Point of view 

〜Chapter 6〜


 飛び散った赤が目に痛い。不快な――けれど否応なしに慣れてしまった臭いが鼻につく。
「う、ぐぇ……げほっ」
 その瞬間を目に焼き付けてしまった石丸が激しくえずく。
「……ひっく」
「……クソッ」
 不二咲が微かに嗚咽をあげながら青い顔をした大和田にしがみつく。
「あわわわわわ……」
「なに? なんで……あいつ笑って?」
 尻餅をついた山田の横で真っ白な顔で桑田が膝をつく。
「舞園、セレス、我の前に出るな」
「……は、はい」
「わかりましたわ」
 大神の背に庇われ、その瞬間を見ていないはずの舞園とセレスも、彼女にすがる手がふるえている。
 そんな彼らの目の前で赤い何かが一ヶ所に凝り固まった。それは一つの形を……自分たちの知る少女の姿をとり、口を開いた。
「あは。なに? あんたたち、私の死に様を見ていてくれたの? ねぇ、最高に素敵なおしおきだったでしょ!?」
 赤い――血色の闇をまとったまま、黒幕は笑う。そこに自分たちの知っていた彼女の片鱗はない。……いや、自分たちの知る少女こそ偽りの姿だったのだと、全てを知った今、理解せざるをえない。
 たとえ、信じたくはない真実なのだとしても――。
「それとも、なに? 私に恨み言でも言いにきたの? 違うよね? こんな素敵な絶望をプレゼントしてあげた私様に感謝しにきたんだよね?」
 赤い闇はいまだはれず、彼女の表情は見ることができない。しかし彼女が心の底からの笑顔――壊れきった笑顔を浮かべているのだろうと、そこにいた者は予測がついた。
「殺されて感謝するわけねーだろ!」
「テメェのせいでオレらは死んだんだ!」
 クラスメイトたちの罵倒に少女が口元をつり上げる。
「私のせいで死んだ? ハッ! 何言ってんの?」
 嘲るように高笑いしながら一人一人指差し……。
「桑田を殺そうとしたくせに舞園を殺したくせに不二咲を殺したくせに真っ先に壊れたくせに石丸を殺したくせに山田を殺したくせに自分を殺したくせに何言ってんの、ねぇ!?」
 その言葉とともに、ドロリとした闇がふきあがる。この闇の正体を舞園は知っている――これは"彼女"が沈んでいった死という絶望の闇だ。
「意味のないコロシアイは楽しかったでしょ? 甘い甘い絶望をたっぷり味わった感想は?」
 闇が彼女の足元から彼らに伸びる。彼らをも絶望に取り込もうとまとわりつく。
 それが体に触れた瞬間、彼らは自らの絶望を思い出した。――彼に罪を犯させ殺したこと、処刑前に覚えたあの恐怖、親友を殺し傷つけた後悔、目の前で惨たらしく殺された親友の死に様、恋に目を曇らせ友を殺し友に殺された絶望、自らの欲に負けて友を手にかけた絶望、策略に落ち友を残して死んだ絶望……。
 死してはいながらも、友と過ごす内に癒されてきていた傷がえぐられ、開かれる。全身を貫き通す激痛に膝が折れる。
 そして、外の仲間との絆に負けた舞園が、思い出に負けた大和田が、欲に負けたセレスが、殺意に負けた桑田が、愛憎に負けた山田が、黒幕の策略に負けた大神が、友の死に心砕かれた石丸がまとわりつく闇をはらえずに取り込まれてしまう。しかも絶望に完全に心を折られた石丸にいたっては一瞬で闇に取り込まれ、もう指一本見ることが出来ない。
