Point of view 

〜Chapter 1〜


 体で感じていたのは痛みと寒さ、心で感じていたのは恐怖と絶望。
 そんな苦しみの中から彼女の意識を引き剥がしたのは少年の悲鳴だった。
『わあああああああぁぁぁぁぁぁあああっ!!』
 目の前で発せられているはずなのになぜか遠くに感じる。一枚の膜を張られたような、そもそも世界自体が隔たれているようなそんな感じがした。
「……苗木君?」
 彼女――舞園さやかの前で絶望で顔を染めて悲鳴を上げ続けているのは小柄な少年だった。中学生の頃に興味を持ち、一度も話すこともなく別れ、再びこの学園で出会い――二年の歳月を共に過ごしたクラスメイトだ。
「……思い出した」
 ポツリとつぶやいた少女の前で少年――苗木が倒れる。どうやらこの状況に耐え切れず意識を失ったらしい。
「苗木君!」
 倒れる彼を受け止めようと舞園は手を伸ばした。……だが彼は彼女の体をすり抜けて、そのままシャワールームの床に倒れてしまう。
「え?」
 思わず両手を見てしまう。一応透けてはいない、透けてはいないが……。
「どうなっているの?」
 ゆっくりと振り返る。
 そこには苗木が悲鳴を上げた物があった。――腹を刺されて絶命している自分の遺体が。
「あ……。私、私!」
 自分は殺された! いや違う、殺させてしまった!
 自分が彼を――桑田君を殺そうなんて考えたから! それを実行してしまったから! 
 だから、だから! 
 彼は自分を殺してしまった!
 自分が彼に殺人を犯させてしまった!
「ごめん、ごめんね、桑田君。殺されそうになって怖かったよね、殺してしまった辛かったよね……」
 どんなに謝ろうとすでに彼女の声は彼には届かない、時間が巻き戻ることもない。ただただ心に深い悔恨の念が積もるだけ。
『苗木くん、いったいいつになったら君は……うわああああああぁぁぁあ!』
『舞園ちゃん、苗木no
部屋にいるの……きゃあああああああぁぁぁぁぁ!』
 様子を見に来たらしい石丸と朝日奈が自分の遺体を発見して苗木と同じように悲鳴を上げる。と、その次の瞬間、この場にそぐわないような楽しげな声でアナウンスが流れた。
『死体が発見されました。生徒の皆さんは至急体育館に集まってください』
『な、なんだなんだ。いったい何があったんだ!? は、苗木くん大丈夫か!?』
『わ、私みんなを呼んでくる!』
 石丸が倒れた苗木を抱き起こし朝日奈は部屋を飛び出していく。その数秒後にはこの狭い部屋に十四人の全てが集まっていた。そしてかわるがわるシャワールームを――自分の死体を見て、ある者は悲鳴を上げ、ある者は顔を背け、またある者は皮肉な笑みを浮かべる。そんな中で彼の表情はそのどれとも違っていた。
 悲しむように眉根を寄せ、憎々しげに瞳を光らせ、後悔するように口元をゆがめ……。
 ありとあらゆる感情が彼をさいなんでいる。それが一目で察せられる複雑な表情だった。……もっともそれを浮かべたのは舞園の遺体を見た一瞬だけ。他の人たちの元に戻るときには表情をごまかすように目も口も固く結んでいた。……だからそれを見たのは自分の遺体の隣で呆然とする舞園だけだ。
 ……彼らは相談しあった結果、先ほどのアナウンスに言われた通り体育館に向かうようだ。気を失ったままの苗木を大和田が背負い、部屋から出て行く。
「あ、待って!」
 急いで追いかけようとドアノブに手をかけたが、それはかすかにも引っかかることなく突き抜けてしまう。それは何度試してみても同じだった。
「えっと……」
 自分は物に触れることが出来ない。……なら扉自体をすり抜けることが出来るんじゃないか? そう考えた舞園は恐る恐る扉へと指を伸ばし、力強く押し当てた。すると彼女の思ったとおり指は扉を突き抜けてしまう。
「これで追いかけられる!」
 思い切って扉へと飛び込むと、それは何の抵抗もなく舞園を素通りさせた。
「なら壁なんかも!」
 ゴン!
 ……頭をぶつけてしまった。どういうわけか壁は通れないらしい。
「いたたたた」
 いや、実際は痛くはない。ただ衝撃にびっくりしただけだ。
「た、体育館だよね」
 舞園は照れ隠しのように呟き体育館へと走り出した。……そこでまた絶望が待っているとも知らずに。


