History not chosen
Advanced situation T
辛い、怖い、苦しい……。
ああ、どうしよう……。
悪いことは何もしていないつもりなのに、誰からも悪意を向けられる、剣を突き付けられる。
逃げて隠れて、時には戦って……それでも前へ。
あの人は必ず帰ってくると約束してくれたんだから、旅を続けるのを願っていたのだから、ここで足をとめるわけにはいかない。
でも……!
「どうしましょう、どうすればいいんでしょう?」
宿のまわりには数十もの騎士の群れが自分たちを逃がさないように取り囲んでいる。
「宿に火をかけられる前に出ていくしかねえな。なに、群れるしか能がない雑魚に負けやしないさ」
「大丈夫、あなたもエイプリルも私が必ず守ります」
二人の言葉は心強いけど、少しだけ思ってしまう。
今、この場にあの人がいれば、何か他の方法を考えてくれたのかもしれない、と。
「い、行きましょう……」
でもここにあの人はいないのだから。自分たちだけで乗り越えなければならない。
クリスが扉を開け、三人で表に出る。
その途端注がれる敵意の視線が痛い。逃げたいと、本能的に思ってしまう。
けれどそんなことは出来ない。逃げ場なんてないし、クリスの苦痛に耐える表情を見て、逃げることなんて出来ない。
彼の熱心な説得も通じない、耳も貸してくれない。
平和のためにふるわれていると信じてきた数十の白銀のきらめきが向けられる。
エイプリルが銃を構え、クリスは盾をかざす。
戦いは、避けられない。
ノエルがそう覚悟し、剣をぬいた、その時だった。
「ウォータースピア!」
聞き覚えのない男の声とともに、幾千もの氷槍が取り囲む騎士たち全てに降り注ぐ。
「今のうちです、継承者殿」
「え……?」
突然の出来事に反応できずにいるノエルの横を仲間たちが駆け抜ける。
ある者には武器を断ち折り、ある者には殴打する。
氷槍の霧が晴れる頃には騎士たちは全て無力化していた。
「こちらへ」
そう言って、この場をあとにするよう促す彼の姿は、魔力の残滓が残っているのだろうか、霧に隠れてよくわからない。
しかしその背格好、シルエットは……!
「トラン……さん?」
男が振り替える。翻ったマントの風に吹き散らされて、しつこくまとわりついていた霧が消える。
そうして現れた男は、確かにトランを連想させるに充分の背格好と帽子を身に付けていた。
しかし、違う。
服装も手に持つ杖もトランのものに似てはいるが、色もデザインも違う。そして彼自身も、トランに少しも似ていない。
白雪色の髪をした青年が帽子を取り、優美に頭を下げる。
「初めてお会いいたします、継承者殿。わたしはレント=セプター……。偉大なるダイナストカバル大首領より、あなたをお守りするために遣わされた者です」
「あ……あの? あたしを守るって……なぜ?」
「偉大なる大首領のご意志はわたしごときにはわかりません。……ですが、あなたをお守りすることが、わたしに与えられた使命。わたしはそれを全力で果たしましょう」
「それはご親切にどうもありがとうございます〜」
「レントと言ったな……」
クリスが二人の間にわってはいり、不審げな目を向ける。
「お前、何が狙いだ」
その言葉に青年―レント―はどこか落胆したようだった。冷たさの混じる声で返事をする。
「聞いていなかったか、クリス=ファーディナント。わたしは継承者殿を守るためにここにある。そしてそれは……彼女を守り導くことは、我が兄の願いでもある」
「お兄さん? それにセプターって……」
レントがノエルに向き直り、微笑んだ。
「はい。トラン=セプターはわたしの兄。……大首領からの命も果たせない不甲斐ない兄ではありますが……」
「……おい! 取り消せ!」
クリスがレントの胸ぐらをつかみあげる。だが彼は不思議そうに首をかしげて言い返す。
「……なぜだ? 兄が任務を無視したあげく、身体を破損させたのは事実だ」
「でも、トランさんは自分を育ててくれた村の人を助けるために」
クリスの手を除けながら、ノエルの言葉にこたえる。
「……任務よりもそちらを優先させた理由がわたしにはまだよく理解出来ませんが、あの兄のことですから、確かな理由があるのでしょう。……わたしが『不甲斐ない』と言っているのは、その後のことです」
「……その後?」
ノエルとクリスが二人そろって首をかたむける。
「兄から引き継いだデータによると、身体を破損させた最終的な理由は、彼が戦術ミスをおかしたこと。それを指して不甲斐ないと言っているのです」
「それは、まあ……そう、なのか」
クリスが不承不承、不満げな顔を見せながらも納得する。
「まあ、それがあっても、トランが尊敬できる兄であることにはかわりありませんが」
そう付け加えたレントの言葉にノエルの顔が明るくなる。
「そうですよね! トランさんは素敵な人ですよ!」
レントの顔がわずかにゆるむ。兄をほめられて嬉しいのだろう。
「その兄から、手紙を預かっております。兄からの、直筆の手紙です」
ノエルとクリス、そしてエイプリルの目が大きく開かれる。
「あいつの腕は、治ったのか!?」
エイプリルの問いかけにレントはうなずいた。
「ああ。完治はしていないが、移植は成功した。……継承者殿、どうぞお読みください」
「は、はい……」
緊張で震える手で封蝋を開け、手紙を取り出す。そこに並ぶ文字は、本来なら流麗であるはずのトランの字とは似ても似つかぬほどに汚かった。しかし質素な白い紙に並ぶ文面に涙が零れそうなほどに嬉しくなる。
元気ですか?
お腹を壊したりしてませんか?
困ったことは、悩み事ないですか?
優しい、トランの言葉がそのまま紙の上に並んでいる。その後には彼の近況と謝罪の言葉が続く。
腕の修理は無事にすみました。けれど……ごめんなさい。
お手伝いをしますって言ったのに、旅の最後まで一緒にいてあげられなかった。旅が終わるまでにあなたたちの元に帰れない。
そして最後に彼からの頼みが書かれていた。
レントをお願いします。
わたしたちの都合で満足な教育期間をとってあげられなかった未熟な弟をよろしくお願いします。
紙に並ぶたくさんの文字、一生懸命に書いてくれたのだろう文章に胸が熱くなる。
不安でゆれていた心が静かになる。心の奥に力が灯る。
「継承者殿、わたしをギルドの末席にお加えください。志し半ばに離脱した兄に代わり、誠心誠意お仕えさせていただきます」
「トランの代わりの仲間なんて、私はいらない」
一見するとレントを拒絶するようなクリスのセリフにレントの顔がやや暗くなった。しかし手紙から顔をあげたクリスはこう続けた。
「だが、トランの代わりなんて言わず、お前がレントとして私たちの仲間になると言うなら、歓迎する」
「え……?」
「そうですよ! 代わりなんて言わないでください。仕えてくれる必要もありません。レントさんはレントさんとして、あたしたちの仲間になってください」
笑顔でそう言ってレントの手を握る。そうすると、彼はためらいながらもその手を握り返し、微かにだが微笑んだ。
「はい。よろしくお願いします」
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Scribble <2008,11,15>