「き、兄弟……!」
 助けに行きたくとも大和田自身にもおびただしいほどの闇がまとわりついている。彼も石丸のようになってしまうのも時間の問題だろう。
 しかし、皆が一様に闇にとらわれたなか、彼だけは闇をふりはらって彼女を睨んでいた。たった一人、彼女がその罪を指摘出来なかった者、死者たちの中でたった一人絶望に屈しなかった少年。
「なあに、不二咲ぃ? 大和田たちに庇われてばっかの弱っちーアンタが! この私様を! なに睨み付けてんだよっ!?」
「……僕は弱いよ、君の言う通り、弱くて弱くて弱くて弱い。でも……大切なものが何もない君なんかに負けない。チヒロが苗木君を助けてくれたように、今度は僕がみんなを助ける。君が絶望でみんなを傷つけるなら、僕は希望でみんなを守るんだ!」
 その言葉と同時に不二咲を取り込もうと忍び寄っていた闇が完全にはらわれた。もうそれは不二咲に近づこうともしない。彼の希望が彼女の絶望に勝ったのだ。
「なによ。なによなによなによ!! 不二咲のくせに!? ムカつくムカつくムカつく! 弱っちぃお前は隅で泣いてればいいんだよっ!?」
「不二咲が弱い? それは主の見間違いだろう。敵に立ち向かう勇気を持つ者を我は弱いとは思わぬ。この場にいる誰よりも不二咲は強い。……ならば我も負けてはおれぬ、友が我を支えにしてくれているのだから!」
 大神がおれかけた膝に力を込める。全身にまとわりついてくる闇をものともせずに強引に立ち上がった。
「なによ、なによあんたまで!? いもしない人質のために死んだくせに! お前は私に騙されて負けたんだよ!?」
 彼女の罵倒にはもはや大神は耳を貸そうとしない。腕を組み、不敵に笑い見つめ返すのみ。
 そんな彼女に畏れをなしたのか、引き剥がされた闇は波が引くように彼女から離れていく。
「確かに我は主の策略に屈した。だが我は決めたのだ。死してもなお希望を胸に立ち上がる、二度と絶望に膝を折らぬと! この大神さくら、同じ相手に二度も遅れはとらぬ!」
「はは……すげぇ、すげーよ。二人ともすげぇカッコいい。それに比べてオレはカッコわりぃよな……」
 呆然と二人を見つめる桑田の体を闇が這い上がる。それをお気に入りのおもちゃを愛でるように彼女は笑顔で彼に話しかけた。
「そうだね! 今のあんたすっごくカッコ悪いよ! でもいいじゃん、あんたみたいなお調子者のバカはそのまま消えちゃえばいいよ!」
 桑田の瞳に光が戻る。――いや、隠されていた意志の光が表に出ただけかもしれない。彼はそのまま彼女を睨み付け自嘲気味に笑った。
「ああ、そうだよ。都合のいいことばっか言って、努力一つしたことなくてさ。……自分が本当のしたいこともわからなかった大バカだよ」
 油断すれば奥底に沈みそうになる体を闇から引きずりだす。引きずりこまれては這い上がり、闇に取り込まれかけては光を求めて手を伸ばす。その姿はただ足掻いているようにしか見えない。だが彼は助けに来ようとした不二咲にきっぱりと首をふり、自由な右手で闇に取り込まれてしまった友を指差した。
「オレはいい! お前は石丸を助けろ!!」
