History not chosen
Brother Y
朝食時にトランへ大首領への謁見のことを伝えると、彼は驚いた様子だった。しかし表向きの理由、大首領へ挨拶をするのだと伝えると納得してくれた。
「そうですね。教育が終わってからと思ってましたが、早めにご挨拶しておくのもいいかもしれません」
トランはうんうんとうなずきながら粥を一匙すくった。……彼の食欲は、日に日に落ちている。……何故、自分はそれを気にもとめなかったのだろう。
「それなら早くしないと。わたし、服の準備をしてきますね」
半分ほどの粥を未だ皿に残したままトランは立ち上がった。そしてそれを持って洗い場へと消えてしまう。
彼は用意するためだと言ったが、もう食べられなくなっていただけではないか? それを隠すために席を立つ理由をつけて立ち去ったのではないか……?
不安が、胸を押し潰す。早く、大首領にお尋ねしなければ……。
食事を終え、後片付けをしてから部屋へ向かうと、すでにトランは服を用意して待っていた。
落ち着いた濃灰色のローブとハットはどことなくトランのものに似ていながら、まったく違うものだった。
「レントは氷系の魔術を操るから青系の服を用意したんです」
早速身に付けてみると、彼は似合っていると褒めてくれた。……少し、嬉しいような気がする。
「失礼のないようにね?」
この見守るようなトランの笑顔に胸がつまる。自分は、初めてお会いする大首領に不躾なお願いをするつもりなのだ。
コンコン
ノックされた扉を開けると、きっちりとした服を着たDr.セプターがそこにいた。
「レント、そろそろ時間だ」
「はい」
「Dr.セプター自らお迎えに来てくださるなんて!? お知らせくだされば、わたしがレントを送りましたのに」
トランの言葉に彼は首をふって答えた。
「いや、わたしも親として、レントと共に大首領に謁見するのでね」
「そうなのですか。ではわたしも……」
「いや。トランは残りなさい。弟の晴れ舞台に親だけではなく兄までついていくのはさすがに過保護だろう?」
「……それもそうですね。ではレントをお願いします」
というわけで、トランを残して謁見の間に向かう。「ありがとうございます」
「いや、かまわない」
さっきの、トランへのDr.セプターの言葉は自分のためだ。
今から大首領に尋ねようとしていることを、トランに遮られないように、彼を残すためにああ言ったのだ。
「いくら子の頼みとはいえ、トランをあのままにしておくわけにはいかないからな」
……話してくれないが、トランの様子はかなり悪いらしい。
「さあ、着いたぞ」
大首領の間の扉が開かれる。赤絨毯の続く先に設置された大首領の像が神々しい。
レントはデータに刻まれた作法にのっとって進み、片膝をついた。
「お初にお目にかかります、大首領。わたくしはトランの弟、レント=セプター……。ダイナストカバルに光明をもたらすべく、生まれ出し者でございます」
「うむ。期待しておるぞ。兄弟共々、ダイナストカバルのため働いてくれ」
「はい」
威厳ある大首領の声に身が引き締まる。このお方の意に添うためにも、今ここで彼のことを尋ねなければ。
「大首領……、一つ、お尋ねしたいことがあります」
「……任務のことなら着任式の時に伝えよう。今はトランとアルテアの教育を受けよ」
「いえ、そのことではありません。わたしが聞きたいのは……トランのことです」
「トラン……?」
レントは気がついたこと全てを大首領に報告した。日に日に食欲が落ちてきていること、腕の機能が劣化してきているらしいこと。……それをトランが隠したがっていること……。
「……Dr.セプター」
「……はい。トランの状態ですが、かなり悪いと言わざるをえません。一刻も早く調整槽での治療を再開するべきでしょう」
……やはり彼はそこまで具合が悪かったのだ。そして一つの事実に気づく。
彼は、言っていた。予定よりも早く目覚めさせてもらった……と。
あの時は彼のせいで自分は早く目覚めさせられたのだと思っていた。しかし事実は違う。
予定よりも早く、無理をして目覚めたのはトランの方だ。
その理由も今のレントにはわかる。
……自分のためだ。
自分に教育を施すために、少しでも多くのことを伝えるために、トランは治療を続けるべき身体に鞭打ってでも目覚めたのだ。
何が最新式だ……。旧型機に学ぶものはないなどのたまった大馬鹿者の何処が彼に優れていると言える?
