Devotion



「イザ師匠ー!」
 バンと扉を開け放ち飛び込んできた弟子の姿をみとめ、イザヤールは脱ぎかけていた部屋着を羽織りなおした。
「ノーヴェ、部屋に入る時はノックをしなさい」
「は、申し訳ありません」
「……で、何の用だ?」
「ラフェット様からあなたが倒れたと聞きまして」
「ラフェットから?」
「はい。で、取り急ぎかけつけたわけです」
「そうか」
「そうか……ではありません! なぜあなたは出かける準備をしようとしていらっしゃるのですか! 今日はお休みください!」
「いや、しかし今日はお前に剣の稽古をつけると約束していただろう」
「その約束はなしです!」
「ノーヴェ。心配してくれるのはありがたいが、私はこの通り元気」
「嘘です。本当は無理をなさっているでしょう?」
 師匠の言葉を否定する弟子の目をまっすぐ見つめ、問い返す。
「……師匠である私の言葉とラフェット、どちらを信じるのだ?」
「このことに関してはラフェット様を」
 きっぱりと言い切った。
「ノーヴェ」
「私はあなたの弟子、あなたの最もそばにいる天使です。だからあなたが無理をするのを止めるのは私の役目です」
 大きくため息をつく。
「わかった。今日は休もう」
 こんなことを言われては無理を押し通すわけにはいかない。
「では私は薬草茶をお入れしますね」
 先ほどとはうってかわった笑顔でかまどへと向かう弟子の背中を見送って、イザヤールはソファーに腰をおろした。その途端、手足が鉛のように重くなる。自覚はしていなかったが随分ガタがきていたようだ。
「どうぞ、イザ師匠」
 差し出された茶を一気にあおる。そのことを予想してか、茶はぬるめにいれてあった。
「飲んだらお休みくださいね」
「いや、いい」
 体はダルいが眠くはない。それに弟子の目の前で惰眠をむさぼるのは気がひける。
「体を横たえた方が楽になります。それとも……」
 わざとらしくシナをつくり、こう続ける。
「抱き枕がご入り用ですか?」
「いらん」
「即答ですか」
 ……そうしなければ、するだろうが、おもしろ半分で。
「では子守唄を……」
「それもいらない。……お前はどうしても私を寝かしつけたいのか」
「その通りです」
「……今日は勉強を見てやろうと思ったのだがな」
「今日はお休みになられると言われたじゃないですか」
 目尻をつり上げてノーヴェが言う。といっても元の目が垂れ下がっているため、あまりこわくはない。ただ不機嫌そうに眉をしかめているから怒っているのがわかるだけだ。
「勉強をみるくらいは」
「駄目です! 疲れているのは身体だけではないはず。身体だけではなく、精神も休ませてください。第一、勉強を見てくださるということは目と頭を使うということ。疲れている時にこれ以上自身を酷使するのは……」
「わかった。わかったから、もう説教するのはやめてくれ。……まったく。師匠に説教するのはお前くらいだ」
「あなたは、ちゃんと聞いてくださるじゃないですか」
 確かに聞きたくなければ天使の理を持ち出せばいい。下級天使が上級天使に説教するとは逆らっているともとれるのだから、それも可能だ。
 ……しかし、イザヤールはそれはしない。彼女の言動はすべて自分を思ってのこと。そしてこの場合、無理を通そうとしているイザヤールに否がある。それならば天使の理を持ち出し彼女を黙らせるのは間違いというものだろう。
「……では、ノーヴェ。課題を出そう。天使界の創世書から守護天使に関する記述を抜き出し、まとめなさい。私の書斎は自由に使っていい」
「はい。……イザ師匠はどうなさるのです?」
「休む。……様子を見に来るようなことはするんじゃないぞ」
 ノーヴェはしばらく師の目を見つめていたが、言葉に嘘がないのを感じたのだろう、にっこりと笑って頭を下げた。
「では、私は失礼します」
「ああ」
 一礼して退室する弟子を見送ってから、イザヤールは寝台に体を横たえた。
 途端にまぶたが重くなり、眠気が襲ってくる。
 ああ、本当に無理をしていたのだな。
 ちゃんと体調管理をしなければならないな。
 友人の手をわずらわせないように、愛弟子に心配をかけないように……。




 目を覚ますと、辺りはもう暗くなっていた。寝台を脱け出し書斎を覗いてみるが、ここも暗い。ノーヴェはもう帰ったのだろうか。……道に迷っていなければいいが。
「……うーん」
 ……何やら声が聞こえた。部屋に灯りをともすとソファーの上でうたた寝する弟子の姿があった。灯りが目をさすのが嫌なのだろう、眉をしかめている。
 ソファーのわきにある机の上にはきちんとまとめられた紙の束。確認すると、それは私が出した課題のレポートだった。ざっと見ただけだが、よくまとめられている。少々訂正が必要な箇所があるが、この短時間でこれだけできれば上出来だ。
 ……ノーヴェは本来、特別優秀だというわけではなかった。以前なら、記述を抜き出すだけで精一杯だった。
 しかし彼女はひたすら努力する天使だった。剣も魔法も勉強も、ただひたすら努力して……今では誰に聞いてもノーヴェは優秀な天使だと言ってくれる。それが……努力し続ける彼女の気質が師匠として誇らしい。
 ……方向音痴だけは努力ではなおらなかったが。
「それにしても……」
 なぜこの弟子はこうも無防備に眠れるのだろう。師匠の部屋でここまでリラックスするのも珍しい。それに加えて、この部屋の主である自分は異性であるのに、このありさまは少々問題ではないのか?
 ……いや、ノーヴェを異性だと意識したことなど一度もないのだが。ただもう少し女性としての慎みを持ってはくれないだろうか。……というか、せめて足は閉じろ。
「ノーヴェ、起きなさい」
「……おはようございます、イザ師匠」
 眠そうに目元を擦りながら頭を下げる。
「そろそろ夕飯の時間だがどうする?」
「私はニオと約束をしているので」
「ニオと? どこで待ち合わせをしていれんだ。送っていこう」
「いえ、それにはおよびません」
 ノーヴェがそう言うと同時にノックが響いてきた。
「失礼します、イザヤール様。天使ニオが天使界書記官ラフェット様よりお届けものを預かってまいりました」
「……というわけでして」
 なるほど、彼女が来てくれる手はずになっていたのか。考えてみれば、それもそのはず。彼女は誰よりもノーヴェの方向音痴を理解している。そんな友を一人で出歩かせはしないだろう。
「入りなさい」
「はい。失礼します」
 部屋に入ってきた彼女は大きめのバスケットを手に持っていた。受け取って中を確かめると、そこにはよい匂いを放つ食事がいろいろと詰め込まれていた。それと……。
「イザ師匠、私たちはこれで失礼させていただきます」
「ああ。気をつけて帰りなさい」
 ニオにとやかく言われているらしい弟子を見送ってから同封されていた手紙を開封する。ラフェットから送られた言葉にイザヤールは苦笑いを浮かべた。
「……ああ。まったくその通りだ」
 そこにはたった一言だけ、こう記載されていた。

『かわいい弟子は無下に出来ないでしょう?』




[ ←BACK || ▲MENU || NEXT→ ]
Scribble <2010,05,29>