Promise
繰り返される約束
きぃ……っと何かがきしむ音がした。その音にレントが目を覚ますが何もない。
クリスはもちろんのこと、異変には真っ先に気付くはずのエイプリルもよく眠っている。
「気のせい、か?」
辺りを確認するが、やはり何もない。みんなよく眠っている。……いやいない!
「ノエル様?」
ノエルがいない。武具もグリーンのマントも残されているから、遠くに行ったわけではないだろう。……手洗いにでも出たのだろうか?
もしそうであれば迎えに行く必要はない。レントはノエルのベッドを整えて寝直すことにした。
「おや……?」
何もかも残されていると思っていた。しかし一つだけなくなっているものがあった。いつもなら彼女の枕元に並べられているはずのそれら。その中の一つだけが持ち出されている。
そしてそんなものを持って手洗いに行くはずがない。レントはマントを羽織るとノエルを捜すために部屋を出ていった。
* * *
雲一つない空の下を冷ややかな風が吹く。
少し肌寒いのが難点だが満天の星空は美しい。
まるで……あの日の夜のようだ。
「トランさん……」
ぽつり……と呟くとノエルは胸に抱いたトランのぬいぐるみを強く抱きしめなおした。
あの日の彼は、温かな飲み物を用意してくれて、ノエルを温めるように毛布の中に招き入れてくれた。
「約束、してくれたのに……」
頑張るなら、お手伝いしてくれるって……。
それなのに約束してくれた彼は今ここにいない。
「寒い、寒いよ、トランさん……!」
「寒いのならそんなものよりも、防寒具をお持ちください」
ふわりと温かなものが体にかけられた。
驚いて振り返ってみると、どこか困った顔をしたレントが立っていた。
「夜風は体に毒です。何の用事もないなら中に戻りましょう」
「はい。でももうすこしだけ……」
肩にかけられた濃灰色のマントをきゅっとつかみ、空を見上げる。
「きれいですね」
隣に立ったレントが呟く。
「はい、とても……。まるで、吸い込まれそう……」
じっと空を見上げるノエルの瞳に星空の光が映りこむ。きらきらとした光を宿した彼女はとてもきれいだ、そうレントは思う。だからほんの少し、ほんの半歩だけ彼女のそばに体を寄せる。彼女の肩を抱ける、その位置まで。
「ノエル様……」
「昔、こんな夜にね。トランさんが約束してくれたんですよ。あたしが頑張るなら、そのお手伝いをしてくれるって」
思い起こせば、それは一年以上前のこと。けれどその記憶は鮮明に思い出せる。
「なのに、それなのに。……それからすぐなんです。トランさんが死んじゃったの……」
ぬいぐるみをぎゅっと抱きしめるノエルの瞳には涙があふれている。そのまま涙をぬぐうこともせず、ふるえる声で言葉をつむぐ。
「レントさんには、分かりますか? 約束してくれた大切な人に死なれた人の気持ちが」
「……」
その感情自体は理解できないが、彼女の悲しみなら理解できる。
……ノエルの涙をぬぐってあげたくて、ノエルをなぐさめたくて自分は戻ってきたのだから。
「……ならノエル様には分かりますか? 約束した大切な人が泣いているのに慰められない男の気持ちを」
そしてレントは語りだす。何よりも大切な、出きるならば一生胸の奥にしまいこんでおこうと思っていたはずの昔話を……。
「昔、ある場所、ある組織にて、ある男が生み出されました。男はまれなる魔力と深遠なる知識、重要なる役職を与えられて、それなりに充実した日々をすごしておりました」
唐突に語りだしたレントをきょとんとした目でノエルが見つめた。零れ落ちていた涙が止まっているのかは気になったが、彼女の顔は見ない。何の話だと問い返されても、最後まで語りきるまでは何も言うつもりはない。
「ある日、男は一つの命を下されました。それにより、男は仲間を得ました。その命なくば一生出会わなかった、分かりえなかったはずの者たち。その仲間たちとの旅で、男は楽しさという感情を知りました」
ノエルの目が大きく見開かれる。……これは彼の話だ!
