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 町の喧騒も届かぬ高層ビルの上、そこに一人の男が立っていた。
 この霧雨の中、煙草をくゆらせるその男は背後に人の気配を感じ、唇をつりあげた。
「司か……」
 返事は帰ってこない。
 コツ……
  その微かな靴音に振り向くと、そこには背の高い女が一人立っていた。
 細やかに降る雨は彼女に触れるか否かというところで白い薔薇の花びらに変わリ、舞い散ってゆく。
 その花の雨の中に立つ女の顔に永斗は見覚えがあった。
「私は、砂の薔薇デザートローズ。偽りの華……」
 そう言って女は薔薇の花をかたどった髪留めを外した。艶やかな黒髪が花の雨の中、風に流れる。
「ま、まさか……お前は!」
 見覚えがあるはずだ、それは鏡の中でよく見る顔、自分と同じ顔だ! 
 何の前ぶれもなく、女の髪飾りが異音を立て、銃ヘと変異してゆく。
 チャキ……
 変異させ始めたのは女の方が先だった。だが 銃をつきつけたのは二人まったくの同時! 
「さすがは伝説の暗殺者ガンズ&ローゼス。かなりの早さだ」
 女が不敵な笑みを浮かべて言う。
「お前も、なかなかのものだ。俺の銃を目の前にして立っていられる奴はそういない」
 男もまた不敵な笑みを浮かべて言う。
 霧雨の舞うこの場所で二人は鏡のように全く同じ表情、全く同じ体勢で対峙していた。
 フ……
 女が息を吐き、銃を元の髪飾りへと戻しながら、微笑を浮かべて言う。
「私は戦いに来たんじゃない、お前を迎えに来たんだ」
 それを見て男、上月永斗も銃をおろし、こう返した。
「迎えに? いったいお前は……」
「……わかるだろう?」
 女の目が悲し気に揺れ、答えを問うてくる。
「まさかお前は……」
「そう、私は……」
「親父の隠し子!」
「違う!!」
「妹よ〜」
「だから違うって言ってるだろう!?」
「あ、なら俺の娘?」
「それも違う! って無理があるだろう、それは! 私は24・5才に設定されてるんだぞ、どこをどう見てそう判断した!? お前はランドセルをせおう前に子供をこさえたのか!? 生物学上不可能だろうが!?」
「ははは! 何息切らしてるんだ?」
「お前がこんな長文突っ込みさせるからだろう!?」
「勝手に突っ込んだのはお前だ」
「ああ……私は、私はこんな奴の複製体なのか……」
 永斗が一転して渋い声で呟く。
「なるほど、な。道理で早いはずだ。この俺の複製体とはな……」
 その言葉を聞いて、女が永斗にすがるような視線を向け、言う。
「ネタ、ネタで言ってるんだろ? 本気でわからなかったわけじゃないよな、な?」
「何を言う。……俺はいつでも本気だ」
「あああぁぁぁ! 嫌だ、こんな男が私のオリジナルだなんてぇ!」
 狼狽する女をよそに永斗はシリアスな声で言う。
「……で、迎えに来たとはどういうことだ?」
「あ、ああ……。お前をつれ帰ってくれと頼まれてね」
 ……あっさり立ち直った。この切り替えのよさは永斗の遺伝子のせいかもしれない。
「……何処に?」
「家。厳密に言うと上月家」
「誰に頼まれた?」
「司に決まってるだろう」
 その答えに永斗ははじめてうろたえた声をだした。
「な、何故、司がお前に頼むんだ!?」
 だが、女はそれに反し、落ち着いた声で返す。
「私は今、上月家で世話になってるから」
「なにぃ〜! 司の奴、この兄の留守中、女と同棲してたのか!?  ……フッ、まだまだ子供だと思っていたが、いつのまにか大人になったという事か」
「……不健全な大人の成り方だな。というか、同棲ではなくせめて共同生活にしておいてくれ、頼むから」
 完全に脱力した女に永斗は渋く声をかけた。
「女、名は何という?」
「美砂……。陽元美砂だ」
 そう言って握手を求めるように右手を差し出す。永斗はそれに応え、手をとった。
 ダン! 