 抵抗する意志もないのか、大神の力をもってしても救え出せずにいる石丸は彼よりも危険な状態だろう。だが、彼女がいるのだからこれ以上悪い状態になるとも思えない。
「大神さんが助けてく」
「なら大和田だっ! ヤツを助けて石丸に活をいれてやれ!」
 ……確かに信頼する大和田の声なら石丸にも届くだろう。彼は、大和田の死に絶望して正気を失ったのだ。ならば大和田の言葉で本来の彼を取り戻すはずだ。
「……わかった!」
 不二咲が大和田の元に向かうのを見届けると、桑田は少女に視線を戻して唇をつり上げた。彼としては大神のように不敵に笑ったつもりなのだろう。だが、闇に取り込まれまいとあがくその姿で浮かべられた笑みは、ただ強がっているようにしか見えない。
 それでも彼は声をはりあげ大声で叫んだ。
「でもな、ダチが希望を捨てるなって言ってんだよ! だったら信じるっきゃねぇだろ! だったらオレが、希望を信じるオレがっ! こんなところで、こんなもんに負けてたまるかああぁぁぁぁっ!」
 まとわりつく闇を両腕をつかって引き剥がしては、闇をまとう少女に投げ返す。超高校級と称される彼の腕で投げられるそれは的確に彼女の元に返っていく。 桑田に絡み付く闇は徐々にその量を減らし、残るそれも彼の気迫におしまけたのか、自ら剥がれて地に落ち――そして桑田の身から全ての闇が消え去った。
「ハハ……。どうよ、絶望? オレの、勝ちだぜ。あんま、オレらを……ナメんじゃねーぞ」
 ぜーぜーと肩で息をしながらも彼女に向かって中指を立てて笑ってみせる。
「桑田ぁ! この……」
「オレはお前なんかにかまってる暇はねぇんだよ」
 憎々しげに睨み付けて罵倒してこようとした少女を鼻で笑って背を向ける。そして疲労困憊した体を引きずりつつも仲間を助けに向かうのだった。
―桑田が闇から抜け出すのとほぼ同時間、山田は虚空からの声を聞いていた。それはいつぞや彼が聞いた幻聴、彼の根源をなす彼女の声。
「声が、聞こえる……これ、誰の? これは、僕のとても大事な……ぶー子の声だ!」
 闇にのまれかけていた山田がガバリと身を起こす。
「はあ? なに言ってんの? 漫画やアニメのキャラがいるわけないでしょ!?」
「何を言う!? 彼女たちは胸に萌えを宿すものたち全ての心の中に住んでいる! そして溢れんばかりの夢と希望を与えてくれるのだ!」
 ぐっと体をそらして胸をはる。彼の希望に負けたのか、それとも彼の肉圧に負けたのか、ポロポロと闇が剥がれ落ちていく。……なんとなく闇が心底嫌そうに山田から離れていくように見えるのは、きっと気のせいではない。
 彼はぐるりと視線をめぐらせ、セレスがいまだに闇にとらわれているのをみとめると、コロコロと転がりそうな勢いで走り出した。
「女王様! 今、このブタめが助けに参りますぞっ!」
 たとえ、幻聴を聞きそれで我を取り戻すほどに二次元を愛する彼にとっても、セレスは特別な存在だ。彼女をおおう闇に恐れることなく足を踏み入れる。そして闇を引き剥がしながら彼女を正気に戻す言葉を考える。この中で彼女と最も多くの時間を過ごした山田にはその言葉がすぐに思い付いた。
 今の彼女に必要なのは、通り一遍の励ましの言葉ではない。今の彼女に最も必要なのは、心を奮い立たせる挑発的な言葉!