「楽しい旅を続けていくうち、男は命を落とすような危機に直面しました。しかし男は死というものを完全に理解はしていませんでした。残されるものの悲しみを彼はまったく理解してなかったのです」
あのときのトランは村を救うことしか頭になかった。
その戦いで命を落とすことになると、どこかで感じてはいてもなんの感慨も抱かなかった。
ノエルのことはクリスたちがうまくやると、心配もしていなかった。
だが今ならはっきりとこういう事ができる。
仲間たちを信頼していたと言えば聞こえはいいが、あの時の自分はただ彼らに対して無責任だったのだ。
「男は……、馬鹿な男は死んでからやっと気づきました。残されたものがどれほどの悲しみを、十字架を背負うのかを……」
ここで、ノエルはふと、疑問に思った。
彼はイジンデルでの詳細は知らないと言っていた。
なのになぜ、こうも語れるのだろうと。
「男は自分の死には何の感情も抱きませんでしたが、悲しみにくれる少女を慰められない事が何よりもつらかった。そして、男は願ったのです。自分を地上に戻してほしい、と」
それは叶うはずのない願い。叶えてはならないはずの願いだった。
しかし……
「男の願いは聞き届けられました。……神に背く神竜を滅することを条件に、男は再び生を得ることを許されました。しかし、それには代償が必要でした」
死者が生き返る。それは本当ならばあってはならないこと。しかも肉体も失った彼は、別の人間として生まれねばならなかった。だが生前そのままに別の人間に生まれ変われば、いろいろと混乱が生じる。それを回避するために捧げなければならなかった代償とは……
「その代償とは彼がそれまでに作り、育て上げてきた感情。男は生き返るための代償として、すべての感情を失くしてしまったのです」
小さな母から教えられた優しさも、仲間達との旅を続ける間に感じた楽しさも、一人の少女に抱いた愛しさもなにもかも全て……。
「だから男は大切だったはずの思い出を、なぜ大切なのかを理解できず、無意識に記憶の奥底に追いやってしまった」
そのせいで自分は大切なはずの仲間たちを理解できず、彼らの感情も理解する事ができずに彼らを無意識に傷つけた。
「でも男は時間をかけて、失くした感情を取り戻した。忘れていた大切な記憶も全て思い出した」
期待に満ちているような、不安が渦巻いているような……。そんな複雑な表情をしたノエルを見つめ、やわらかな表情を浮かべる。
「あなたを初めて勧誘した日のこと、仲間たちと衣装を選んだ日のこと、ダブラルでのダンジョントライアル、ウィガールの神殿でのガーベラとの戦い、毒におかされたわたしのために奔走してくれた仲間たちのこと」
レントがノエルの右手を取った。そこには、トランの贈った鈴とレントの贈った薔薇の飾り筒が巻きつけられている。彼はそれを見つめ、懐かしげに、悲しげに言葉を続けた。
「初めて花火を見たあの日……、鈴を買ってあげたときのあなたの笑顔。来年も二人で出店を見ようと約束をしたのに、それを守ることもできずに、あなたを残して死んだあの日のことも全て……」
彼女の瞳に自分の顔が映りこんでいる。ああ、なんて情けない顔をしているのだろう……。なんて無様な様を彼女に見せているのだろう……。
「本当はまだ語るつもりなどなかった。あなたが完全に立ち直るまで、わたしはわたしの全てを隠し通すべきだったのでしょう。……けどわたしはもう耐えられなかった。あなたが過去の記憶に囚われているのを、これ以上見続けていることができなかった……」
ノエルに向かい、片膝をついて頭をたれる。
「あ、あの? レントさん?」
「わたしはわたしの全てを取り戻し、あなたに全てを語りました。しかしわたしは一時といえどもあなたのことを忘れた馬鹿な男。自分から名乗る資格などございません。だからどうぞ呼んでください……わたしの、もう一つの名前を」
今、目の前で頭をたれる白雪色の髪の青年の名前はレント=セプター。しかし彼が言うもう一つの名前とはそれではない。そう、それは一年以上前に死んだ彼の名前。それは……。
「ト……トラン………さん?」
震える声で恐る恐る呼びかける。そしてそれに彼ははっきりと答えたのだ。
「はい……!」
「本当? 本当に?」
「わたしはノエル様に嘘など申しません」
そう、彼は……ノエルを守るように命じられた彼はノエルだけは傷つけない、彼女にだけは嘘などつかない。
レントは膝をついたままノエルを見上げ、優しげに言葉をつむいだ。
「ノエル様、トランはあなたの元に……あなたのために現世に戻ってまいりました」
しかしそこで表情が曇る。少しだけ困ったような悲しげな瞳でノエルを見つめ、こう続けた。
「しかし今のわたしはレント。あなたの望むトランにはなれません」
ぱたり……とレントの瞳から涙が零れ落ちた。それをノエルに見せぬように再び下を向いて隠す。
