Promise

託される約束 2


 生暖かいこんにゃくの洗礼、不気味に光る火の玉通路、青白い手が突き出してくる壁……。
 数々の試練を乗り越えてここまでやってきた。
 この部屋にはたいしたものは見当たらない。ごくごく普通の一般家屋に見える。
「な、何もありませんね」
 本当に何もない。今まで道順を示す看板があったのだが、それすらない。耳をすますと、カサカサカサ……と音が聞こえてきたが、これはいったい何の音なのだろう。これも効果音の一種なんだろうか……。
「どっちにいけばいいんでしょう〜」
「……お嬢様、あそこに矢印がありま」
 床に道順を示す矢印を見つけたレントは、同時に気付いてしまった。おそらくトランが悲鳴をあげたのだろう、その恐怖の影に……。
「……お嬢様」
「な、なんですかレントさ」
 ノエルの思考回路が止まった。
 それは……二人を覆い隠すほどの大きさを持つ楕円状の影だった。だがただの楕円に恐怖するものはいない。
 ……それは一対の触角と、ギザギザした足らしきものがついていたのだ。
 これから連想するものといえば、ご家庭で見かける、好感度ランキング・ワースト一位をとるであろう……ヤツである。
「は、張りぼてですよね?」
 数多くの怪物を討ち倒し、巨大だんご虫とも戦ったことのあるノエルだが……ヤツに対する恐怖はぬぐいきれない。
「そのはず、です」
 レントにはヤツに対する恐怖はない。しかし嫌悪感はある。
 なんせ時には出店にて食品を扱うこともあるダイナストカバルにとっては、ヤツは神殿につぐ、宿敵であるのだ。
「張りぼて、張りぼて……」
 繋いだ手を痛いくらいにぎりしめ、呪文のように繰り返す。ヤツが動かないことを祈ってそろそろと歩を進める二人だったが……それは無駄だった。
 影が、触角らしき部分を動かしたのだ。
 プツン……と糸の切れる音をレントは聞いた気がした。
「いやあああぁぁぁぁぁ!」
 凄まじい悲鳴をあげてノエルが走りだす。もちろん彼女と手を繋ぐレントがその場に立ち止まれるはずもなく、彼女に引きずられるように走りだす。
「お、お嬢様……落ち着いて……あっ!」
 レントの衣装は全力疾走にはむかないローブである。思わず足をとられて転んでしまう。
 しかしノエルの爆走は止まらない。
 転んだレントを瞬時に抱き上げると変わらぬ速度で走りだす。
「いや、いや、いや!」
「お嬢様、出口です!」
 ノエルに抱き抱えられた不自然な姿勢のまま体をひねると、かすかに光のもれる扉を見えた。
「出口!?」
 ノエルの足がさらに速くなる。
 そんな状態だからこそ二人ともそれの存在を忘れていた。そしてお約束をはずさないのが、ノエルという少女である。
 ガツン……とノエルの足が扉の敷居に引っ掛かる。
 そうするとどうなるかはわかりきったこと。ノエルは転び、彼女に抱かれていたレントは地面に投げ出された。
「――っ! お嬢様、ご無事ですか?」
 体を打ち付けたショックで一瞬息がつまったが、すぐに身をおこしてノエルのもとに駆けつけ抱き寄せる。
 彼女はグスグスと鼻をならして泣いてはいたが、怪我はないようだった。
「はい、ノエル」
 二人の間にコップが差し出された。
 甘い香りから察すると、フルーツジュースのようだ。
 ノエルが無言で受け取り、こくこくと飲む。
「はい、レントさん」
 まだ涙目ではあるが、多少落ち着いたようだ。コップを受け取って、ありがたくいただくことにする。
「二人とも大丈夫ですか?」
「あんまり大丈夫じゃないです〜」
 ノエルがレントに縋り付いたまま、トランに言葉を返す。
「すいません……。あんなのだとは思ってなくて……。アレは反則ですよねえ」
「反則です! あ、あんなのダメ……絶対ダメ……」
「お嬢様、大丈夫です。アレはもういませんから」
 震えるノエルの背中を撫でながら、レントが言った。
 それをどこか満足そうに見つめ、トランが笑う。
「気を改めて、遊びに行きましょう。……今度は楽しいことを!」

