Beloved Family

03


わたしは思う。
一目惚れとは本当にある……。


 最近、トランは明るくなった。
 仕事中もそうだし、帰宅もスキップでもしてるんじゃないかと思うほど、うきうきと帰っていく。
 それもクリスを家族にしてからだ。
 明るくなるのはいいことだが、一つ困った点がある。
「レント! これを見てください、もうすっごくかわいいんですよ!」
 携帯カメラでとった画像をしきりに見せてくるようになったのだ。
 まあ、確かにかわいいし、自分だって動物は嫌いではないが、こうしょっちゅうだと、呆れてくる。
 ……トランは完全に犬バカになってしまったようだ。
「……明るいことはいいことだ」
 そう、自分に言い聞かせる。レントだって兄には明るく笑っていてほしいと思ってはいるのだ。だが、自分を巻き込むのはちょっとやめてほしい。
 ……それとも自分にも惚れ込むような家族がいれば、トランとの会話を楽しめるのだろうか。
「それはない、か……」
 今まで共に暮らしたいというような犬猫たちに出会っていない。彼等はそこにいるだけでいいのだ。わざわざ手間を背負う必要はない。
 そんな回想やら考え事をしているうちに職場についた。といっても直属の上司と兄しかいない零細部署だが。
「おはようございます」
「おはよう、レント。見てください、可愛いでしょう」
 そう言って突き出したトランの手の中には小さな子猫がいた。まだ手の平で包み込めるほど小さな、緑色の瞳の子猫だ。
 その子猫は小さな手でトランの指にしがみつき、愛らしい声をあげた。
「みあ〜」
「あ……か……そ……その子猫は!?」
 電撃にうたれたような……とはこのことをいうのだと、レントは初めて知った。それほどまでの衝撃を彼は受けていた。
 可愛いのだ、ものすごく。ふんわりとした毛並みといい、ぱっちりとした瞳といい……その全てがレントの心を打ち抜いてくる。
「…………貰い手、ついちゃったみたいですね」 トランが残念そうに言いながら、レントの手の上にその子猫を置いた。
「みぃ」
 レントを見上げて子猫が鳴いた。
「に、兄さん! この猫は!?」
 普段、職場では『トラン』と名前で呼んでいるのに、『兄さん』になっている。だいぶ動揺しているようだ。
「うちで生まれた子猫だ。……もらってくれるな?」
 ぽんっと肩を叩かれて、はじめて上司がそこにいたのに気付いた。それほどまでにレントの心は子猫に奪われていたのだ。
「わたしでよろしければ、この子の家族にならせていただきます。……あの名前は?」
 レントの手の上で落ち着いたのか、子猫がまるまってぬくぬくしている。
 そんな子猫をそっと撫でてトランが言った。
「わたしは『ノエル』と名付けようと思ってましたが……」
「『ノエル』……。いい名ですね。その名前をいただくことにします」
 レントが子猫を胸に抱く。すると子猫は彼のぬくもりが心地よかったのか、すりすりと甘えてきた。
「ノエル、わたしと家族になりましょう……」


 ……と言ったのが数日前のことである。しかし悲しいかな、レントにははずせない出張が入っていた。
 結局ノエルと過ごせたのは一日だけで、トランに預けることになってしまった。
 自分の家に馴染む前に、トランの家に馴染んでしまっていないかちょっと心配だったりする。
 それはともかく今は帰りの電車の中である。早く、少しでも早くノエルを迎えに行かなくては……。

  たったかたったったー♪

 軽快なメロディがトランからのメール着信を告げた。
 どうせまたクリスの写真でも送りつけてきたのだろうと思いながらも、携帯を開き、お茶を飲みながらメールを確認する。
 それは確かにクリスの写真だった。しかしそこに写っていたのは彼だけではなかった。
 その写真にはクリスに寄り添って眠るノエルの姿があった。
「……!」
 危ない。
 危うくお茶を吹き出すところだった。
 それにしても可愛い。クリスに寄り添って、ころん……っと腹を向けて、なんとも言えないような幸せそうな表情で眠っているノエル。……ああ、本当に可愛……。
「……」
 ……いかん。
 これ以上見てはいけない。
 吹き出すのがお茶だけではすまなくなる。……買ったばかりの白い携帯を違う色に染め上げるわけにはいかない。
 耐えろ、耐えるんだ! もうすぐ生ノエルに会える!
 後ろ髪をひかれる思いで携帯を鞄にしまう。
『異人出流駅〜。異人出流駅〜』
 ちょうど駅に着いたようだ。
 レントは駅を出ると駆け出した。
 早く早く少しでも早く!
 一心不乱に足を動かしたせいだろうか、今までに例を見ないほどの最短時間で実家に着いた。
 キーケースから鍵を取り出し玄関の扉を開ける。すると小さな影が飛びついてきた。
「みー! みあー! みにゃー!」
 飛び付いてきた影……ノエルはレントの足にぴっとりと張り付き、しきりに鳴いた。
 なんだか抗議の声をあげてるようだ。
 ……自分を置いてどこに行ってたんだ、と。
 レントはそんなノエルをすくいあげ、胸に抱いた。するとノエルはコートの隙間から懐へと潜り込んできた。
 レントの胸元で安心したようにのどを鳴らすノエルを見てトランが言った。
「ついさっきからそわそわし始めてね。あなたが来るのがノエルにはわかったんですね」
 トランがそっと撫でると、ノエルがその手をぺろりとなめた。しかしそれっきり、彼女は再びレントの胸に顔を埋めてしまった。
「やっぱりあなたがいいんですねー」
 トランは少し淋しそうだったが、レントはちょっと嬉しかった。
 ノエルはたった一日しか共にいられなかった自分を家族と認識してくれているのだ。……トランの方が過ごした時間が長いにも関わらず、だ。
「わん! わわん!」
 クリスがレントを見上げて声をあげた。どうやらノエルがさらわれるとでも思っているらしい。
「クリス。ノエルはお家に帰るんですよ」
 トランがクリスの頭を撫でて諭すが、どこまで通じているのやら……。
「では兄さん、お世話になりました」
「いいえ、こちらこそ楽しませてもらいました。またいつでも連れて来て下さいね」
 そう言って笑ったトランの微笑はふわりと優しい慈愛の微笑。そんな兄に弟は生真面目に言った。
「はい。ノエルを連れて遊びに来ます」
「遊びに来るではなく、帰って来るでしょう?」
 トランが寂しげに苦笑しながら言った。
「あ……」
「ま、今のわたしにはクリスがいますから」
 寄り添うクリスの頭を撫でてトランが再び優しい微笑を浮かべる。
「レントにもノエルがいますしね」
「みう?」
 名を呼ばれたのに気付いたのか、ノエルが声をあげた。レントは懐から見上げてくるノエルの頭を撫でて言った。
「さあ、帰りましょうか。……わたし達の家に」




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Scribble <2008,02,11>