Accessories
彼の初めての弟子は大階段の側でうとうとと眠り込んでいた。うっすらと汗をかき、……少々よだれをこぼして寝こけている所を見ると、ずいぶん前からここで眠っているようだ。
空を見上げる。
イザヤールが彼女と約束した時間は正午。太陽は今、空の一番高い所にある。
「ノーヴェ、起きなさい」
「……はっ! イザ師匠、申し訳ありません!」
「いや、いい。まずは口元をふきなさい。そして二つほど質問に答えてくれ」
ノーヴェが照れ笑いを浮かべながら口を拭き、首をかしげる。
「お前はいつからここにいたんだ?」
「……太陽があの位置にあったころからです」
そうして彼女が指差した場所は思っていたより低い場所だった。その頃よりいたというならば、彼女はずいぶん待ったのだろう。
「私は正午と言っていたはずだが?」
「……あの、私……ものすごい方向音痴なんです。慣れ親しんだ天使界でも迷うくらいの……。だからここに来る途中に少しくらい迷っても大丈夫なように早くに出たんです」
貴方をお待たせしたくないから、と続けて彼女は羽を小さく折り畳んだ。そんなノーヴェの頭を撫でて、もう一つの質問をなげかける。
「では、その髪はどうしたんだ?」
出会った当初、長く伸ばされていた銀髪がザンバラに切られている。……誰かに無理やり切られたかのように。
「……やっぱりおかしいですか? 自分では手入れしきれないから、切ったのですが」
「自分で切ったのか?」
「はい。……本当はイザ師匠のように頭を丸めようかと思ったのですが、友達に全力で止められまして」
……当たり前だ。
「ノーヴェは女の子なのだから、そんなことは真似しなくてよろしい」
「……はい」
それはともかく、今日まず行くべき場所が決まった。
「あの、今日は何をするんですか?」
「まずはラフェットのところに行く。……その髪をなんとかしないと駄目だろう」
ザンバラに切られた髪は見苦しいというより痛々しい。だが女性の髪をどうすればいいのかなどイザヤールにはわからない。ラフェットならばうまく扱ってくれるだろう。
「ラフェットの私室は知っているな?」
「はい。ここから西の方でしたよね?」
にっこり笑って返してきた言葉は確かにあってはいる。いるが……
「待ちなさい。なぜ南東に向かって歩きだそうとする」
「……あれ?」
「ノーヴェ、こちらにきなさい」
手元にまで寄ってきたノーヴェに目を閉じさせて、くるくるとその場で回す。
「……イザ師匠〜、目が回ります」
「ノーヴェ、南はどっちだ」
「え? ……あっち?」
指した方向は北西だった。
「では北は?」
さっきとは真逆の方向、つまりは南東を指差す。
「もう一度、目を閉じなさい」
彼女の方向感覚をリセットさせてからもう一度同じ問いをすると、さっきとはまた違う答えが返ってきた。
「……ノーヴェ」
「は、はい」
「決して私の側を離れないように」
駄目だ、この子は。一度はぐれたら、もう二度と合流出来ないに違いない。
……確かラフェットの私室にいろいろな魔法のアイテムが載った本があった。そこに役に立ちそうなものが載っていたはずだ。ついでに確かめてみよう
「あ、ノーヴェ!」
「ニオ!」
パタパタとノーヴェがラフェットとともにいた少女天使にかけよる。
「ノーヴェ」
「あ! ……おはようございます、ラフェット様」
「はい、おはよう。……どうしたの、その髪は?」
イザヤールにたげな視線をラフェットがなげかけてくるが、……自分は無実だ。
「あの、自分で切ったんですが、うまく出来なくて」
「本当に?」
「はい」
「……そう。あなたは女の子なのだから、もう少しきれいにした方がいいわね。こちらにいらっしゃい、整えてあげるから」
物言いたげに自分の顔を見てくるノーヴェにうなずく。