「セレス殿! 安広多恵子殿! あなたは言ったじゃないか、また来世でって! なのに、常勝のギャンブラー、セレスティア・ルーデンベルクが、一度負けたくらいでっ! 全ての勝負から逃げ出すのかっ!?」
 山田の叫びにセレスの瞳に光が戻り、彼をギッと睨み付ける。
「言ってくれますわね。……でも、そう。わたくしは言ったのでしたね。また来世でお会いしましょう、と。それなのに、こんなところでこんなものに……!」
 頭をふり、闇を払う。汚すことすらも嫌ったお気に入りの衣装が乱れるのにも構わず――いや、むしろその衣装ごと闇を引き剥がしていく。
「何言ってんの、何やってんの!? 嘘つきのあんたが!? 山田を騙して殺したあんたが何言ってんのよ! そんな戯言、誰も覚えちゃいない! 誰も聞いてもいなかっただろっ!?」
 闇をすっかり払ったセレスが立ち上がる。凝った装飾は無惨に破れ、みすぼらしい姿となっても、彼女は誇らしげに微笑んだ。
「彼らが信じるかどうかは問題ではありません。それがどうであれ、あの時のわたくしの言葉は心からの言葉。……わたくし、嘘をついても、言った言葉を嘘にするのは嫌いですの。ですからわたくしは希望をチップにあなたと勝負しましょう。……無尽蔵の財産を得た超高校級のギャンブラーに、あなたは勝つことができますか」
 彼らから剥がされた闇が残る獲物を貪ろうと大和田、石丸、舞園に襲いかかる。わずかにだが確実に闇が取り除かれ始めていた仲間の体が再び闇に包まれる。無論、彼らは必死に助けようとしているのだが、その状態で闇と拮抗してしまった。闇の力と外からの力が釣り合ってしまった今、内からの力――本人の意志なくして彼らを救うことはできない。なのに舞園は耳をふさいで虚空を見つめるだけで、石丸は友をなくした絶望で心を閉ざしてしまっている。大和田はかろうじて抵抗しているのだが、それは生前の彼からは考えられぬほど弱々しい……。
 それを見た絶望は嬉しそうに笑い、恋人に語りかけるような甘い声でささやいた。
「ねぇ、大和田……抵抗なんてしなくていいんだよ? ほら、見てみなよ。石丸だって抵抗してないんだから、あんたも止めちゃいなよ。大切な、大好きな兄弟と二人一緒に甘い絶望に溺れるの……ねぇ、素敵でしょう?」
 甘い微笑を浮かべていた唇がいやらしくつり上がる。声のトーンがぐっと低くなった。
「それともあんたは……自分だけは助かりたいとか言うの? 言わないよね言えないよね!? だってあんたが不二咲を殺したから石丸の前でおしおきされたからそれで石丸が壊れたからあんたの大事なオトモダチが死んだんだ! バカなあんたにもわかるように言ってやろうか!? ……お前が石丸を殺したんだよっ!!」
「……そう、か。オレのせいで兄弟は死んだ、オレが兄弟を殺した……。オレはまた"兄弟"を殺っ!?」 
 普段の彼ならば、少女の言葉など切って捨てられた。しかし今の彼は絶望の闇に取り込まれつつあり、しかもすぐそばでは固い絆をかわした友が絶望に沈んでしまっているのだ。本来の彼なら、なんとしてもそこから這い上がってくるはずなのに、今の彼はただただ絶望に沈んでいる。……それは、紛れもなく自分が彼の前で処刑されたのせいなのだ。
 罪を犯した後悔がさらに深い闇を呼び込み彼を沈めていく。友を傷つけた後悔がそのまま自分への恨みとなって凝り固まる。そしてそれは刃となり、大和田自身に突き立てられた。
 闇にとらわれ削がれながらもわずかに残っていた気力が、恨みの刃によって完全に打ち砕かれた。
「ダメだよ大和田君! 目を覚ましてっ!」
 闇に飲み込まれそうな彼の手を不二咲は必死で引っ張った。しかし元より小柄な不二咲では大柄な大和田を引っ張りあげる力はなく、しかも今の彼は絶望に染まりつつあるのだ、このままでは完全に彼は取り込まれてしまう。
「いいんだ、不二咲……もうほっといてくれ。オレは、兄弟と一緒に」
「なんでそんなこと言うの、なんで恨んだりするのっ!? 石丸君は言ってたじゃない、恨まないでくれって! なのになんで大和田君は自分を恨んだりするの!」
