Life with child

07


「トランお兄ちゃ〜ん」
 帰ってそうそう、クリスが困りはてた顔でローブに縋り付いてきた。
 真っ白でふわふわなワンピースを着せられていて、頭には水色のリボン。もしかして化粧も施されたのだろうか、唇には淡く色がのっていた。
 ……幼女趣味の者が見れば、真っ先にさらうような愛らしい姿に仕立てあげられている。
「たすけて〜」
(助けてくれ、マジで!)
 トランはそれに愉快そうに笑うと、彼の頭に手を置いて言った。
「助けてあげますよ、今すぐにね」
 ベッドから毛布をひきはがし、クリスにかける。そしてわたわたと這い出してきた彼に言った。
「服を脱ぎなさい、全部」
(……なんで?)
 クリスがことんと首をかしげる。
「あなたを元に戻してあげましょう」
「解呪方法がわかったんですか!?」
「えぇ。これで間違いなく解呪できます」
(本当に!? 戻れるのか、やっと!)
 クリスがもぞもぞと服を脱いでいる間、トランは彼の周りに幾枚かの紙片を並べていった。
 その紙には複雑な紋様と呪字が刻まれている。これまで何度か見たことのある簡易・解呪魔法陣だ。
 どこが違うかはノエル達にはわからなかったが、それらはこれまでとは違い、置いた瞬間から魔法光を放ちはじめた。
「用意はいいですか」
「うん」
(ああ、やっと戻れるんだ。……でも、この姿でいるのも楽しかったなぁ)
 トランがロッドを水平に構え、呪文を唱えはじめる。
 魔法陣から吹き出る光がクリスを包み、辺りを照らす。
「〜〜〜〜〜〜〜っ!」
 カッ! 
 魔法陣の中心から強い光が放たれ、三人の視界をうばう。
 そしてゆっくりと目を開いたその前には……。
「あ……。私、は……」
(元に戻ったのか?)
 毛布にくるまるクリスがきょときょとと周りを見回していた。
(視界が高い。……元に戻ったんだ!)
「クリスさん!」
 飛び付こうとするノエルをすんでのところで捕まえて、エイプリルはつかつかとクリスに歩み寄った。
「エイプリル……」
「まったく、面倒かけさせて……」
 コン……と彼の頭を小突く。
 そして彼から離れるさいに、彼だけに聞こえる声でポツリと呟く。
「……悪かったな」
(あ……。罠を解除しそこねたことか。そんなの気にしなくていいのに。……よくあることだし)
 エイプリルはノエルの隣にまで戻ると、そのまま彼女の手をとって部屋の外に出た。
「俺達は先に下にいってる」
「え? なんでですか?」
「……俺達がいたらクリスが服を着られんだろう」
「あ。そっか! ……じゃあ、あたしたちは先に行ってます。……夕食頼んどきましょうか?」
「お願いします。……クリスが元に戻れたお祝いに豪勢なものを食べましょう」
「は〜い」
 気のいい返事をする少女を見送ってトランは扉を閉めた。
 そしてどこか冷たい声でクリスに言う。
「早く服を着なさい」
「いや、着るけどさ。なぜ声が氷点下……。っていうかお前は下に行かないのか?」
「あなたに、話があるのでね……」
「話?」
 クリスが服を身につけたのを見計らってトランが振り返る。
 ……なにやら黒い笑顔を浮かべて。
「クリス、子供だったときのことは……当然、覚えてますよね?」
「覚えているが」
 いつにない黒い笑顔が心底こわい。
 まるで…………悪の幹部のようだ。
(ってもとからそうか)
「カバル焼きをあげたときのこと覚えてます?」
 トランが彼にカバル焼きをあげたのは今日の昼過ぎのことだ。
「ああ」
「あの時、ジャムとカスタードのどちらかをきく前にカスタードってこたえましたよね、カスタードがあるとは言う前に」
「そうだったな。それが?」
 確かにクリスはカスタード焼きがあるのを知る前に、それがいいとこたえていた。
 だがカバル焼きには基本、ジャム焼きとカスタード焼きしかない。
 だから普通に考えるなら、おかしいところは何もない。
 ジャム焼きではない方の、もう一つがほしいと言っただけなのだから。
 ……だが、続けられたトランの言葉は、その前提をくつがえすものだった。
「……カバル焼きは最近売り出し始めたもので、あなたの子供時代にはなかったはずなんですが」
「……!?」
「なんでカスタード入りカバル焼きがあるって知ってたんでしょうねぇ?」
 子クリスがカバル焼きにカスタード入りがあるなど知っているはずがない。……いや、カバル焼きの存在すら、知らないはずなのだ。
 それを知っていたということは……。
「そ、それは……」
