History not chosen

Rest period T


 なぜだろう? 感覚がひどく遠い。あれほど痛かった体も全然痛くない。
『トランさん……』
『……トラン!』
『トラン』
『トランー』
 耳に届くのはノエルをはじめとする仲間たちの声とアルテアの声。
 ……死の直前に聞く幻聴としては上出来だ。
「トラン、目を開けなさい」
 ……ユージンの声!?
「……ぁぅ」
 微かにだが喉が確かな音を発した。
 体が、動く……!
 体に残るエネルギーを総動員してまぶたを動かす。
「トランさん!」
 泣きながら笑ったようなノエル。
「……トラン」
 今にも泣き出すんじゃないかというような顔のクリス。
「トラン」
 目じりにうっすらと光るものを宿したエイプリル。
「トランー!」
 顔中ぐしゃぐしゃにして自分に抱きつくアルテア。
「トラン、意識はしっかりしているか」
 そして安堵の表情をしたユージンの姿があった。
「ここ、は……? わたしは、生きているのですか?」
 それとも彼らも死んでしまったのだろうか。
「当たり前じゃないですか!? トランさんは……トランさんは生きてるんですっ!」
 いよいよ完全に泣き顔になってしまったノエルと泣きじゃくるアルテアをなぐさめるために起き上がろうとした。……だが上手くいかない。手をつこうとしても、出来ないのだ。
「あ……あれ?」
 というか肘から先がまったく動かない。
「あの、手を貸してもらえますか? なんだか手が動かなくて」
 ノエル達の顔がいっそう暗くなる。彼らは視線を交わしあい、何かを促しあっている。
「……トラン、気をしっかりもてよ?」
 掛布がめくられる。そうして現れた光景にトランは目を見開いた。
「あ、ああ……っ!?」
 自分は新しい服に着替えさせられていたのだが……腕の部分が明らかにおかしい。……手がない。ただ隠れて見えないというレベルではない。肘から先の部分に何かが入っているような膨らみがないのだ。
 恐る恐る腕を上げてみる。腕は確かに動いたが、その部分はただ重力に任せて垂れ下がるのみ。
 ……明らかにそこには何も、ない。
「腕! わたしの手がっ!?」
 頭が白く染まる。……錯乱する。
「トランさん!」
「トランー!」
 少女二人の呼び声に引き戻される。意識が理性的に状況を分析しはじめる。
 あの男は自分を殺す代わりに自分から戦う術を奪ったのだ。
 悪は切って捨てるはずの神殿騎士が悪の幹部の命を見逃した。
「は……ははは……」
 笑わせる。正義を自称する神殿が悪を救ったのだ。自らの信じる神殿の正義に背き、くだされるであろう罰を気にもとめずに。
「トラン!」
 クリスが青い顔で自分を呼ぶ。……いきなり笑いだしたから、気がふれたとでも思ったのかもしれない。
「いや、大丈夫ですよ。少し、おかしかっただけ」
 なにがおかしかったのかは言うつもりがないが。
 それはともかく、トランはユージンに視線を向けると先ほどから感じていた疑問を口に出した。
「わたし、こんな大怪我してるわりには全然痛くないんですが、どうしてでしょう?」
「痛覚回路を切ってあるからな」
「そんなことできたんですか。……方法を教えてもらっておけばよかったかな」
「……教えると思うか?」
「いいえ」
 教えるわけがない。こんな状況だからこそ痛覚を消してくれているが、それは本来、怪我を知るために必要なものだ。
 構成員を使い捨てるようなことはダイナストカバルはしない。
 カタ
 ガタガタガタガタ……!
 テーブルに置かれていたトランの携帯大首領が振動した。
 ユージンがトランに確認をとってから通信を開く。
『トランよ、大事はないか』
「も、申し訳ありません大首領! わたしは村も守れず大首領に頂いたこの体さえも破損さ」
『よいのだ。お前はよくやった。村人たちに欠けたものはいず、お前もこうして生きている。ならば村は作り直せばよい。その体も修理すればいいだけだ』
「……トランさん治るんですか!?」
 ノエルの声になぜか大首領は言葉を止めた。
『……ノエル、殿か。トランはダイナストカバルの総力をあげて修理することを約束しよう』
 トランに、仲間たちに笑顔が浮かぶ。
『フォア・ローゼス、この場にいないイジンデルの村人たちに代わり、礼を言おう……。よく、皆の命を救ってくれた。そしてクリス=ファーディナント』
 クリスの背がビクリとはねる。
「な、なんだ……?」
『通信を通して事情は知っている。……君に非はない』
「な、何を言って……!? 私が騎士たちを村に招いたようなものなんだぞ! 私が! 私が後生大事にマティアスの勲章を持っていたから!」
 大首領はクリスが声を荒げても気にもしていないようだった。落ち着いた声でトランへと話しかける。
『トランよ、お前なら余が与えたものをどうする?』
「大切に持ち歩きます」
『明らかに怪しいものであってもか』
「当たり前です。大首領から頂いたものを捨てるなんてとんでもない」
