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「ヌシ様、どうか正気に戻ってください!」
 背後からオリガの悲鳴が聞こえる。だが振り向く余裕などない。暴れ狂う大魚から傷ついた仲間たちと彼女を庇うように盾を構え、剣を握りなおす。
「トレ!」
「もう、少しお待ちを……。――ベホマラー!」
 トレの魔法が体を癒す。が、全快はしてはくれない。彼女の魔法だけでは癒しきれないほどの怪我を大魚がヒレを動かすたびにおわされ続けている。……このままだと先はない。
「クワットロ!」
 傍らに立つ仲間に一声かけて走り出す。あの巨体に剣でチマチマ切っていてもたいしたダメージにならないだろう。ならば魔法で焼ききるか、全体重をかけて刺し貫くしかない。
 だから自分はそのスキを作るための囮になる。
 自分の考えを読み取ってくれたのか、それとも同じ事を考えたのか。背後からウーノの呪文詠唱とクワットロの静かな足音が聞こえてきた。
 わざとらしいまでに大きく剣を振りかぶり大魚に斬りかかる自分の背を踏み台にしてクワットロが跳躍する。一瞬体勢を崩すがすぐに立て直し剣を大魚へと滑らせる。
 その時、ふと青い物が目にかかった。
 それは天まで届くような、水平線をうめつくすような青の壁。それが津波だと、自分たちへ向かって放たれたのだと気づいたのは、その幅が狭まり、壁の厚みと威力が濃縮された時だった。
「クワットロ、ウーノ、トレ!」
 クワットロの剣が大魚を刺し貫く。が、動きを止めるにはいたらない。刺した剣が抜けないのを見た彼はすぐさまそれを諦め大魚から飛び降りた。そして無力な少女を津波から守るためにオリガの元にかけてゆく。
「赤く赤く燃える炎。我が望むのは速やかな焼却……」
 呪文の詠唱を続けるウーノの声は未だに途絶えない。
「間に合わない……!」
 ウーノの前に立ち、彼を背後に庇う。盾を構えた程度であの津波を防ぐこともウーノを守りきることもできないとはわかりきってはいるが、それでも何もしないよりマシだ!
 凶器と化した大量の海水がノーヴェたちを襲う。彼女らにそれに抗う術はなく、ある者は吹き飛ばされ、ある者たちは押し潰され、その意識を奪われていく。
「……う」
 ノーヴェが頭をふって起き上がる。そして仲間たちの安否を確認しようと振り返り、それを見た。
 岩壁に叩きつけられた少年のあり得ない方向ねじ曲げた腕を。
 津波と共に押し寄せてきた漂流物から少女たちを庇ったのだろう青年の流され続ける大量の血を。
 無力な少女を庇いつつも必死で仲間たちを癒そうとしていた娘の手に宿った魔法の光が消えていくその様を。
「あ……あああぁぁぁああ!」
 まだ命はたたれてはいない。いないが、この状況を好転させるすべはノーヴェに残されはいない。ならば行き着く先は一つだけ。
「……助けて」
 人となった守護天使が救いを求めて声をあげる。しかし彼女を救う神もなく、支え続けてくれていた仲間たちは地に倒れ伏している。
「助けて、誰か……誰か助けて助けて助けて!」
――ノーヴェ!
「え?」
 彼女のよく知る声が天空より響いた。しかし誰だとは断言できない。それは天使長オムイの声であり、尊敬する先輩天使らの声でもあり、共に研鑽を重ねた見習い天使らの声でもあり、敬愛する師匠イザヤールの声でもあった。
 そしてその声に呼応するように、青空に輝く星が現れる。その星の輝きは十になり数十になり数百になり……輝く太陽よりなお明るく空を染め上げる。
 星が落ちる、大魚に向かって。数百におよぶ星々の全てが大魚に狙いを定めて落ちてくる。
 自らを撃つ無数の星々に大魚も抵抗はできず、その動きを弱めていく。
 しばしその光景に目をとられていたノーヴェだったが、ハッと我に返ると一目散に仲間たちの元に駆け寄った。そして残り少ない魔力を振り絞り彼らと少女を癒す。
「皆、目を覚まして!」
「……おれ、生きてる……?」
 ウーノが首をふって起き上がり、クワットロは起き上がると同時に少女の安否を確認し、自らの背後に彼女を庇う。
「ノーヴェさん、あれは……」
 同じく目を覚ましたトレの視線の先ではまだ星々が大魚を撃ち続けている。ノーヴェは自らの視線もそれへと注ぎ、確信をもってこう言った。
「天使界の皆が、助けにきてくれた……!」
 星となった天使長が、先輩たち友人たちが、師匠が――ノーヴェを救うために天空より降りて来てくれている。
「皆消えてしまった、死んでしまったものだと思ってた。けどそうじゃなかった。皆はちゃんと空にいる。姿は変わって話すことも出来なくなってしまったけれど、ちゃんと空にいる」
 ゆっくりと弓をつがえる。……剣で直接斬りかかったとしても、彼らはちゃんと自分を避けてくれるのだろうけど、助けに来てくれた彼らの手を必要以上に煩わせたくない。
 わずかに残った魔力全てを、ただ一本の矢に込め大魚を見据える。
「大丈夫。皆が助けてくれるんだから……私もそれに応える!」
 ノーヴェのの手から放たれた矢が輝線を描きながら大魚へせまる。それは大量に降り注ぐ星々を一つたりとも傷付けることもなく大魚へといたり、打ち据える。込められた魔力が感応し激しい閃光を放ち、ノーヴェの視界を白く染め上げた。その白い世界の中で、彼女は彼らの言葉を聞いた。