 ……なぜ彼は自分の心の内がわかったのだろう。いや、今はそんなことはどうでもいい。
 そうだ、石丸は確かに言っていた。
 恨まないでくれ、と。自身を殺したクロを恨むなと言う彼が、大和田が自分自身を恨むことを望むはずがない。でも、それでも……。
「それでもいいんだよ。……兄弟一人で逝かせられねぇだろ?」
「なんであきらめるのっ!? ねぇ、大和田君あきらめないでっ! 僕たちだけじゃダメなんだ! 僕たちの言葉じゃ石丸君に届かない、大和田君じゃなきゃ石丸君を助けられない! ねぇ、大和田君、助けて。石丸君を、僕たちを助けてっ!」
「……助け、助ける? ……そう、かそうだよな!」
 不二咲にとられ、なすがままだった手に力がこもった。彼の手をしっかりと握りかえし、不二咲を支えに自らを闇から引きずりだす。その体にはいまだに闇がこびりついてはいたが、目には確固とした意志の光が戻っている。
「そうだよな。なんでわざわざあの女の言う通りにしなきゃなんねぇんだよ。オレが兄弟を助けりゃいいだけじゃねぇか!」
 全身に闇をまとわりつかせたまま、だが力強い足取りで石丸の元に向かう。
「大神、桑田どいてくれ」
 目の前にあるのは友をおおいつくす闇の集合体。石丸の姿は影も形も見ることはできない。しかし一度かためた決意は揺るがない。
「おい、兄弟。聞こえるか?」
 返事は返らない。だが、それは予測していた通りだ。ならば次の行動に移すだけ。
 大和田は石丸を包む闇の中に足を踏み入れた。そしてそれを引き剥がすことはせずにただその中に自身を沈めていく。
「大和田君っ!」
 不二咲の悲痛な叫びが聞こえたが、今は無視。絶望が石丸への声を遮るのならば、自分もその内側に入ればいいだけだ。
 恐怖、後悔、憎しみ……ドロドロした黒いものがかためたはずの意志の隙間から潜り込んでくる。気を抜けば絶望に心を折られそうになる。
――壊したくせに助けるの? 見捨てちゃえばいいのに。
 自らを絶望と称した少女の声が頭の中に響く。
「うるせぇ。見捨てられっかよ。石丸はオレの"兄弟"だ。絶対に助ける、今度こそ!」
 "兄"弟は自分を助けて死んだのだ。ならば今! 彼に助けられた自分が"兄弟"を助けずにどうするというのだ!
 大和田の決意を嫌ったか、伸ばした手の先の闇がわずかにはれた。その先に白い学ランがわずかにだが見えた。
「兄弟っ!」
 無理やり引き起こした石丸の瞳は不二咲の学級裁判の時のように光を失っていた。その時の絶望を思い出してしまったために心を閉ざしてしまっているのだろう。だが、それが幸いしてか自ら絶望に沈んでいく様子もない。
「兄弟! おい、石丸目を覚ましやがれ!」
「……きょうだい? そこに、いるのか……?」
 石丸が目が虚ろながらも反応した。よかった。思った通りここなら彼に声が届く。
「ああ、そうだ! オレはここにいる。オレだけじゃねぇ、不二咲も桑田も山田も大神も舞園もセレスもみんないる! みんなこんなクソなもん振り払って、あのクソ女に言い返してんだっ! なのに、テメェは……あきらめんのか!?」
 石丸が何度もまばたきを繰り返す。そのたびに彼の瞳に光が戻っていく。
「あきらめ、る? ……いや、僕はあきらめないぞっ!」
 赤い瞳に彼本来の意志の光が完全に戻る。全身を包む闇からもがき出ようと白い学ランに包まれた腕がそれを切り開いていく。
「それでこそ兄弟! あんま手間かけさせんじゃねぇよ。ってオレの言えることじゃねぇよな!」
 大和田も負けじと闇を引き剥がしては握り潰していく。
「なによ!? お前は壊れただろ!? 私様が絶望に沈めてやったのに!?」
 腕が全身にまとわりつく闇を払い除ける。幾分軽くなった体に力をこめ、闇を引き剥がしながら立ち上がる。少女の言葉に軽く首をふって毅然と言い返す。
「努力とはあきらめないこと。そして僕は努力する性分でね。君が僕を絶望の底に沈めると言うならば、僕は希望を積み重ねてそこから這い上がろう……何度でも!」
