You who not is any longer
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この世で一番タチの悪い欲は知識欲だとどこかで聞いた気がする。そしてそれはその通りだと思う。
知りたい、もっと知りたい、もっともっと知りたい。……全然足りない!
一つの事を知れば、それに関連する事も知りたいと願う。その関連事項を知れば、またそれに関連する事を知りたくなる。知りたいという気持ちが連鎖して積み重なり、知識欲が深まっていく。
「それで、その時前任者であるトランはどうしたのですか」
「トランさんはですね、赤ちゃんのお母さんを探しだしたんです」
「もちろん、世話もしてたよ。結構手慣れててびっくりした」
「あれは完全に"母"の顔だったな」
彼らの会話越しに知る彼に興味を抱いてしまったのが最後だった。
前任者トランはどんな男だったのか、どんな性格で彼らとどんな時間をどんな風にどんな気持ちで過ごしたのか……。
知りたい、もっと知りたい、もっともっと……。
出来うるならば直接見てみたい。しかしそれは叶わぬ夢だ。だからこそ思いは募る。
「ノエル様、面会の許可がおりましたよ」
「あ、はい。行きましょうか、みなさん」
状況説明が後手にまわってしまったが、ここはディアスロンドの神殿の一室である。フォア・ローゼスの面々はノイエに会うためにここに訪れたのだ。
「ガーベラさん、お母さんは元気にしてますか」
「ええ。この頃調子がよさそうです。もっとも、たとえ調子をくずされておいででも、ノエル様に会えば、すぐに元気になられるのでしょうけど」
朗らかに笑う彼女は剣を携えてはいるものの、たおやかな淑女のようだ。はりつめた物が解かれ、我をはる必要がなくなったのだろう。
「ノイエ様、失礼いたします」
「お母さん、お久しぶりです!」
ガーベラに案内されたその部屋はノイエに与えられた物のようだった。ベッドのそばのテーブルの上には以前に描かれたノエルの肖像画が飾られ、読みかけの手紙が放置されている。……ノエルからの手紙だろうと、何気なしに視線をやると、見慣れた紋章が目に入った。
「……ノイエ様。我が組織からの手紙をそのように放置するのはいかがなものかと」
神殿の一室で反神殿組織からの手紙を無防備にさらすのはどうかと思う。
「あら、大丈夫ですよ。……だって旦那様からのお便りですもの」
ダイナストカバル製の便箋セットは普通に手に入れられるし……とノイエが微笑むが、そういう問題ではない気がする。
「お父さんからのお手紙ですか。……ね、お母さん見てもいい?」
「だーめ」
そう言ってノエルの鼻をちょんとつつく。そうしてじゃれあう姿は母娘というより姉妹のようだ。まあ、仲がいいことにはかわりはないから良いことだが。
ノエルはノイエとたわいない会話を交わし、クリスはガーベラと神殿の応対について話し合っている。自分とエイプリルはというとどちらの会話にも加われずに壁際に立っていた。
「……寂しいか」
「何故そう思う」
「つまらなさそうな顔をしている」
「キミの気のせいだ」
ああ、でも……。
こんな時、彼ならどうするのだろう。
「お母さん、もう行くね。たくさん手紙を書くから」
「ええ。楽しみにしているわ」
レントが悩んでいる間に会話が終了していたようだ。二人に会釈して出ていこうと扉を開けた所で声をかけられた。
「レント君」
「何でしょうか、ノイエ様」
「少しだけお話が……。ノエルたちは外で待っていてくれるかしら」
「ノイエ様、私もでしょうか」
「ええ。彼にだけお話があるの」
ガーベラまで外に出して話すこととは何だろうか。自分の方には彼女と話すことなどないというのに。
「内緒のお話?」
「内緒というほどのものではないのだけれど……。ノエルだって悩み事はあまり人に知られたくはないものでしょう」
「レントさん、何か悩んでいたんですか?」
「いいえ。わたしは何も悩んでなどいません」
「……レント君。私の夫……ダイナストカバル大首領は気づいていますよ」
……そう言われても本当に心当たりがない。
「ノイエ様……」
「さあさあ、皆さん。外で待っていてくださいね。すぐに済みますからね」
「……皆さん、外の通りにある茶屋にいきませんか? 美味しいケーキがあるんですよ」
「……レントさんとも一緒に行きたいです」
「あとから来てくださいますよね」
「はい」
「……用事がすんだらすぐに来てくださいね」
ガーベラに促され、ノエルたちが退室し、部屋にはレントとノイエのみになった。彼女に促されてベッドサイドの椅子に座る。
「いったい何なのでしょうか。わたしには何も心当たりがないのですが」
「ええ。自覚はないでしょうね。でも確かに問題がおき、しかもあなたはそれを無意識の内に改善しようとしている」
「……問題?」
「ええ。初期の教育不足が、今になって精神をゆらがせています」
……否定できなかった。自分はどうして彼らのことを思いやれないのだろう、彼ならいったいどうしていただろう、自分より彼の方が……彼が彼らと共にあるべきで、自分は生まれるべきではなかった。
そんな思いが渦巻いて、不安が胸を締め付ける。
「トラン=セプターという青年を知ることで、あなたは足りないものを補完しつつあります。しかし人伝では足りないでしょう?」
……自分が前任者のことに興味を抱いたのは、そんな理由だったのだろうか。もっと純粋にただ知りたかっただけな気がする。しかしどちらにしても彼女への返答はかわらない。
「はい。わたしはもっと彼が知りたい。人伝の彼ではなく、もっと身近に彼を感じたい」
レントの返答を聞き、ノイエはにっこりと笑った。そしてレントの胸に手を当て、こう続けた。
「一つ、おまじないをかけてあげましょう。あなたが彼をよく知ることができるように」
「何をなさるのですか?」
「秘密。さあ、いってらっしゃい」
その瞬間、レントの意識は暗転した。
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Scribble <2009,09,27>