History not chosen

Let's enjoy traveling together
〜Noel〜


「うおおぉぉぉん!」
 よく晴れたある日のこと、ヴァンスターの街の一角から、犬のような泣き声が響き渡った。
「おうおうおう……ノエル〜ノエルぅ〜」
「お母様、泣かないでください。ちゃんと手紙を書きますから」
 あの戦いから一年、ノエルはヴァンスターの両親のもとに帰り、穏やかな日々を過ごしていた。
 ……のだが、最近は色々と忙しくてしかたがない。
 ノエルに見合いの話やら縁談の話やらが大量に舞い込むようになったのだ。
 ノエルは神竜殺しの英雄の一人、しかもそのギルドのギルドマスターである。
 彼女を嫁にもらって株をあげようとする者が現れたのである。
 次々と舞い込む見合い話等に、ノエルはおろか両親も嫌気がさしていた。
 何しろ彼らが欲しいのは神竜殺しの英雄であってノエル自身ではない。そんな男と結婚して幸せになれるはずがないのだから。
 憂鬱な日々が続いたある日、ノエルは思い付いたのだ。
 そうだ。ほとぼりがさめるまで逃げてしまおう……と。
 そう思い付いたら、彼女の行動は早かった。まず両親に相談して了承を得ると、仲間たちへと手紙を書いた。
 まずは、また旅立つことをしたため、何時出立するか、どのような道筋を辿るか、今現在の最終目的地は母のいるディアスロンドであることを記した手紙を仲間たちへと送った。
 また共に旅がしたいという気持ちはあるものの、自分のわがままに付き合わせてはいけないという気持ちから、共に行こうとは書かなかった。
 しかし一人旅になるなどとは微塵も感じていなかった。
 きっとまた彼らと楽しい旅ができるはず。そんな光景が脳内に容易く浮かぶ。
「ではお母様お父様、いってきます!」
 義母の泣き声と義父の笑顔に見送られ、家を出る。まずはレブナントから船に乗らなければ。
「よう」
 ポンポンと肩を叩かれて振り返ると、そこには一人の女性が立っていた。
 彼女は足元まで隠す藍色のコートを羽織り、日差しを避けるための薄手のベールで顔を隠していた。
「えっと……?」
「俺だ」
 ベールをあげ、女性がにやりと笑った。
「エイプ」
 名を呼ぼうとした口をふさがれる。
「悪いが感動の再会は町を出てからにしてくれ」
「え? でも冤罪とかわかって釈放されたんでしょう?」
「いいから」
 彼女に手を捕まれ、半ば引きずられるように町を出る。
 町が見えなくなるまで街道を進んだ所で、彼女はベールを剥ぎ取った。
「やれやれ……。慣れないものは肩がこるな」
 赤いベレー帽を被り、次いでコートを脱ぎ捨てる。その下からあらわれたのは見慣れた赤いスカート。軽くかきあげた髪は美しい金髪。そう、彼女は……。
「お久しぶりです、エイプリルさん!」
「ああ、久しぶりだな。元気そうでなによりだ」
 一年たって、さらに美しくなったエイプリルが微笑を浮かべる。
 その相貌のみならず、身体つきも柔らか曲線を増し、首筋やウェストの細さを際立たせ、彼女を美しく見せてている。
 ……自分も多少は女性らしい成長をしているだろうか。
 そんな複雑な思いを抱えながら、彼女を見ているうちに、一つ違和感を感じるところを見つけた。
「あれ?」
 そういえば、首に飾られていたチョーカーがない。よく似合っていたのにどうしたのだろう。
「エイプリルさん? チョーカーはどうしたんですか?」
「チョーカー? ……ああ、あれか。人にやっちまった」
「ええ〜!? 似合ってたのに〜」
 ノエルはあれが彼女を縛る枷であったとはしらない。だからこその発言だった。
「でも、もうないしな」
「……そうだ! 新しいチョーカーをプレゼントしますよ!」
 名案を思い付いたとばかりに手を叩く。
「そうと決まれば、善は急げです! 早くレブナントに行きましょう!」
 がっしりとエイプリルの腕を捕まえて、意気揚々と街道を行く。
「おいおい。町は逃げたりしないぞ」
 そんな不平をもらしながらも、エイプリルの口元は楽しげに微笑んでいた。