「兄弟が希望を積み重ねるなら、オレはそれをがっちり固めてやんよ。オレたち兄弟がぶちたてた希望はそう簡単には崩せやしねぇぜ!」
「はっ。なに言ってんのよ。さっきまで絶望にまみれてたくせに!」
「さっきまではな。でも今のオレは一人じゃねぇ」
 石丸と不二咲の肩に両の腕をしっかりとまわし、二人まとめて抱き寄せる。
「今のオレにはダチがいる。そっちが"超高校級の絶望"ならこっちは"超高校級の友情"だ。自分の姉貴を殺して喜ぶような奴にオレらが負けるかよ」
「うむ。そのとおりだ!」
「うん。そうだよね!」
 笑う三人の顔には希望に満ち、もはや絶望がつけいる隙はない。絶望は忌々しそうに舌打ちすると、いまだに闇に埋もれたままの少女へ笑いながら話しかけた。
「ねぇ、舞園……あんたはそこから出てきたりしないよね? できないよね? だってあんたのせいだもん。桑田も不二咲も大和田も石丸も山田もセレスも大神もあんたがコロシアイの幕を開いたから死んだんだもんねー?」
 舞園は耳をふさぎ虚空を見つめたまま座り込んでいる。さっきまでの石丸とは違い、闇に全身をおおわれてはいない。しかしその分、心が蝕まれつつあった。
「ごめんなさいごめんなさいごめんなさいごめんなさいごめんなさいごめんなさいごめんなさい……」
 謝罪の言葉を繰り返すたびに闇が彼女をおおう。闇をふりはらった仲間たちが彼女を救わんと、それを引き剥がすが、闇が舞園をつつむ――いや、闇を舞園が呼び込む方が早い!
「舞園! お前は超高校級のアイドルだろ! 誰よりも輝いてなきゃダメだろ!?」
「舞園さん、ちゃんと僕たちを見て! ねぇ、笑ってよぉ!」
「舞園しっかりしろ! 誰もオメェのせいだなんて思ってねぇ!」
「舞園くん、気をしっかり持つんだ! 彼女の言葉なんて聞くんじゃない!」
「舞園さん、目をさましなさい! 悪い夢なんて見てるひまありませんわよ!」
「舞園さやか殿、さあ、立って! このままじゃ苗木誠殿においてかれますぞ!」
「舞園思い出せ! 今さっき、主の想い人はなんと言った!?」
 口々に彼女を励まし、闇から救出しようとする。……だが、闇はもう彼女の全身を包み込み、その心ももはや真っ黒に染まりき……。
『希望をすてちゃダメだ』
「あ……」
 苗木の言葉が舞園の耳に届く。……それは生存者たちに語りかけた言葉で、彼女に向けられたものではない。だが今の舞園にはそれは些細なこと。
『どんな絶望的な状況だとしても希望を捨てなければ、希望を信じ続ければ、必ず道は開けるよ』
 苗木の言葉が舞園の心に光を呼び込む。彼女を内から蝕む闇を苗木の呼び込んだ光が駆逐する。
「うん。……うん、そうだよね。わたし……私信じる。苗木君を、希望を信じる!」
 そしてスックと立ち上がる。そんな舞園の顔には満面の笑顔。超高校級のアイドルと呼ばれた彼女の、たくさんの人間に夢を与え続けてきた輝くような笑顔。そこには間違うことなく希望の光があった。
 彼らを死の絶望に落とそうとしていた闇がひいていく。
 絶望に命を奪われ、しかしそれでも希望を胸に宿した八人が絶望を胸に宿した一人の少女に対峙した。そして彼らの瞳にはっきりとした拒絶の意思を見てとった少女が悲痛に叫ぶ。
「なんで、なんでよ! なんで私を否定するの!? 私はこんなにみんなが大好きなのに! だからみんなにこんなに素敵な絶望をプレゼントしたのに!」
 再び彼女の足元から闇が広がるが、もうそれは彼らに近づきもしない。
「ねぇ、どうして? どうしてよ!? 私と一緒に絶望的な闇に沈んで逝」
 少女の言葉が途中で止まる。言葉を遮ったのは彼女のまとう闇から突き出た白い左手。
――もう、やめなよ。
 聞き覚えのある声が闇の中から響く。
――彼らに絶望は必要ない。みんなは絶望に堕ちて逝くのではなく、希望を信じて"次"に生くことを選んだ。
 もう一本腕がはえてきて、今度は少女の頭をそっと撫でる。
――だからあたしと一緒に逝こう? それともあんたはあたしと一緒は嫌? あたしのことは必要ないの?
