You who not is any longer
3
あたたかく、歩くたびにふわふわゆれる腕の中は、とても心地いい。
半分以上眠りに落ちた頭ではうまく考えることは出来ないが、二人の会話は聞こえてくる。
でも二人とも落ち着いた優しい声音で話しているものだから、それがまた眠気を誘う。
「(赤子がいつも寝ているのはこのせいか……?)」
こんなに居心地のいい場所におさめられたら、誰だって眠ってしまう。
いや、でも自分は眠っては駄目だ。自分はトランを知るためにここに在るのだ。起きて……起きて彼を知らなければ。
「こっちにおいで?」
レントの体が柔らかなものに包まれる。目をしっかりあけて見上げると、ノエルの笑顔があった。
「(……柔らかいな)」
いや、変な意味ではなく。
男性より女性の体が柔らかいのは当たり前のことだし。
しかし……トランに抱かれるのもよかったが、ノエルの腕の中の方が心地いいと感じてしまう。もちろんこれだって変な意味……性的な意味ではない。
誰だって床板で眠るより、柔らかな寝床の方がいいだろう。単にそういう違いだ。
「はあ。この子は迷子ちゃんなんですか」
ノエルの腕に力が込められる。少しばかり苦しくなって微かにうめく。トランがすぐにそれに気づいてくれ、ノエルに注意を出してくれた。
「そうみたいです。ああ、ノエルあまり力を入れては苦しがりますよ」
苦笑したトランはというとリンゴをすりおろしていた。しょりしょりと半分をすりおろし、残り半分は食べやすい大きさにカットする。
小さな匙ですりおろしリンゴを少量すくい、レントに声をかける。
「はい、スノウ口を開けて。あーん」
スノウ?
……ああ、自分のことだろうか。
自分の容姿を確認していないから断言することは出来ないが、自分の白い髪を見て雪を連想し、仮の名を『スノウ』としたのだろう。
レントはそう納得すると彼の望む通りに口を開けた。その中にすりおろされたリンゴが投入される。
「(……うまい)」
そう言えば今日はほとんど水分をとっていなかった。だからみずみずしいリンゴがなおさらうまかった。「おいしいですねー。もっとたくさん食べましょうねー」
ニコニコと笑うトランに促されて口を開く。レントのペースにあわせてリンゴをすすめてくるトランの微笑はまるで母親のようだ。
……エイプリルの言っていた"母"の顔とはこれのことか。
「おいしいねー、スノウちゃん。……あれ? この子の名前わかったんですか?」
「いえ、わからないんですがいつまでも名無しじゃ不便なので。……まあ、あだ名ということで」
「そうですよね。いつまでもこの子とか呼ぶのはかわいそうですもんね。ねー、スノウちゃん」
「(はい)」
彼らにわかりやすいように、手をあげて返事をする。……名を伝えるすべがあるなら教えるのだが、そんな方法はないので今はこれでいいだろう。
「なんだノエル、いつの間にトランと子を作ったんだ?」
「つつつつくってません! というかエイプリルさんいつの間に来たんですか!?」
「ついさっきな。……で、こいつはどうしたんだ」
頭を撫でるエイプリルの手は思っていた以上に柔らかく、指は細かった。その指で髪をすき、頭を撫でられると……くすぐったいような嬉しいような、変な気分になる。
「どうやら迷子のようで。こんな小さな子を放置出来ないですから保護してきました。……名前がわからないので勝手にスノウと呼んでますが」
……なぜ、トランの顔は赤いのだろう?
