Point of view
〜Chapter 2〜
彼に死への恐怖はなかった。そして自分を殺した彼への恨みもなかった。
ただ彼は困惑していた。何故、彼はあんなにも怒ったのだろう……。
ゆっくりと倒れ付したまま考える。すると答えはすぐに導き出せた。……いや、思い出した。
彼は自分と"彼"にだけは話してくれたではないか、自分の兄のこと、それに関する全てを。一年をクラスメイトとして過ごし、残りの一生を共に過ごすと決めた仲間たちにも話さなかったことを自分たちにだけは話してくれた。その時彼は自嘲気味に言ったのだ『オレは弱い。自分の秘密をさらせるオメェの強さがうらやましい』と。
だから、だからじゃないか? 彼が怒ったのは。――そう、きっとそうだ。
だったら彼は悪くない。自分が何も覚えておらず、彼を傷つけるようなことを言ったから彼は激昂して――自分を殺してしまったのだ。
「大和田君、ごめんね」
不二咲の瞳からポロリと涙がこぼれた。ポロポロと涙をこぼしながら最期の瞬間を待つ。……がそれはいつまでたっても訪れなかった。自分の意識はクリアなまま、途絶えそうにない。
「えっとぉ……」
瞳を開ける。手を突いて起き上がる。その動作に何の違和感もない。
「……僕、死んだよねぇ?」
周りを見渡すが、ここがあの世には思えない。ここは自分の死んだ男子更衣室だ。
「でも」
しかし自分の体は見当たらない。もしかして自分が死んでからそんなに時間がたってしまったのだろうか。
「誰も……いない」
……っ!
急に怖くなった。死の間際にも感じなかった恐怖が今更不二咲を襲った。
「僕、一人きり? こんなところでずっと一人でいなきゃならないの?」
更衣室を出て他の場所に行けば生きたクラスメイトはいるのかもしれない。だが彼らが自分に気づくことはない、そして彼らが自分に話しかけてくれることもない。……それでは、誰にも認識されなければ一緒にいるとはいえない!
「怖い、怖いよ。一人は嫌だよぉ……」
瞳を硬く閉じて肩を抱き、その場にへたり込む。今、彼を視認出きるものがいれば彼が震えているのが分かっただろう。
「嫌だ、怖い、怖い……一人きりなんて嫌だぁ」
ああ、自分はこんなにも弱い。彼が言うような強さなんてどこにもない。
「一人きりじゃありませんよ」
「え……」
目を開いて声のした方を見上げる。するとそこには優しげに微笑む舞園と桑田の顔があった。
「一人じゃありませんよ、私たちもいますから」
「死んだとき一人じゃないほうが安心するって言ったのはオレだけど、こんなに早く実行する羽目になるなんてなあ」
優しく背中をなでてくれる舞園と困ったように頬をかく桑田は"自分の知る"彼らに間違いない。
「う、ううううぅぅぅ……」
かろうじて鳴き声はあげずにすんだ。だが涙までは止まってはくれなかった。ポロポロを通りこしてボロボロとあふれ続ける。
「ばっか……泣くなって! ほら、男だろ?」
桑田が自分の服の袖でガシガシと涙を拭いてくれた。それでも涙はなかなか止まってはくれなかったが懸命に努力して涙を止めることに成功する。
「えっとぉ、僕が男だって知ってるの?」
「知ってるつーか思い出したってゆーか。な、舞園?」
「不二咲君も思い出したんじゃないんですか?」
そうだ、自分は思い出したんだ。彼らクラスメイトと過ごしたこの上なく楽しい一年とお互い協力しあって過ごした二年目のことを。
「……うん。思い出した、思い出したよ」
不二咲の口元にわずかに微笑が浮かんだ。思い出した記憶はそれほどまでに楽しく、大事な記憶だったのだ。
「ん」
桑田の差し出した手にすがり立ち上がる。もう孤独の恐怖はない。自分は一人きりではない、大事なクラスメイトが共にいるのだから。
「不二咲……どうする。見に行くか?」
「見に行くって……何を?」
「……お前の学級裁判。もう半分くらい過ぎてるけど」
「……え?」
「はじめは死んだはずの不二咲君が見つからないから、もう逝ってしまったと二人で思ってたんですけど」
「本当の現場がこっちだってわかって飛んできたんだよ」
「そ、そういえば僕の体は? 何でここにないの」
舞園と桑田が顔を見合わせて眉をしかめた。言うべきか言わざるべきか、数瞬悩んでいたが舞園が口を開く。
「不二咲君の体、あなたの遺体は女子更衣室にあります」
「はっきり言って見ないほうがいいと思うぜ? どっかのバカ眼鏡がアホなことしでかしてるから」
「……でも、見たい。自分がどうなったか知りたいよ」
「そっか」
そうつぶやいた桑田に手を取られ歩き出す。更衣室の扉へと歩き、閉じた扉へとのそのまま激突……
「あれ?」
……はしなかった。
「私達は幽霊ですよ。これくらいすり抜けられるんです」
壁なんかはダメですけどね、と付け加えながら舞園がそう説明してくれる。
「不二咲、遠慮なく悲鳴上げてもいいぞ。男だからとか何も気にするな」
そう桑田に言われてから女子更衣室の扉をくぐる。そこにあったのは想像もしていなかった凄惨な光景だった。
「わああああああぁぁぁぁぁあああっ!?」
そこにあったのは自分の死体。両手を縛られ、首をつられ――はりつけにされた血まみれの自分。そしてその背後に書き記された『チミドロフィーバー』の血文字。
「ち、違う!? 違う違う違う!!」
彼はあんな殺人鬼なんかじゃない! 彼は、彼は……!