* * *

 皆でスマートボールをやったり、ヨーヨーつりをやったり、エイプリルが弾丸一発でレア景品を仕留めて射撃屋の親父を泣かせてみたり……。
 とにかくしこたま遊んで、気付けばもう日が暮れていた。
 出店の軒先に様々なランプが掲げられ、幻想的な光の波を生み出している。
「今日は楽しかった! 私、こんなに遊んだの久しぶりだ!」
「あたしもすごく楽しかったですー」
「いろんなものも食えたし」
「楽しかったですよね、レント?」
「楽しい……?」
 レントが胸を押さえ複雑な表情を見せる。
「……そうか、これが楽しいという感情」
 わずかに、ほんのわずかにだが、レントの表情がほころんだ。
 今日一日の出来事は、彼にとっても有意義なものとなったようだ。
「でもまだ出店の半分もまわれてないですよね」
「まあ、祭は明日もあるんだから、明日もまわればいいんですよ、ノエル」
「明日……」
 祭は明日も明後日も続く。だがそこにトランの姿は、ない……。
「トランさん……」
「泣かない泣かない。笑顔ですよ、ノエル」
 トランが今にも泣きだしそうなノエルの肩を抱いて歩く。
「日付がかわるまで、まだ時間があります。……それまで、たくさんお話しましょう」

* * *

 所変わって宿の中。ふと気付けばノエルとトランがいない。
「お嬢様と前任者は?」
「ああ、なんかトランがノエルと二人で話がしたいって、中庭に連れてった」
 クリスの返事にレントの表情がくもった。もっとも、本人はそれには気付いていないし、たとえ気付いていても何故なのかはわからないだろうが。
「……」
 レントは無言で部屋を抜け出した。無論、行き先は二人がいるであろう中庭である。
 クリスの言う通り、中庭に二人はいた。
 彼らはお互いにじっと見つめあっていて……。
 なぜだろう……、なぜか今出ていってはいけない気がする。
 息をひそめ、身を隠す。
「今日は……楽しかったですね」
「はい……」
「金魚すくいも、ヨーヨー釣りも、皆でするとこんなに楽しいんですね」
「はい。……あ、あのトランさん!」
「……なんですか?」
 優しげなやわらかな微笑み。それが、何故だろう……今ははかなげに見える。
「あの! あたし、あたしずっとトランさんのこと……!」
 トランはその言葉の先を封じるようにノエルの唇に人差し指を立てた。
 この先は自分≠ヘ聞いてはならない。聞いても彼女の想いには応えられない。……応えたくても応えられないのだ。
「その言葉の先を聞く前に、一つだけ質問させてください。……とても意地悪で、とてもひどい質問です。けどちゃんと答えてくださいね?」
 彼女がうなずいてくれたのを確認して、トランはその質問をきりだした。
「もしも、レントが消滅すれば、わたしが蘇るとしたら……あなたはどうしますか?」
 ノエルが息を呑むのが分かった。瞳に涙がたまっていくのも見て取れる。
 だが、答を出してもらわなければいけない……。自分たちには彼女の答えが必要なのだ。
 ぽたり……とノエルの瞳から涙が零れ落ちた。その涙は止まることを知らず、彼女の頬をぬらしていく。
「……ごめんなさい、……ごめんなさい」
 トランはなぜ彼女が謝っているのかがわかった。
 ノエルは選べなくて謝っているのではない、答を選んだゆえにトランに謝っているのだ。
「ノエル? 謝ってるだけじゃ分かりませんよ?」
 もちろんトランには彼女の選んだ答がわかっている。……しかし物陰で聞き耳をたてている彼のために言葉に出してもらわなければ。