*   *   *   *   *



『な、なに……』
『こ、これ……』
『ウ、ウソだ……』
『ウソだあああああぁぁぁぁぁぁぁああ!!』
 体育館の扉を潜り抜けた舞園を待っていたのはクラスメイトたちの悲鳴だった。そんな彼らの視線が交わる先には何本もの槍に貫かれ絶命したクラスメイトの死体。そしてその体、自分の遺体を見下ろすように"江ノ島盾子"と名乗った少女が立っていた。
「舞園? あんた何してんの」
「えっと、幽霊になっちゃったみたいです」
「そっか。じゃ、私も幽霊になってんのか」
「あの、何してるんですか」
「見てんのよ、自分の死体を。自分の死体なんて見れるのは一生に一度、このときだけでしょ」
 そう言った彼女の口元に浮かんだのは間違いなく恍惚の笑み。見るものに恐怖を与える絶望の笑みだ。
「どうして……」
「どうしてこんなことになったのかって?」
「それも気になりますけど……。どうして、そんな格好をしてるんですか?」
 江ノ島の顔から笑みが消える。そして爛々と目を光らせて振り返った。
「何? 思い出したの? 思い出しちゃったの!?」
「思い出しました。みんなのこともあなたのことも、ここにはいない彼女のことも」
「じゃあ、あたしが誰かも?」
「わかります」
 彼女がなぜ"彼女"の姿を模倣しなりきっているのか、本来の"彼女"はなぜ姿を見せていないのか、その理由はすぐに思いついた。認めたくない、認めたくはないが、彼女の壊れた笑みが舞園の考えを肯定する。
「あなたたちが、仕組んだんですね」
「そう! ま、あたしはあの子には必要ないみたいだけどねー」
 自分の死体を指し、彼女は笑う。その笑顔にいっぺんの曇りもない。心からの狂喜の笑みだ。
「どうして笑うんですか! 殺されたんですよ! 裏切られたんですよ! どうして……どうして!」
 力が抜けへたり込む。かたく閉じた瞳からはとめどなく涙がこぼれ頬を伝い落ちてゆく。が、その涙は床に落ちたとたん消失してしまう。死者である舞園、そしてそれに属する物は現世に影響を与えられないのであろう。
「アンタにはわかんないよ。あたしの気持ちもあたしたちの意図も。……それで、いいのよ」
 悲しげに付け加えられた最後のセリフと共に、ポンと頭をなでられた。それに驚いて見上げてみれば悲しげに微笑む彼女の顔があった。その瞳の中にはわずかに、ほんのわずかにだが後悔の光がやどっている。
「あたしはもう逝くけどアンタはどうする?」
「ここに、残ります」
「今以上の絶望を見ることになるよ?」
「それでもです」
『えー。そろそろ待ちくたびれたんで始めましょうか、お待ちかねの学級裁判を!』
「……だってさ。絶望を見る気があるんだったらアンタも行っといでよ」
 コクリとうなずいて立ち上がる。絶望なんて見たいわけじゃない、ただクラスメイトたちが心配なだけだ。
「あのさ、舞園」
「なんですか?」
「あたしのかわりに謝っ……。ううん、やっぱいいわ。別に許して欲しいわけでもないし……今更そんな事言えるほどあたしもこーがんむちでもないしさ」
 彼女の足元から黒い何かが湧き出て彼女の体を絡めとっていく。それが何かは彼女、そして舞園にもなぜか分かった。
 それは――闇。死という名の絶望の闇だ。
「じゃあ、あたしは逝くから」
「さようなら、――さん」
「じゃあね、舞園。あたしは――アンタたちのこと嫌いじゃなかったよ」


