History not chosen
Advanced situation U
冷たい風が身にしみる。空はノエルの不安を表すかのような曇天で、月の光もわずかにしか届かない。
そんな空の下、焚き火のまわりだけが、人の集える空間になっていた。
「……レント」
「なんだ」
クリスの呼び掛けに彼は薄い本から視線を外さずにこたえた。
「何を、読んでいるんだ?」
横から覗きこんでみる。
てっきり魔術書の類いを読んでいるのだと思っていたのだが、そうではなかった。
色鮮やかなイラストに、簡素な文章が並ぶそれは、いわゆる絵本というやつだ。
「……なんで絵本?」
「アルテアに持っていけと言われた」
「ふーん」
ゆっくりと視線を動かすところを見ると、しっかりと読んでいるようだ。
生真面目な顔で絵本を読む様子は面白いというよりなんだかかわいかった。
「それ、知ってる」
「そうなのか」
「ああ。子供の頃、読んでもらったことがある」
昔、自分はその絵本が大好きだった。……いや、自分だけではない。
自分が生まれる数十年前からあったと言われるその絵本は、今日にいたるまで無数の子供たちに愛されてきたのだ。
アルテアが何のために絵本を彼に渡したのかはわからないが、その絵本を選んだ理由は理解できた。
この絵本を彩る美しいイラストや文章は心を豊かにしてくれる。
……自分も、そうだった。
「クリス=ファーディナント」
パタリと閉じられた本の音とレントの声で我にかえる。
「なんだ?」
「それはこちらが言いたい。キミはわたしに何か用事でもあるのか」
いつまでも眠らずにいるのを不思議に思ったらしい。首を傾けて問いかけてくる。
「ああ。聞きたいことがある。お前はノエルのことをどこまで知っているんだ? ……わざわざダイナストカバルから派遣されて来たんだから、私達の知らないことも聞いているんじゃないか?」
「わたしの知っている情報は兄から伝えられたものだけだ。つまりキミたちの方が彼女について詳しいと言えるだろう」
レントは本を荷物の中にしまうとクリスの目を見据えて、問い返した。
「わたしもききたい。キミはなぜ継承者殿と行動を共にする? 神殿を離れたことによって、キミは任務の遂行義務も理由もなくなっている。なのになぜだ?」「理由はある! ノエルを母親に再会させることが、今の私の生き甲斐だ!」
「生き甲斐……自分で自分に任務を与えたようなものか?」
「ぜんぜん違う!」
「……よくわからない」
レントは本当にわからないようだ。首を傾げたまま眉間にシワをよせる。
数瞬悩んでから、なにかしらの結論を出したようだ。傾げていた首を戻して口を開く。
「よくわからないが、継承者殿とご母堂の再会が生き甲斐なら、薔薇の武具はもうどうでもいいのだな。ならあれは我々が接収し……」
「どうでもよくない! あれはノエルが母親と再会するために必要な物だ!」
「……」
レントが無言で人差し指を唇の前にたてる。
それで思いだしたが、すぐそばでノエルが眠っているのだ。あまりうるさく騒ぐと彼女を起こしてしまう。
「武具のことは置いておくとして、だ。わたしとキミは継承者殿を守るという点では協力しあえるはずだ」
「まあ、確かに……」
「それともキミは……わたしが気に入らないのか」
言葉につまる。
気に入らないとまでは言わないが、初対面の言動の悪印象が頭にこびりついている。
「わたしは……歓迎すると言われて……」
うつむいた彼の唇からはそれ以上の言葉は紡がれなかった。しかし彼の心境は痛いほどわかった。
自分は彼に歓迎すると言ったくせに、ずっと彼とトランを比較していた。
トランは……。
トランなら……。
トランだったら……。
物腰やわらかなトランと理性的で冷たさを感じてしまうレントを比較して……彼を心から受け入れていなかった。
「やはり、わたしは兄の代わりにはなれないのか……」
うつむいたまま寂しげに呟くレントの頭に手を置く。
「代わりになんてならなくていい!」
グッと力を込めて、八つ当たりぎみに、ガシガシと頭を撫でる。
「な? キ、キミはいきなり何をするんだ!?」
抗議の声を上げ、手を払い除けようとするがそうはさせない。
髪がグシャグシャになるまで撫で回したのち、レントの目を見つめてクリスは言った。
「お前に、疎外感を感じさせたのは悪かった。……でもすぐには無理だ。……トランと私達も、すぐに今のような関係を築けたわけじゃないんだ」
今でこそ、トランとは喧嘩友達のような関係を築いているが、はじめは単なる敵対関係だった。
エイプリルとも、今ではいい関係を築けているが、はじめは不信感しかなかった。
そして彼らにとっての自分も、けしていい感情は持たれていなかったのだろう。
そんな自分たちを結びつけたのはノエルという少女。彼女に手をとられることによって、自分たちは歩みより、手を取り合った。……仲間になれた。
しかしそれには、ずいぶんと時間がかかったのだ。
だからレントとの関係を築くにも、時間がかかる。
時間をかけて作り上げた自分たちの関係。
トランの抜けた穴を補うべく来た彼の弟でも、そのままそこに収まることはできない。
トランが欠けたことによってできた穴はトランにしかふさげないのだから、彼とは一から関係を築いていかなければならない。
「だから一からはじめよう。お前と私たちの関係を」
はじめ、レントは困惑するように、ぼうっとクリスを見つめていた。しかし彼はじきに理解したらしく淡々と話し始めた。
「わたしは……なぜキミたちが受け入れてくれないのかと悩んでいた。しかし違うのだな。わたしは……"兄の代わり"という立場に甘えていた。わたしと兄は別個の存在なのだから、わたしはわたしとしてキミたちと関係を育まねばならなかった」
レントが自嘲じみに笑い、手を差し出す。
「改めて、よろしく頼めるだろうか」
クリスはその言葉に満面の笑顔を浮かべ、手を握り返すことによって応えたのだった。
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Scribble <2008,11,23>