「ト、トランさんが蘇ってくれるのは、うれしいです。でも! レントさんがいなくなるのは嫌! トランさんは大切だけど、レントさんも大切なんです!」
 流れる涙をぬぐうこともしないまま、ノエルはトランの目をしっかりと見て言い切った。
「……だからレントさんを消してトランさんを蘇らせるなんてことはダメです」
トランは彼女の意思に心のそこから安堵した。
 彼女は自分の思っていたより強い人間だ。今はまだ過去に囚われているが、彼女なら過去を抱きしめ、未来さきへ歩んでいけるようになるはずだ。
「……ノエル、やっぱりあなたはわたしの思っていた通りの人だ」
 もしも、彼女が自分を望むがゆえにレントを消滅させるような人間だったのなら……トランは自分の存在を消すつもりだった。過去に囚われて前に進むことをやめてしまうような弱い人間には彼女になって欲しくなかったから。
 だが、自分の愛したノエルという少女はそうではなかった。
 それならば、自分は安心して帰っていける……。安心して全てをレントに託していく事ができる。
「あ、あたし……あなたを傷つけていません、か……?」
「傷ついてなどいませんとも! あなたはわたしの望んでいた言葉を返してくれたんですよ?」
「……トランさん!」
 ノエルが感極まったように抱き付いてきた。そんな彼女を胸の中にかたく抱きしめる。
「ノエル、どうか笑ってください、幸せになってください。クリスもエイプリルも、そしてレントもあなたの幸せを願ってますよ」
 彼女の耳には届かぬように、声なき言葉でその先をつむぐ。
 ……そしてわたしも、愛するあなたの幸せを願っています。
 トランの胸に顔を埋めるノエルには、彼の言葉はわからなかった。
 しかし物影に隠れていたレントにはトランの唇の動きが読めた。
「……」
 何故だろう、胸が苦しい。目にゴミなど入っていないのに瞳から涙が零れる。
「お嬢様……」
 左腕に巻きつけた飾り筒をむしるように取り外す。今の自分には彼女と揃いのこれはふさわしくない。なぜかそう思う……。
 ここにいるのは、彼らを見ているのはつらくて仕方がないのに足が動いてくれない。
「……トランさん。トランさんはどこにいっちゃうんですか」
 ノエルの声が近づいてくる。しかし体は凍りついたように動かない。
 ……彼らが来る。
「大丈夫。わたしは……」
 レントの存在に気付いた二人が会話をとめる。
「レントさん!? いつからそこに!?」
「……」
 レントは何も答えなかった。ただ涙だけをはらはらと流し続けている。
「あ、あの、レントさん? 泣いてるんですか?」
「いえ、わたしが泣く理由などありません……」
「じゃあ、なんで……?」
「わかりません。ただ涙が止まらなくて……」
 ノエルがハンカチを取り出して、彼の涙をぬぐう。
「……だから言ったでしょう? その感情はあなたを悩ませるって」
 そんな事を言いながらトランがノエルの背中を軽く押した。
「ふきゃ」
 バランスをくずしたノエルがレントの胸の中に倒れ込む。
「ヤチモチやくくらいなら、ちゃんと捕まえときなさい」
クスクス笑いながら、トランはノエルをレントの胸に押し込み、彼の手をノエルの背へとまわさせた。
「……えっと、トランさん?」
「前任者……?」
 気付けば涙はとまっている。……どういうことなのだろうか。彼は涙のあふれた理由を、とまった理由を知っているのだろうか。
 しかしトランはそれを話すことはなさそうだった。
 そのかわり彼は笑顔を浮かべ、ノエルを、そして彼女を胸の中に抱いたレントをまとめて抱きしめて、こう言ったのだ。
「大丈夫ですよ、ノエル。わたしは、ここにいますから……」

