Wing of light
昔からこの瞳が嫌でしかたがなかった。この世ならざるものを写し、自分への影響を許すこの瞳が疎ましかった。
泣いてすがってくれる義弟を引き剥がし、部族を離れて僧侶の道を志したのも、ただこの力をなくしたいがためだった。
司祭様が法力を込めてくださったおかげで、まぶたを閉じている限り悪霊の類いは見えづらくはなったけど、未だにこの力は自分を悩ませる。
だから……夢にも思わなかった。この力があってよかったと思う日が来るなんて。
高く結い上げられた髪がふわふわとゆれる。それが人の合間を抜けていくたびに視線が彼女に集まる。
顔立ちが特別良いというわけではない。整ってはいるが、人を振り向かせるほどの美人とは言いがたい。
ならばなぜ人の視線が集まるのか?
それは彼女の両目にあった。……彼女はその両の目をかたく閉ざしていたのだ。
両目を閉ざし、何も見えていないはずなのに、彼女は人混みの中を苦もなく歩く。ぶつかりそうになった人の肩をさけ、目の前で転んだ子供を立たせて擦りむいた膝に魔法をかけて微笑みかける。
「ねえちゃん、あんた僧侶かい?」
「え? あ、はい。何やらこの国で怪しげな事件が起きたらしいと聞いたので、僧侶として何か役にたてないかと……」
こたえた娘の両目は閉ざされたままだったが、その視線は間違うことなく尋ねた男へと向いている。どういう御技かわからないがちゃんと見えているようだ。
「なら町の入り口近くにあるでかい宿屋に行くといいぜ。最近営業を再開してな、冒険者の紹介をしてる酒場も入ってる」
「紹介、ですか?」
「ああ。僧侶なら戦うのは苦手だろ? そこで仲間を見つけるといいぜ。……と、ちょうどいい」
男がちょうど歩いて来たたれ目の青年を呼び寄せた。――いや、胸が僅かながら膨らんでいる所を見ると女性らしい。
「なに? 私、今呼び込み中なんだけど」
「そうつんけんすんなって。客を紹介してやるんだから」
「お客さん!?」
「おうよ! しかもこの嬢ちゃんも黒騎士事件でこの国に来たんだと」
「そうなんだー。……ってなに? 私の顔に何かついてる?」
「……天使様」
「……は?」
「……え!?」
娘の顔から表情が消える。先ほどまでにこにこと愛想よく笑っていたとは思えないほど不安げな声でポソリと呟く。
「見えてるの?」
頷くと彼女は自分の手をしっかりと握りしめた。
「宿屋に案内するね。付いてきて!」
「おいおい、どうしたよ?」
「お客さん紹介してくれてありがとう! 黒騎士のことがわかったらおじさんにも教えるから!」
「そりゃあ、いいが……。宿屋は逆の方向だ」
娘の足がピタリと止まる。
「あの……?」
「……ちゃんと案内するから」
冷や汗混じりに発せられた言葉には、微塵も説得力がなかった……。
「ただいま、リッカ。お客さん連れて来たよ! 連れて来たんだけど、ごめん。この人とお話があるから部屋借りるね」
宿屋の娘に一言かけてから部屋を借りる。扉を閉めて振り返ったたれ目の娘は訝しげな声で問うた。
「何が、どんな風に見えているの?」
「光が見えます。背中から翼を広げるように放たれる光が」
「だから天使だと?」
「はい。だってその光は各地にある守護天使像と同種の光ですもの」
「じゃあさ、彼女も見える?」
懐から桃色の光が飛び出した。その光が収まると、そこにいたのは蝶の羽を持った少女がいた。その少女は派手にメイクした顔を近づけ何事か喋った。
『……』
その声は聞こえない。なにせ自分は"視る"ことは出来るが"聞く"ことは出来ないのだ。
「聞こえませんが"視"えています」
「あなた……何者なの?」
「それはこちらのセリフです。あなたはいったい何者ですか? ……いえ、そもそも人間なのですか?」
「……見えてるんでしょう?」
「では……あなたは本当に天使様なのですか?」
「一応ね」
「……なぜ人間界に? というか、なぜ宿屋の呼び込みを」
たれ目の娘は困ったように笑い、ポツポツと話してくれた。
「いやね、地上に落ちた時に翼と光輪なくしちゃって。で、天使界に帰れなくて困ってた所をリッカに助けてもらったんだ。翼とかをなくしても一応私は守護天使だし、何より助けてもらったんだからお返ししなきゃって思って、セントシュタインまで護衛してきたんだけど……」
「……けど?」
あからさまに目をそむけて、彼女はこう続けた。
「ウォルロ村に帰れなくなっちゃったんだ……。私、ひどい方向音痴でね」
「それはわかります」
宿屋に戻るのにも見当違いの方向に行きそうになってたし。
「はっきり言って、一人で町の外に出たりなんかしたら間違いなく野垂れ死にする」
そんなまさかと笑い飛ばしたかったが、彼女の表情は真剣そのもの。そんなことはないと言えるわけがない。
「それで宿屋のお世話になりつつ、呼び込みのお手伝いをしていたわけですか」
「そ」
「ではなぜ私を強引に引っ張ってきたのですか」
「理由は二つ。一つはあなたが私を天使だと見抜いたから。もう一つは黒騎士事件に関わろうとしてたから」
「その事件は天使的に何かあるのですか?」
「いや、そうじゃなくて。私も黒騎士事件に一緒にあたってくれる仲間を探していたから」
「天使様が人間の仲間を?」
「天使といっても、体が丈夫なくらいでそう変わりはないよ」
特に翼と光輪を無くした自分はね、と彼女は笑う。
「で、どうかな。仲間になってくれないかな? なってくれると嬉しいんだけど……」
しばし考える。
この瞳に映る光の翼が彼女の身分を保証してくれる。ならば僧侶として天使と共に旅ができるのは光栄なことではないか。
それに……
「……?」
この澄みきった瞳の、よく喋る娘が個人として気にいった。くるくると表情を変え、楽しげに話すこの娘と旅をするのはなかなか楽しそうに思える。
「お名前を教えてくださいますか?」
「……じゃあ!」
きらきらと瞳を輝かせる彼女に笑顔で応える。
「はい。私をあなたの仲間にしてください」
「ありがとう! ……あ、私の名前はノーヴェ。あなたは?」
「私はトレといいます。これからよろしくお願いいたしますね、ノーヴェさん」
こちらこそ、と笑顔でこたえた彼女の手をとりにっこりと微笑んだ。
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Scribble <2010,06,12>