History not chosen
Rest period X
「おはようございます、トランさん!」
朝、目を開くとすぐそばにノエルの笑顔があった。
仲間の笑顔で起こされるのって、なんだか幸せだ。……もうちょっとこの幸せにひたっていたいかも。
「……もう少し、もう少しだけ」
「ええ〜!? ダメですよぅ〜、起きてください〜!」
目を閉じて寝たふりをする自分をノエルがぺんぺん叩く。……新婚夫婦みたいだなんて、思ってしまってちょっぴり照れる。
ゲシッ!
……誰かに頭を踏まれた。いや、誰かはなんとなくわかる。この靴の感触、足の大きさはエイプリルだろう。……だとしたら決して今、目を開けてはいけない。彼女の衣服は裾の広がったスカートである。うっかり目を開いたら…………せっかく拾った命を仲間の手で散らしてしまうことになる。
「早く起きないか」
「いや、その……起きますので、足をどけてくれないか、と」
足をどけ、エイプリル自身もその場から身を引いた。
トランが恐る恐る目を開く。
「すいません。体をおこしてもらえますか」
「はーい」
ノエルが気のよい返事をし、トランの体を抱き起こす。
「どうせなら抱いて連れて行ってもらったらどうだ」
エイプリルがにやりと笑う。
「お姫様抱っこで」
「……慎んで辞退させていただきます」
速攻で拒絶しておく。でないと、この素直でお人好しな少女は本当に自分を抱き上げそうだ。
なんせ彼女にはそれをできるだけの筋力がある。アコライトであるクリスでさえ軽く抱き上げてしまえるのだから、ウォーリアであるノエルにはなおさら軽く感じられるだろう。
……もっとも、腕の長さは足りないだろうから、落とすことが確定されてるようなものだが。
「そういえばクリスは?」
「ああ。お前の部下と話している」
「部下? だれでしょうか。っていうか到着は昼頃だったのでは?」
「トランさんが大怪我したっていうのを聞いて、とんできたそうです。フーガさんっていうエルダナーンの人なんですけど」
「フーガ、ですか」
トランは自分の補佐を勤めてくれていた副官のことを思い出した。確かに彼は自分を優先しがちだが、状況を見誤るなんてことはないはずだ。その彼が同郷であるイジンデルの村人を放置してやって来た? どういうことだろう……。
まあ、すでに来てしまっているのだから直接聞き出せばいい。……それよりも、だ。
「迷惑をかけてませんか」
「?」
どうやら今は大丈夫らしい。
「いえ、なんでもないです。待たせても悪いですし、行きましょうか」
少女たちの手を借りて立ち上がり、部屋を出る。そこにはユージンとアルテア、暗い顔をしたクリスが席についていた。そしてもう一人いたエルダナーンの男はトランを見るやいなや……。
「し、支部長〜!?」
美麗な顔立ちが台無しになるほど泣き崩れ、トランに抱きついた。
「フーガ!? 落ち着いてください! ああ、もう! 顔中からありとあらゆる体液が流れ出してる!? 顔面総雪崩じゃないですか!」
「支部長、支部長の腕が〜! でも生きててよかった〜」
いい年した男がここまで無様に泣くさまはそうそう見ることはない。っていうか見たいものではない。
「あいかわらずなきむしだなあ、フーガは」
アルテアが男のもとに歩みより、ポンポン叩く。
「あなたは! あなたはトラン支部長のことが心配じゃないんですかっ!? 支部長の育ての親なのに!」
「大首領がなおすっていってたんだからだいじょーぶだ」
「……楽観的なあなたがうらやましい」
フーガが手持ちのハンカチで顔をぬぐった。しかし泣き止めたわけではないようだ。まだ涙はこぼれようとしているし、鼻もぐすぐすやっている。
「え〜と……フーガ? 現状を聞かせてもらえますか? あなたがこの場に急いできた理由はなんですか」
トランのその言葉にフーガは姿勢をただした。
「はっ。報告いたします」
「……すごい切り替わりようですよ」
ノエルのどこか呆れるような言葉に、トランが冷静に告げる。
「私事がどんなにあれていようとも、公私の区別はきっちりつける。だからこそ彼は副官を続けられるんです」
たしかに仕事中(何の仕事かは考えまい)にもあの様子ではたいへんだろう。……しかしこの切り替わり方はすごい。今まで無様に泣いていた人物と同一人物だとは思えない。
……いや、涙や鼻水の跡はしっかり残っているのだが。
「先にクリス殿にはお伝えしたのですが……。神殿が、皆さんを犯罪ギルドとして指名手配をかけました」
ノエルが息を飲み、エイプリルが皮肉げに笑う。その隣でトランは冷静に状況を考えていた。
大首領の危惧していた事態はこれだったのか。
だからクリスがあんなに落ち込んでいるのか。
フーガはだからこそこちらを優先したのか……。
「そういうことならば、のんびりしている暇はありません。ノエル、エイプリル、クリス……今すぐ旅立ってください」
「トランさん?」
ノエルが戸惑ったような声をあげる。自分を置いていくことに抵抗を感じているのだろう。……もしかして自分の修理を待ってから旅を再開するつもりだったのかもしれない。
