Beloved Family

04


 ふわふわあったかい空気。
 もこもこのお布団。
 お母さんとは離れ離れになってしまったけど、この四角い場所だってそう悪いところじゃない。
『でも一人はやっぱり寂しいよ〜』
 ノエルのまどろむ箱の中を暗紫色の青年が覗き込んだ。
「ち、小さっ! 可愛い! どうしたんですか、この子猫?」
 その青年が自分を抱き上げて笑ってくれた。
「うちの猫の子供だ。どうだ、トラン? 飼わないか?」
「心惹かれる提案ではありますが、わたしにはクリスがいますので」
『だれか他に大切なヒトがいるの?』
 この人は優しそうで、自分を幸せにしてくれそうだったのに。他に大切なヒトがいるならしかたない。
「で、でも予約させてください! 誰も貰い手がつかなかったらうちの子にしちゃいます」
「……名前はどうする?」
 ……なんて言ってるんだろう?
「わたしの子になること確定ですか。……そうですねえ……うちにいるのが『クリス』だから。クリスマスから連想して『ノエル』で!」
 ……クリス? ……ノエル?
「ノエル〜」
 『ノエル』って言いながら撫でてくれた。そうか、これが名前ってものなんだ。自分は『ノエル』っていうんだ!
「おはようございます」
「おはよう、レント。見てください、可愛いでしょう」
 そう言って彼の前に差し出された。目の前に立つ人と自分を抱き上げてくれた人はちょっとだけ似てる。……この人は自分を大切にしてくれるかもしれない。
『はじめまして! 仲良くしてください』
「あ……か……そ……その子猫は!?」
「…………貰い手、ついちゃったみたいですね」 そうやって乗せられた彼の手はあたたかくて……。あの四角い箱の中よりも居心地がいい。
『ここに、ずっといてもいい?』
 彼の返事はわからなかったけど、笑ってくれてるから、きっといいはず。
 きゅっと抱きしめてくれる手が気持ちいい。ああ……自分はこの人のそばにいればいいんだ。この人にあうためにお母さんと離れたんだ。
「ノエル、わたしと家族になりましょう……」
 うん。あたしはあなたの家族になる……。


 大きな部屋の中で、あの人と一緒にいたのは一日だけ。今はもっと大きな部屋の中、最初に抱き上げてくれた人と一緒にいる。それともう一人……。
『君は、誰?』
 きれいな毛並みをした……ええと確かこれは犬っていうんだっけ。おうちにもたくさんいたから知ってる。
『あたし、ノエルっていいます。あなたは?』
『私はクリス。あれは私の家族でトランっていいます』
 あの片目を隠した人は『トラン』というらしい。あれ? そういえばあの人はなんて名前なんだろう……。
「何を話してるんですか」
 トランが二人のそばに腰をおろした。クリスが彼の隣を陣取り、頭を撫でてもらっている。
「ノエル? あなたもいらっしゃい」
『こっちに来ないんですか?』
 ……この人はクリスの家族なのに、自分が甘えちゃっていいんだろうか?
「もう、しょうがない子ですねえ」
 トランはもじもじしているノエルを抱き上げると、自分の膝の上に置いた。しかしノエルはなんだか落ち着かないようだ。そわそわきょろきょろ、あっちへこっちへしているうちにぽてん……と膝から落ちてしまった。
 しかし子供とはいえ、猫は猫。たいしたダメージもなく立ち上がった。
『大丈夫ですか?』
『はい、平気です。それよりもここにいていいですか』
 そう言ってノエルが腰をおろしたのはクリスの真横である。
『もちろんいいですよ』
 クリスの了承を得てから体を横たえる。母とは違う、彼のふわふわな毛並みが心地よかった。
『……ふわあ』
『あ、なんか私も眠い……』
 だってここはポカポカあたたかいし、優しく撫でてくれる手があるし、眠くなったってしかたない。
『……おやすみなさ〜い』
『おやすみなさい……』
「おや、眠っちゃった」
 クリスの毛並みに埋もれるように眠るノエルをそろりと撫でる。すると彼女は目覚めるでもなく、ころりと腹を向けた。
「……警戒心のない子ですねえ」
 しかし考えてみればそれは当たり前なのかもしれない。彼女はクリスと違い、捨てられたことがない。母からの、人間からの愛情だけを受けて育ち、彼女を愛する家族に手渡された。つまりノエルは人間の優しさしか知らないということだ。人間の手が、自分を傷つけることができるとは、傷つけることがあるとは知らないのだ。
「でもそれは幸せなこと、ですよね?」
 すやすやと安心しきって眠るクリスとノエルを見てトランは心から思う。全ての犬猫、動物達が幸せだけを、人間の優しさだけを知っていればいい、と。孤独に震える恐怖など、人間の汚さなど知らないまま生きていければいい、と。
「あなたたちは、わたしたちは幸せですよね」
 寄り添いあえる家族に出会えたのだから。
「レントは今夜にも帰ってきますよ」
 トランの言葉がわかったわけではないだろうが、ノエルが幸せそうな表情を見せた。
「とりあえずレントにはあなたの今の状況をしらせておきましょうね」
 携帯電話を取り出し、パチリと写真をとる。そして簡易な文章をつけるとレントへとメールを送った。
 さあ、あの弟はどんな反応をするのだろう。