「さあさあ! もうすぐ着きますよ! 早速アクセサリー屋さんに行きましょうね」
「いや、そんなたいそうな物はいらねえぞ」
「そうですか?」
「ああ。――その代わりお前が選んでくれ」
 エイプリルもノエルのセンスを知っているだろうに、たいした勇気だ。
「あ、あそこに露店がありますよ」
 覗き込んだその店には、簡素ながらも見目よいものがそろっていた。
 リングにブレスレット、ペンダントにもちろんチョーカーも揃えている。
 共に覗き込んだエイプリルは、その店主のセンスに心から感謝した。これならば、どれを選んでもらってもおかしくなることはない。
「どれがいいでしょう?」
「あれなんかノエルに似合うんじゃないか?」
「あ、可愛い! ……って今はエイプリルさんのを選んでるんですよ」
 和気あいあいとアクセサリーを選ぶ彼女らは、まるで普通の少女のようだ。この姿を見て、誰が神竜殺しの英雄だと思うだろう。
「決めました! これとこれをく」
「この二つをください」
 店主へと指差そうとした二つのアクセサリーを奪う者がいた。
 さっさと店主に手渡し、代金を払ってしまう。
「ああ!? あたしが買うところ」
 文句を言おうとしたノエルの表情が固まった。
「はい、プレゼント」
 固まるノエルと愉快げに笑うエイプリルの手にそれぞれアクセサリーをのせ、金髪の少年は朗らかに笑った。
「そこの茶屋の軒先にいたんだけど、二人とも気づかなかったな」
「そっちから声をかけりゃよかっただろ――クリス」
「かける隙がなかったんだよ」
 まあ、確かに自分たちは露店に直行してたし、そんな隙がなかったというのもうなずける。
 改めてクリスを見てみれば、腰に剣をさげ、肩に荷物をかついだ旅支度。これはつまり――。
「あの」
 ノエルの視線に気づいたクリスが笑顔を浮かべた。
「今日出港の船はもう満席らしいですよ。だから今日は宿をとって、明日出立しましょう。――それとも今から皆で予約だけでもとりに行こうか」
 ノエルの瞳がキラキラと輝く。
「行きましょう、みんな一緒に!」
 右手にエイプリル、左手にクリスをたずさえて、道をゆく。
 エイプリルは諦めの苦笑を、クリスは恥ずかしげな微笑を浮かべてはいるが、二人とも抵抗するつもりはないようだ。だって再会出来て嬉しい気持ちは自分たちも同じだし。
 そして港のすぐそばまで来たその時だった。
「――っ!?」
 エイプリルが急に振り返った。それにつられて後ろを見たノエルの視界に、路地に消えていく深紅のマントが写った。
「トランさん!?」
 手を離して全力で追いかける。
 追いかけ、捕捉したその姿は、マントと鍔広のハットに隠されいて、彼自身だとはっきり確認することはできない。
 しかし今、このタイミングで、彼と同じマントとハットを身につけた者が現れたのだ。これで彼ではないなんてことがあるわけない!
「待って!」
 待てと言われて待つ者がいるわけがない。
 しかしノエルと推定トランには明らかな体力差がある。ばててきたらしい彼との距離が徐々に縮まる。
 幾度目かの角を曲がった時だった。
 彼はこちらに背中を向けて立ち止まっていた。彼の両サイドには高くそびえ立つ石壁、その眼前には重たげな鉄の扉があった。
「トランさ」
「ストップ!」
 駆け寄ろうとしたノエルを男の声が押し留める。
 その声を聞いて、はっきりとわかった。――彼は間違いなくトランだ!
「トラン! どうして逃げるんだ!?」
 後ろに二人の気配を感じる。彼らも追いかけてきてくれたのだ。
「トランさん……こっちを向いて?」
 ノエルの言葉に彼は軽く首を横にふった。そして背中を向けたまま、ポツポツと話し始めた。
「あなたたちと別れて、もう一年も過ぎてしまいましたね。……でも一年も過ぎたというのに、わたしは……まだ、まともに戦えるだけの能力を取り戻していないんです」
「それが……?」
「わたしは、あなたたちの役にはたてない」
「それが?」
 トランの言葉にノエルは何度も疑問符を投げかける。彼女が注意深くトランを観察することができたなら、彼の肩がふるえていることに気づいたかもしれない。
「あなたを守れという、大首領の命を理由にして、ここまで来てしまったけれど……役に立たないわたしは、あなたたちと共に行」
 ノエルが黙って聞いていたのはそこまでだった。ツカツカとトランに歩み寄り、ガッシリと彼を捕まえる。
 そして力任せに彼を振り向かせると、背伸びをして彼の瞳を真っ直ぐに見抜ける位置まで顔を近付けた。
「役にたつとかたたないとか! それに何の意味があるんですか!? トランさんさんはトランさんでしょう?」
 初めて聞くノエルの怒声。いつも明るく笑っていて、慌てることはあっても怒ることなんかほとんどなかったノエルが怒っている。
「あたしはトランさんだからいいんです! トランさんと一緒に旅がしたいんです! トランさんは嫌なんですか!? お父さんの命令だから仕方なしに来てくれたんですか!? だからいろいろ理由をつけて断わろうとするんですか!?」
「違う……違います! でもわたしは今のあなたたちの半分程度の力しかないんですよ!?」
「かまいません! 昔、トランさんが、かけだしだったあたしを守ってくれたように、今度はあたしがトランさんを守ります!」
 どう答えていいかわからず、トランの目がおろおろとさ迷う。背後にいる二人に目を向けると、彼らは笑って言った。
「トラン、お前の敗けだ」
「そうそう。女にここまで言わせて断るなんてことすんなよ」
「……いいんですか?」
 不安げにポツリと呟く。
「いいんです!」
「ダメなわけないだろ」
「当たり前だ」
 三者三様な歓迎の言葉にトランの瞳から涙がこぼれ落ちた。
「ト、トランさん!?」
 ノエルがあわてて、マントの裾を使って彼の涙を拭き取る。
「……ありがとうございます。わたしも一緒に――」
 なんというか。うまく言葉に出来ないようだ。しかし彼の気持ちはわかった。
「トランさん、あたしと旅をしましょう――いえ、みんな一緒に旅をしましょうね」
「――はい」
 いまだに涙をこぼしながらトランはうなずいた。そんな彼にクリスはハンカチを差し出した。
 ハンカチを受け取ったトランは軽く鼻をすすりながら、クリスに確認した。
「鼻をかんでも――」
「それは駄目」
 ハンカチを取り上げて、彼の目元をガシガシこする。
 仲良さげな彼らの様子を見て、ノエルが笑う。
「そういやレントはどうした?」
 エイプリルの問いに、トランは懐から手紙を取り出す。
「レントは極東に――。手紙を預かっています」
 濃紺の封蝋がされた手紙を受けとる。それにはノエルとクリス、そしてエイプリルの名前が書かれ、差出人には名前はなく、ただ"あなた方の親愛なる仲間より"と書かれていた。
 そこに並んでいたレントの字は以前と様子を変えていた。
 以前は書物の時をそのまま並べたような几帳面な筆跡だったが、今は少々崩れている。
 しかし字が汚くなったのかというと、そういうわけではない。
 なんというか――字にクセが出て、人間らしい円みを帯びたのだ。
「ノエル?」
「あ、はい! 読みます読みます」

