You who not is any longer



「それじゃ、いってきますね」
「はい、いってらっしゃい」
「(いってらっしゃいませ)」
 ノエル達を見送ったトランは疲れた様子でベッドに寝転がった。……眠いのだろうか。少しばかり喉が乾いたから水がほしいのだが。
「(トラン、眠いのか?)」
 顔を覗き込むと彼はすぐさま笑顔を作り上げ、自分を抱きしめた。
「はーい。なんですかー」
 ニコニコと笑いながらレントの体を高く持ち上げる。……たいした高さはないがこんな不安定なところにいるのは少し怖い。……トランの手もちょっぴり震えているし。
「(トラン、喉が乾いた)」
 彼に分かりやすいように喉を引っ掻く。しかしトランはすぐには理解出来なかったようだ。レントの顔を上に向けさせ、喉元を確認する。
「(トラン、違う。わたしは喉が乾いたんだ)」
 今度は喉をかきながら口を大きく開けた。
「あ、もしかして」
 それでやっと理解してくれたようだ。コップに湯冷ましを入れて口元に持ってきてくれた。それを飲もうと傾けようとしたが、彼はそれを許してはくれなかった。
「喉がかわいていたんですね」
 その代わり、彼が慎重にコップを傾けて中身を流し入れてくれる。
 ……ああ、そうか。今の自分は力の加減がききづらい赤子だ。あのまま自分が傾けていたら、勢い余って中身をぶちまけていたかもしれない。
「変わった子ですよね」
「(トラン? わたしはそんなに変わっているだろうか?)」
 コップを押しやり、彼を見上げて訴えてみるがトランは何もこたえない。やはり自分の言葉は何一つ伝わっていないのだろう。
「はい、ごちそうさま。ゲップしておきましょうね」
 世話をされてからまた放牧される。……といっても彼から離れるつもりはない。もう少しすれば自分はこの世から消えるのだ。その前に存分にこのぬくもりを味わっておきたい。
「(あたたかいな)」
 ぴったりとトランに引っ付く。そっと背に添えられた手が嬉しい。
 この手を守るためにも自分は彼らに伝えなければ、そのためにも紙とペンをなんとか手にいれなければ。
 ……でも、それはノエルたちが帰ってきてからでもいいだろう。
 未来をトランが知っても、彼は村を思って命を投げ出すかもしれない。未来を変えるのを、変えた後にあるかもしれない悲劇を嫌ってノエルたちには伝えることもしないかもしれない。
 そのためにも未来を知るのは四人全員である方がいい。
 仲間を愛する彼らならば、わざわざトランを死なせるような未来は避けるはず、結束の固い彼らならば全ての悲劇を回避出来るはずだ。
 コンコン
 ……うとうとと微睡んでいたところをノックによって中断された。窓の外を見てみると、太陽がずいぶん高い位置にある。……どうやら昼近くのようだ。
「あの、失礼いたします。ここに私の子を預かってくださっているお方がいるときいてきたのですが」
 ……私の子!?
 どういうことだ、自分に親などいないのに!
「はい。今開けます!」
 トランが簡単に身だしなみを整え、扉を開ける。その向こうにいたのは柔らかな栗色の髪をした女性がだった。
「(ノイエ様!?)」
「この度は私の不手際で大変なご迷惑をおかけしました」
 どうして……どうして彼女がここに!?
「あの、どうして子を置き去りにするようなことになってしまったんですか」
「転送石で移動していたのですが、抜け出していたのに気付かずに……」
「はあ……」
「それで……レントはどこに?」
「それがあの子の本当の名前ですか。レント君、お母さんが迎えに来ましたよ」
「さあ、一緒に帰りましょう」
 ……ああ、そうか。もう自分は帰らなければいけないのか。
 自分を抱き上げる彼女は少し悲しげな瞳で見つめてきた。それと同時に頭に声が響く。
――ごめんなさい。未来を変えさせるわけにはいかないの。
「(なぜ?)」
――確定された未来を変えてしまうと、大きな悲劇が起きてしまう。
「(わたしが消えるだけではすまない?)」
――はい。
 ……大きな悲劇、それはきっとノエルの命にも関わるだろう。もしかすると世界規模の悲劇なのかもしれない。
 ……どちらにしても、トランのかわりにノエルが命を落とすなら、自分の行動は意味を失ってしまう。仲間を失う悲しみじたいをなくすことができないのだから。
「とー……とぁ……とあん」
 トランに手を伸ばしながら、懸命に言葉をつむぐ。
「わたしの名を呼んでくれた?」
「とあん」
 差し出された指をつかんで、首を上下に動かす。最後、最期くらいちゃんと名を呼びたかったのに、うまく声に出てくれない。
「名残惜しいですが、あなたはもう行かなくては。いつかまた、成長したあなたに会えたら嬉しいですね」
「(会えない! あなたの死の上にわたしは成り立っているんだ!?)」
 撫でてくれる手のあたたかさが、未来という道が当たり前のように続くと信じている彼の言葉が……辛い。
「バイバイ?」
 優しく手を指から外された。もう、この手が自分に触れることはない。……失われてしまう。
 ボロボロと涙がこぼれる。不敬を承知でノイエの胸に顔を埋めて視線をそらす。
「あらあら」
「すねちゃいましたか」
「いえ、大丈夫ですから。それでは、私はこれで」
「あ、はい。すいません、引き止めてしまって」
「いえ。こちらこそご迷惑をおかけしました」
 幾ばくかの会話の後、ノイエが歩いているのを感じた。
「レント君……」
 名を呼ばれ、下におろされた。目を開け、彼女を見上げると同時にぐんぐんと背が伸び、瞬く間に赤子から元の姿に戻る。
 周りを見渡して見れば、そこは何もない白い空間だった。
「未来を変える事は出来ません。けれど伝えたい事があるなら……」
 ノイエがすっと指を指すと、そこにトランの姿がボンヤリと浮かび上がった。 自分との別れを惜しんでくれていれるのか、やや寂しげな表情している。
「トラン……」
 彼への感謝の言葉なら山のようにある。だが今、彼に伝えるべき言葉はこれではない。
「決して、後悔がないように生きぬいてください」
 これだけしか言えない。死に逝く彼に幸福になってくれとはいえない。
 ただ最期の一瞬に満足して旅立てるように、生きぬいてくれと願うだけ。
 涙に歪む世界が白く染まってゆく。写し出されていたトランの姿も側にいたノイエの姿も白にかき消され……そこでレントの意識は途絶えた。




[ ←BACK || ▲MENU || NEXT→ ]
Scribble <2009,10,31>