Betrayal



 辿った装身具その先に、天の箱舟――そして自分の弟子はいた。
「ひさしいな、ノーヴェ」
 久しぶりに言葉を交わす弟子はきらきらと瞳を輝かせながら笑った。
「はい。おひさしぶりです、イザ師匠。前に言ってくださっていた通り、私を探しに来て下さったのですね」
 そのまま駆け寄ってきそうな弟子を手で制する。
 彼女は少し離れていた間にずいぶんと成長したように思える。手も足も自分に比べれば細く思えるが、しっかりとした筋肉が見てとれる。背中に背負った剣でもそうだ。以前なら、あんな業物を使えはしなかった。それを自在に操れるようになったのだから、成長したと思えるという言葉は間違いだろう。
 ノーヴェは自分などいなくても立派に成長している。
 その事が少し悲しく、そして誇らしい。
「ノーヴェ。女神の果実をこちらによこしなさい。それは私が天使界に届けよう」
「どういうことですか? 一緒に持ってゆけばいいのでは」
「アンタまさかノーヴェの手柄を横取りする気?」
 蝶の羽を持った少女が指を突きつけながら問うてくる。……手柄などはどうでもいい。そんなものより自分が大切なのは……。
「イザ師匠? 教えてください」
「……黙れ、ノーヴェ」
 拒絶の意思と力をのせて言葉を発する。言葉は言霊となり弟子の身を縛る。
「上級天使の言葉には逆らえぬ。……天使の理を忘れたか」
 ……ああ。もしかしたら本当に。彼女はその存在を忘れていたかもしれない。なぜなら自分は……その理を一度も持ち出したことがなかったのだから。
「……」
 ノーヴェの瞳が大きく見開かれる。その瞳が表情の全てが自分に訴えかける。
 なぜ? と……。
「……っ!」
 言ってしまいたかった。全てを話して楽になりたかった。きっと彼女は自分の無茶無謀に怒りながらも自分を手伝ってくれるはずだ。
 だが、それは許されない。
 自分は彼女の信頼よりも、自分の信じるべき道をとったのだから……。彼女と天使界を守るために、あの方を救うために神から目をそらしたのだ。
−イザヤール。女神の果実を……−
 惑う自分を現実に引き戻す皇帝の声。……ああ、そうだ。自分は見張られている。疑いをもたれるわけにはいかないのだ。それこそ全てを危険にさらす最悪の道……。
「な、ナニよ。何なの今の声? マジわかんない!」
 少女がノーヴェの背に隠れる。背後でノーヴェの拘束を解こうと努力しているみたいだがまったくの無駄だ。彼女は物理的に縛られているのではない。彼女は天使界の理に―自分の言葉に―縛られているのだから。
「ちょっとノーヴェ!」
 少女があせるのをよそに剣を引き抜く。
「……イ、ザ……ししょ」
「黙れ、ノーヴェ!」
 縛られながらも必死に言葉をつむごうとする弟子の、その行為を否定する。
 名を呼ばれてはいけない。彼女を裏切ることが出来なくなってしまうから。
「……!?」
 とうとう涙を湛え始めた瞳を見ぬように、手のひらで彼女の瞳を覆い隠す。
 自由を奪われ、言葉を奪われてもまだ、彼女は自分に問うている。
 なぜ、こんなことをするのですか、と。
 これ以上、彼女を見ていることはできない、彼女に問われてはいけない。
 ……次、問われたら。きっと自分は……黙っていることなど出来やしない。
 ゆっくりと剣を振り上げる。きっと気配で斬られると感じ取ったのだろう、手のひらを大粒の涙がぬらした。
「女神の果実は、もらってゆく」
『イザ師匠!!』
 剣を振り下ろした瞬間、発せられるはずのない言葉が、心身を貫き、えぐった。
 ……耐えろ。
 こんな痛み、ノーヴェの痛みに比べれば些細なものだ!
 一刀で意識を失った弟子の体を出来る限り無関心を装って見下ろす。意識こそ失ったが重篤な怪我は負わせなかったはずだ。
 魔力を放ち、扉を破壊する。女神の果実を手に入れてしまえば、これ以上弟子を傷つける必要も、ここにいる必要もない。……弟子を切り伏せたこの場から立ち去ることが出来る。
「……。……」
 彼女に届く事はない謝罪の言葉を告げて、イザヤールは天の箱舟を飛び立った。




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Scribble <2010,09,05>