Respect



「本当にあなたはノーヴェがかわいくてしかたないのね」
「……は?」
 ラフェットのその言葉で書き物をしていたイザヤールは顔をあげた。そして何を言っているんだといわんばかりに眉を曲げて言葉を続ける。
「ノーヴェは私の弟子だ」
 もちろん自分だって彼がノーヴェにそのたぐいの感情を抱いていないことを知ってる。
 ただそれが……師匠と弟子の絆がどんなものよりも固いだけ。
「膝の上にのせて本とか読んであげてたりして」
「それをしていたのは子供の時だけだ」
「……やってたの」
 きっと人間の父子のように彼女を甘やかしていたのだと思う。
「私たちは天使。慈悲の心が大切だ。だがその心そのものを直接伝えることはできない。ならば愛情を与え、優しさを感じさせたならば……間接的に学ばせることになるのではないか?」
 彼自身もうまく言葉にできないのだろう。よくわからない説明になってしまっている。でもイザヤールの言いたいことはわかった。
 惜しみない愛情、見返りを求めない純粋な優しさを注がれて育った子供は与えられたものの中から自然にそれらを身に付けてくれる。
「それは師匠としての勤めだから?」
 その問いにイザヤールの表情がやわらかくゆるんだ。
「……そんなわけなかろう」
 ならはじめからそう認めればいいのに。彼女が大切な愛弟子だからこそ愛情を注ぎ込むんだって。
 他の者ならいざ知らず、親友である自分は妙な誤解などしない。
「失礼します」
 ノックの後に部屋にやって来たのは銀髪の青年だった。褐色の肌と煙水晶の瞳を持つその青年はイザヤールに深々と頭を下げた。
「すいません、イザ師匠。少し手伝っていただけないでしょうか」
「何か問題でもあったのか、ノーヴェ」
 ……一部訂正。銀髪の青年じゃなくて銀髪の女性。
 昔はごくごく普通の愛らしい少女だったのにどこをどう間違って、こんなふうな青年に育ってしまったのだろう。ノーヴェが女性だと知っていても時々間違ってしまう。
 ……ノーヴェが意図的にそうしているとは知ってはいるけど、昔を知る自分からするとちょっともったいない。
「問題ではないのですが……。本棚の上の方になおしたい物があるのですが、私とニオでは本を抱えて飛ぶのは」
「……わかった。手伝おう」
 イザヤールが振り返って目で問うてくる。
「そうね。写本もキリのいい所までいったし休憩しましょう。イザヤールは本を片付けておいて。私はノーヴェたちとお茶菓子でも用意してくるから」



「ラフェット様、どうかしましたか?」
「ううん。なんでもないわ。ただ昔はかわいかったのにって。……ああ、今が悪いと言っているわけじゃないのよ? 今はどちらかと言うとかっこいいかしらね」
「誉めてくださるのは嬉しいですが、私は人並みですよ。……まあ、自分でも間違った方向に成長した気がしないでもありません」
 ニオに変な虫がつかないようにするには役立ちますが……と続ける彼女にこう尋ねる。
「それはイザヤールのため?」
 ノーヴェはイザヤールがいないことを確認してから、微笑んで指をたてた。
「ええ、わかってるわ。イザヤールには言わない」
 師匠と弟子は誰よりも長く共に時を過ごす。しかしノーヴェは女性でイザヤールは男性。男女が長い時間共にいれば、よからぬ噂がたつかもしれない。それを避けるために彼女はわざと容姿を男性じみさせている。……全てはイザヤールのために。
 ……ただ、いきすぎてイザヤール自身もノーヴェが女性だということを忘れている時もあるのが問題かもしれない。
「でも……ずっと一緒にいるんでしょう? イザヤール様に対して愛が芽生えたりしないの?」
「……ニオまで何を言ってるの? 今さら芽生えたりしないよ。……もとから愛しているのに」
 ニオと二人で目が丸くして顔を見合わせる。
「え……?」
「何の話をしている」
 タイミングを見計らったようにイザヤールがやってきた。そのわりには会話は聞いていなかったようで、首をかしげている。
「私がイザ師匠を愛しているという話です」
「……それがどうかしたのか」
 イザヤールはそれが当然というように、深くうなずいた。
 この二人は互いに師匠と弟子という感情しか持っていない。彼らを見守り続けた自分の目からはそうとしか思えない。いや、事実もそのはず。
「ね、本当にイザヤール様のことが好きなの、ノーヴェ?」
「うん、好きだよ。……言葉の表面だけではなく本質を読み取ってくださる所とか大好き」
 ……ああ、そうか。
 愛とは恋愛だけを指すわけじゃない。彼女の言う愛もその一種。
 胸に手をあて、信頼に満ちた笑顔でノーヴェはこう言い切った。
「心より、敬愛しております、イザ師匠」




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Scribble <2010,05,22>