 その次の瞬間、美砂は永斗に引き倒されていた。永斗が渋く、ニヤリと笑いながらささやく。
「……おイタが過ぎるんじゃないか、コピー?」
「……ああ、私も度が過ぎたと思うよ」
 そう言って笑みを浮かべながら立ち上がる美砂の左手にはナイフー刃の輝きのなさを見ると偽物だろうがーが握られていた。
 ……握手をするふりをして、利き手を封じ、攻撃するというのは有効な手段といえるだろう。
 美砂がため息をつきながら言う。
「デモンストレーションとはいえ、全敗、か……。これが戦場を生きてきた者とそうでない者の違いということかな……」
 美砂のかなしげな眼差しの前でナイフがやわらかな花弁を持つ薔薇の花に変わる。
「You are winner!」
 薔薇の花を永斗の胸にさしながら、讃えるように彼女はそう言った。



「兄貴、起きやがれ!」
 バタン、と扉を蹴り開けて、司が永斗の部屋にやってきた。永斗はというと、かなり大きな音がしたにも関わらず、泥のように眠っている。
 司はため息をつくと、兄から布団を引きはがすために掛布に手をかけた。
 優しく揺り起こすなどということはしてやらない。どうせそんなことでは起きやしない。
「せぇのっと!」
 バサッ! 
 ズキューン! 
「ど、どーいうつもりだ、兄貴ぃ……」
 見れば司の、コンマ何ミリ横の壁に銃弾が撃ち込まれている。
「……司か……」
 まだ煙のあがる拳銃を手に永斗が呟いた。
「司か、じゃねえよ! いきなり何しやがんだ! !」
「あ、や、ほら。兄ちゃん暗殺者だから。つい、な」
 ……異変を察知してとっさに攻撃したということか。
 戦いに身をおく者には必要な素質なのかもしれないが、それなら扉を開けた時点でやってなければいけない。
「いいじゃないか、ちゃんと直前にお前に気付いて外しただろう?」
「俺だって気付いたんなら撃つなよ!? ってか、何ですっぱだかで寝てんだよ!?」
「いやあ、着替もなにもかも洗濯しちゃってなぁ」
「……なんか、兄貴の着れる物探してくる」
「悪いな、司。……俺はシャワーでも浴びてくる」
「……はいはい」
 永斗が部屋をでていってからはたと気付く。
「って、兄貴! 美砂さんがいるのに裸でうろつくなよ!」
 風呂場に行くには美砂のいるリビングを横切る必要がある。鉢合わせする可能性大だ。慌てて後を追うも兄はすでにいない。
 ……悲鳴が聞こえなかったということは大丈夫だったのだろうか。
 風呂場に着替を置いてから、そっとリビングを覗くと、美砂はこちらに背中を向けていた。
 司が安心してほっと息をつく。
「司?」
 美砂が振り向いて話しかけてきた。
「一つ、聞きたいんだけど……。……あの男は裸でうろつく趣味でもあるのか?」
「え? あ、ちょ、ちょっと待て。美砂さん、全部見えて!? 背中向けてたのに?」
 何故か司の方が赤面して、言う。
「言っただろう。私はオリジナルの能力をほぼ完璧にコピーしていると」
「……あ!」
 そういえばエンジェルハィロゥシンドロームには全方向を視界とする能力があった。そして確かに永斗もその能力をもっている。
「……朝から、いいものを見せてもらったよ」
「その台詞、親父臭いよ……」
「ほう、そんなことを言うのか……」
 美砂が不適に笑い、言う。目がキラーンと光る。
「そんなことを言う奴は、こうだ!」
 言うやいなや、司をギュムーッと抱き締めた。
「ななななにすんだよ、いきなり! 離せよ!」
 と言いながらも司の手には、引きはがすための力が半分ほどもかかっていない。
 まあ、彼も健全な男子だし、女性に抱き締められること自体は嫌ではないだろう。
 ……ただひたすら恥ずかしいだけで。
「司!」
 背後から名を呼ばれ……いや、叫ばれた。
 見れば風呂から出てきたらしい永斗ーさすがにもう服は着ている。普通のトレーナーが死ぬほど似合っていないがーが驚愕の表情を見せていた。
「な、なに?」
 嫌な予感がしながらも司は尋ねた。
「何故、そいつにはおとなしく抱かれるのだ!? 不公平だ! だからこい、司! この兄の胸に」
 ……嫌な予感とは大概外れないものだ。いや、ただ単に司が兄に対しての危険感知を身に付けてしまっただけかもしれない。