*   *   *   *   *



 モノクマやクラスメイトたちの集まるその場所で舞園を待っていたのはさらなる絶望だった。
「うそ……そんなこと聞いてない」
 クロの生徒を指名できればクロだけが処刑、そうでなければその他のみんなが処刑される。つまり自分が罪を犯させてしまった桑田が死ぬか、何の罪もないクラスメイトたちが死ぬか……その二つの未来しかこの場には用意されていない。
「いや、いや……」
 首を振りそんな未来を追い払おうとするが時間は刻一刻と進み、議論は真実へと近づき続けている。
 不安げにしたクラスメイトたちの顔、自分の裏切りに傷つく苗木の顔、真実の先にある自らの処刑に怯える桑田の顔……。その全てが舞園の心を攻め立てる。
『さて、投票の結果クロとなるのは誰なのか。そしてそれは正解なのか』
 投票の結果が示される。死刑の宣告が彼になされたのだ。
「やめて。おねがい、やめて」
 舞園の懇願がモノクマに届くはずがない。そして届いたとしても聞き届けるはずがない。
「私が、私が悪いの。だから……だから彼を殺さないで!」
 彼女の叫びもむなしく、処刑は執行される。いずこからか鎖が伸びてきて、その先にある鉄輪が桑田を捕らえ、引きずっていく。
「やめてやめてやめてやめてー!!」
 必死に鎖にしがみつき刑の執行を止めさせようとする。物に触れることが出来なかったはずのその両手はなぜか鎖をつかむ事は出来た。だがそれは何の意味も成さない。鎖の勢いを止めることはおろか、緩めることすらも出来ない。ただ桑田と共にすさまじい勢いで引きずられていくだけ。
 そして着いた先は野球場を模した処刑の場。そこに立てられた柱に桑田の体が固定される。
「桑田君、桑田君!」
『ぐ、げほ……がは、あ、ああ……』
 首をつかまれ引きずられたせいでまともにしゃべれない桑田に泣いてすがる。その彼の表情がさらなる絶望と恐怖で染まった。舞園がおそるおそる振り返ってみてみるとそこには一台のピッチングマシーンがあった。そこに大量の硬球がセットされていく。
『あ……イ。イヤだ……』
 モノクマがぐるりとバットを回し、桑田を指し示す。それと共に投擲が開始された。それは狙いたがわず桑田の肉体に命中し……彼の体を破壊していく。
「や、やめて!」
 舞園が両手を広げ桑田の前に立ちふさがる。だが鎖ですら引き止められなかった彼女が桑田を破壊するために投擲される硬球を止められるはずもない。それらは彼女の体をすり抜け桑田を打ち据える。
『あああああああああああぁぁぁぁぁぁぁぁあああああああっ!』
 それでも彼女は立ちふさがることを止めなかった。たとえ何の意味も成さないのだとしても止められなかった。すぐ後ろで断末魔の悲鳴が聞こえても桑田の前に立ち続けた。
 ……いつしか悲鳴が途絶え、転がる硬球の色が赤に占められる頃、ようやく舞園は座り込んだ。――いや自分の無力さを自覚した。
「ごめんなさいごめんなさい桑田君。私、何もしてあげられなかった。私が悪いのに桑田君を助けられなかった……」
 


