You who might not encounter it



「それじゃ、いってきますね」
「はい、いってらっしゃい」
「あー」
 スノウと二人でノエル達を見送ったトランは再び横になった。眠たいわけではないが体に疲れが残っていてダルい。
「とー?」
 そこをスノウが覗きこんできた。首をかすかにかしげる様子が鼻血が出そうなほど可愛らしい。
 赤子は自分の身を守るために愛らしくできているのだという説が今なら心の底から信じられる。この愛らしさに刃を向けられるようなやつは人間じゃない。
「はーい。なんですかー」
 体の上によじ登ってきたスノウを捕まえて高い高いをする。……あんまり嬉しそうじゃない。
「とー」
 スノウが喉をカリカリとかく。ただれて痒いのかと見てみたがなんともないし、スノウもそれ以上かこうとしない。
「とー、とー」
 今度は喉をかきながら口を大きく開けた。
「あ、もしかして」
 コップに湯冷ましを入れて口元に持っていくと、スノウはコップをつかみ、傾けようとした。
「喉がかわいていたんですね」
 慎重にコップを傾けて中身をスノウの口に流し入れる。すると彼はごくごくと美味しそうに飲み始めた。
「変わった子ですよね」
 口こそきかないものの、スノウは自分の要望をはっきりと伝えてくる。こんなに知能の高い赤ん坊は初めてだ。
「とー?」
 スノウが見上げてくる。コップには少量の湯冷ましが残っていたが、小さな手でコップを押し戻し、もういらないと無言で伝えてきた。
「はい、ごちそうさま。ゲップしておきましょうね」
 抱き上げて背中をポンポンする。スノウがケフッと小さなゲップをするのを耳で確認してからまた放牧する。
 ……といってもスノウはトランから離れないのだが。
「あう〜」
 ぺっとりとトランに引っ付く。
 ……この子は自分を親か何かと勘違いしているのだろうか。いや、しかしそのおかげで泣かないでいてくれるのかもしれないし、それでいいのかもしれない。
 ……そろそろお昼頃だろうか、スノウの昼御飯を用意しようかとベッドから起き上がったその時だった。
 コンコン
「あの、失礼いたします。ここに私の子を預かってくださっているお方がいるときいてきたのですが」
「はい。今開けます!」
 立ち上がって簡単に身だしなみを整える。そして開いた扉の向こうには柔らかな栗色の髪をした女性が立っていた。
 どことなく、ノエルに似ているように見えるのはきっと気のせいだろう……。
 しかし、なぜだろう。彼女の澄みきった瞳を見ていると……彼女を無条件で信じたくなる。
 彼女がスノウの親だという物的証拠は何もない。しかし彼女の言葉を疑えない。彼女の言葉は絶対だと、体の奥底からうったえかけてくる。
「この度は私の不手際で大変なご迷惑をおかけしました」
 彼女の謝罪の声ではっと我にかえる。
「あの、どうして子を置き去りにするようなことになってしまったんですか」
「転送石で移動していたのですが、抜け出していたのに気付かずに……」
「はあ……」
 普通気づくだろうに。よっぽど慌てて移動していたのか、彼女にうっかり属性でもあるのだろうか。しかし彼女の説明は納得できないでもない。ここに戻ってくるのが遅れたのは転送石を手に入れられなかったからだろう。
「それで……レントはどこに?」
「それがあの子の本当の名前ですか。レント君、お母さんが迎えに来ましたよ」
 スノウ、改めレントは不思議そうに首を傾げていたが、母親の所に連れていくと、何かに納得したようにうなずいた。
「さあ、一緒に帰りましょう」
 彼女に手渡しても、レントは嫌がる素振りを見せなかった。フォア・ローゼス以外の人間を嫌がっていたのに、彼女には素直に抱かれている。どうやら彼女がレントに親しい人間であるのは間違いないようだ。
「とー……とぁ……とあん」
 レントが一生懸命言葉をつむぎながら手をトランに伸ばす。
「わたしの名を呼んでくれた?」
 指を差し出すと彼はそれを掴み、コクコクとうなずいた。
「とあん」
 涙をにじませて寂しげな表情を見せるレントの頭を撫で、トランは言った。
「名残惜しいですが、あなたはもう行かなくては。いつかまた、成長したあなたに会えたら嬉しいですね」
「あぇあい! ああたぉしのうぇにわあしわありたってぅんら!?」