「巻き戻し、ではなく若返り……。中身は元のクリス=ファーディナントのままだった。……違いますか?」
「ち、違……!」
「……虚偽は罪ですよ?」
 口調は優しく、しかし瞳には黒い光を宿して。
「クリス?」
 クリスが大きく息をはく。そして決意を固めて顔をあげた。
「そうだ、中身はもとのままだった。…………だって、言い出せなかったんだ、恥ずかしくて!」
 クリスの顔は完全に朱に染まっている。よほど恥ずかしいようだ。
「まあ、わたしも今思うと、あなたにしてあげたあれやこれやが恥ずかしいし、それもわからなくもありませんが…………でもね」
 ぐいっとクリスの胸倉を掴み、彼の瞳を真正面から睨みつけて言う。
「あなたがはじめから中身は元のままだと言ってくれていたなら、はじめから巻き戻しでなく、若返りだとわかっていたなら、もっと早く解呪できてたんですよ!」
 トランは神の道にも精通する優秀な魔術師である。原因と現象を正しく理解すれば解呪儀式など簡単にこなしてしまう。
 ただし今回のように起きている現象を誤認してしまうとそうはいかない。
 解呪儀式とは解くべき術を根本にすえて、魔法の属性、波長、その他もろもろ……全てを正しく理解し、組み立てて、はじめてなせること。
 その大元から違っていたのだから、なんど解呪儀式を施そうと解けるはずがない。……それは、意味のないものなのだから。
 そして……今回の誤認の原因は間違いなくクリスにあった。
「……すまない」
「…………まあ、いいですよ。わたしも、にゃんこになったときはあなたに苦労かけましたからね」
 そして一転、明るい笑顔を浮かべて、こう続けた。
「だから今夜の晩御飯で手をうちましょう」
「……だから今夜は豪勢なものを、とか言ったのかっ!?」
「もちろんですとも! ……何か異論は?」
「……」
 クリスが不満げにトランを睨みつける。
「あ〜あ。若返りだとわかっていたなら、これだという解呪儀式が見つかってたのになぁ……」
「いや、わかった。わかったから! 好きなものを好きなだけ頼んでくれ」
「よろしい」
 してやられた感がいなめないが、仕方ない。
「そういえば、クリス。子どもになっていた間の感想は? 恥ずかしかっただけじゃないですよね?」
「……まあ、それだけじゃなかったかな。人からは見えない空白の間で、いろいろ考えてた」
「空白?」
「そう、空白。なにも書かれ……いや違う、なにもない空白の間でこっそりと……」
 ……そういえば確かに無駄な空白が幾度かあった。鋭い人ならば気付いていたかもしれないが、そうでない人も、なぞるようにして見れば気がつくだろう。
「いろいろ恥ずかしかった事もあったけど、お前が戻してくれるって言ってたし、不安はなかったよ。……それに今思うと、ちょっと楽しかった」
 ふわふわと笑うクリスにトランはおっとりと微笑んで言った。
「そうですか。そういえばわたしも新鮮な体験をさせてもらいました。…………そうだ、なんなら今でも甘えてくれていいんですよ?」
「いらん」
 冗談まじりの申し出をばっさり切り捨ててから、先程から疑問に思っている事を口に出す。
「なぁ、トラン。さっき本を返しに行ったときには、もう目星をつけてたんだよな」
 むろん、目星とは解呪儀式のことだ。
「えぇ、そうですよ」
「元に戻せるってわかってたんなら、私は服を着替える必要なかったんじゃないか?」
「まあ、そうですね。洗濯物が増えただけ」
「ならなんで? ……おかげで私はすごい格好させられたんだ」
「ははは……。わかりませんか?」
 物凄いイイ笑顔で彼はこう、言い切った。
「い・や・が・ら・せ♪」
「……っ!?」
 思わず殴りかかってしまうが、それを予測していたらしいトランはその前に部屋の外に退避してしまった。
 扉の向こうから楽しげなトランの声が響く。
「さ、わたしはノエルたちの所に行きますか」
 追い掛けようとしたが、化粧をされていたことを思い出し、それをふき取っているうちに、トランは離れていた。
 階段を降りゆく彼の背中を見て、ふと気付く。
「そういえば礼を言っていなかったな……」
 クリスはなんだかあやしげな笑みを浮かべて、階下に向かうトランに声をかけた。
「戻してくれてありがとう…………トランお兄ちゃん!」
 その直後、足を踏み外したトランが、盛大に階段を転げ落ちていった……。




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Scribble <2007,09,22>