 そわそわそわ。
 きょろきょろきょろ……。
 なんだか、なんだか落ち着かない。
『どうしたんですか?』
『えっと、えっと……わかんないです。でもなんだかなんだか……』
 あっちでそわそわ、こっちできょろきょろ……。
 カチャリ……と何か金属が擦れる音がした。
『あっ!』
 ノエルが飛ぶような勢いで玄関に走る。
『この匂い、あの人だ!』
 わずかに開いた扉の隙間から、その人間に向かって飛び掛かる。そしてノエルは彼にへばり付いたまま抗議の声をあげた。
『どこに行ってたの! 家族になろうっていったでしょう! あたしを置いていかないで!』
 青年が泣き叫ぶノエルをすくいあげ、胸に抱く。ノエルはコートの隙間から懐へと潜り込んだ。
『もう、どこにも行かないで』
 彼の胸元に体を擦り寄せる。そんな彼女を見てトランは言った。
「ついさっきからそわそわし始めてね。あなたが来るのがノエルにはわかったんですね」
 トランがそっと撫でてくれたので、その手をぺろりとなめた。しかしそれだけだ。自分の家族はこの人であってトランではない。再び青年の胸に顔を埋めて、あたたかな幸福をかみしめる。
「やっぱりあなたがいいんですねー」
『うん。あたしの家族はこの人だもの』
『離せ! ノエルをどうする気だ!』
 クリスが青年を見上げて叫ぶ。
「クリス。ノエルはお家に帰るんですよ」
 トランがクリスの頭を撫でて諭すが、彼は納得していないようだ。
 青年がトランと話している間にノエルはコートの隙間から顔を出し、クリスへと声をかけた。
『あたし、この人とおうちに帰るの』
『おうち? 一緒に住むんじゃ……私達の家族になるんじゃないんですか?』
『うん。あたしの家族はこの人だよ』
 そうこうしているうちに彼らの会話は終わったようだ。トランがクリスの頭を撫でて優しく笑った。
「レントにもノエルがいますしね」
『レントって?』
 『ノエル』は自分の名前だ。だったら『レント』っていうのは誰だろう……。少し悩んだノエルだったが、その答は子猫の小さな頭でも導き出す事ができた。
 自分が『ノエル』でふわふわな犬が『クリス』でその家族が『トラン』。だったら『レント』はこの場にいる最後の一人である自分の家族の名前に違いない!
『レント……。レントさん! あたしの家族はレントさん!』
 ようやく自分の家族の名前がわかった。自分の大切な人の事がわかった!
「さあ、帰りましょうか。……わたし達の家に」
 レントがふわりと優しげに微笑んでノエルに話し掛ける。それに彼女は元気な声でこたえた。
『うん。帰ろうレントさん。あたし達のおうちに!』




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Scribble <2008,02,17>