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「どーしたんですか!? スノウちゃんが泣いてる!」
 ノエルに迎え入れられた瞬間、言われてしまった。
 いや、どうしたとはこっちがききたいくらいだ。腹が空いているわけでもないだろうし、不快になる要素がスノウにない。
「スノウちゃん、こっちにおいで?」
 ノエルがトランからスノウを受けとる。スノウは彼女にしっかりと抱きついて、やはり何かをうったえるように話しだした。
「とー。とー! ……めー!」
 やはり何を言っているかわからない。しかしさっきとは違い、スノウにある動作が加わった。
 しきりにトランを指さしてうったえているのだ。
「とー!」
「父ちゃん?」
「いや、きっとたぶん違うから。というかいきなり変なこと言わないで!?」
 横から口をはさんだエイプリルにツッコミをいれる。
「なんというか、さっきからこの調子でして……」
「何を言ってるんでしょうねえ」
「お前に赤ん坊の翻訳機能はないのか」
「ついてません。というかそんな物は存在もしませんって。あったら全国数千人のお母様方が大喜びですよ」
 うったえかけることを諦め、いじけてしまったスノウの頭を撫でる。
「あう……」
 いや、だから。涙目で見上げるのはよしてほしい。心の奥底までズバンと撃ち抜かれてしまうから。
「ノエル、しばらくスノウをお願いします。わたしは……支部で情報をしいれてきます」
 いじけるスノウをノエル達に預けて夜道を急ぐ。そうしてトランがやって来たのは昼間スノウの育児グッズを借り受けた施設だった。
 ノエルには言わなかったが、ここはダイナストカバルの経営する施設である。だからこそ簡単に育児グッズを借り受けられたのだ。
 裏口にまわり、そっとノックをして名を告げると、すぐさま扉が開けられた。
「お待ちしていました、極東支部長殿」
「……今は旅の魔術師にすぎません。どうぞトランとお呼びください」
 招き入れられ、茶などをご馳走になる。……土産をもってくればよかった。
「それで……どうなんでしょうか」
 トランは昼間ここに立ち寄ったさいに情報の収集をお願いしていた。
「結論だけ言わせていただきます。この町にあの赤子の親にあたる人間はいません」
「……やっぱり」
 昼間、スノウを連れ歩いてたりしたが、誰からも声をかけられることがなかった。何しろスノウはとびきりに愛らしい、ある意味目立つ赤子である。あまり大きくないこの町を出歩けば、一人くらいスノウを見知っている者に出くわすのではないかと思っていた。
 しかしそんな様子はまるでなく、しかも神殿に届け出を出したにも関わらず連絡は一切ない。
 ……複雑なところだが、民衆は困ったことがあると、まず神殿を頼る。もし親がスノウを探すならば、神殿を真っ先に訪ねるはずだ。そしてスノウの親本人でなくても、あの子を知っている者がいれば連絡ぐらいよこしてもいいはずだ。
「どうしたものでしょうか。いつまでもここに留まるわけにいかないし、かといってスノウを旅に連れていくわけにはいかない」
「トラン殿、私達に子をお預けください。責任もって育てさせていただきます」
「……もう少し待っていただけますか。どういうわけか、スノウはわたし達以外になつかないんです。預けるにしてもまずここに慣らしてあげなければ」
 スノウのためだ。ノエルなら一週間程度の滞在なら喜んで許してくれるだろうし、クリスも文句は言わないだろう。エイプリルは……後で食事でも奢っておこう。
「少ないですが情報料としてお納めください」
 貨幣のつまった袋をガシャリと机の上に置く。トランは少ないと言ったが、音から推察するにけっこうな額がありそうだ。
「極東支部長殿! こんなもの受けとるわけにはいきません!」
「いえ、受け取ってください。あなた方は『スノウの親はこの町にいない』ということを調べてくださった。これは正当な報酬です。それに……」
 にっこりと微笑んで続ける。
「施設の子供達を育てるのにお金はいくらあってもよいでしょう?」
 その言葉で目の前の組織員は黙った。そして神妙な顔で頷き、金を手元に引き寄せた。
「ではこのお金は子供達のために使わせていただきます」
「ではわたしは帰らせていただきますね。引き続き、情報の収集をお願いします」
「はい」
 施設を出ると冷たい風が身を震わせた。
 昼間は太陽のおかげで心地いい気温だが、夜は冷え込んでしまう。
