You who not is any longer



「はあ……」
「あう……」
 トランと同時に大きくため息をつく。
「何でわたしが神殿なんかに……」
 まったくその通りだ。そもそも自分に親などいないのだから意味などないのに。
「何をぶつくさ言っているんだ。早く来い!」
 クリスに急かされて神殿の門を潜る。こんなに弱い、頼りないこの体で敵陣に向かうのは不安すぎる。だからせめてトランの体にしっかりとしがみついた。
「お話はうかがいました。迷子を保護してくださったそうですね」
 クリスに引き合わされたその神官は穏やかそうな老婦人であった。何人もの子供らを見てきたのだろう彼女は聖母のような優しい微笑みを浮かべ、自分にに話しかけた。
「もう大丈夫ですよ。必ずお母さんを見つけてあげますからね」
「(わたしに関わるな)」
 彼女の前から逃げ出せないので、大きく顔を背ける。
「あらあら。人見知りかしらね」
「(触れないでくれ)」
 撫でようとした彼女の手を払って、子供扱いを拒否する。
「……どうしたんですか、スノウ? わたしたちにはすぐになついたのに」
 当たり前じゃないか。トランたちは自分のことを知らなくても、自分は彼らのことをよく知っている(トラン除く)。
 見ず知らず、しかも神官に体を預けることはできないが、彼らなら喜んでこの身を差し出そう。
「……つかぬことを伺いますが、あなたのお子だということは?」
「ありません。わたしの出身はここより遠く離れた土地。そこをつい最近出てきたばかりなので」
 彼女の気持ちもわからないでもないが、自分とトランの関係を言葉に表すなら兄弟という単語がふさわしいだろう。……赤子と青年だから兄弟というには無理があるが。いや、まあ……実年齢なら二歳程度しか離れていないのだが。
「失礼いたしました。しかし困りましたね、こちらでお預かりしようと思っていたのですが」
 ……絶対嫌だ。服にシワがよるほどしがみついて彼に訴える。
 トランたちから離れたくない、と。
「引き続き、わたしたちが預かっておきます。この子を探す親が来たら、連絡してください」
「申し訳ありません。あなたがたの旅を中断させてしまって……」
 ……あ、そうか。
 自分は彼らの旅を足止めしてしまうのか。しかしどうすれば戻れるかわからないし。
「いえ。元々ひろったのはわたしですから」
 申し訳なさそうに頭を下げる老神官に見送られて神殿をあとにする。その帰り道、トランがポツリと呟いた。
「神殿にもあんなまともな人間がいるんですね」
 彼女を拒否してしまったが、確かに彼女は神官にしては珍しい、人徳者のようだった。
「その言い方はなんだ。神官長様に失礼だろ」
 ……神官長だったのか。神官全てがあのような人間であれば、ゾハールの野心に気づく者もいただろうに。
 それならばノエルは母から引き離されることもなく、大首領も家族ととも暮らせたはずだ。
 まあ、そうなればダイナストカバル製の人造人間であるトランと自分は生まれてこなかったのだろうが……。
 それでも……その方がよかったと思う。自分たちが出会うことがなくとも……ノエルが幸せで、笑顔でいられる未来の方がいい。
 たとえ出会うきっかけが失われても、クリスもエイプリルも彼女の元に集うはず。そして自分もトランも彼女の側で生をうけ、ノエルの傍らに寄り添ったはずだ。
「(……眠)」
 小さくあくびをして目を閉じる。ああ、本当にこの体は眠くなって仕方がない。
 ああ、もう眠ってしまおう。少し眠って起きたらまた……トランに…………。

