You who not is any longer



 フワリと浮かぶ感覚とストンと落ちるような感覚が繰り返される。
 視界には何も映らず、ただ感覚だけが研ぎ澄まされる。
「(いったい何が……)」
 ……発したはずの声が闇に散る。言葉が、発せられない。
「(……っ!?)」
 ガクリと体が落ちた。
 今までの上下移動とは違う落下に思わず目を閉じる。
 そのままドンドン落ち続け……何か弾力のある物の上に着地した。
 瞳を開けるとまず暖かな陽光が飛び込んできた。周りを見渡せばよく手入れされた芝生と遠くに噴水が見えた。……ここは公園だろうか。
 ……しかしなぜこんなに視界が低いのだろう。たしかに自分は膝をついた状態のままだが、こんなに低いのはおかしい。
 自らの状態を確認するため視界をおろし……そこで思考がフリーズした。
「(なんだ!? なぜわたしはこんなにも小さくなっている!?)」
 プニプニした小さな手、簡単に折れてしまいそうな手足、ペタペタと確認した顔はふくふくと丸い。
 ……小さな赤子になっている!?
「う、うーん……」
 近くで男の声が聞こえた。それでようやく気づいたが、この弾力のある物は男の体だったようだ。
 深い赤色のローブの上をはって男の顔が見える位置まで移動する。
「何? ……何か、重い」
 男が自分を確認しようと顔にのせていたハットをよけた。そこで再びレントの思考はフリーズした。
「(ト、トラン!?)」
「あ、赤ちゃん!?」
 思考が止まったのはトランも同じだったようだ。レントが胸の上に乗っているにも関わらず、ガバリと起き上がる。そのせいでレントは彼の膝の上にコロリと転がり落ちてしまった。
「あなた……お母さんはどうしたんです?」
 トランが自分を抱き上げながら立ち上がった。自分を支える手は大きくてあたたかい。……この手に生き物を殺傷する力があるとは思えない。
「(わたしに母親などいない)」
 きっと言葉は通じていないだろうから、言葉とともに首を横にふる。
 トランがわずかに首をかしげながら、新たに質問する。
「迷子ですか?」
「(……迷子ではないはずだ。わたしも自信はないが)」
 もう一度返事をすると彼は曖昧な笑みを浮かべてポツリと呟いた。
「そんなわけないですよねえ」
 トランはなにやら悩んでいるらしかった。辺りを見回しては首を傾ける。
 いや、しかし悩むのはうなずける。いきなり赤子が自分の上に乗っていたら悩みもするだろう。
「そんなことはないですよねえ」
 ……何がそんなことないのだろう。
 それはともかく、トランが両腕を伸ばして自分を高い位置までに持ち上げ、にこやかに微笑んだ。さっきから思っていたが、悪の幹部らしくない男だ。
 しかしそんな愛しい者を見る目で見つめないでほしい。今の自分は赤子、しかも男同士ではあるが、こんな目で見られると照れがくる。
「こんなに可愛い子を捨てるなんてあり得ませんよね」
「(捨て子ではない。……キミに、会いに来たんだ)」
 高い位置から必死で手を伸ばす。するとトランは母親のような優しい微笑でレントを自らの腕の中にくるみこんだ。
「わたしはあなたのお母さんじゃないですよ」
 いや、今のは母親の顔だった。男の母などまっぴらごめんだが。……というか自分にはアルテアがいるし。
 トランの腕の中であたたまりながらレントは考える。
 今のこの状況……。いかなる方法かはわからないが、ノイエ様がなさったことだろう。
 自分がトランに会いたいと望んだからこそ、彼女はこの状況を作り出してくれた。
 しかしなぜ自分は赤子なのだろう? いつもの自分なら彼と会話出来た。その方法の方がよりたくさんの情報を手にいれられたのに。
「(これでは……トランと会話するのは無理だな)」
「ああ!? 泣かないで! お母さんが見つかるまで一緒にいますからね?」
 ……何やら変な誤解をしたらしい。別に自分は泣いたりしない。しかし彼の誤解はといておくべきだろう。自分は泣いたりしないと言葉で伝えるのは無理なので、かわりにトランの胸に顔を埋める。
 トランから安堵の息がもれ、その手が優しくレントの頭を撫でる。視界が服にうまり、よくわからないが何やら歩いているようだ。
「すいません」
「はい、いらっしゃーい」
 何かを露天の店主と交渉している。大方、母親を見かけたら報せてほしいとかの類いだろう。
「よっしゃ任せとけ! 見かけたら必ず伝えとくよ」
「ありがとうございます」 せっかく成立した店主との交渉だが何の意味もない。親のいない自分を探すものなどいるはずがないのだから。
 しかしそんなことを思ったところで彼に伝えられるすべがない。さて、どうしようかとトランを見上げた時、彼の背後から少女の声が聞こえてきた。
「トランさんお買い物ですか?」
「ああ、ノエ」
「わあ! どうしたんですか、その子! すっごく可愛い!」
 ノエルがレントを見つけて歓声をあげる。可愛いものを見たとき特有の蕩けるような微笑をみせながら、頬をチョンとつついてきた。
「ちっちゃーい、可愛い〜」
「(……ノエル)」
 ノエルの指を捕まえると、彼女は自分の見知っているものより少し幼く、より明るく笑った。それもそのはずだ。トランがいるということは、イジンデルの悲劇はまだ起きていない。
 あの悲劇、トランの死がノエルの心に影をささせた。それに耐え、乗り越えるために彼女は成長せねばならなかったのだから。
「可愛い〜。ね、トランさん、抱っこさせてもらっていいですか?」
「宿に帰ってからね。……今のままだと鎧がこの子にあたってしまいますから」
「あ、そうですよね。じゃあ早く帰りましょう」
 まるで新婚夫婦……いや、違うか。母親と妹が生まれたばかりの姉とかか?
「はい。では店主、お願いしましたよ」
 レントの変な悩みは露知らず、トランたちは宿への道を歩き出した。
「帰ったら何かあげましょうね」
 別に腹は空いていないが何かをしてくれることが嬉しい。
「(宿には二人もいるだろうか)」
 やはり彼らも自分の見知っている二人とは違うのだろうか……。
 そんなことを考えながら、レントはあたたかな腕の中で眠りに落ちていった。




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Scribble <2009,10,04>