History not chosen

Advanced situation V


 水の中を漂う感覚。
 あたたかくも冷たくもない溶液に漂う自分を自覚する。
『〜〜〜』
 五感を通さず直接頭の中に刻みこまれる知識。
 微かな違和感と確かな充実感。
 知識が増えるのは、どんな形であれ、喜ばしいことだ。
 目を、開く。
 そうか……自分はもう、目覚めてもいいのか。
『……目覚めよ、トラン=セプター!』
 溶液を震わせて届く知己の声にゆっくりと身を起こした。


「ぎぃ〜ひっひっひぃ……よぉくぞ目覚めたトラン=セプターぁ!」
「Dr.セプター……テンションダウンをお願いいたします」
「……む」
「まったく……あなたという方は。普通にしていればいい方なのに、改造やら実験となるとネジがぶっ飛んだマッドドクターになってしまわれるのだから……」
 トランは調整槽から抜け出すと、手早く身体をぬぐって衣類を身につけた。
 そのさいに手にも腕にも、なんの違和感もなかった。どうやら完全に治ったらしい。
「治療は無事に済んだのですね」
「いや、その事で話がある。……座りなさい」
 すっかり落ち着いたDr.セプターに促されて着席する。
 彼は幾枚かの仕様書カルテを並べて言った。
「治療の方は完全に終了した。あとの細かな調整は日常生活の中ですればよい。だが……」
「だが……?」
「今のお前に攻撃魔術師としての能力はない」
「な……! それはどういいことですかっ!?」
「お前に内蔵していた生体火器を取り除いたのだ」
 Dr.セプターいわく。
 はじめは移植した腕が定着してから、徐々に火器の整備をしていく予定だったそうだ。
 しかしそうはいかなくなった。
 元々積んでいた火器に移植した腕が拒絶反応を起こしてしまったのだ。
 先日目覚めたさいに腕が急激に劣化していったのは、トランが無理をして治療途中に目覚めたのもあるが、そのためでもあったのだ。
 その拒絶反応を完全に抑えるすべは、いかなダイナストカバルの技術といえども存在しなかった。
 無論、生体火気を取り除くのだって、普通ならば簡単な作業ではない。だがトランは彼自身が設計から手掛けた個体だ。
 どこに何があるか、何が設置されているかは手にとるようにわかる。問題があるとするならば、純粋に技術力の点だが、Dr.セプターはまず間違いなく成功するとふんだ。
 だからこそ、彼は選択を迫られた。
 トランを、拒絶反応でいつ死ぬともわからない魔術師として目覚めさせるか、健康ではあるが無力な人間として目覚めさせるかを。
 ……悩んだのは数瞬だけだった。
 組織の戦力だけを考えれば、前者であろう。だがダイナストカバルは地域密着型悪の組織、大切な部下の命を失うような選択は行わない。
 ……否。
 たとえ大首領が前者の選択を選んだとしても、彼はトランの命を取った。
 トランをはじめとする人造人間たちは彼にとって我が子そのもの。子をみすみす死なせるようなことなどするはずがない。
「生体火器を取り除いたことによって、アースブレッドは使えなくなった。他にも調整のために取り除かざるを得なかった機能がある」
 ……総合すると、自分はメイジとしての能力をほとんど失ったらしい。
「……わかりました。修理、ありがとうございました」
 意気消沈して研究室を出る。ふらふらと自室に戻り、ぐったりと座り込む。
 ……今まで呼吸をするように当然と出来ていたことがいきなり出来なくなった。
 それはひどく辛いことだった。
「どーした、トラン?」
「アルテア……」
 視線を向けてみれば、いつの間にここに来たのだろうか、心配そうなアルテアの顔があった。彼女の顔を曇らせないために無理やり笑顔を作る。
「何でもない……大丈夫ですよアルテ」
「むりしなくていいんだぞ」
 遮って放たれた彼女の言葉に涙がこぼれた。
 どうしてこの人は自分の心を的確に読み取るのだろう……?
「す、すいませんすいません……!」
 涙が止まらない。
 戦えない自分が、無力な自分が悔しくてたまらない。
 背を撫でて慰めてくれるこの小さな手を守る力は、もう自分にはないのだ。
「おちついたか?」
「あい……すみません」
 ひとしきり泣いてから、うなずく。
 まだ涙は目元からにじんできそうになるが、とりあえずは落ち着いた。
「トラン……」
 アルテアが真剣な目で自分を見つめて続ける。……何を、言うつもりなのだろう?
「はらはすいてないかっ!?」
 カクンと肩が落ちた。
 てっきり慰められるものだと思っていたので、ちょっと拍子抜けした。
 しかし……これも彼女なりの慰めなのかもしれない。ヘタな慰めはトランには届かないと、かえって傷つけると、そう思って気をまぎらわせてくれているのかもしれない。
 いや……たぶん、そうなのだろう。アルテアは人の心を読み取るのがうまい。そして人を愛し、人に愛され育った彼女は本当の意味で人を思いやることができる。
 だからこそトランの教育者、トランに心を教えた母であるのだ。
「はらはすいてないかっ!?」
 繰り返さた言葉に、今度はトランもうなずいた。
「少しだけ……」
「ここでたべるか? ごはんもってくるぞ」
「いえ……ちゃんと食堂に行きます」
「そうか! じゃあ、いっしょにいくぞ!」
 アルテアに手を取られ、立ち上がる。
 そして未だに瞳を濡らしながらも、穏やかな気持ちで食堂に向かったのだった。




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Scribble <2008,11,30>