが。
「マスター、まぁすたー……。今のは何、なんなのですかー?」
 震えるウィル子を抱き締めて、心を彼女に解放する。
「……マスター。ウィル子はあなたが闇の力を使わないように監視に来たのですが。そう、ほいほい使われたら困るのですよー」
「……大目に見てほしい」
「マスターにはウィル子がいるのですよ?」
「わかってる」
 ウィル子が満足したように微笑む。そんな彼女をしっかりと抱き上げて、ヒデオは再び駆け出した。
「マスター、どこに行くのですか?」
「……」
 決めていない。なるべく人がいなさそうな所に行きたいのだが。
「なら自然区はどうです? 林の中に入ればすぐには見付かりませんよ」
 ウィル子の提案に従い、走りに走って自然区まで来た。途中から浮いて体重がかからないようにしてくれていたとはいえ、人を抱えて走るのはつらい。
 林の中に入り込み、人目につかないだろう所で腰をおろす。
 そんなヒデオの膝の上にウィル子がちょんと座り、頬を染めて彼の胸元にくるくると円を描く。
「あの、マスター? 早く二人きりになりたかったのはわかりますけど。……そのウィル子は知識しかないので初っぱなから野外はちょっと嫌なのですが……」 いや、待て、違うから。そんなつもりでここまで逃げてきた訳じゃないから。ただあの視線の渦にたえられなくなっただけだ。
「わかってます。冗談なのですよ。……でも参列者にはそう見えたかと」
 ……そう、なのか?
「マスター」
 声をかけられるのと同時に、唇を重ねられた。
 唇を重ねるだけのキスではなく、少々濃厚な……。しかし経験がないどころか、マトモな知識もないからどう返したらいいやら。
 ――ああ。彼女の真似をすればいいのか。
 反射的に逃げようとしたウィル子を抱き締める。目を閉じたので彼女の反応はわからないが、抱きつき返してきたから、嫌なわけではないだろう。
 ……しかし、少し息が苦しくなってきた。どうやって息をすればいいんだろう。
 一度、唇を離して大きく息を吸い込む。
「……ウィル子、顔が赤い」
「マスターこそ! ……っていうか、そんなキス……。いつ、どこで、誰に教わったのですかー!?」
「……今、ここで。君に教わった」
「ま、真顔でそう返されるとすごく恥ずかしいのですが!」
 そうだろう。こっちだって恥ずかしい。……というか、少々マズイことになってきた。
「皆の所に、帰ろう」
「え? いいのですか? せっかく逃げてきたのに」
「そうだけど、でも。このままだと、その……」
「?」
「キミは、外は嫌だと言ったし。僕も、初めから特殊なのはちょっと……」
「え? あ、あのマスター!? マスターってそんな感情とは無縁なものだとっ!?」
 いや。自分も一応男だし。
 ただ、彼女いない歴=年齢な上に長いヒキコモリ生活でそんな気力が失せてただけだ。
 それが今は普通に暮らせているし、可愛い嫁もいるし……まあ、いろいろと。
「きっとからかわれますねー」
「……まあ、それは」
 今度は自分を止めてくれ、と視線を送ると彼女は笑って言った。
「大丈夫です。ウィル子が止めるまでもなく、今度は周りが逃がしてくれませんよ!」
 ……それはそれで、ちょっとこわい。
「さあ、マスター戻りましょう! 結婚式の後は披露宴代わりに外でお祭り騒ぎをするんだー! って言ってましたし!」
「……でも。どこに行けば、いいんだろうか」
「……あ。ウィル子も訊くの忘れました」
 ウィル子の言葉と同時に広場のある方角で花火が上がった。そういえばアカネが花火を作ったと言っていた。ならば花火の上がった方向に行けば誰かに会えるだろう。
「……行こうか」
「……はい!」
 差し出された手と同時に向けられた微笑に、ウィル子は一瞬驚いたものの、しっかりとヒデオの手を捕まえた。そして彼女は笑顔で彼を引っ張りながら言う。
「さあ、マスター! 早く戻るのです! きっとご馳走がた〜くさんあるのですよー」
 そんな二人を影から見守る存在があった。一人は青みをおびた黒髪の幼い少女、もう一人は赤い髪のセーラー服姿の少女。
「妹もたまには気が利くの」
「何の事ですか」
「"闇"はヒデオが望まない限り、積極的に力は出さないの。そしてヒデオは力を望んでいないの。力を使ったとしても、さっきみたいなちゃちい力なの」
「……気が付いていましたか」
「当たり前なの。だからさっさとぶっちゃけるの」
「……ええ。姉さんの思っている通りです。彼に監視など必要ありません」
 楽しげにヒデオを引っ張っていくウィル子に優しげな眼差しを向けて続けた。
「彼女が、あまりにも彼に心を残していたので……少しだけ背中を押しました」
「たまには天使らしいこともするの」
 恋のキューピッドとでも言いたいのだろうか、この姉は。
「うまくすれば彼を天界に取り込めるという打算もありましたが」
「そんな野暮な事はするものじゃないの」
「ええ。そんな事しませんよ」
 彼は人として生きることを選んだ。ならば人としての幸福な生涯を過ごしてくれればいいと思う。
 ……"カミ"を妻にする時点で普通の"人"ではないという気がしないではないが。まあ、彼らが幸福になるためならば、これくらい許容範囲だろう。
「私はこれで失礼します」
「どこへ行くの」
「天界へ。今回の結果を報告しに行かなくては」
「そんなの後にするの。それより妹もヒデオたちをからかいに行くべきなの」
「……からかうではなく、お祝いを述べる……でしょう」
「そっちでもいいの。だから早く行くの」
「はい」
 この姉妹にしては珍しく、仲良さげにヒデオたちのもとへ歩き出した。
 彼らをからかう……いや、祝辞を述べるために。








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Scribble <2009,03,15>