Point of view 

〜Chapter 5〜


 もう二度と開廷されることはないと思われていた学級裁判、起こることはないと信じていた殺人事件。
 目には見えない信頼という宝にひびがはいる。もはやゆるぎないと思われていた結束がカラカラと崩れ落ちていく。
『あの死体、霧切ちゃんなのかな?』
『ここで俺らの中でいないのは霧切っちだけだべ』
『だとするとクロは一人に限られるな……』
 疑いの目が苗木に向けられる。しかしその中には間違いなく戸惑いの色も混ぜられている。この中で誰よりも仲間を思っていた苗木が殺人を犯すだろうか、十神さえもそう思っているのだ。
「なあ、あの死体は本当に霧切だと思うか?」
「違うだろう。もしそうであれば、霧切に憑いている舞園が何がしら言ってくるはずだ」
「そうですわね。彼女がいまだにあらわれないということは、彼女と共に行動しているからでしょう」
「だとしたらあの死体はいったい誰なんだろうね……」
 裁判場に続くエレベーター前では、霧切と舞園を除く十ニ人がそろっていた。集合してもう、数十分が経過している。その間に大神の事情は大和田達に話され、不二咲がしたことも他の死者たちに説明されている。
「しかし死体が霧切くんでないとすると……」
「クロである可能性が残るのは霧切響子殿だけになりますな」
 この数日間、彼らは自分たちが睡眠が必要でないことを利用して、クラスメイトにずっと付き添っていたのだ。
 だからこそ苗木が犯人ではない、いやこの場にいる全員がクロでないと断言できる。そうすれば残るのはたった一人、彼女だけ――。
『あ、霧切ちゃん!』
「舞園! この女はクロかシロか!?」
 エレベーターホールに入るなり投げかけられた大和田の質問に舞園は軽く首をかしげつつも答えた。
「シロですよ? 今まで霧切さんは鍵がかかって入れなかった部屋を見て回ってたんです」
 だからアナウンスに気づかずに、充分な調査も出来ぬままにここに来る羽目になってしまったのだと舞園は続ける。
「つーかさ、どうやって鍵のかかった部屋に霧切は入ったんだ?」
「大神さんが最期に鍵を壊してくれたでしょう? そこから盗み出したマスターキーを使ってです」
「ふーむ。そんなものがあったのですな」
 エレベーターに乗り込みながら、マスターキーについて説明する。
「……いや、今気にとめるべきはそのことではない」
「大神くんの言うとおりだ。……これではクロを指定する裁判が成り立たないではないか」
「どういうことですか?」
「舞園さんも知っているでしょ。僕達はずっとみんなに憑いて回ってたんだよ」
 舞園が霧切に憑いていたように。――苗木には石丸と山田が、十神には大和田と不二咲が、葉隠には桑田が、朝日奈には大神が、腐川にはセレスが片時も離れずに憑いていた。
「オレらが離れたのは便所の個室ぐらいだ」
 もちろん、その程度では何かをしでかすことなどできるはずもない。……つまりは。
「この殺人事件、学級裁判に参加する者の中にはクロがいないということですわね」
「そんな……。それって!?」
 黒幕の仕掛けた罠、ということだ。
 罠であるとも知らず、苗木たちが裁判席に立つ。これから始まるのはクロのいない裁判。彼らの中に亀裂を入れ、誰かを処刑するためだけに行われる卑劣な学級裁判……。
『まずはあの死体が誰であるかからだ』
 議論が繰り返されるうちに、あの死体の正体であろう人物の名が上げられる。それは自分たちと二年間を過ごしたもう一人のクラスメイト。それなのに、このコロシアイ学園生活に参加していなかった十六人目の高校生。
「う、うそだ。あの死体があいつだなんて絶対嘘だ」
「どうして彼女があんなところで、誰にも存在を知られることなく死んでいるのです?」
「なんで、どうして? 彼女は超高校級の軍人なんだよ?」
「並大抵の方法では奴を殺せるとは思えぬ。……不意をつかれたか」