* * * * *


 あたたかいものが体から離れ、冷えた空気が触れる。驚いて目を開けて上を見上げると、そこにはノエルの笑顔があった。
 ……なんだ。
 ノエルに手渡されただけか。
「よく眠ってますね」
「ええ。赤ちゃんはよく食べて、よく眠るのが仕事ですから」
 いや、目を閉じていても眠ってはいないから。
 せっかく目を覚ましたのだから彼らの会話を聞きたい。
「そういえばスノウちゃんのご飯は?」
「クリスが夕飯を頼んできてくれているので、それも用意してもらうように伝えました。無理なら台所を借りてわたしがつくりますよ」
 ……トランの料理か。食べてみたい。
「ただいま。トラン、野菜のスープなら用意できるってさ」
 ……残念だ。
「そうですか。ならあとは……」
「入り口で何を立ち止まってる。邪魔だ」
「お帰りなさい、エイプリル。何処に行っていたんですか」
「買い食い。お前らも食うか」
「珍しく私達の分も買ってきてくれたんだな」
「文句言うならやらん」
「いや、悪いエイプリル。失言だった……」
 芳ばしいパンの香りがすぐ隣にやって来て鼻をくすぐる。そっと目を開けてエイプリルの顔を見ると、彼女は困ったような微笑を浮かべてトランに尋ねた。
「……トラン、パンをやってもいいのか」
「そのままあげると口の水分が奪われて、たいへんな事になると……。ミルクに浸してパンがゆにするとかがいいですかね。……そうだ。夕飯にスープと一緒にあげましょう」
「……だそうだ。晩飯まで我慢するんだぞ」
 エイプリルがに頭を撫でると同時に軽くうなずき、再び目を閉じる。
「……今、うなずいたよな?」
「はい。もしかしてエイプリルさんの言葉がわかったんでしょうか」
 もちろん、わかっている。
「いや、そんなはずはないだろ」
 確かにただの赤ん坊なら大人の言葉なぞ半分も理解出来ないだろう。
 だが自分はダイナストカバルの誇る人造人間、あらゆる知識を積み込まれた最新機体だ。
 体が赤ん坊になったところで知識量には変わりがない。
「なんだか不思議な子ですよね」
 ……疑問に思われている。
 もっとちゃんと赤ん坊のフリをした方がいいのだろうか。
 しかし中身は(一応)大人だし、自分にだってプライドというものがある。
「まあ、わたしが悩んでいても仕方がないですよね」
 ……?
 自分はトランを悩ませるようなことをしただろうか。
「さて、そろそろ夕飯に行きませんか。わたしも宿の主人に張り紙をお願いしたらすぐに行きますから」
 ……張り紙?
 自分が眠っている間にどんな会話があったのだろう。……ちゃんと起きていればよかった。
「スノウ、こっちにおいで」
 そんな言葉と同時に体を包んだのは逞しい腕だった。目を開けてみればクリスの笑顔が間近にあった。
「ああ〜! あたしがスノウちゃんを連れて行こうと」
「赤ちゃんを連れて階段を降りるのは危険ですよ。私なら落ちたりしてもカバーリングがありますから」
 階段落ちのダメージを肩代わりできるものなのか? ……というか、そもそも落ちるな。
「落ちたりしませんよー?」
「トランは落としたがな」
「あああれはその! お、重くて!」
 なにやらノエルが一生懸命に弁明していたが、レントの関心は違うところにいっていた。
『トランは落としたがな』
 カナンにてトランが毒をうけたさいのドタバタは聞いている。もちろんノエルがトランを落としてしまったエピソードも。
 だからこそレントは"今"がいつかを理解した。
 ……"今"はあの悲劇が起こる直前だ!
 ならばこの町を発った数日後にイジンデルの悲劇は起き……トランは命を落とすのだ。
「どうしたんだ、スノウ?」
 クリスが優しい微笑で尋ねてくるが、反応を返せない。彼の優しい微笑が、彼女の明るい笑顔が、見守る瞳が……今は心に痛い。
 この優しく明るいものは、数日後に彼の命とともに全て奪われるのだ。
「……ああ。トランがいないから拗ねてるのか。今トランの所に連れていってやるからな」
 そんな言葉とともに暖かい腕の中にくるまれる。その腕の中で、レントは一つの決意を固めた。
 過去を変える決意、すなわち自分自身を消去する決意を……。




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Scribble <2009,10,18>