「はい。お願いいたします、ラフェット様」
「じゃあ、あっちで切りましょうね。ニオ、イザヤールにお茶を出してあげてね」
「はい、先生」
ニオと呼ばれた少女に出された茶を飲みながら待つ。少女自身はというと、茶を出したあとノーヴェたちを追って行ってしまった。……まあ、確かに。あまり面識のない上級天使と二人きりになるのも辛かろう。
茶を飲み干し、結構な時間がたっても彼女らは戻ってこない。女性の髪を整えるのはなかなか時間がかかるものらしい。
ただ待つのも辛くなってきた。
ならばラフェットのもとを訪ねたもう一つの用事を済ませることにしよう。
確か、あのアイテムはこの部屋の本で見かけたような……。
……ああ、あった。
「イザヤール、何をしているの?」
「ああ、すまん。借りてるぞ」
目的のページを開いた時、ちょうどラフェットたちがかえってきた。
「イザ師匠、どうですか?」
「ああ。きれいになったな」
ノーヴェが恥ずかしげに笑う。
きれいに整えられたのはいいのだが、この長さだと少年にしか見えない。
「整えるとどうしてもね、その長さになっちゃったのよ。ノーヴェ、今度から自分で切る前に私の所へいらっしゃい。また切ってあげるわ。……それでいいわよね、イザヤール」
「ああ、頼む。それともう一つ頼みたいことがあるんだが」
目的のアイテムが載ったページを開いてラフェットに渡す。
「何? ……『対なる装身具』? これがほしいの?」
そこに載っているのは一対の装身具だった。これを身に付けた者同士は、互いの位置がわかるらしい。
「ああ。ノーヴェがずいぶんと道に迷うたちらしくてな」
「先生、わたしからもお願いいたします」
「ニオ?」
「この子、本当にどうしようもないくらい極度の方向音痴なんです。もしも人間界でイザヤール様とはぐれたらと思うと、わたし……不安でしょうがないんです」
「そう……ニオは友達思いのいい子ね」
ラフェットが少女の頭を撫でてから本を突き返してきた。
「わかった、作ってあげるわ。でも材料は自分で集めて来てちょうだいね」
「はい、これが完成品。本来はピアスらしいけと、それはこっちで勝手にアレンジしたわよ」
「ああ、ありがとう」
「ありがとうございます、ラフェット様!」
ラフェットから手渡された装身具は一つには鎖が通され、もう一つは服にとめるためのピンがついていた。
鎖がついたものをノーヴェに与え、もう一つを自分の服にとめる。
「似合いますか、ラフェット様?」
「よく似合ってるわ。なくさないようにするのよ?」
「はい!」
「もしもイザヤールとはぐれたら一生懸命探しなさい。あなたの思う方向に必ずいるから」
対なる装身具は互いに引き合う。これを身に付けている者同士は互いの位置が自然にわかる。
今のノーヴェには無理だろうが、意識をこらせば、移動することなくどこにいるかがわかるしキメラの翼を使ってその位置に移動することも可能だ。
「ラフェット、何か頼みたいことはないか?」
「……そうね。ゆめみの花が欲しいわ。ノーヴェ、摘んできてくれる?」
ラフェットが柔らかに微笑みながらノーヴェの頭を撫でる。
……彼女は本当にゆめみの花が欲しいというわけではないだろう。
ラフェットは自分とノーヴェに人間界に行く理由を作ってくれているのだ。……本当に良い友人を持った。
「行くぞ、ノーヴェ」
「はい、イザ師匠!」
パタパタと早足で進んでいく弟子の背中を今なら安心して見ることができる。
「ありがとう、ラフェット」
「どういたしまして」
笑顔の友人に見送られ、さっそく見当違いの方向に向かう弟子の背中を追いかけた。
[ ←BACK || ▲MENU || NEXT→ ]
Scribble <2010,05,16>