「殺されたって……。彼女は逃げのびてたんじゃなかったのか!?」
「だから彼女はいないのだと思っていたのだが……違っていたのだな」
 もちろん記憶を取り戻した彼らは、彼女の事も思い出していた。そして舞園を除く全員が疑問に思っていたのだ。なぜ、あの少女はいないのだろう、と。しかしさきほど不二咲が指摘し、そして山田が言ったとおり、超高校級の軍人である彼女は黒幕の手から逃れて無事に逃げ延びたのだと、そう考えたのだ。
 だからこそ、彼らはわざわざ彼女がいないことを話題には上げなかった。もし、そのことを話し合っていたら、『逃げ延びたのに、なぜ助けを呼んで来てくれないのだ?』と、彼女を非難してしまいそうなのが嫌だったから……。
「にしても、誰がいつあの女を殺しやがったんだ?」
「……私の学級裁判が始まる前に、黒幕に殺されたんです。――違う人間として」
 舞園の学級裁判が始まる前に死んだのは、被害者である舞園自身とあともう一人だけ。その少女と死後に会話をした舞園だけが、校則違反を犯した少女の正体が彼女であると知っていた。
 だが、知ってはいたがそれを言えなかった。そのことを伝えれば、このコロシアイ学園生活の黒幕が自分たちのクラスメイトであると伝えることになる。死んだばかりの彼らに、さらに深い絶望を与えることになる。だから言えなかった、
 だから彼女は一人でその事実を抱え込んでいたのだ。
 しかし今、存在を隠したまま死んだ彼女の死が露呈した。ならばもう、一人で抱え込む必要もないだろう。……というか、その絶望的な真実に、一人きりではもうたえきれない。
「え? え? もしかしてあいつがっ!?」
「彼女が身代わりとして死んだのならば。では本物はいったい何処にっ!?」
 その言葉に舞園はまっすぐに指を伸ばした。その先にいるのは議論を重ねるクラスメイトたちではもちろんなく、その一段上に座ったモノトーンの――。
「じゃあ、もしかして黒幕って……?」
 死んだとされる彼女の遺影に彼らの視線が集まった。
「そうとしか、考えられません……!」
「そして身代わりとして死んだ彼女も黒幕の仲間だった。そうとしか思えませんわね」
 そうでなければ、わざわざ彼女に変装するわけがない。そして、あの少女が黒幕で、彼女がそれに殺されたのだとするのならば……。
「あの女は……自分の妹に殺されたんだな」
 ――身代わりとなって死んだ少女のことを思い出す。
 芸能に疎い彼女は、よく舞園にその世界の話を聞いていた。
 運動神経が高い彼女は、よく桑田とその足を競っていた。
 戦闘機にも乗ったことがあるという彼女は、大和田のバイクを乗りこなして彼の舌を巻かせていた。
 時にはハッカーの真似事もしていたという彼女は、不二咲に忠告されつつもプログラミングについての講釈を聞いていた。
 根は生真面目な彼女は、学級会にて石丸と共に前に立つことが多かった。
 武器の造形が深い彼女は、山田によく話をしてやっていた。
 軍隊にて数々のゲームを教えられてきた彼女は、セレスとまともに勝負できる数少ない人間だった。
 戦いの中に身をおいた彼女は、よく大神と有意な戦闘スタイルについて語り合っていた。
 そして……戦場から帰還した彼女は、双子の妹である少女を誰よりも愛していた。
「どうして……どうして? だって言ってたよ、お姉ちゃんのこと大好きだって言ってたんだよ!?」
 姉の足りないところを妹がフォローし、妹の行き過ぎた行為を姉がたしなめる……。
 そんな彼女らは自分たちから見ても、本当に仲のよい姉妹だったのだ。
「今は彼女らの心情を探っている場合ではありませんわよ」
「今の苗木くんたちに黒幕が犯人であると指摘できる証拠はない。このままだと……」
 全員の処刑、もしくは黒幕がでっち上げた偽のクロの処刑が行われてしまう。
 自らが殺人を起こすことはないと言っていたはずなのに、その言葉に反してクロとなったのだから、それぐらいはするだろう。
