Mislead

〜トランSide〜


 話は数時間前にさかのぼる。
「最悪……」
 しとしとと雨が降る夜道を歩きながら、トランは呟いた。
「これというのも全部あなたのせいです」
 文句を言ってはみても、その相手は自分の背中で気持ちよさそうに寝息をたてている。
「わたしだけならマント被って走れば濡れずにすむ距離なのに」
 トランに人を背負って走る体力はない。というか背負うだけの筋力もないから歩くのさえ困難だ。
「確かにあなたに酒を飲ましたのはわたしだけど、何をしても起きないんだもんなぁ……。」
 トランは大きな溜息をつくと、また独り言を言い出した。
「エイプリル達もひどいですよねぇ。わたしが手洗いにいってる間に帰っちゃうんだから……。……聞いてるんですか、クリス?」
 聞いているわけがない。
「ん……」
 ……と思ったら返事が返ってきた。
「クリス、起きたんですか?」
 起き上がった頭の分だけ、トランの肩から重みが消える。
 目は覚めたようだが……。
「とりゃん?」
 ……正気にはもどってないようだ。
「とりゃんとりゃんとりゃん!」
「ああ、もう! うるさいですよ! 何ですか、いったい?」
 クリスはトランにしっかりと抱き付き、楽しげに言った。
「きらいじゃない!」
「はい?」
「ぼく、きらいじゃない。とらんのこと、きらいじゃない!」
 子供のような口調で同じ言葉を繰り返す。そう言う顔は心からの笑顔。それはその言葉が本心からのものであると感じさせてくれた。
 トランからは見えていないのだが……。
「ぼくはきらいじゃないよ、とらんは……?」
 それだけ言うと、クリスはトランの首筋に頬を擦り寄せた。
「ちょっと! 止めてくださいよ!」
 だが返事は返らない。そのかわり聞こえてきたのは穏やかな寝息。どうやら再び寝てしまったようだ。
「……我慢するしかないみたいですね」
 クリスの髪が襟元に入り込んでくすぐったい。しかし振り払おうとすれば、背負っている彼自身も落としそうだ。そうなればもう背負い直す自信はトランにはない。
「はぁ……」
 トランはため息をつき、空を見上げた。
 いまだ雨は降り続け、体を冷やしていく。
 それでも芯から冷えないのは、背負う少年の体温が伝わってくるためだ。
「重いのは勘弁してほしいですけど、こういうのも別に悪くはないですね」
 背中から伝わってくる温みがなんともいえず心地よい。人の体温がこんなに暖かいものだということを、トランは旅に出て初めて知った。
 ……自分に兄弟というものがいたら、こんな感じなのだろうか。そんな考えが彼の頭をよぎる。
 ……が、次の瞬間にはものすごい勢いでその考えを否定した。
 こんな兄弟いらない、と……。
「嫌いじゃない、か……。少しは仲間と認めてくれてるんですかね……?」
 出会った頃なら、全力で嫌いだといっただろう。自分の前で泥酔するまで酒を飲んだりしなかっただろう……。
 そんなクリスの変化をトランは好ましいと感じた。
 ……ああ、そうか。それはきっと自分も……。
「わたしも……嫌いじゃないですよ、クリス」
 やわらかな微笑みをたたえて、トランは眠る少年にそうささやいた。


「ああ、重かった」
 トランは部屋にたどり着くとぐったりと座り込んだ。
 自分より小柄とはいえ、クリスは鍛えているせいか、重量がある。その彼を運ぶのはかなりの重労働だ。
「とりあえず服を着替えないと……」
 座り込んでいたい誘惑を立ち切って、服を着替える。幸いな事に雨は小降りだったから、広げて干せば、朝までには濡れた服も乾くだろう。
「……クシュン」
 床に放り出したままのクリスが小さなくしゃみをした。
 まだ全身が濡れている上にトランという温もりが離れたせいで寒くなったのだろう。
「さすがにこのままだと風邪ひきますよね……」
 ベットに寝かすにしても濡れた服は脱がさなければいけない。
「今回だけ、サービスですよ」
 トランはそう呟くとクリスの服を脱がしにかかった。本当は着替えさせてやるほうがいいとはわかっているのだが、勝手に荷物を探るのはどうかと思うし、第一めんどくさい。
「きれいに痣になっちゃってますねぇ」
 落としたり、ふらついてぶつけたりしたあとが赤く痣になっている。
 それは全裸なのもあって情事の痕のようにみえる。
 トランの顔にタチの良くない笑みが浮かんだ。
「さんざん苦労させられたんだから、少しぐらいは……ねぇ?」
 そう呟くと寝台に寝かせたクリスの胸元に唇を落とした。そうして離れた後には淡く残る赤い痕。
「案外キスマークって、つきにきいものですね。筋肉がついてるせいかな?」
 結果が気に入らなかったのか、同じ事を二度三度と繰り返す。
「ん、んん……?」
 不意にクリスがうめいた。
「ね、寝てますよね?」
 そろそろと頭を撫でてみるがそれ以上の反応はかえってこない。
「次で最後にしよう」
 再度、唇をクリスに落とす。今度は首筋へ、少々きつめに。
「……とらん?」
「(起きた!?)」
 内心の動揺を感じとられぬように、トランはできる限り平静を装って身を起こす。
 そしてぼんやりとした眼をするクリスの頭を撫でながら、笑みを浮かべて言った。
「……眠っていていいですよ」
 それに従ったのかなんなのかクリスの眼が再び閉じられる。それを見て、トランは大きく息をはいた。
「あぶない、あぶない……。バレたら殺されるところでした……」
 そう言って掛布をかけてやったクリスの首筋にはくっきりと赤い痕が残っている。トランはそれに満足そうに笑うと呟いた。
「細工は上々、後は仕上げを……ってところですかね」
 これにあとは自分も裸になって添い寝でもしてやれば、完璧なのだろうが、さすがにそれは明日の朝、自分が生きていられる自信がない。というか彼と裸で抱き合う根性もない。
「おやすみなさい、クリス。良い、夢を……」
 トランは眠るクリスにそう言うと、自らも眠りについた。
 明日の朝、慌てふためくだろうクリスの様子を、楽しく夢想しながら……。





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Scribble <2006,07,30>