 ……かわいそうに。
 それはともかくとして、司は永斗の言葉に反射的に叫んだ。
「だれがいくか!」
「なにぃ!? 何故だ!」
「……あのさ、兄貴。俺と美砂さん、どっちに抱きつかれたほうが嬉しい?」
 普通なら女性に抱きつかれた方が嬉しいだろう。同じ顔立ちとはいえ、美砂は美女の部類に入るし、スタイルだっていい。
 だがしかし……
「司に決まってるだろう!」
「俺か!? しかも即答で!?」
「かつ断言してるし……。グラマーな女より弟の方がいいっていうのは兄弟愛としてはいいのかもしれないけど、それ以前に男としてはどうかと思うな」
「……そういうお前はどうなのだ? 昨日言っていた妹と司、どちらに抱きつかれた方がより嬉しい?」
「美鈴」
 永斗の問いに美砂は間髪いれず答えた。えぇ、そりゃあ、もう、きっぱりと。
「ほら、みろ。人のこと言えんじゃないか」
「……私に年下趣味はないんだ」
「……なら、俺なら?」
 そういって永斗は美砂をじっとみつめた。美砂も永斗を見つめ返す。……二人とも何も感じちゃいないだろうが、はたからみればいい雰囲気に見える。
 美砂がフッと微笑を浮かべた。
「やっぱり美鈴だな」
「……シスコンもそこまで逝くと凄いよな」
 司がどこかつかれた声を出す。
「何を言う。美鈴は私の全てだ」
「……のわりには返答が遅かったな」
「ん? ちょっと想像してた。今までそういうシチュエーションがなかったし、どんな感じかと」
「ほう、意外だな。なかなかの美貌なのに」
 美砂はため息をつき、言った。
「私はこの数年、年下の女の子に『私のお姉様になって下さい』と言われたことはあっても……」
「ちょって待て、女の子からの告白って!? んな事あったのかよ!?」
「あったともさ! ラブレターももらったことがある!」
「ははは。モテモテだな、コピー」
「女の子にもてても嬉しくない! 男からは『お前を恋人にはしたくない』とか言われるし!」
「うわ、ひでぇ」
「なんだ、愛人にしたいとでも言われたのか」
 ビキビシ……ゴッ! 
「コ、コピー……。銃は殴って使う武器じゃない……」
 髪飾りを変異させて造った銃で美砂に顔面を強打された永斗が鼻血を盛大に流しながら言う。
「あぁ、血が止まらん。このままだと、兄ちゃん、お花畑に行けそうだ……」
「いっぺん逝ってバカを直して来い。ってか、鼻血くらいじゃ普通の人間でも死なねーよ。……で言った男はどうしたんだ? やっぱ速攻で殴り飛ばした?」
 司が兄を無視して美砂に話の続きを促す。
 ……背後で鼻にティッシュを詰め込む永斗の後ろ姿がやけにわびしい。
「あぁ、言葉に続きがなかったら、間違いなく殴り飛ばしてたな」
「続き?」
「『いいお友達でいよう』とかか?」
「兄貴は黙ってろ」
 ……鼻にティッシュを詰め込んだ永斗に、司は裏拳を叩き込み、黙らせる。
「あ、でも近い。『恋人なんかにするより、友達のまま一生付き合いたい』みないな事を言われた」
「やっぱり俺の言った通りじゃないか」
「そうともとれるけど、女友達に対する最高の賛辞ともとれないか? 精神衛生上、後者ということにしてるけど。……っと余計なことをペラペラ話しすぎたな。オリジナルも起きてきたことだし、食事を用意してくるよ。オリジナル、顔を洗ってこいよ。血で汚れてるから」
「……誰のせいだと」
「自業自得だろ……」
 幸い、永斗の台詞は聞こえなかったらしく、美砂は台所へとさっていった。その場に上月兄弟だけが残される。
「なあ、司。これ、誰の携帯だ」
 永斗が白い携帯を開きながら言う。
「あ? 俺のじゃないし、美砂さんのじゃないのか。って勝手に見んなよ!」
「なら、これが奴の妹か」
「え? あの人、自分の妹を待ち受けにしてんの」
 見るなと言ったくせに、司も美砂の携帯を覗き込んだ。
「あ、可愛い……」
 何の他意もなく、ぽつりとそんな感想がこぼれる。
 携帯の中で笑う少女は特に美少女だというわけではなかった。だが、カメラに……いや、カメラをかまえた美砂に向けられた、幸せで仕方がないというようなその笑顔は、容貌をはるかに越えた愛らしさを少女に与えている。
 ピルルル……! 
