Life with child
05
クリスが子どもになってから数日が過ぎた。
その間トランは文献を調べあげ、幾度か解呪の儀式を施しているのだが、なんの効果も示さない。
「おかしい……。巻き戻しの魔法ならこのどれかで解けるはずなのに」
「だが実際、解けていないぞ」
「何か、根本的な間違いがあるのか……」
再び文献を睨みだすトラン。その背中に声がかけられる。
「トランさん、エイプリルさん夕飯の用意ができましたよ」
「ああ、わかった。……クリスは?」
「席で待ってもらってます」
そんな会話を少女二人がかわしている間も、トランは調べ物に没頭したままだ。
「トラン、調べ物はあとにしろ」
「……そうですね」
ところかわって宿の食堂。
クリスはたくさんの料理が並べられた机を前におとなしく座っていた。
「お腹空いた〜」
「ごめんなさい、クリス」
トランは不平をもらすクリスの頭を撫でて謝罪した。
そして席につくと、彼が食べやすいように料理を取り分ける。
……ちなみにもう膝の上に乗せたりしない。
椅子に分厚いクッションを重ね、クリスが食べやすいように高さを調整してあるので。
「それにしてもクリスくんはいい子ですよね。おとなしいし、言うこときいてくれるし」
クリスがきょとんとした目でノエルを見つめた。
(まあ、中身は元のままだし)
「もし、このまま魔法が解けなかったら…………いっそ育てなおしますか」
「時間がかかるだろう」
「そうそう。それは最後の手段です」
(否定は、しないんだ)
などと今後の方針(?)を話しながら食事をとる。
やがて和やかに食事は終わり、のんびりと食後のお茶を飲んでいる時だった。
すっかりできあがっているのだろう、赤ら顔の男がジョッキを手に彼等のそばを通りかかった。ふらふらと歩いて危なっかしい……。
それだというのに、間の悪いことにトランが軽く椅子を後ろにひいた。
椅子が軽く酔っ払いに当たる。
手に力が入ってなかったのだろうか、そんな軽い衝撃でジョッキが男の手を離れ、トランの方に!
「トラン、お兄ちゃん!」
ガバッとクリスがトランに覆いかぶさろうとするが、所詮子供だ、庇いきれない。
「クリス!?」
(しまった! 今の私は子供だった! っていうかこんなもの庇わなくてよかったのに!)
大半をクリスがかぶったものの、トランもかなりの量をかぶってしまった。
「…………ひっく」
(これ、酒か? 体が熱い……。そこまで弱かったかなぁ)
なにやらぎゃあぎゃあ騒いでいる酔っ払いを軽く睨みつけてから、トランはエイプリルに言った。
「……エイプリル、ここはお願いします。わたしは、クリスを洗ってきます」
手早く着替えを用意して風呂場に向かう。
クリスも自分も全身が酒臭い。
「トランおに〜ちゃん、なんだかふわふわする」
(なんだかすごく、いい気分だ……)
やばい。
クリスがちょっと酔っ払ってきてる。
早く洗わなければ。
「はいはい、それはいいからお風呂に入りましょうね」
「は〜い」
洗い場に連れてゆき、クリスを洗いはじめる。
「クリス、痒い所はないですか〜」
「うん、ないよ〜」
(あは。なんか楽しい。こんなのもたまにはいいよな〜)
なぜか始終にこにこしているクリスに疑問を抱きつつも、彼をピカピカに磨きあげる。
「はい、終わりましたよ」
「ありがと〜」
……なんというか。
光輝くようなクリスの笑顔がまぶしい。
こんな笑顔ははじめて見た。
「ぼくも、背中流してあげようか」
「いや、わたしはいいから。クリスは湯につかってきなさい。……ちゃんと肩までつかって百まで数えるんですよ」
「は〜い」
湯につかり数を数えはじめたクリスを横目にとらえながら体を洗う。
彼がのぼせる前に洗い終わらなければ。
「……98、99、100!」
クリスが湯舟からあがり尋ねる。
「ぼく、先に出てもいい?」
「えぇ、いいですよ。わたしもすぐに出るから待っててくださいね」
「うん、わかった」
…………。
本当に素直ないい子だ。このまま自分好みに……もといダイナストカバルを慕うように育てあげるのもいいかもしれない。
だがそれをすると将来はいいかもしれないが、今が困る。
「ま、それは最後の手段……」
そう呟くとトランは湯を浴びた。
クリスの事は気になるが、風邪をひかないように少しだけ暖まっていこう。
「お兄ちゃん、まだ〜?」
扉越しのクリスの声。
そろそろあがらなければ。
「はいはい」
風呂場から出て、水滴を拭い取って衣類を身につける。
椅子に座り、楽しげに足をぷらぷらさせているクリスに目をやると、風呂からあがって時間がたっているのに関わらず、まだ赤い顔をしている。
……どうやら湯につかって血行がよくなったために酔いがまわったようだ。
(今のぼくは子どもなんだよな〜。だったらすこしくらい……)
「お兄ちゃ〜ん」
クリスがなにやら楽しげにぺったりとくっついてくる。
「何ですか?」
視線をあわすために屈んだトランの胸にぽすっと倒れ込み、一言。
「抱っこ」
(ちょっとくらい甘えてもいいよな)
「はいはい」
洗濯物を片手にかけ、クリスを抱き上げる。
そしてしっかりとつかまってくるクリスに苦笑まじりに言った。
「甘えてくれるのはいいんですけどね。なんでわたしなんですか?」
「トランお兄ちゃんがいい」
(だってノエルは着せ替え人形にしようとするし、エイプリルは……あとが恐いし。……うん、やっぱり何かと世話をやいてくれるトランがいい)
「……そうですか」
本当は頭を撫でてやりたかったが両手が塞がっている。だからその言葉には微笑を返してあげた。そうこうしている内に部屋の前に着いた。そしてふと気付く。
……扉が開けられない。
ノックをしようにもトランにクリスを片手で抱く筋力はない。……っていうか出来るなら普通に扉を開けている。
(あ、そっか。ぼくをだいてるからあけられないんだ)
コンコン
トランが困っているのに気付いたのだろう、クリスがかわりに扉をノックした。
「は〜い」
「ノエル、開けてください。両手が塞がっているんです」
「はい、今開けますね」
開いてもらった扉を入り、クリスをベッドに下ろす。そして洗濯物をかごに入れると自分も彼の腰掛けるベッドに座った。
「トランお兄ちゃ〜ん」
クリスがぺったりと引っ付いてきた。
「…………どうしたんだ、そいつ?」
「はあ……。浴びた酒のせいで酔ってしまったようで」
「そうか。……にしても普段のクリスからは考えられん姿だな」
(だってぼくはいま子どもだし〜)
クリスはとてもとても楽しげにトランに引っ付いている。
確かに普段からは考えられない。……というか子どもになった時から見てもこんな事をしていた記憶がない。
「ねえ、お兄ちゃん」
「……なんですか、クリス」
優しい微笑を返すトランにクリスはにこにこと笑いながら言った。
「あのね、ぼく。トランお兄ちゃんのこと好きだよ」
「……え?」
トランが固まる。
「あ、あたしは? あたしの事はどうですか、クリスくん?」
ノエルがクリスの隣を陣取って尋ねる。
クリスはその問いにコクンと頷くと、ノエル、エイプリルの順に見て言った。
「ノエルお姉ちゃんもエイプリルお姉ちゃんのことも好き」
そして輝くような笑顔を振り撒いて続ける。
「……みんな大好き」
(……皆、大好きだ)
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Scribble <2007,09,08>