Happy cat life

01


 その時、クリスはすでに地に倒れ伏していて、対するトランは彼に守られ無傷だった。
 だから敵のはなった魔法から彼を庇ったのは、決して間違いではなかったはずだった。
「サモン・アラクネ!」
 トランの渾身の力を込めたその防御壁は、自分でもホレボレするほどすばらしいデキだった。
 しかし……
「なっ!? すり抜けた!?」
 その魔法は、ノエルの一撃ですら耐えうるだろう堅固な防御壁をすり抜け、狙い違わずトランを撃ちすえた。
「ああああああぁぁぁぁ!!」
 トランの視界が衝撃で白く染まる。
 そして次の瞬間には目の前が暗く、沈んだ……。


「トランさん!?」
 ノエルとエイプリルが敵を倒し、振り返ったとき、そこにトランの姿はなく、倒れたクリスを庇うように広がった彼の衣服が落ちているだけだった。
「どこですか、トランさん!?」
 ノエルが必死にトランを探すが、背の高い彼の姿はまったく見えない。
「……っ! ……あ?」
「クリス、目を覚ましたか」
 意識を取り戻したらしいクリスをエイプリルがポーションで回復する。
「私は……? たしか……」
 周りを見渡すと見慣れた少女が二人、心配そうな顔をしていた。
 しかし、もう一人の仲間の姿は……
「……トランは?」
「クリスさん! ……トランさん消えちゃったんです!」
「……え?」
「……意識を失っていたお前を魔法から庇ったんだろうな。だがその後はわからん。服は残ってるから消しとんだってわけじゃないだろうが……」
 クリスはなにかに耐えるようにぎゅっと唇を噛み締めた。
 ……仲間の楯であるべき自分が庇われるなんて……。しかもそのせいでトランは……。
「…………?」
 ふと、自分にかかる服の一部が動いた気がした。

 もぞもぞもぞ……

 いや、気のせいではない! 
 確かに動いている! 
 クリス達がそれを見守っていると、やがて服の中からしなやかな肢体をもつ猫が這い出してきた。
 限りなく黒に近い紫、夜闇色のその猫はキョロキョロと周りを見渡して、にゃあと一声鳴いた。
「も、もしかして、もしかしますかっ!?」
「いや! いやいやいや……、まさかそれは!?」
「だが、この状況、この毛色。そう考えた方がいいだろう」
 ノエルがおずおずとその猫に話し掛ける。
「あの……トランさん?」
 するとその猫はビー玉のような眼を輝かせ、大きくはっきりと頷いた。
 ノエルがふらふらと近づき、猫……いやトランの前に座り込む。
「……お手」
「にゃ」
 右前足を差し出す。
「……おかわり」
「にゃにゃ」
 今度は左前足。
「くるくる〜」
「にゃにゃにゃにゃ〜」
 ノエルがくるくると指をまわすと、それにあわせてトランも回った。
「ノエル、落ち着け。犬じゃないんだから」
「……お前も付き合わんでいいんだ、トラン!」
 エイプリルとクリスがそれぞれにツッコミをいれた。
「だって、どうすればいいんですか」
 ノエルがトランを抱き上げながら言う。
 ……少なくともトランに芸をさせても事態は好転しないと思うが。
「とりあえず街に帰るか」
「そうだな。神殿なら何かわかるかもしれない」
「にゃー」
 トランもこっくりと頷く。
「じゃあ、服集めないと」
 ノエルが散らばるトランの服に手をのばす。
 するとトランは彼女の腕からヒラリと降り、服の上に立って……
「フー!」
 ……とノエルを威嚇するように鳴いた。
 ……どうやら服に触れさせたくないようだ。
「トランさん〜、服拾わせて下さいよ〜。ここに置いてくわけにはいかないでしょう?」
「にゃー!」
 ノエルが説得するがトランは首をふる。
「だめ? なんでダメなんですか」
「あ、なるほど」
「何かわかったんですか、クリスさん?」
「えぇ。……トラン、私なら拾ってもいいだろ?」
「にゃー」
 一鳴きして服の横にちんまりと座る。
「私も触りたくないから全部丸めて持つからな」
「にゃ」
 こくんと頷いた。
「……トランさん、なんでクリスさんはよくてノエルはダメなんですか?」
「にゃー」
 トランがクリスを見て鳴く。
 どうやら説明しろと言っているようだ。
 クリスは手早く服を拾い集めるとノエルに向き直った。
「……ノエル、こいつは猫になったときにありとあらゆる衣類が脱げてるんですよ」
「そうですよね。だからあたし拾おうと……」
「……下着もですよ?」
「え? あ、やあ!?」
 ……ノエルはやっとその事実に気付いたようだ。顔が桃のようにピンクに染まる。
「……そりゃあ、ノエルには拾わせたくないよな」
 エイプリルがトランの頭を撫でながら呟く。
 トランは"その通り"とでも言うように、にゃーんと間延びした鳴き声をあげた。
「さてと、宿に帰りましょう」
「はい!」
 ノエルが返事と同時にトランを抱き上げる。今度は抗議の声をあげなかった。
 ……なんせ猫の身で彼等について歩くのはしんどいので。
「一緒に帰りましょうね」
 ノエルの言葉にこくりと頷くと、彼女の肩に前足を引っ掛けて体を安定させた。そしてそっと彼女に頬を擦り寄せる。……人間の姿なら問題あるだろうが、今のトランは猫だ。彼女も、クリス達も何も言わない。
「大丈夫、すぐに元に戻れますよ」
 根拠のないはずの彼女の言葉が、なぜか頼もしかった。




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Scribble <2007,06,09>