今の彼女がそばにいることを望んでいるのはトランであって自分ではない。そのことが、彼以上の存在になれなかったことが苦しく、悲しい。
「それでもわたしは、わたしはあなたを愛している、あなたのそばにいたい。ノエル様、どうかお願いいたします。わたしをあなたのおそばにおいてください」
静かな沈黙がおりた。
不安で、怖くて、彼女の顔を見る事ができずにうつむいていたレントの頭上から、戸惑うような声がふってくる。
「その……そばにいてくれるのはうれしいです。でも、今はレントさんの気持ちにはこたえられません。あ、でもけっしてレントさんがどうってわけじゃなくて!」
ノエルは膝をつくレントに視線をあわせるためにしゃがみ込み、そこではじめて彼が涙を流していたことを知った。その涙を拭い取り、彼の目を見つめて語りかける。
「時間を、あたしに時間をください。……今のあなたに恋する時間を、あなたをあなたとして好きになる時間をください」
きっとまた……自分はあなたを、レントさんを好きになるから。
それは音のある言葉としては発せられなかった。しかしノエルのゆれる瞳が言葉を、想いをレントに伝えてくれた。
「……そのお言葉だけで、じゅうぶんです」
彼女はトランを過去の事と切り捨てず、まるごとの自分を受け入れてくれる。しかもトランのかわりにするのではなく、自分を好きになってくれるという。
嬉しい、泣きたくなるほど嬉しい。
喜びで、彼女への愛しさて胸がいっぱいで頭がおかしくなりそうだ。
だからだろうか、不意にがらでもないセリフが口から飛び出した。
「ノエル様、わたしは……あなたをわたしに恋させてみせます」
彼女は照れたように笑ってこたえてくれた。
「はい。あたしをあなたへの恋に落としてください」
お互いに頬を染め、手を取り合って立ち上がる。
ノエルが左手の小指を差し出してレントに笑いかけた。
「約束してくださいね? ずっと一緒にいてくれるって、……もうあたしをおいていかないって」
レントは差し出された彼女の手をとると、指を絡めるかわりに騎士のように軽く口付けた。
……ただし小指でもなく手の甲にでもなく、薬指に。
「約束いたします。わたしはもうあなたの元を離れません。ノエル様の生ある限り、レントはあなたのおそばに」
ノエルは恥ずかしげに笑うと、こっくりとうなずいた。そして彼女は抱いていたトランのぬいぐるみから飾り筒をはずすと、それをレントの手首に巻きつけた。
「これ、レントさんにもらったものだけど、お返ししますね。これが約束の証です。これを見るたびに約束を思い出してください」
「はい、ノエル様……」
一度は手放した品が、想いが彼女の手によって返される。そんな事情を彼女は知らないはずだが、なぜか許された気がした。
自分は彼女の隣にいてもいい、彼女を愛してもいいのだと……。
ノエルがレントを見上げて言う。
「あと、一つお願いが……」
「なんでございましょう?」
「あたしのこと、『ノエル』って呼んで……。あたしのことを特別扱いしないで」
大首領の娘、敬愛すべき人の息女としてではなく、一人の女の子として見てほしい……。
「わかりました。これからは『ノエル』と呼ばせてもらいます。しかし特別扱いは……せずにはいられません」
首をかしげ、どうして? ……と無言で問うてくるノエルに微笑みかける。
「好きな人には特別に優しくしたくなるものでしょう?」
「そ、そういう特別扱いはその……う、うれしい、です」
顔を赤くしてモジモジとしていたノエルだったが、意を決してレントの手を握った。
「か、帰りましょう」
「……はい」
やわらかな手を握り返して視線を交わしあう。
空を見上げれば満天の星。かたわらを見れば愛しい少女の笑顔。
冷たい風が体を冷やすがつながれた手は、満たされた心はあたたかい。
思えば、今誓った約束は、あの夜眠る彼女に誓ったものと同じもの。
あの時とは名前も姿も変わってしまったが、ノエルへの想いはあの時と寸分の違いもない。
……しかし自分とノエルは昔のような関係には戻れないだろう。
けれど新しい関係を築きあっていくことはできる。
それはきっと……夢見るように幸福な関係のはずだ。
「あ、流れ星ですよ!」
言われて空を見上げると星が美しい放物線を描いて流れ落ちるところだった。
「……願い事はいいのですか?」
「願い事は自分で叶えなさいって、あなたが言ったんじゃないですか。それに……」
しっかりと握りあった手を持ち上げて、ノエルが笑った。
「これ以上、願う事はありませんから」
レントの瞳がきょとんと丸くなる。そして次の瞬間には破顔した。
「わたしも、ありません……!」
運命に打ち勝った二人には、もう神の手助けなど必要ない。
二人の未来は、彼らの手によって幸福色に染められていく。
終
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