「ノエル、聞いたでしょう? 神殿があなたたちの敵にまわったんです。今すぐ動かなくては身動きできなくなる」
「でも! トランさんを置いていくなんて!?」
「ノエル、わたしなら大丈夫。今すぐ修理を受けてきますから。あなたたちは旅を続けてください」
「う、うぅ〜」
ノエルがトランの服をつかみポロポロと涙をこぼす。彼女の気持ちはわかるし、嬉しいがのんびりしている暇はないのだ。
「クリス」
「ん……」
近寄ってきたクリスの目は赤くなっていた。彼の気持ちもわかるが落ち込んでいられては困る。
「わたしの分まで、二人を守ってくださいね。そしてあなたも、気をつけて」
「……わかった」
「エイプリル。二人を引っ張っていってくださいね」
「ああ。いつまでも落ち込んでいるようだったら、カツをいれてやる」
「ノエル。二人の言うことをよくきいて……どうか、気をつけて」
「はい……」
目の前で涙をこぼす彼女をなぐさめてあげたいのに、頭を撫でてあげたいのに、今の自分にはその手段がない……。
ならせめて、せめて笑顔で送り出そう。
「いってらっしゃい……」
ノエルは気弱げに、エイプリルは力強くうなずく。その中でクリスは一人返事を返さずに、一歩前に歩み出た。
「クリス?」
あたたかな熱が体に巻き付けられる。それが何なのか理解できたのは間近でクリスの声が聞こえた時だった。
「トラン、お前に神のご加護があるように……」
自分を抱きしめる腕の感触も、神官からの祝福も、嫌ではない。あとになって正気に戻れば、お互いに羞恥にのたうちまわるのかもしれないが、今だけは心地よかった。
「ありがたく受け取っておきます。……しかしなんで抱きしめる?」
素朴な疑問である。人目もあるのに男同士抱き合う(抱きついてるのはクリスだけだが)のはどうかと思う。
「いや、作法としては手の甲に接吻するのが一般的なんだが……手、ないしな。……まあ、ちゅーがお望みならデコやホッペなら許容範」
「こっちがお断りだっ!」
思わず怪我も忘れて全力でツッコんでしまった。勢いをつけすぎてよろけた体をクリスに支えられる。笑っているところをみると、わかって言いやがったな、この野郎。
「トランさん」
ぜーぜー……と荒い息をつくトランにノエルが声をかけた。
「……なんですか?」
ノエルが垂れ下がるトランの服の袖を持ち上げる。
「絶対に、治してきてくださいね!」
にっこり笑い、そこに唇を落とす。
「……」
何故だろう、直接ちゅーされたわけでもないのに、すごく恥ずかしい。
「特別に、俺からもだ」
「うわっ!」
襟元を引っ張られ、頭を下げさせられる。その次に感じたのは頬にあたったやわらかな感触。
「〜〜〜!?」
赤くなってる。絶対に顔が赤くなってる!?
ただでさえ足りないオイルが頭部に集合してる!
トランの様子を見て、仲間たちが笑う。ユージンたちも優しげな笑みを見せる。
「いってきますね、トランさん!」
憂いのないノエルの笑顔。仲間たちを見れば先ほどとは違う晴れやかな笑顔がある。
まあ、この笑顔のためなら、あれくらいの羞恥プレイ(?)くらい安いものだ。 そう、自分を言い聞かせてみる……。
「三人とも、いってらっしゃい……。どうか、ご無事で」
旅立つ三人の背を見えなくなるまで見送って、それでも名残惜しげに彼らの消えた道先を見続ける。そんなトランにフーガが声をかけた。
「支部長、まいりましょう」
「はい。でも、もう少しだけ……」
放っておいたらいつまでも離れそうにない。さて、どうしたものかと、ユージンとフーガが悩んでいると、アルテアがトタトタとトランに駆け寄り抱きついた。
「アルテア?」
「トラン、らぶらぶだな!」
一瞬、何を言われたのかと目を丸くしたが、その言葉にとろけそうな笑顔でこたえた。
「ええ……。そうでしょう?」
トランの笑顔にアルテアも元気な笑顔を返す。
「だったらはやくノエルたちとあそべるように、けがをなおさないとな!」
「そうですね」
アルテアに連れられて、トランがユージンたちのもとに歩いてくる。
「すごいですね、アルテアは」
「ああ」
あっさりとトランの手綱をとってしまったアルテアに感心するのと同時に、二人は再認識する。
やはり彼女はトランの母なのだ、と。
「二人とも、何を笑っているのですか?」
「いいえ、別に何もありません。ただ仲がよろしいな、と」
「……?」
目の前で首をかしげる、まだ幼い支部長をフーガは誇りに思う。彼は、まだたった数年しか生きていないのにも関わらず、人の愛を知っている。そしてそれに応えようとしている。
ならば自分はその背をおしてあげよう。彼が自分たちのもとを離れるのは少々さみしいが、それで彼が幸せになれるのならそれでいい。
トランの補佐。それが副官たる自分の役割なのだから、彼のために全力で……最後になるだろうその役目をはたそう。
「さあ、まいりましょう。……Dr.セプターがお待ちかねですよ!」
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Scribble <2008,09,27>