 トランの指をつかんだまま何かをうったえかけてくるが、何も理解できない。ただ彼の涙が心に痛かった。
「バイバイ?」
 そっと指から手を外し、軽く手をふる。しかしレントは返事を返してはくれなかった。ポロポロと涙を流して、女性の胸に顔を埋めてしまった。
「あらあら」
「すねちゃいましたか」
「いえ、大丈夫ですから。それでは、私はこれで」
「あ、はい。すいません、引き止めてしまって」
「いえ。こちらこそご迷惑をおかけしました」
 深々と女性が頭を下げ、その場をあとにする。彼女が廊下からいなくなるまで見送って扉を閉める。
 その時、こんな言葉が聞こえてきた。
「決して、後悔がないように生きぬいてください」
 それは、一度も聞いたことのない男の声だった。
 しっとりと落ち着いた、しかし強い意志の込められた声がトランの耳をうつ。
「え?」
 周りを見渡しても、部屋から出て探してみても、声の主は見当たらない。いったい誰なのだろう?
「あれ? トランさんどうしたんですか?」
「ああ。ノエルお帰りなさい」
「手がかりは全然見つかりませんでした……」
「ああ、それなんですが。必要なくなりました。先程、お母様が迎えにこられまして、一緒に帰りましたよ」
「ほ、本当ですかっ!? ……よかった。お母さんに会えたんですね」
 涙ぐむノエルの頭を撫でる。
 自覚はしていなかっただろうが、ノエルは置き去りにされた赤子を捨てられた自分に重ねて見てしまっていた。だからこそ彼女の喜びは誰よりも大きい。
「そうですよ。次は……あなたの番ですね」
 ノエルの肩がピクリと震えた。うっすらと涙が滲んだ瞳でトランに問う。
「あたしも、お母さんにあえますか……?」
 見上げてくる彼女を抱き寄せて優しく微笑み、こう告げる。
「あえますよ。絶対に」
「……はい」
 そう。彼女も必ず母と再会出来る。自分たちがそうさせる。
「ノエル……。あなたは必ずわた」
「気分が盛り上がってるところで悪いんだが、そこで抱き合われると部屋に入れない」
 あたたかい気持ちをぶち壊すように、クリスの冷たい声が割って入った。それで二人して我に返った。急いでお互いに体を離す。
「あ、いや、これはその……。 ち、違うんです!?」
「あのですね! なんだかノエルがちょっぴり落ち込んでたみたいだったから慰めてただけで! やましい気持ちはないんです!!」
「それはいいから早くどけ」
 あわてて体を避ける。先程までは気付かなかったが、クリスはいくつもの包みを持っていた。
「昨日のパンがうまかったから昼飯に買ってきたんだ。エイプリルはスープとかを食堂で作ってもらってる」
 ほどなくしてエイプリルも帰ってきたので、食事をしながら二人にノエルと同様の説明をする。
「そっか。母親が迎えに来たのか。なら神殿に迷子届けの取り消しに行かなくては」
「わたしも少し出かけてきます。借り物を返しに行かないと」
「あたしは……トランさん、ご一緒していいですか」
「もちろんです。帰りに保存食の買い出しをするつもりだったのでお手伝いお願いします」
「はい!」
「俺は……」
「この部屋の後片付けをお願いします」
「……ちっ」
 食事を終え、一服したところで立ち上がる。
「では行きましょうか」
「はい!」
「私も途中まで一緒に……」
「いってきます、エイプリルさん」
「ああ」
 仲間に見送られて、仲間と共に歩いて、なごやかな時間を共に過ごす。こんなにも満たされた気持ちなのに、何故かふいに先程の声がリフレインする。

『決して、後悔がないように生きぬいてください』

 この言葉の主が誰なのかはわからない。しかしその言葉はトランの心に染み渡る。
「後悔なんてしませんよ。するわけがありません。……何が、あろうとも」
「トランさん?」
「あ、いえ、何でもありませんよ?」
 ダイナストカバルの幹部として生をうけ、組織のために生きてきて、任務の一環でフォア・ローゼスに入り……しかし自らの意思でノエル達の仲間となった。
 これからも後悔するような生き方などしない。

 ああ、いい人生だったと、笑顔で生涯の幕を終える、その最期の一瞬まで……。







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Scribble <2009,09,20>