Baby's breath



「う〜〜」
 うろうろとティアのいる部屋の前でうろつきまわる。
「レンポ、落ち着いてはどうですか」
「そうだって。っていうか何で旦那の俺より落ち着きないんだよ」
「だってよ。子供が生まれるとこなんて見たことないしさ」
 ティアが身ごもったと聞いたのは十ヶ月ほど前のこと。世界崩壊の時と創生の時以外は眠りについている自分たちは、人間の営みにあまり触れたことはない。しかも出産などというのは知識として知っているだけだ。
「ちゃんと産婆さんがいますし、ミエリとネアキもティアのそばにいますよ」
「そうだけどさ……」
 彼女の伴侶を見るとじっと座っているだけだ。
 思えば、彼も変わったものだと思う。
 ティアをだまし、預言書を盗み出したとき、こいつはただのガキに過ぎなかった。しかし彼は変わった。恨み言を言うこともなくなり、自分自身を信じ、懸命に生きるようになった。彼が努力するに連れ、彼の周りの環境もよりよく変わっていった。環境が変わるにつれ、彼はティアを託すにふさわしい男へと成長していき……そしてこの日を向かえた。
「なんだ。俺の顔に何かついてるか?」
「いや。なんにも……」
 ……?
 なんだ? 
 なんか今、嫌な感じがした。
「……っ!?」
「……レンポ!」
 ウルが険しい眼で自分を見る。その先は言われなくともわかってる。
「俺、ちょっと行ってくる!」
 姿を消し、超特急で来たその場所は陽だまりの丘。
 その場所で……自分たち精霊が最も恐れていたことが起きていた。
「なんで……なんでだよ!?」
 
 「ティア、預言書に強く願ってください。世界を修復し続けることを」
 「そうすると、どうなるの?」
 「預言書の頁がその所に対応するところへ飛んでいくの。そして世界が綻びるたびに、ティアがいつも道具を取り出すときみたいに世界を現出させる」
 「そうすれば世界は滅びない?」
 「ええ。壊れるたびに世界は上書きされるから、滅びない」
 「でもな、ティア。預言書の魔力は世界を創生する力であって、修復する力じゃないんだ。……だからそれにはおまえ自身の力、生命力を使うことになる」
 「結果……あなたの寿命は極端に短くなります。そして」
 「ティアの生命が尽きた時に、この世界は滅ぶ」
 「……」
 「ティア、思い直すことは出来ませんか?」
 「……」
 「ね、ティア。やっぱり止めよう? 私たちと新しい世界を創ろうよ」
 「……ごめんね、みんな。私、自分が生きてる間だけでもこの世界に存在していて欲しい。みんなと一緒に生きたいよ。これは、私の我侭だけど……これだけは譲れない」


 あの日、ティアの願いを受けて預言書は世界中に散った。そして今日、この日までティアの命を吸い上げて世界を修復し続けてきた。
「ティアは、ティアは幸せになるんだ! 惚れた男と結婚して子供を生んで! 幸せに……幸せに生きるんだ!」
 ボロボロと涙があふれる瞳に写るのは、世界中から集まってくる預言書の頁。
 力の供給が途絶え、世界を修復することが出来なくなり……本来の役目、世界創生のために集まってきた紙の束が預言書を形作りつつある。
 そして、それが意味することは……。
「ちっくしょう!」
 悲劇で終わる神話などいらない!!
 平凡でもいい、陳腐でもいい。ハッピーエンドで終わる物語がほしい。
 ティアの笑顔で、彼女の幸せだけが書き記された恋物語のほうが、悲しみを残す神話などよりもずっと尊い。
 それでも、それでもこれは……彼女が望んだことなのだ。自分の命を削ってでも、この世界ででの幸せを願ったティアの望みなのだ。
「……そうだ、子供は」
 ティアの命が燃え尽きようとしているのならば、腹の子はどうなるのだろう。預言書に選ばれたティアの子は、彼女と同じく預言書を扱う魔力を生まれながらに身につけているはず。なにか、影響がないだろうか。
 この場所に来たときよりもすばやくティアの元へと戻る。
 自分が戻った時、子供はもう生まれていた。自分の心配は杞憂だったらしく、今のところ彼らの顔は幸福で満ちている。
 しかし自分は……そんな彼らを絶望へと叩き落すのだ。
「ティア……。時が、きた」
 ミエリとネアキ、ウルの顔が悲痛な色に彩られる。意味がわからないらしい青年はきょとんとした顔でたずねてきた。
「時って、なんのだよ」
「世界崩壊の時よ、レクス」
 そう答えたティアの表情はとても落ち着いていて、死に怯えるようなところは少しもない。
「何……何言ってんだよ! 世界が滅ぶって! 魔王を倒して、世界を救ったんだろう!?」
「ううん。ほんの少し寿命が延びただけだったの。そして本当は、数年前に世界の寿命は尽きていた」
 生まれたばかりの子供を抱いたティアの言葉を、彼は静かにきいていた。話が終盤に差し掛かるにつれ、その瞳から涙が零れ落ちていく。
「何で……何でそんなことしたんだよ。そんなことをして俺たちが喜ぶとでも思ったのか? お前は新世界とやらにいけたんだろ。俺は……お前が生き続けてくれ方がよかった!」
「そう言うと思ったから今まで秘密にしていたの。でも私は、レクスやみんなと一緒にいたかったの。私の我侭を許して……」
 流し続ける涙は世界の滅亡を嘆くものでも彼自身の死を嘆くものでもない。ティアを思うがゆえ流れ続けているのだ。
「ティア……お前は、幸せだったか?」
「うん。幸せだったよ。すごくすごく幸せ……」
 青年がティアと子を抱きしめる。もう語る言葉をなくしたのだろう。そして自分たちも彼らにかける言葉はない。
「みんな、お願いがあるの。……町の人たちに最期の時が迫っていると教えてあげて。私はもう……」
 そう言いながらもティアの瞳は閉じてゆく。その瞳が全て閉じられたら最後、もう二度と彼女が目覚めることはないだろう。だからその前に……。
「任せておけ。ティアのお願いは何だってきいてやる!」




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Scribble <2009,07,04>