 スノウを拾う事ができてよかったと思う。こんな寒さの中、赤ん坊を置いていたら……考えたくもない。
「スノウはもう眠ってますかね」
 きっと愛らしい寝顔で、すやすやと眠っているのだろう。もしかしてノエルも共に眠っているかもしれない。
 スノウは自分の側で寝かせるつもりだったが、もしそうならば起こすのは可哀想だ。
 宿にたどり着き、ノエルたちの部屋の前で足をとめる。部屋の中からはかすかな話し声が聞こえる。どうやらまだ寝ていないようだ。
 小声で呼びかけて、中からの返事を待つ。
「はーい」
 ノエルが扉を開けてくれた。行きがけに彼女に預けていったスノウはというと、クリスの膝の上にいた。「お帰り、トラン。何かわかったか」
「いいえ。何も……」
 スノウの親がこの町にいないだろうことは、彼らにはまだ言わない。そんなことを言えば、ノエルとクリスはきっと自分のことのように悲しむだろうから。
「……そうか」
 何もわからなかったというのに、クリスからの反論はなかった。いつもならば、『しょせん悪の組織などその程度』くらいはあるのに。
 クリスもスノウを不憫に思っているのだろう。だからこそ情報がなかったことに素直に落ち込んでいる。
「じゃあ、明日はみんなでスノウちゃんのお母さんを探しましょうか」
「……俺も昔のツテを訪ねてこよう」
「私はもう一度神殿に。ノエルも一緒にどうですか」
「はい。ご一緒します。トランさんは?」
「わたしは……宿でスノウと共にお留守番しています。張り紙や伝言が功を奏して親がここを訪ねてくるかもしれない」
 それにスノウもあちらこちら連れ歩かれては疲れてしまうだろうから、宿でゆっくり休ませてあげたい。
 それならば赤ん坊の世話に一番慣れている自分がスノウのそばに残るべきだろう。
「スノウ、こっちにいらっしゃい?」
 クリスの膝の上でうとうとしていたスノウが目を擦りながらトランを見上げた。そして小さな手をトランに向かっていっぱいに伸ばす。
「とー。とー……」
「はいはい。もうねんねしましょうね。帰りましょうか、クリス」
「そうだな。というかスノウを私から取り上げる必要はあったか?」
「ありませんよ。ただわたしがスノウを抱っこしたかっただけ」
「……そうか」
 なぜ微笑ましげに笑うのだろうこの男は。
「スノウちゃん、また明日ね」
「スノウ、バイバイは?」
「……あいあい」
 スノウがノエルに手をふって愛らしい声を出す。……バイバイと言ったつもりらしい。
 盛大に顔をゆるませている少女と男二人に向かって、エイプリルがこっそりため息をつく。
「……スノウに萌えるのはかまわんが、さっさと寝ろ」
「赤ちゃんが可愛いってのは萌えとは違うような……」
「いいから寝ろ」
 ぶつくさ言うクリスの背を押して女性部屋から追い出す。そして思わずスノウのあとを追いそうになっていたノエルの首根っこをつかんで、部屋に引き戻す。
「ああ〜」
「ああ〜、じゃない。もう寝る時間だ」
 二人のやり取りにトランがクスクスと笑みをこぼす。
「では、お休みなさい」
「ああ、お休み」
 トランの前で扉がパッタリと閉められる。スノウはというと……もう夢の中のようだ。
「疲れたのかな」
「きっとそうでしょうねえ。わたしも今日は疲れましたよ」
 部屋に戻って、二人で協力して二つのベッドを繋げ、スノウを真ん中に寝かせる。クリスと地続きの布団で寝ることになるのは複雑だが、これならスノウがベッドから転がり落ちる危険を避ける事ができる。……あとは危険なのは寝相だが、自分はいい方だし、クリスは多少寝相が悪い日もあるが、変に空気をよめるし大丈夫だろう。
「これって川の字だよなあ」
「変な事言うな!? 第一どっちがお母さんですか!?」
「そりゃあ……」
「見るな! そんな目でわたしを見るな! あなたはわたしを嫁にしたいんですか!!」
「男の嫁はいらない」
 『わたしが女なら欲しかったのか』という言葉はかろうじて飲み込んだ。……悩まれたら怖いし。
「いいからもう寝るぞ」
「……そうですね」
 なんだか今のやり取りで最後に残っていた気力やなになにやらを使いきった気がする。
「おやすみトラン、スノウ」
「お休みなさい」
「おあうぃ」
 思いもよらず返ってきたスノウの声に口元をゆるませて、二人は目を閉じた。




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Scribble <2009,09,12>