 皆、元気にしていますか?
 お体を壊したりしてはいないでしょうか?

 最後にあった時からは想像できぬほどの優しい文面が紙の上に並んでいる。
 その後には彼の近況が書かれていた。

 大首領より、極東支部を預けられました。
 ですから、わたしはアルテアやフーガとともに極東に行きます。

 そして最後に彼からの頼みが書かれていた。

 トラン兄さんをお願いします。
 力を失って以来、臆病になっている兄をよろしくお願いします。


「――似た者同士め」
「へ?」
 エイプリルの呟きにトランが間の抜けた声をあげる。そんな彼に笑顔を投げかけながらノエルは言う。
「レントさんはやっぱりトランさんの弟だってことですよ」
「あ、あの意味がわからない……」
「お前たち、言ってることが同じだよ」
 クリスも笑って手紙をはじく。そしてクルリと背を向けると、スタスタと歩き出す。
「さ、早く船の予約を取ってこないとな。行くか、エイプリル」
「ああ」
 いまだにおろおろするトランを取り残して、二人はさっさと行ってしまう。
 そんな彼をノエルが捕まえて全力で走り出す。
「わわっ!? ――ノ、ノエル!?」
「早く行かないと置いてきぼりにされちゃいますよ?」
「ちょっと待って! 足がもつれる! こ、転け――うわあ!」
「きゃ!」
 足がもつれ、しかもローブの裾を踏んでしまったらしいトランが盛大に転ぶ。もちろん、彼を捕まえていたノエルも巻き添えをくって転んでしまった。
「いたたた……。だ、大丈夫ですか、ノエル」
「あ、はい! あたしは大丈夫です」
「って足擦りむいてる! 血がいっぱい出てるじゃないですか」
「これくらい平気ですよ」
「――砂は入り込んでないみたいですね」
 トランがノエルの足に手をかざす。フワリとした温かみが伝わると同時に、チリチリした痛みが遠退く。
「これでよし!」
「ありがとうございます。――やっぱり、あたし……トランさんがいないとダメですね」
「そうですか?」
「はい!」
「――ならそこに、もう少し人を付け加えないと。クリスにエイプリル、そして」
 トランは優しげに笑い、ノエルは明るく笑ってその言葉の後を継ぐ。
「レントも」
「レントさんも!」
 ここにはいないもう一人の仲間の名をきれいにハモらせる。
 そう、彼だって自分たちの仲間だ。クリスたちに比べれば、わずかな時間しか共にいられなかったとはいえ、レントも大切な仲間だということにかわりはない。
「いつか迎えに行きましょうね!」
「そうですね。――わたしも頑張ります」
 なぜトランが頑張るのかはわからなかったが、それはどうでもいい。肝心なのは彼にもレントを迎える意志があること。共に旅をしようという気持ちがあるということ。
「おーい! 二人とも置いてっちゃうぞー」
 数メートル先から届くクリスの声。それに我にかえり、助け合って立ち上がる。
「――行きますか」
「はい! 行きましょう!」
 彼女らの行く先にはどこまでも続く蒼い空。
 ――薔薇の巫女とか、悲劇の運命だとかはもういらない。
 運命を覆したノエルたちフォア・ローゼスの物語は、この先明るい話に綴られていくだろう。

 ――彼女らの望むがままに。




[ ←BACK || ▲MENU || NEXT→]
Scribble <2009,02,07>