 突然、永斗の手の中で携帯が鳴り出す。
「お? っと、司、パス! 兄ちゃん、顔洗ってくる!」
 ぽんと弟に携帯を投げ渡し、永斗はさっさとその場から立ち去った。
「パ、パスってどうしろっていうんだよ!」
 着信音は鳴り止まない。
「あぁ、もう! ……もしもし?」
『み、みさおねえちゃん?』
 戸惑うような少女の声を聞いて、やっと司は気付いた。なにも電話にでなくてもいい、美砂にもってゆけばよかったのだ。
『あの、これ、みさおねえちゃん、陽元美砂さんの携帯ですよね?』
 聞こえてきた声は愛らしい少女のもの。間違えてしまったのではないかと、不安そうにする少女を落ち着けるために司はできるだけ優しく言った。
「ああ、そうだよ。うっかり間違えてでちゃって……。今、美砂さんとかわるよ。えっと、名前は……?」
 何と無く予想はついたが、一応訊いておく。
『あ、私、美鈴です。陽元美砂の妹の』
 やっぱり……
「ちょっと待ってな……。美砂さーん、妹から電話!」
 と、司が台所に叫んだ瞬間……。
 シュバッ! 
 そんな擬音をたてて、美砂があらわれた。
「美鈴から電話? って人の電話に勝手に出るんじゃない」
「悪い。それより、ほら、早く出て」
 美砂は苦笑して電話を受け取った。
「もしもし、すず?」
 電話にでたとたん声ががらりと変わった。同じアルトではあるのだが、受ける印象が先ほどまでとはまるで違う。先ほどまでがかっこいい系のお姉様という声なら、今は恋に恋する十代の少女といった感じだ。
「元気にしてる? 寮生活はどう?」
 砂糖菓子を与えられた子供のような、または最愛の恋人と話す少女のような、甘い甘い微笑みを浮かべ、話を続ける。
「あの電話、恋人からだったのか」
 いつのまにか、永斗が戻ってきて、司にきいた。
 たしかに司も先に電話に出ていなければ、間違いなく恋人からの電話だと勘違いしただろう。
「さっき、そんなこと一度もなかったって聞いたばっかだろ。あれ、妹からの電話だよ」
 永斗は幸せそうに話す美砂に視線を戻し、呟いた。
「妹から……?」
 とてもそうは見えない。
「……お姉ちゃん? お姉ちゃんは元気だよ。……え? さっきの? 違う違う。私に恋人なんていないよ。お姉ちゃんの一番はいつでもすずだよ。……うん、うん。それじゃあ、すずも体に気を付けて。……何で二人とも私を凝視している?」
「いや、あんまりいつもと違うもんだから……」
「つい、目が離せなくてな」
「?」
「自覚してないよ、兄貴」
「あぁ、あそこまで見事にトリップしていては、な」
 自分から視線を外さぬままこそこそと話を続ける二人に美砂は声を荒げる。
「だから、いったい何の話をしている!」
「いや、気付いてないなら気にしなくていい」
「そうそう。そうだ、飯にするんだろ? 早く食おうよ」
「……そう、だな。ご飯にしようか」
 そう言って台所に去る美砂の背中を見て、兄弟はほっと息をつき、彼女の後を追った。
 この新しい……仮そめの日常を享受するために。




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