 口許から手がはずされる。その手はそのまま少女の体にまわされ彼女を抱き締めた。
 ……ああ、この光景にも見覚えがある。闇に体の大部分が隠れてはいるが、"彼女"はいつもこうして妹をたしなめ、そして慰めていた。
「……ううん! そんことないよ、お姉ちゃん! だって私、お姉ちゃんのこと大好きだもん! お姉ちゃんと一緒なら二人きりでもぜんぜん平気!」
 少女にべったりとこびりついていた赤い闇がはれ、彼女の顔があらわになる。そこには自分たちのよく知る彼女の笑顔。共に学舎で学んでいたあの時に戻ったのではないか、今までのことは悪い夢だったのではないかと錯覚させるほどのきれいな笑顔があった。
「お姉ちゃんが迎えにきてくれたから、もう逝くね。じゃあね、バイバイ……永遠に」
 少女の体が一気に闇の中に沈む。まるで抱擁するように死の闇が彼女を包み込む。
 そして……。
 名残惜しげにゆれる白い手を、タトゥーの刻まれた手が優しく握りしめ、共に奥深くへと沈んでいった。


*   *   *   *   *



 今生では開かれるとは思っていなかった重厚な鉄の扉。
 希望をつなぐために自らの意思で閉じた希望の扉。
 希望を潰すために開くことを否定された絶望の扉。
 ……その扉が今、希望を信じた十四人の生徒たちの前で開かれようとしている。
「いやあ、まさかこの扉が開くのを見ることが出来るとは思いもしませんでしたな」
「……あいにく生きて見ることは叶わなかったが」
「あほか。こういう時くらい空気読めって」
「……失礼した」
『じゃあ、スイッチを押すよ』
 何の特技もないと恥ずかしげに笑っていた彼。けれどそんな言葉とは裏腹に、バラバラになりがちな自分たちをまとめ、つなぎとめてくれていた希望ヶ峰学園七十八期生の求心力たる少年、自分たちの誇るべき友――"超高校級の希望"苗木誠。
 その瞳にはただ一つ希望の光のみが宿り、荒廃しているだろう世界への不安も、友をなくしたことへの悲しみも見ては取れない。
 ……だがそれは無視しているわけでも、忘れようとしているわけでもない。彼は持ち前の前向きさで全てを乗り越えようとしているのだ。
「あ、開きますよ!」
 扉の前に設置されていた重火器が収納される。重苦しい音が扉の奥から鳴り響き、ロックが解除される。ゆっくりと扉が開いていき、そこから見えるのは……。
「わあ、まぶしいねぇ」
「ああ。でもよ、なんか変じゃねえか?」
「確かに。これほどまでに強い光が自然界にあるとは思えぬ」
「それに苗木君たちはまぶしそうにしていませんわね」
 扉からもれ出てくるのは目を焼くほどの強い光。しかし不思議なことにまぶしいとは思っても、それを不快には思わず、目を焼かれることもない。
 ――神々しい、と思わずにはいられない清浄な光だ。
「……そっか。もう私、苗木君と一緒にいられないんですね」
 舞園の小さな呟きがやけにはっきりと耳をうつ。そしてその言葉で彼らは理解した。
 ――逝くべき時がきたのだと。
「……逝かなきゃダメなんだね。本当はみんなともっと一緒にいたかったけど」
「正直言うと僕も同じ気持ちだ。でも僕たちは逝かねば――いや旅立たなければ」
「……だな。とっとと逝って、それでとっとと戻ってこようぜ」
「でなければ、彼らと話すことも出来ないぞ、不二咲くん」