 感じ続けたのは耐え難い痛み。そして死への恐怖。――終わることなき責め苦への絶望
「ごめんなさいごめんなさい桑田君。私、何もしてあげられなかった。私が悪いのに桑田君を助けられなかった……」
 自分の悲鳴がうるさすぎて何も聞こえなかったはずの耳が少女の鳴き声をとらえた。
 そうだ、自分はこの少女のことを知っている。努力の末に夢をかなえた彼女は自分の憧れだったではないか。そんな彼女も一緒だからこそ自分はこの学園で一生を暮らす覚悟を決めたのではなかったか。
「なのに、オレは殺した……」
 潰れたはずの喉からすんなりと声がでた。ゆっくりとまぶたを開くと、開かないはずのそれは難なく開き、潰されてしまったはずの瞳も問題なく彼女をうつした。
「舞園……」
 彼女は自分の前に座り込み泣きじゃくっていた。
「ごめんなさいごめんなさいごめんなさい……私が悪いの、私だけが悪いの、桑田君は悪くない」
 自分が殺したはずの彼女は自分の死にひどく傷ついているようだった。それどころか自分は悪くないとまで言っている。
「なあ、舞園……」
「……桑田君!? う……わあああああああぁぁぁぁ」
 自分に気づいた舞園がすがり付いてきた。そして小さな子供のように大声で泣き出してしまう。
「お、おいおいおい。なんで泣くの? なんでオレなんかに抱きつくの? オレ、お前のこと殺しちゃったんだよ?」
「悪くない、桑田君は悪くないもん! 私、私が悪いから、桑田君を殺そうとしたから桑田君は……! だから正当防衛だもん!」
 小さな子供のような口調で、泣きじゃくりながら彼女は繰り返す。そんな舞園を見ているうちに彼女に抱いてしまって憎しみは淡雪のように消え去り、残ったのは二年の間に積み重ねた思いだけ。
「もう、いい。もういいよ、舞園。お前も悪かったけどオレも悪かった、それでいいだろ?」
「悪くない、桑田君は悪くないよ……」
「悪いんだよ。ほら……セレスも言ってただろ? オレは止めることも出来たんだって」
「でも……」
「いいからさ、どっちが悪いかなんてのはもう止めにしようぜ。……舞園ちゃんに泣かれるとオレも辛いしさ」
「……うん」
 ようやく涙を止めた彼女をそっと離す。これからどうしようかと周りを見渡してみると自分の凄惨な遺体が見えた。
「う……」
 込みあがる吐き気を抑えて急いで目をそらし、他に視線を走らせる。……すると傷つき、落ち込んだ様子のクラスメイトたちがずるずるとエレベーターに向かって歩いていくところだった。
「ほら、急ごうぜ。早くしないとこんなところにおいてかれちまう」
「う、うん……!」
 クラスメイトに引っ付いてエレベータに乗り込み、そして食堂まで帰ってきた。外には出られてはいないものの、あの処刑場から出てこれて幾分気分がほっとした。
「そういや江ノ島はどうしたんだ? オレより先にモノクマに殺されてただろ」
「……彼女はいっちゃいました」
「あの世に、か。オレ達はどうする? っていうかあの世ってどう逝きゃいいの?」
「さ、さあ……?」
「しゃーねえな。ここに残ってこいつらを見守るとするか」
「何も、出来ませんけど」
「でもさ、死んだやつを迎えてやる事はできんじゃん。……誰も死なない方がいいけどさ。もし死んだとき一人じゃないほうが安心すんだろ」
「桑田君も……桑田君も安心したんですか?」
「安心っていうか――舞園が泣いてたから、泣いてくれたから憎み続けなくてすんだ」
 めいっぱいの笑顔を浮かべ続ける。
「こうして笑ってこいつらのこと見守ってやれる」
 それは紛れもなく本心だった。彼女の涙を――後悔と謝罪の涙を見ていなければ、自分はこうして笑ってなどいられなかった。きっと憎しみにとらわれたまま地獄にでも落ちていたのだと思う。
「……ありがとう、桑田君」
 控えめに微笑む彼女の笑顔。
 ああ、自分はこの笑顔が本当に好きだった。いや、死んだ今でも大好きだ。
「みんな、思い出すといいな」
「そうですね。そうしたらこんなコロシアイ生活は絶対に終わるのに」
「……オレたちが最初で最後の犠牲者だといいな」
「……うん」
 クラスメイトを見守る死者たちの願いもむなしく――絶望はさらに加速していくのだった……。




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