Strayer
「イザ師匠は……私にウォルロ村を託されたあとは旅に出られるのですよね」
「どうした、ノーヴェ。もう師の不在を寂しがるような年でもないだろう」
「寂しい寂しくないは年齢とは関係ありません。それに一日二日、一年二年あえないというわけではなく、旅立たれたら次いつあえるのかがわかりません。私はそれが寂しく……不安なのです」
「不安がることはない。もうお前は一人でも立派にやっていける。……方向音痴だけはなおらなかったが、対なる装身具はラフェットに預けてある。迷うことはない」
「……それは、あなたが私を探してくださらないということでしょう?」
「ノーヴェ、あまり師を困らせるな……」
「……すいません」
「……装身具の波長はもう記憶している。大丈夫だ。私はノーヴェを探すことができる」
「本当ですか」
「私の言葉を疑うのか?」
「いいえ!」
「……ウォルロ村の守護天使ノーヴェ、私の唯一の弟子よ。あとを頼んだぞ」
「……はい!」
……とこんなやり取りがあったのは数時間前のこと。
天使界に暴風が吹き荒れる。世界樹がきしみ、天使界全体が大きく揺れる。せっかく実った女神の果実が地上に散ってゆくのを横目に見ながら、イザヤールは手を伸ばした。
「ノーヴェ!」
彼の目の前で弟子が風にさらわれる。見習い天使の小さな翼が風に煽られ、あり得ない方向にねじ曲がるのが見えた。
「……!」
助けを求め、自分へと手が伸ばされる。だが、その手はあとわずかというところで届かない。
「ノーヴェェェエ!」
弟子が地上に落ちてゆく。しかしイザヤールは動けなかった。弟子をさらった暴風は彼を地に繋ぎとめようかとするように吹いている。まともに翼を広げることもできない。
ようやく暴風がおさまった頃には弟子はもうはるか彼方。ただ舞い散った羽が大量に落ちていただけだった。
「……」
はやる気持ちを押さえて意識をこらす。彼女はウォルロ村辺りに落ちたようだった。微かに動いている所を見ると生きているらしい。
……ならば、あの子は大丈夫だ。
「オムイ様、私は被害状況を確認して参ります」
「イザヤールよ、それよりもノーヴェを追わなくてもよいのか?」
「……ノーヴェは賢い娘です。彼女ならば私の行いを理解してくれます」
そのまま非礼を承知で天使長に背を向ける。もう一度、彼に問われてしまったら、自分をおさえられなくなる。……大丈夫だと信じてはいても、心配でないわけではないのだから。
天使界を飛び回り、被害を確認していく。その結果、地上に落ちてしまった天使や怪我をおった天使が幾人かいるものの、命をおとすような大怪我をおったものはいないようだ。
「イザヤール、何があったの!?」
「……ラフェットか」
大まかに事情を説明すると、彼女は目をつり上げた。
「何をやってるのよ、あなたは!? 早くノーヴェを迎えに行きなさい!」
「だが、天使界をこのままにしてはいけない。大丈夫だ、ノーヴェは理解してくれる」
「そういう問題じゃないでしょ!」
「だが、この場を放置してノーヴェを迎えに行ったら……あの子は怒りそうな気がしてな」
「……そうね。あの子はそういう子よね」
被害の大きな天使界を何故離れたのかと、個人よりも多をとってくださいと、彼女ならば怒るだろう。師の心配を理解したとしても、それでも彼女は自分よりも天使界を優先してくれというだろう。
……長く彼女を見てきたのだ、それぐらいわかる。
「わかった。私とニオも救助活動を手伝うわ。だから早く済ませてノーヴェを迎えに行ってあげなさいね」
結局、救助活動及び天使界の現状回復には数日かかった。まだ完全に修復されたわけではないが、あとはイザヤールがいなくても大丈夫だろうと判断したラフェットは彼に人間界に行くことをすすめた。
それに応じ、対なる装身具を持ってイザヤールが天使界を発ったのは数時間前のことである。
「イザヤール様、遅いですね……」
「そんなにノーヴェが心配?」
「……はい」
「大丈夫よ。装身具はウォルロ村から動いていないと言っていたし、もうすぐ戻」
……るから安心しなさい、と続けようとした時、バンッと扉が開かれた。驚いてそちらに目を向けると、そこには全身ずぶ濡れになったイザヤールが息をきらせて立っていた。
「……いない」
「い、いないって?」
「ノーヴェがいない!」
興奮する彼を落ち着かせて話を聞いてみると、装身具に導かれて降り立った場所にはノーヴェの姿はなく、彼女の装身具はウォルロ村の滝壺の底に沈んで(しかも羽が邪魔して届かないような場所に)いたのだという。
「じゃあ、じゃあノーヴェは……?」
「……いや、空に還ったということはない。あの日守護天使と同じ名の娘が滝壺に落ちたという話を聞いた」
そして彼はこう続ける。ノーヴェらしきその娘はセントシュタインに宿屋の娘を護衛して行ったらしいと。
「……らしいって?」
「セントシュタインを探し回ったがいなかった」
それこそ草の根をわけるように探したのだが、彼女は見つからなかった。ノーヴェの褐色の肌はセントシュタインでも珍しいものだから、見落としたとは考えにくい。
「イザヤール様。ノーヴェがそのまま他の地に行ってしまったとは考えられないでしょうか」
ニオのその言葉にイザヤールは大きくうなずいた。
「ありうる。ウォルロ村に帰ろうとして検討違いの方向に行ってしまった可能性がある」
そして彼は安心させるように笑みを浮かべ、ニオの頭を撫で……ようとして手を引っ込めた(まだ濡れたままだからだ)。そしてそのかわりに彼女の手にある物を握らせた。
「これは……」
「もしもノーヴェが自力で帰ってくることがあったら渡してほしい」
ニオが装身具を大事そうに握りしめるのを確かめてラフェットへと向き直る。
「私は今から人間界に降り、ノーヴェを探す。ラフェット、後の事は頼めるか」
「ええ、もちろんよ」
「ノーヴェをお願いします、イザヤール様」
それに力強くうなずき、イザヤールは人間界へと旅立っていった。
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Scribble <2010,06,05>