History not chosen

Brother X


「……寝過ごした、か」
 その日、目覚めるとトランはすでにいなかった。起動してから今日までトランとほぼ同時に起床するということを繰り返していたのだが……。
「……?」
 体内時計によると、今日の起床時間は今までより早いくらいだ。それなのに何故、彼はいないのだろう。
「まあ、いいか」
 レントは思考を切り替えると身仕度を整えはじめた。
 起動されてから今日で三日がたつ。トランが自分の教育期間にとってくれたのは七日ほどだから、およそ半分が過ぎてしまったということだ。今日を含めた四日間で教育を終えて旅立たねばならないのだから、時間を無駄にするわけにはいかない。
「ん? これは……」
 机の上に文章がならぶ紙が取り残されていた。
 インクが他の紙につかないように広げられたそれらは、トランが書いていた手紙で間違いなかった。
「……」
 キョロキョロと辺りを見回す。……トランは、いない。
 視線をさりげなく手紙に落とし、内容を見る。
「……。…………?」
 なんだこの違和感は。手紙を読み進めていくほどそれが強くなる。
 内容はたいしたことのないものだ。彼らのことを気遣う言葉、こっちは元気にやってるなどという、当たり障りないことばかり書いている。
「……。…………っ!?」
 三日目に書いたのだろう手紙を見た時、違和感の正体に気がついた。
 それを確認するために手紙の束を順番に広げる。
「やっぱり……」
 順々に見ていた時にはわかりづらかった事象がこうして見ればはっきりわかる。特に一枚目と最後のものを比べればその差は歴然だ。
「字が汚なくなっている……」
 わざとそうすることに何の理由もない。ならこれはどういうことか?
 いくつか推論を立て、その中でもっとも可能性が高いだろうその理由を口に出す。
「移植した腕の機能が落ちてきているのか……」
 それに気づいた瞬間、レントは体が重くなったような錯覚を受けた。
「あ、……あ?」
 胸の辺りに冷たく重い鉛のようなものを流し込まれたような感覚、背中に嫌な汗が流れる。
「な、んだ……これは?」
 何もしていないのに嫌なものが喉元を通りすぎながら胸を焼き、胃の腑を焦がす。
「ぐ、くぅ……」
 猛烈な吐き気を意志の力で抑え込み、机から離れる。
「トランは……」
 そうだ、トランだ。彼に会えばこの嫌なものは嘘のように消えてしまうに違いない。
 ふらつく足で部屋を出る。まだ早朝ということもあり、人はまばらにしかいない。ちょうど通りかかった怪人を呼び止めて尋ねてみると、彼は研究室にいるのではないか、ということだった。
 ……しかし言葉を濁すような感じだったのは、何故だろう?
 それはともかく研究室に向かう。場所は聞かなくても大丈夫だ。この三日間でだいたいの所は確認したし、研究室は自分が覚醒した場所だ。目をつむっていても行ける。……いや、そんな無意味なことはしないが。
 研究室の扉をノックする。
 ……返事がない。
 もう一度ノックして今度は声をかける。
「Dr.セプター、レントです。入ってもよろしいでしょうか」
「いや。待ちなさい」
 ガタガタパタパタと何やら中で動く音がする。
「どうぞ!」
 ……トランの声だ。やはりここにいたらしい。
「失礼します」
 中に入ると机に向かって何かの計算をしているらしいDr.セプターとその傍で眠り込んでいるアルテア、そして無闇に笑顔をふりまくトランがそこにいた。
「トラン!」
 彼に駆け寄り手を握る。
「……っ!」
「あ、ああ……すまない。痛かっただろうか」
「いや、うん……大丈夫ですよ? 手を握られたくらいで痛がるわけないじゃないですか」
 本当は腕の機能が落ちているのではないか、と問いただしたかった。だがそのためには気づいた理由を、手紙を読んだということを言わなければならない。
「……」
「なんですか?」
 言えない。彼に嫌われるようなことは言いたくない。ならば違う点から攻めてみよう。
「……髪が」
「はい?」
「髪が、濡れてる。……調整槽に入っていたのか?」
「ええ。少し、ね」
 トランはレントの頭に手を置くと、彼の髪をすかすように撫でた。
「心配してくれたんですね。……ありがとう」
 ……そうか。自分は彼が心配だったのか。
「んん……う? ふわ〜ぁ」
 アルテアが目を覚ましたようだ。キョロキョロと辺りを見回し、トランを見つけて口を開く。
「トラン、だいじょーぶかっ!? もういたく……」
 次にレントも見つけ、彼女は口を一度閉ざした。
「もう…………ねむくないか」
 再び口を開いた彼女の言葉はどことなく空々しい。……何かを隠しているのがはっきりとわかった。
「大丈夫、しっかり休みましたので。……ああ! もうこんな時間じゃないですか。早く朝ごはんを食べに行きましょう」
 トランがそそくさと逃げ出すように部屋を出ていく。その背中を追おうとしたアルテアを引きとめて尋ねる。
「アルテア、何を隠しているのですか」
 彼女は泣き出しそうなほどの困った顔で口を開いた。
 しかしその唇は何の音も発することもなく閉じられる。
 何かを言おうとして口を開き、やはり言えないとばかりに口を真一文字に結ぶ。それを何度か繰り返し、やっと一言だけ言葉にした。
「トランに、いっちゃだめだといわれてるから」
 それだけ残してアルテアは出ていってしまった。
「何を隠して……」
 気にはなるがこれ以上アルテアから聞き出すのは無理だろう。そうでなくても彼女は最大限の譲歩をしてくれた。本来ならば隠している事実と共に、口止めされていること自体も黙っていなければならなかったはずだ。
 だがアルテアは何かを隠しているということだけは教えてくれた。ならばこの先は自分で調べなければ。
 Dr.セプターを見ると彼は即座に首をふった。
「すまないがわたしもトランに口止めされている。手塩にかけた自作の"子"の頼みだ。軽々しく口をすべらせるわけにはいかない。そしてこの基地にいる組織員たちもトランに口止めされている以上、何も言わないだろう」
 ……調べる前から八方塞がりか。
「だがトランが口止めを頼めなかった者も存在する。その者からの命令があれば、わたしは口を開かざるをえない」
 トランが口止めを頼めなかった者?
 ……ああ、確かに一人だけおられるではないか。
 ダイナストカバル幹部トランが口止めを頼めない者、そして改造人間の研究者としてそれなりの地位にいるDr.セプターに命令をくだせるお方。それは……あの方以外にはおられない。
「Dr.セプター……大首領への謁見の申請を、お願いしてもよろしいでしょうか」
 レントの出した答に、彼は満足げに笑ってうなずいた。




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Scribble <2008,11,01>