「違う、こんなの違う! こんなこと大和田君がするはずない!」
「……そっか、お前を殺したの大和田なのか」
「違うよ、大和田君は僕を殴っちゃったけど……こんなことぜったいにしない!!」
「安心してください、コレをしたのは大和田君じゃありません」
「……大和田君じゃない? 本当? 本当だよね?」
「さっきも言っただろ? これをしたのはあのバカ眼鏡……十神だよ。ったく何考えていやがんだか」
生きてりゃ絶対殴ってやったのにとつぶやきながらバリバリと頭をかく桑田。その背後で女子更衣室の扉が開き、霧切を先頭にクラスメイトたちがぞろぞろと入ってきた。
『で、霧切さん、何をするの?』
『もう一度調べるのよ』
『ここはさんざん調べたぞ!』
「そのわりには役に立っちゃいねーよな、石丸」
そんな桑田の茶々は彼らにはもちろん届かずに会話は続く。
『もう一度彼の死体を調べるのよ。――じっくりとね』
『ししし死体を!?』
『ぼ、僕は男だから女性の体にベタベタさわらない方がいいだろうな』
『なら我がやろう』
『さくらちゃんが!?』
「大神さんが!? ま、待って待って! 僕は男だから! だから大神さん待ってー!?」
しかしそんな不二咲の懇願もむなしく、彼女はたんたんと調べていき、そして手が止まった。
『こ、こいつは――男だっ!?』
……何を大神が確認してしまったのか、それは彼女と彼のためにも伏せておくべきだろう。
「ああ、どうしよう。僕、もうお婿にいけない」
「いえ、いけませんから」
「もう死んでるしな」
しかし今のショックで不二咲はある意味立ち直ったらしい。もう死体を見ても顔を青くするだけで悲鳴も涙もこぼさなかった。
「で、これからどーするよ」
「……僕の学級裁判、途中なんだよね」
「らしいですね」
「見に行きたい」
ぐっと拳を固め二人を見据える。その瞳の中には強い意志の光。大和田に強いとまで言わしめた心の強さがそのまま光となって宿っている。
「……学級裁判の果てに待っているのは大和田君の死か、他のみんなの死か。そのどちらしかないですよ?」
「でも、見届けたい。僕の、事件だから」
「……ならとっとと行くぞ。今なら出てったあいつらに追いつく。死んでるとはいえ一階から地下に飛び降りんのは嫌だろ」
「う、うん」
「行きましょう、不二咲君。最後を見届けに……」
* * * * *
『オレは……殺しちまった。オレが弱いから――いつまでも過去を乗り越えられなかったせいであいつを殺しちまった!』
真相は暴かれ犯人が特定され……そして大和田と不二咲の隠していた秘密もばらされ、裁判の全てが終わった。
しかし今の大和田の瞳に恐怖は見て取れない。深い後悔だけが、彼の心を占めているのだろう。
『モノクマ……おしおき始めんだろ。オレはどうすりゃいいんだ』
『ふんふん。覚悟完了ってヤツ? やっぱ大和田君は強いねー、自分から処刑されに行くんだもんねー。天国にいるお兄さんも見直してくれるよ、きっと』
『ぐっ……。いいから言えや』
『ああ、あっちあっち! 大和田君のためにスペシャルなおしおきを用意しました!』
モノクマに先導され大和田が処刑場へと歩いていく。……一瞬だけ、脱力し座り込んだ石丸に視線を合わせるがすぐにそらしてしまう。唇を血のにじむほどにかみ締め、ただ前を見据える。――罪を犯した自分には彼に遺せる言葉は何もないと言わんばかりに。
――そして、大和田紋土のおしおきが始まる。
改造されたバイクに括り付けられ、硬い鋼鉄の網で作られた球体の中で延々と走らされ続ける。それはサーカスなどで見るならば楽しい見世物なのかもしれない。だがこれはおしおきなのだ、それだけですむはずがない。
『グ、ガアアアアァァァァァアアッ!』
大和田を飲み込んだままの球体に電流が流される。さっきまで必死で耐えていたのであろう悲鳴がとうとう大和田の口から飛び出した。
『わあああああぁぁぁぁぁぁああっ!』
それと同時に別の場所でも声があがった。それが誰の物なのか、確認する必要も考える必要すらもない。これは大和田を"兄弟"と呼んだ彼のものだ。大和田のことを最後まで信じ、自分の死の危険さえもかえりみずに投票をはずした石丸の慟哭……。
『あああああああぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁああああっ!』
それは長く続いた。喉が潰れるのではないかというほどに大きく、息をしているのかと疑いたくなるほど途切れなく、大和田の声が途切れてしまってもなお続く悲痛な叫び。
――絶望の、悲鳴。
「くそっ!」
「もう、見てられない!」
桑田と舞園が視線をそらす中、不二咲は前を見続けていた。悲鳴をあげぬように口を押さえ、涙がこぼれぬようにまばたきを我慢し、目をそらしたい衝動を必死に抑えて前を見続ける。
だって自分は決めたのだから、見届けると自分で決めたのだから。だから――彼の最期も見届けるのだ。
いつしか流されていた電流は収まり、鋼鉄の球体の中が見えるようになっていた。……しかしその中に大和田の姿は見られない。カラカラと乾いた音を立てて勢いをなくしたバイクが回っているだけだ。
「お、大和田君は?」
服はきっと電流で焼き切れてしまったのだろう。――しかし体は?