――よく世界を救ってくれた――ありがとう、ノーヴェ――お前のおかげで人の世の幸福は守られた――だから今度は我等がお前を見守ろう――だからどうか――どうかお前も幸せに――

 視界が戻り、白い世界が消える。
 あれほど降り注いでいた星々は一欠けも残されておらず、ただ大魚が苦しそうに身をよじっていた。
「……あたたたた。いやあきいたきいた。すっかり眠気がふきとんだわ」
 大魚……いやツォの浜のヌシが喋る。
「……ヌシ様?」
 クワットロの背後に隠れたままのオリガがそっと問いかけると彼(?)は嬉しそうに尾びれを揺らしこう言った。
「お? おお! おぬしがオリガじゃな? おぬしの父より預かりもんがあるよ」
 ふんわりと優しく輝くそれがオリガの手元に下りてくる。それは彼女の手のひらに包まれると、発光を止めてその姿を現した。
「これ……お父さんのお守り!」
「死してもなお子を思うその思いがそれをわしのところまで届けたのだ。大事になさい」
「はい!」
「そしてノーヴェ、辛き道を自ら選んだ優しい娘よ。寝ぼけていたとはいえすまぬことをした。まずは怪我を癒そう」
 鯨が潮をふく要領でヌシが水を噴き上げた。……いや、それは水ではない。霧状の癒しの魔法がノーヴェたちへと降り注ぎ、全ての傷と疲労を癒していく。
「おぬしを愛するもの達より、これを預かっていたよ」
「……それは!」
 それは黄金色の果実だった。世界樹なき今、実る事はもうないだろうと思っていた女神の果実だ。
「おぬしが愛する者達は、おぬしが彼らを愛するのと同じようにおぬしのことを愛している。その果実がその証拠。その実でかなえられる願いは決して多くも大きくもない。しかし必ずやおぬしに光を与えてくれるだろう」
「光?」
 ノーヴェが渡された女神の果実に目を落とす。それをオリガは何かを悩んでいると見て取ったのだろう、小さく声を上げて頭を下げる。
「ごめんなさい。あたしがいちゃ願い事いえませんよね。あの、旅人さん。ありがとうございました。あたし、家に帰ります」
 オリガの背中を見送って、仲間たちの顔を見回す。彼らは皆優しい笑顔でうなずき、ノーヴェに女神の果実をすすめる。
 目を閉じて、心の底に仕舞いこもうとした願いを思い浮かべ、果実をかじる。
 そして、ノーヴェが目を開けた時……彼女は自らの世界と友の一人を取り戻した。


 もう、彼女に出来る事は今はない。
 あとは彼女らに任せよう。
 天使としての自分を捨ててでも友を思う彼女らに。

 
 セントシュタインのリッカの宿屋の前で掃除をする少女がいる。彼女は城からの道に薄茶色の髪の女性を認めると深く頭を下げた。
「あ、お帰りなさい先生。ルディアノの調査は進みましたか?」
「ええ。順調に進んでいるわ。……ノーヴェは?」
「……まだです。本当にあの子はどこで迷子になってるんでしょう。ずっと、待ってるのに」
「そうね。でも明日には帰ってくるわ。いつものようにただいまって言って宿屋に帰ってきて……私たちの顔を見て驚きながらも喜んでくれるはずよ」
「……はい。わたし、ノーヴェが帰ってきたら真っ先にお帰りなさいって言うんです。だってわたしはノーヴェのために」
 そこで少女のセリフが止まった。少女の視線の先には褐色肌の娘が――少女が待ち焦がれていた親友がいる。彼女はしきりに瞬きを繰り返し、信じられないものを見るように二人を見つめていた。
「……ニオ、ラフェット様?」
 名を呼ばれた少女と女性が華やかな微笑を浮かべ彼女を呼ぶ。
「……ノーヴェ」
「ノーヴェ、お帰りなさい!」


愛する者のため人になった守護天使は
同じく愛する友人のために地に降りた天使らと再会を果たした
ならば彼女はもう二度と孤独に絶望する事はない
なぜならば彼女には頼るべき人と愛する親友
そして共に苦難を乗り越えてきた信頼する仲間たちがいるのだから

これより先、彼女は彼らと共に幸福な物語をつむいでいくことだろう 
――ただ一人の、人間としての物語を―― 









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