 しかし議論ももう終盤。凶器が推察され、その隠し場所も露見し、そしてそのロッカーの鍵は霧切の部屋に――。……つまり黒幕が処刑したいのは超高校級の探偵である霧切だということだ。
『私の部屋にロッカーの鍵があったとしても私はクロではないわ。……なぜならば私の部屋の鍵は十神君、あなたが持っていたはずよ』
『つまりお前は自分が部屋にロッカーの鍵を置けたはずがない、自分以外の誰かがお前をクロに仕立てるために置いたのだと言いたいんだな』
『その通りよ』
「き、霧切さん!? な、何を言っているんですか! あなたはマスターキーを持ってるじゃないですか!!」
「だがそれを認める事はできぬ。そうであろう、舞園」
「そうですけど! でもこれじゃ苗木君が!!」
 裁判に発言できる者の中で霧切のマスターキーのことを知っているのはモノクマと苗木のみ。それを彼女が持っていることを知っているからこそ、モノクマは霧切を罠にはめた。しかし彼は裁判では傍観者を気取っている。マスターキーのことを問わなければモノクマはそのことを言わないだろう。
 だから、全ては苗木の選択にかかっている。
 霧切を追求し彼女をクロとするか、黙秘を通し自分がクロとなるか……。
 しかし……。
―― 一つ、言っておくわ。……もし私がここで処刑されたら、この学園の謎は永遠に解けなくなる ――
 先だって発言された霧切のこの言葉が、お人よしの彼がとれる選択を一つに限定してしまう。
『……』
「苗木誠殿、なぜ何も言わない。君が黙っていたら……!」
「でも、どうすりゃいい! 苗木も霧切もクロじゃないんだぜ!?」
「……苗木く」
『ターイムアーップ! 時間切れだよー。さあみんな、とっとと投票して!』
『時間切れっ!? そんなもの今までの裁判ではなかったじゃない?』
『これも霧切さんが遅れてきたからだよ、時間が押してんの。さあ早く投票して』
『……くっ!』
 モノクマスロットがカラカラと回る。そして示されたのは仲間をかばった小柄な少年。
『はーい、大正解! 今回のクロは苗木君でした〜!』
「嘘をつかないで!? 苗木君は何もしてない!」
「ふざけんな! アホなこと言うんじゃねぇ!」
「本当のクロはお前じゃないかっ!? 裁判のやり直しを要求するっ!」
『うぷぷぷぷ……』
 舞園が、桑田が、山田がモノクマにほえる。
『そんな、馬鹿な……』
「十神君! 何か手がかりはないのですかっ!?」
「おい十神! 何かないのかよ!? テメェはただのかませ眼鏡か!!」
『……』
 セレスが、大和田が十神に訴える。
「苗木、これでよいのか? 主もこれが罠であるとわかっているのだろう?」
『……霧切さん』
 大神が苗木に問いかける。
「き、霧切くん! 何か手はないのか!? 超高校級の探偵たる君なら」
「ねぇ、霧切さん、何とか出来るよね? 苗木君のこと助けてくれるよね?」
 石丸が、不二咲が霧切に懇願する、が……。
『……許してもらおうとは思わないわ。すべて私の責任だから』
 ……あきらめた。彼女は罠にかけられた仲間を見捨ててしまった。
 超高校級の探偵は、黒幕の張り巡らした陰謀を覆すことができなかったのだ……。
『でははりきっていきましょう! おしおきターイム!』


*   *   *   *   *



 ズシン、ズシン……重いものが床に叩きつけられる音が響いてくる。そのたびに苗木を運ぶコンベア、そして彼の座っている椅子がゆれ、最期の時が刻一刻と迫っていることを彼に知らしめる。
 ズシン、ズシン……苗木を押し潰すためにプレス機は一定のリズムを刻んでいる。そのたびにプレス機の上に設置されたモニターにモノクマが現れては消える。
 ズシン、ズシン……苗木が最期に聞くであろう音がもう間近にまで迫ってきている。
『は……あぁ、こわい』