「……うん、そうだね」
 涙ぐむ不二咲を大和田と石丸が慰める横で桑田が右手の拳を左手のひらに当て、打ち鳴らす。
「よっし。さっさと逝って生まれ変わってこよーぜ! オレらだって"世界の希望"なんだからな!」
「生まれ変わってしまえば今の才能はなくなりますわよ?」
「細かいこと言うなって」
「そうですぞ、安広多恵子殿。拙者、何度生まれ変わろうとも同人者としての誇りは持ち続けるつもりですからな。"次"のテーマはずばり『希望』!」
「あら、やっとまともなものを描くつもりになったのですね」
「あ、あれ? ツッコミがありませんよ?」
 指をくわえておろおろする山田を尻目にセレスは優しげに微笑むのみ。それが逆に怖いといわんばかりに桑田は彼女から距離をとった。
 扉からあふれる光はどんどん強くなり、とうとう周りの景色は全て光によって塗りつぶされてしまった。もはやこの場に残っているのは自分たち死者と苗木たちのみ。その苗木たちも光に飲まれ、どんどんと存在が遠くなりつつある。
 ふと上を見上げればさらに神々しく暖かな光。自分たちはそこに昇って逝けばいいのだとなぜか理解できた。
「……みんな、逝こうか」
「朝日奈、少し離れるが必ず我は主の元に帰ってくる。だから苗木よ、それまで朝日奈を頼むぞ」
 誰かの放った言葉に、まずは大神が応え、朝日奈と苗木の肩を叩いてから光の中を登っていった。
「苗木君、また来世でお会いしましょう。今度は希望あふれる世界で」
「苗木誠殿、今度生まれ変わったら思うぞんぶん同人について語り合いましょうぞ!」
 つづいてセレスと山田が次が楽しみでしょうがないと言わんばかりに苗木に軽く手を振りながら……。
「苗木くん、君が世界の希望であり続けることを僕は信じているぞ」
「おう、苗木。オメェはヤレる男だって信じてるからな」
「苗木君、僕も信じてるから。苗木君は絶望になんかに絶対負けないって信じてるからね」
 石丸、大和田、不二咲が互いに手を取りながら苗木を激励しつつ光の中に消えていく。
「苗木、へこたれんなよ、簡単にあの世に来たら許さねぇからな。オレらが帰ってくるまでこの世にしがみついてろ!」
 苗木に指を突きつけ叫んでから、軽く地面を蹴って飛び上がる。そして光の中に消えゆきながら桑田は残る舞園に叫んだ。
「舞園、たとえ伝わんなくても言いたいことは今言っとけ! ……オレは先に逝くから」
 舞園はその言葉に軽くうなずくと苗木の前に歩を進めた。彼の目にはもう自分が映ることはない、言葉も届くことはないとわかってはいても、想いを伝えずにはいられない。
「苗木君、私……ずっと、ずっとあなたが好きでした。"今"はあなたに伝えることはできないけど、"次"は必ずあなたに伝えるから……その時はお願いです、どうか答えて下さい。だから、だから今は――」
 悲しげに、でもどこかうらやましげに苗木の隣に立つ霧切の顔を見つめてから彼に視線を戻し……。
「だから今は、どうか幸せに――」

 「……どうしたの、苗木君。何かあったの?」
 「え? うん、気のせいかもしれないんだけど、でも……」


――なんだか、今……みんなの声が聞こえた気がしたんだ。




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