* * *

 朝である。……トランのいない朝である。
 ノエルは目を覚ましていたのだが、いつまでもベッドから抜け出さず、布団の中で転がっていた。
 もしかしたら、あの人が起こしにきてくれるかもしれない……。
 そんなはかない夢を見ながら、ころころと寝返りをうつ。
 ……ふに。
「あれ?」
 頬に何かがあたった。それを手に取って見てみると、それはレントのぬいぐるみだった。
「なんでこんな所にあるんだろう……」
 昨夜はトランに手を握ってもらって、眠り込むまでいろいろと話をしていた。その時、これは他のぬいぐるみと一緒にサイドテーブルの上にあったのに……。
 ノエルはそのぬいぐるみを元の場所に返すことにした。……一人はぐれているのは、なんだかさみしそうだし。
「……えっ!?」
 起き上がったノエルはサイドテーブルを見て、目を見開いた。
 いつもならそこにはフォア・ローゼスのメンバーに囲まれたノエルのぬいぐるみが置いているのだが……一人足りないのだ。
 ……トランのぬいぐるみがない!
「ま、まさかまさか!」
 自分は彼だけではなく、彼のぬいぐるみまでなくしてしまうのだろうか……。
 不安と悲しみが胸を襲う。
「エイプリルさんエイプリルさん! 起きてください! トランさんのぬいぐるみ知りませんか!?」
 ノエルに叩き起こされたエイプリルが不機嫌そうに布団から顔を出した。
「トランのぬいぐるみ……。……どこにあるかは知らんな」
 起きてしまったものはしょうがないとばかりにエイプリルが起きだしてくる。そして服を着替えながらノエルに言った。
「俺はクリスにきいといてやる。……お前も服を着替えてレントにききに行け」
「……はい」
 急いで服を着替えて部屋を出る。駆け足で顔を洗いに行き、手早く身だしなみを整える。
「トランさん……!」
 ぽたり……と涙が零れ落ちた。もう一度顔を洗って涙を洗い流すが、涙は次から次へと流れ出してくる。
「トランさんトランさんトランさん……!」
『わたしはここにいますよ、ノエル』
「え?」
 振り返るとトラン……のぬいぐるみを抱いたレントがそこにいた。
「エイプリルに聞きました。……申し訳ありません、これをお探しだったのですね」
『わたしはここに。あなたのそばにいます』
「マントが破れていたのでつくろっていたのですが……。お声をおかけするべきでしたね」
「いえ、その……ありがとうございます」
 彼が恋しくて泣いていたのを気付かれないように顔を拭って、ぬいぐるみを受け取る。すると先ほどまで聞こえていたトランの声が聞こえなくなってしまった。
「トランさん……?」
 ぬいぐるみに話し掛けるが、もちろん返事などしない。
「気のせい、かな……」
「……何かおかしな点でもございましたか?」
「あ、いえ! そんなことないです。すっごくキレイですよ」
 改めて見てみると、ぬいぐるみの首元に見慣れない飾りがついていた。
 ……これはレントがくれた飾り筒と同じものだ。色や大きさは多少違うが、刻まれている薔薇の紋様は同じものであることから、揃いの品であることが想像できた。
「これ……」
「似合っていると、思いませんか」
「はい」
 飾り筒を誇らしげに輝かせるぬいぐるみ。うん、確かに似合っている。
「……それはわたしより、前任者の方がふさわしいですから」
 それはとても小さな声だった。だからノエルには言葉の内容まではわからなかった。だが、不貞腐れたような声色だったような……。
「あの……あたし、これを部屋に返してきますね。レントさんは先に食堂に行ってください!」
 パタパタと駆け足で部屋に戻って鍵をかける。そしてノエルは再びぬいぐるみに話し掛けた。
「トランさん……ここにいるの? それとも……どこかにいっちゃったの?」
 返事はかえらない。
「トランさんがいないと……あたし、あたし……」
 先ほど押さえ込んだ涙がまたあふれ出す。ぬいぐるみをいくら抱きしめようとも、それが返事をすることもなぐさめてくれることもない。
「……トランさん!」
『……大丈夫。わたしはあなたのそばにいます』
「え?」
 声は、部屋の外から聞こえてきた。
 急いで扉を開けるとレントが扉のそばで立っていた。いきなり勢いよく扉が開いたのに、少々びっくりしているようだった。
「あの……泣いておられたのですか?」
「あ、いえ……。これはなんでもないんです! ……レントさんこそなんでここに?」
 少し照れたように首をかしげて彼が言う。
「一緒に行こうかと思いまして……」
「……待っていてくれたんですか?」
「はい」
 その返事にノエルの胸は熱くなった。
 ああ、そうだ……。彼はいなくなってしまったけど、自分を大切に思ってくれる人達がちゃんとそばにいるではないか。
 なら自分も彼等を大切にしなければ、過去ではなく現在いまを大切にして生きなければ……。
 ノエルはトランのぬいぐるみにそっと口付けると、フォア・ローゼスの面々が並ぶサイドテーブルにそれを置いた。
 トランのことは忘れることのない大切な思い出。
 悲しいこともあったけど、昔を思って泣くのはもうやめにしよう。
 彼は楽しい思い出を作りにきてくれたのだから、彼は自分の笑顔を望んでいてくれたのだから。
 それに……
「行きましょう、お嬢様。クリス達が待ってます」
「……はい!」
 大好きな人達がそばにいてくれるから。
 これからも笑っていける。……彼らと一緒なら幸せになれる!
「レントさん!」
「はい」
「幸せになりましょうね、みんな一緒に!」
 きょとんとするレントがおかしくて、思わず笑顔があふれ出す。
 ノエルが何故笑っているのかはわからなかったが、その笑顔に触発されてレントも少し微笑んだ。
 そんな笑顔のあふれる空間に優しい声が響く……。

『幸せになりましょうね……一緒に』






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