感情豊かで人を思うことのできる"兄"
と、空っぽで何一つ理解できなかった"弟"では、その心、経験において足元の影さえ踏めぬほど及ばないというのに。
「レントよ。教育期間は本日この時をもって打ち切る。午後から着任式を執り行い、明日の朝には旅立ってもらう」
「かしこまりました」
深々と頭をたれるレントの耳に声が届いた。
「失礼いたします。大首領の召還に応じ、トラン=セプター、馳せ参じました」
自分がうだうだ悩んでいる間にトランを呼んでいたらしい。
トランは自分よりも自然で優雅な所作で隣に膝をついた。
「トランよ……」
「はっ」
「余を……謀ったな?」
「大首領!? わたしは……大首領を騙してなどおりません!」
「確かに。だが伝えるべき情報を隠匿した」
「それは……。はい、その通りです」
「その罪はけして軽くはない」
「……」
押し黙るトランの表情は辛そうに歪んでいる。
「しかし弟を思うお前の心もわからぬでもない。その心に免じ、今回の件は不問とする」
「……ありがとうございます」
「だが今すぐ調整槽に入って治療をせよ。レントの着任式への出席、旅立ちを見送るのは禁止だ。……Dr.セプター、トランを連れていけ」
「……かしこまりました」
トランがDr.セプターに連れられ退室する。そのあとを追おうかと立ち上がる。
「レントよ、よく報せてくれた」
「いえ、滅相もございません。わたしはただ彼が心配だっただけです」
「そうか。……トランが体をはっただけの成果はあったな」
「はい。短期間ではありましたが、わたしは彼にたくさんのことを教えられました」
空や湖畔といった自然の美しさ、人を思い思われることの大切さ、人を心配することができるこの心……。
まだそれは完全に出来上がっていない未熟なものだが、たしかにこの胸の内に宿っている。
「レントよ、着任式までまだ時間がある。それまで自由にせよ」
「はい」
自由にと言われれば、行く所、するべきことは決まっている。
旅立ちの前に、トランに感謝の言葉を伝えなければ。
足早に基地の中を突っ切り、研究室にたどり着く。ノックをし、名を告げると中からトランの返事が返ってきた。
「どうぞ」
トランは調整槽に身を浸すために衣服を脱いでいた。腰布一枚残した姿で調整槽の縁に座り、コードが接続されるのを待っている。
「すいません。こんな形で教育を終えることになってしまって」
「……いいえ、気にしないでください。わたしはもう、たくさんのことをあなたに教わりました」
トランの手を握って続ける。
「だから兄さんは安心して治療に努めてください」
やわらかなレントの笑みにトランの目が丸くなる。
「……兄さん?」
トランが自分を指差しポツリと呟く。
「わたしはあなたの弟、あなたはわたしの兄でしょう?」
「わたしは……あなたの兄になれましたか?」
「はい。あなたはわたしの自慢の兄です」
そう、はっきりと言い切ると、トランは恥ずかしげに笑った。そしてこう続ける。
「では、あなたの不甲斐ない兄のお願いを聞いてくれますか?」
「なんなりと」
「手紙を、届けてください。そして腕は無事に移植できたと、それだけを伝えてください」
「それだけ、ですか?」
「はい。それだけを伝えてください。……だってわたしは必ず直るんですから。無駄な心配をかけたくない」
「わかりました。手紙は、そしてあなたの言葉は必ず届けます。そして……」
握った手に少しだけ力を込め、トランの目を見つめて続ける。
「わたしはあなたの弟として、あなたの名を汚さぬように、精一杯あなたの代わりを務めてまいります」
トランが優しげに笑い応えてくれる。
「お願いします。彼女達を導いてあげてください」
力強くうなずくレントの手を握り返し、トランは続けた。
「わたしの代わりなどと言わず、あなたはあなたとして、フォア・ローゼスの仲間たちと旅を共にしてください」
その言葉にレントは戸惑いながらもうなずいたのだった。
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Scribble <2008,11,08>