History not chosen

Brother W


 時間はいっきにとんで夜である。トラン手ずからの夕食を食べ、あとは就寝するだけである。
「レント、これかしてやるぞ」
 アルテアが貸してくれた本は、簡素な文と美しい絵がたくさん描かれている……いわゆる絵本だった。
「ありがとうございます」
 貸してもらったのはいいものの、こんななんの役にもたたなさそうな書籍をどうしろというのだろう。
「さ、部屋に行きましょうレント」
 どうやら自分はトランと同じ部屋で寝起きするらしい。
 そこは小さな部屋だった。二つの質素なベッドと簡素な机が窮屈そうにその部屋に納められていた。
「読みますか?」
 うなずくと、彼は灯りをつけてくれた。ランプではない魔法の灯りだ。これならば油の消費を気にしなくてすむ。
 トランは机の前に座り、レントはベッドに腰をかけて本を開いた。
 しかしもとより内容のほとんどない薄い本だ。あっという間に読み終わる。
「繰り返し読むことをおすすめしますよ」
 何かを書き付けながらトランが言った。
「しかしこれに何の意味も見いだせない。こんなものより魔術書の方が……」
「それこそ意味がありません。魔術書の内容など、すでにインプットされているでしょう?」
 確かに記録されている。このまま一言一句違えずに暗唱することも可能だ。
「アルテアがその本を貸したのには意味がある。意味を読み取るのではなく、意図を感じ取るんです」
 ……よくわからない。
「その内わかるようになりますよ」
 ……そうなのだろうか。
「キミは何を書いている」
「あ。見ないでください」
 立ち上がり覗きこんだ自分の視界から隠してしまった。一瞬だけ視界にうつったのはつらつらと長く続く文章だった。
「手紙、か?」
「ええ。仲間たちへの手紙です。あなたが旅立つ時に一緒に持っていってもらおうかな、と」
 いまだ恥ずかしそうに手紙を隠す彼のために、今読み取った文章は記憶回路から消去しておこう。
 レントが再び腰を下ろすと、トランは手紙を書くのを再開した。さっきまでは気がつかなかったが、彼の筆記速度はかなり遅い。
 きっと手がうまく動かないのだろう。
「わたしが代筆しようか」
「いや、自分で書きますよ。わたしが書くから意味がある、わたしが自分で書かねば意味がないんです」
 その理由はわからなかったが、彼が自分に代筆を頼むつもりがないことは理解した。
「トラン、眠らないのか」
「あ、もう眠いですか? すいません、気がつかなくて……。灯りをおとしますね」
 灯りが消され周囲が闇に満たされる。しかし窓から差し込む月明かりのおかげで、部屋の中を移動するのには問題ない。
 二人してベッドに潜り込み(もちろん別々のベッドにだ)、目を閉じる。
「ねえ、レント」
「なんだ」
「そのままでいいから聞いてくださいね」
 そして彼はゆったりとした口調で語りだした。
 ノエルという少女がいかにお人好しで頑張り屋か、クリスという少年は自分たちとは相容れない神官であっても信頼にたる人間であること、エイプリルという少女の突き放した態度の中に隠された優しさ……。
 記憶回路に刻まれただけの彼らが鮮やかに色付けられる。
 それと同時に一つのことに気づく。
「キミは本当に彼らのことが好きなんだな」
 そうでなければ、こんなにも彼らのことを語れるはずがない。
「ええ。大好きですよ」
 彼の顔が見えていれば、きっと素晴らしい笑顔を見ることができたのだろう。
「そうか。……早く、わたしも彼らに会ってみたい」
 ダイナストカバルのために生まれたトランが、大好きだと言ってのけるほどに心奪われた者たち……。そんな彼らの仲間に自分もなってみたかった。




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Scribble <2008,10,25>