 そんな苗木の呟きを聞き取ったのは間近で彼の最期を見学しようとしていたモノクマのみ。それを聞いたモノクマは、苗木を絶望に落とそうと口を吊り上げ……。
 ――と、その時異変が起きた。モニターからモノクマが完全に消失し、代わりに現れたのは一人の少年の姿。
「チヒロっ!」
 それと同時に規則正しくリズムを刻んでいたプレス機が止まった。……しかしコンベアはその動きを止めずに苗木を運んでいき、彼はプレス機の下を通過して――。
「苗木(君・くん・誠殿)っ!?」
 落ちた。ゴミを棄てるように無造作に穴に放りこまれた。
 その瞬間、死者たちが動いた。
 考えるより先に体が動く、とはこのときのことを言うのだろう。しかも彼らには動かさなければならない肉体はない、思いが行動に直結する。間髪入れずに穴に飛び込み苗木を救うためにそれぞれ行動する。
 ある者は自らを緩衝材にしようと苗木の下に自身を滑り込ませ、ある者は落ちてくる机や椅子が苗木に当たらぬように遠くに蹴り飛ばす。
 また、ある者は頭をかき抱き、腕をとり、足を取り、胴体に抱きついて彼の落下速度を少しでも遅くしようとする。
 彼らの思考からは、自分達は飛べるだとか、物に大きな影響を与えられないとか、人には触れないとか、そんな今まで培ってきた認識が一切消えていた。
 苗木を助けたい。
 彼らの中にあるのはその思い一つだけだった。
 そして、そのゆるぎない一つの思いが、彼らの認識――いや、すべての常識を凌駕させる。
『いたたた……。あれ? あんな高いところから落ちたのに怪我がない。机も一緒に落ちたはずなのにあんな遠くに』
「苗木君!? 大丈夫? 生きてますよね!?」
「だ、だいじょうぶだ、舞園ちゃん! 苗木生きてるよ!!」
 多少の打ち身は作ったものの、たいした怪我もなく立ち上がる。苗木は彼の耳には届かない歓声を受けながら上を見上げた。
『……あ、閉まった』
 苗木を落とした穴がゆっくりと閉じられた。その隙間から淡緑色の光がこぼれ落ちてきて、苗木の周りをふわふわと漂ってから不二咲の手の中に納まった。
―― ご主人タマ。僕は……役に立てた?
「……うん、役に立ったよ。ありがとう、チヒロ」
 それは嬉しそうに数度明滅すると静かに不二咲の手の中で消えていった。
「自己の保存よりも苗木君を助けることを優先してくれたんだね。ありがとう、チヒロ。本当に、本当にありがとう……」
 ショベルで完膚なきまでに壊されていたと思っていた彼は、自らの一部をネットワークの中へと逃していた。だから彼がその気になれば、ネットワークの中で自分のプログラムを組み立てなおし、完全に復活することも可能だったはずだ。
 しかし、アルターエゴ・チヒロはそうはしなかった。自らよりも仲間を救うことを優先し、黒幕のセキュリティを傷つきながらも突破し、プログラムをすり替えた。
 ――その結果、自身の消滅につながると彼も理解していたはずなのに。
「でもどうしますか? 苗木君の命こそ助かりましたが、出口はありませんし」
「こんな場所では水も食料も得られませんしな」
「これが我であればいくらでも耐えて見せるのだが」
「ここにいるのは一般高校生の苗木くんだ。……危機的状況からは脱していない、か」
 苗木も周りの状況を把握したらしく大きなため息をついた。しかし……
『――仲間が助けてくれた命だもんな、あきらめるわけにはいかないよ。ボクを助けてくれた仲間の為にも……!』
 グッと拳を固め、力強く宣言する。
『ボクはまだ生きてるんだ。生きてる限りは絶対に諦めないからな!』
 苗木のその決意、胸に抱いた希望に、彼らの中に湧きかけていた絶望が払拭される。
 そうだ、たとえ何も出来なくともあきらめてはいけない。
 ――どんなに絶望的な状況なのだとしても、希望は確かに繋がれたのだから。




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