大和田自身はどこにいってしまったのだ?
――球体の前に設置された鋼鉄の箱にランプがともる。それの三つ目のランプがともったとき、両手に収まる程度の箱が吐き出された。
桑田が恐る恐る近づき、それを確認すると、それにはこんなシールがはられていた。
――大和田バター。
「……不二咲と石丸には悪いけど。これから大和田の幽霊が出てきたら笑うぞ、オレ」
「ああ、笑わずにすんでよかったなあ?」
「お、お早いお目覚めで」
頭をがっちりと固定されているせいで振り向けないが、般若と化した彼が後ろに立ってる事は桑田にだって予想ができる。
「なんなら分けられた本体部分を見てみるか? 我ながらグロいことになってっから」
「いいって、見たくないって! つーか笑ったりしねえから放してくれって!」
大和田はポイっと桑田を投げ捨てるとクルリと振り返った。その視線の先には必死で泣くのをこらえている不二咲の姿がある。
「……不二咲」
「お、おおわだくん」
不二咲の大きく見開かれた瞳が一度しっかりと閉じられる。その拍子に瞳のふちにたまっていたのだろう涙が零れ落ちた。
「――すまねぇ」
「……大和田君っ!」
不二咲が大和田に飛びつく。そのまましっかりと抱きつき、今までこらえていたものを全て吐き出すかのように大声で泣き出してしまう。
「いいよ! もういいよ! もういいんだ! だから、だから……!」
何がもういいのか。そのことを不二咲は何も言わない。それは言わなくても伝わるだろうなどという希望的観測などではない。不二咲は大和田が犯してしまったこと全てに対して『もういい』と言っているのだ。
「だからもう……謝らないで」
「……わかった。だからもうオメェも泣くな。……な、不二咲?」
「……うん」
もう一度硬く目を閉じて瞳にたまっていた涙を全て追い出す。そして袖先で涙をふき取ると彼の顔を見上げ、ぎこちなくではあるが笑顔を浮かべた。
「そうか。やっぱオメェは強いな」
そう言って彼も微笑み返してくれる。……自分と同じくぎこちないものではあったが。
「そうだ、石丸君は!?」
石丸のいる場所に視線を走らせると、彼のそばにいつの間にか舞園が立っていた。彼女は自分の方に視線がうつったのを知ると悲痛な面持ちで首を横に振った。
「……兄弟!」
「石丸君!」
さすがにもう悲鳴は上げてはいない。……が、それは単に悲鳴をあげる気力すらもなくなってしまっただけのことだろう。彼の意志の強さに満ち溢れた瞳からはすっかり精彩が消え、その焦点はもうどこにもあってはいなかった。
「兄弟、すまねえ……!」
壊れてしまった石丸を大和田は抱きしめた。しかし抱きしめることはできたが、それが彼に伝わっている様子はない。彼の瞳に光が戻ることもなく、視線が大和田に合わさることもなく、唇を半端に開いたまま何かをつぶやいている。
『……、……』
大和田や不二咲への謝罪か、それとも何の意味をなさない音の羅列にすぎないのか……それはわからない。もれ出る彼の声は音として聞き取るには小さすぎる。
――絶望。
この場にいる誰よりも、死んだ自分たちより深い絶望の底に彼は沈んでいるのだと、理解せざるをえなかった。
『……石丸クン』
彼を呼ぶ苗木の声に反応して石丸がすうっと首を動かした。
『もう、上に帰ろう? ……大和田クンもきっとそうしてほしいと思ってるよ』
「ああ、ああそうだ苗木! 頼む! 兄弟を頼む!!」
いまだ自身を取り戻さない彼の手を引く苗木の背に強く、強く願う。
どうかお前たちだけは生き延びてくれ、自分たちの分も生きてくれ、と。
――だがその願いは数日後、絶望に沈むことになる。
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