「スノウ……。髪が白いから?」
「ええ。まるで綿雪のようなきれいな白でしょう?」
「にしても安直な」
「安直な方がいいんです。……情が移っては離れ難くなりますし」
「(綿雪、か。誉められているのだろうな、これは)」
ニコニコと幸せそうに注がれる三人の視線が何故か嬉しい。離れようとするエイプリルの手が名残惜しくて、両手を彼女に伸ばす。「……。俺は、赤子には嫌われやすいんだが」
なんとなくわかる。自分はエイプリルがどういう女性かよく知っているが、何も知らない者……しかも赤子にとっては彼女のまとう気配は剣呑すぎるだろう。「ただいま。あれ? 皆揃って何をやって……」
帰ってきたクリスの目が自分にとまる。見ているこっちが楽しく思えるほどあからさまにその体が硬直した。
「あああ赤ちゃん!? いつの間に生んだんだトラン!?」
……よほど混乱しているらしい。男が子を生むことはないという自然摂理さえ忘れている。
「……さらったではなく、わたしが生んだ子ですか」「トランさんは男性だから、赤ちゃんは産めないと思います……」
「あ? ……ああ、そうか! 目の色が同じだったからトランの血縁だと思って。でもトランが生んだって……。何を混乱しているんだろう、私……」
まったく、その通りだ。自分の知るクリスはもう少し頭が良い。……いや、かわりない、か?
「……まあ、バカは放っておいて。はい、スノウ。あーんして」
「あ〜」
クリスがノエルの隣(つまりは自分の隣)に座り、頭を撫でながらトランに問うた。
「この子は結局どこの子なんだ?」
「はあ、それがですね」
トランがした説明は先ほどノエルにしたものと同じだった。それはまあ、そうだろう。それ以外に説明のしようがないし。
「迷子なのか。神殿には届けたのか?」
「……わたしにそれをききますか」
あほか、この男は。ダイナストカバル幹部が神殿に頼るはずないだろうに。
「そっち方面はクリスに任せますよ。こっちも独自の情報網を駆使して調べます」
「ダイナストカバルの情報網?」
「ええ。近所の奥様ネットワーク」
「……」
……もう少し、言い様はないのだろうか。確かに奥方からの情報も多分に含まれているとはいえ、普通の情報筋だってあるはずなのに。
この言い方だとものすごく、ショボい物に思える。 まあ、今回のような件にはうってつけと言えるだろうが。
「まあ、とりあえず神殿にその子の顔を見せに行くか」
クリスがレントを抱き上げる。
「(離せ。神殿には頼りたくない)」
思い切り体をよじり、トランに手を伸ばす。
「……そんなにトランがいいのか」
返されたトランの腕の中からクリスを見上げると、なんだか彼は傷ついているようだった。
……別に傷つかなくてもいいのに。クリスが嫌なわけではないのだから。
「スノウ? クリスは怖くありませんよ。クリス、撫でてあげてください」
おずおずと頭を撫でる手は、エイプリルと違って固く、しっかりとした質感があった。でも、その手があたたかく優しいことにはかわりない。
甘い微笑で撫でられるのが恥ずかしくて、思わず彼の手を捕まえる。
「(くすぐったいな)」
「おいでスノウ」
優しい微笑そのままて、そっと抱き上げられた。何がいいのかわからないが、クリスの表情は甘くとろけている。
「さ、行くか」
「(言っただろう。神殿に頼りたくないと!)」
言葉の通じないこの身が恨めしい。しかたがなしに思い切り身をよじることによって拒否の姿勢を伝えることにする。
「……」
クリスが無表情でトランに向き直り、レントを彼に突きつけた。
「トラン! 我が儘言わずにお前も神殿に来い。スノウはお前から離れたくないそうだ!」
……いや、トランから離れたくないというのではなく、神殿に行きたくないだけだ。
「しかたないですねえ。この子のためですし、我慢しますか」
困ったような微笑でレントを受け取り立ち上がる。
トランが行くならば行ってもいいか……。元より自分が暴れたところで神殿行きを拒否できるわけがないし。
「さあ、行きますか。なるべく早く帰ってきますので、お留守番よろしくお願いしますね、ノエル」
「(いってきます、ノエル様)」
「はい。いってらっしゃい〜」
ノエルとエイプリルに見送られ、トランたちは神殿へと向かった。
[ ←BACK || ▲MENU || NEXT→ ]
Scribble <2009,10,11>