『……だそうだ。君は恩人に与えられたものだからこそ持っていたのだろう? 騎士たちの目印になっているとは知らされずに』
 クリスがうなずく。きっと見えているのだろう、それを確認してから大首領は続けた。
『ならば、非は神殿に……いや、君の信頼を利用し裏切ったマティアス=アディンセルにこそある』
「しかし……無知は免罪符にはならない。私は奴の本性を、知ろうともしていなかった……」
 もっと注意深く、色ガラスを通さず見ていれば、気づくこともできたはずなのに、自分は盲目的に彼を信じきっていた。
『無知は免罪符にはならない……。確かにその通りだ。だが、君はすでに罰を受けている。だからそれ以上自らを罰することはない』
「罰……?」
 思わずトランを見てしまう。確かに自分はトランの怪我におおいに心を痛めた。だがこれは自分への罰だとは言えない。
『自らの罪の自覚。本来、罪人への罰とはそれを促すためのものでもある。そして君は自分の罪を認めた。それは勇気のいる、正義を名乗っていた君にはつらいことであったであろう?』
 威厳のある大首領の声が優しくいたわるように続けた。
『君は罰を充分に受けた。だからうつむかず、前を見なさい。罪はかえりみることは必要だが、囚われてはいけない。君たちは前に進まねばならないのだから』
「ぁ……」
 クリスはうつむいたまま、声を絞り出した。それはあまりにも小さな声で、ここにいる誰にも聞き取ることはできなかった。そしてクリス自身も何を言ったかはわかっていないだろう。たとえわかったとしても、言ったことを認めはしないだろう。……悪の大首領に礼を言ったなどとは……。
『ところで……ダイナストカバルに入る気はないかね?』
「……は?」
『神殿のやり方に嫌気がさしたのだろう? ならば我が組織に入り、神殿と戦ってみないか』
「って今の演説は勧誘のためかいっ!?」
 神妙な雰囲気がクリスのツッコミでいきなり軽くなる。今まで静かにしていたアルテアも楽しげな声をあげて、クリスの足をバンバン叩いて言う。
「おー。かんげいするぞクリスー!」
「わたしとしてもあなたなら歓迎しますよ」
 トランとアルテアがにこにこと笑いながらクリスの答を待っている。ユージンは……なにやら含みのある笑みを浮かべているだけだ。
「……いや、私はダイナストカバルには入らない。私は、神官として、神の道を歩みたい」
『……そうか。なら君自身の正義を信じ、神の道を進みなさい』
 穏やかで優しい声。目の前にいたら、きっと彼は笑顔をうかべているのだろう。だからだろうか、悪の組織だとか、そんなことを気にすることなく、素直に返事を返せた。
「はい」
 そしてクリスは理解した。神殿の反抗組織であるダイナストカバルがこんなにも巨大な組織である理由を。
 正しいのだ、この男は。神殿とは相容れなくとも、彼の心にも彼自身の正義がある。しかも彼はそれを人に押し付けようとしない。人それぞれの正義を認め、それを促す心の広さがある。だからこそ、トランは、組織の構成員たちは大首領を慕う。彼を慕うからこそどんな苦難にも立ち向かうのだ。
『ところでフォア・ローゼスよ、頼みがある』
「頼み? って何ですか?」
 クリスが考えこんでいる間に会話が進んでいたようだ。ノエルが首を傾げて、大首領に問うている。
『トランたち三人の護衛を頼みたい。今、人員の大半がイジンデルの村人たちの保護にあたっている。そちらに人を向かわせることができるのは明日の昼過ぎになりそうだ』
「ここで、トランさんたちを守っていればいいんですか?」
「なんなら、俺たちがそっちに送ってもいいんだぜ」『いや、そちらにはテレポートを使える者を派遣する』
「そうか、そっちの方が早いな」
『うむ。フォア・ローゼスよ、三人を頼む』
「はい、任せてください!」
『……ノエル』
「……はい?」
『いや、なんでもない……』
 ぷつり、と何かが切れる音がして、携帯大首領が沈黙した。
「何が言いたかったんでしょう?」
「さあ……? でも伝えるべきことなら大首領は必ず教えてくださいますから」
 トランの答にノエルは首を傾けた。
「いつか、話してくれるんでしょうか」
「機会があれば……。それよりも」
「それよりも?」
 きまり悪そうに笑ってトランは続けた。
「不謹慎かもしれませんが、お腹がすきました」
 タイミングよく、きゅう……と誰かの腹がなった。
「みんなもお腹がすいてるでしょう?」
 村への襲撃があったのは、夜中だった。そして今は昼過ぎである。彼らが自分をほったらかしにして食事をするとは思えない。さぞかし腹が減っていることだろう。
「そうだな、安心したら腹が減ってきた。何か作ってくるよ」
 クリスが部屋を出ていく。
「あたしも手伝ってきます!」
「俺も行くか」
 ノエルとエイプリルがその後を追っていった。




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Scribble <2008,08,30>