Pass each other



 クリスは悩んでいた。
 深く深く悩んでいた。
「なんで、あいつは何もしてこないんだ……」
 クリスがトランといわゆる恋人同士という関係になってから、はや数週間。クリスは未だに清い付き合いである自分たちの関係に若干の不満を抱いていた。
「恋人同士って、こう……あんなことしたりこんなことしたり、色々もっとこう……」
 部屋の中でだが、手を繋いだことはある。
「……トランの指、細くて長くて……きれいだったな」
 抱き合ったこともある。
「細いわりに体つきはしっかりしてて……」
 キスも、まあある。小さな子供にするような軽いキスだが。
「意外に唇が柔らかくて……」
 クリスの顔がゆるむ。
 脳内に浮かぶのは愛しい恋人の姿。
『クリス……好きです』
「うん。私もトランが好きだ」
 思わず脳内の恋人に返事をする。脳内のトランはクリスの望むがままに、甘い微笑を浮かべて言った。
『愛しています』
「なら、なんで……」
 幸せな妄想から覚め、叫ぶ。
「全然手を出してこないんだー!?」
 ……彼は、隣室のノエル達が出掛けていたことを感謝しなければならない。それほどの大声だった。
「キスだってもっと濃厚なのがしたい! 抱くにしたって、もっとこう……性的な意味で!」
 何てことを叫んでいるんだろう、この男は。
 まあクリスもうら若き少年。欲求不満気味なのだろう。
「でも……」
 性的な意味でといってもどうすればいいんだが。
 男同士の行為がどんなのかは大まかにだが知っている。
 いや、経験があるわけではなく……、うっかりそういう現場を覗いてしまったことがあるのだ。しかもしっかり見つかって、お互い気まずい思いをしてしまった。
 もしもクリスがマティアスの直弟子でなければ、その場で喰われていたかもしれない。
「次の日とか辛そうだったよなあ」
 さして線の細い人ではなかったが、朝から辛そうにしている日が多々あった。
 何も知らなかった内はただ体が弱いのだなと思っていたが、今思うと……さんざんヤられて疲れ果てていたのだろう。
「だとすると……体力のある私が女役する方がいいのかなあ。……経験もないし」
 クリスにも男役女役に深いこだわりはない。
 彼はヤりたいのでもヤられたいのでもなく、ただトランと情を重ねたいだけなのだ。
「わ、私から誘った方がいいのかな……」
 誘うにしてもどうすればいいのやら……。
 うっかり見てしまったのは最中だけなので、前後はどうしていたのかはわからない。
「こんなこと相談出来ないし……」
「何をだ?」
「……っ! エイプリル!? ノックも無しに入ってくんなよ!」
「ノックしたのに無視したのはそっちだろ」
「そ、そうだったか。……すまない」
「いや、いい。ノエルが焼き菓子を買って来たから皆でお茶にしようだとさ」
「……トランは?」
「さっき帰って来てお茶の準備してる。……クリス」
「な、何?」
 お気に入りのおもちゃを見つけたようなエイプリルの笑顔に恐怖を感じる……。
 しかし彼女はそんなクリスの様子を気にするでもなく、指を一本立てた。
「ワイン一本」
「……は?」
「ワイン一本で男の誘い方を教えてやる」
「……なっ!?」
 何でそんなことを! どこから聞いていた!? 聞き耳たてるな!?
 言いたいことは山ほどあるが、口はパクパクと動くだけで声が出てくれない。
 そんなクリスの胸を叩き、余裕たっぷりの微笑でエイプリルは言った。
「夜までに用意しておけよ?」
 悠然と部屋から去るエイプリルを見送って……。はっと我にかえる。
「……ワイン、か」
 クリスは財布をポケットにねじ込み、ノエルたちの元に向かうべく部屋を後にした。




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Scribble <2009,04,19>