Brother-in-law

〜1〜


「あ……」
 プツリと紐が切れ、護符が地面に落ちる。
 これは今は別れて暮らす義姉から贈られた物だ。それを拾ってため息を付く。
 義姉がいてくれれば、今頭を悩ませている問題はすぐに解決できただろう。彼女の力……人ならざるものを映す瞳なら、あの女の正体も見抜けたはずだ。
 ……しかし今ここに彼女はいない。ならば自分が頑張らなければ。
 何とかしてあの女の正体を暴くのだ。その為に……あの女に疑われないように愚鈍で臆病な男を演じるのだ。
 父に、部族の皆にあきれ返られようとも全てを騙しきりやり遂げるのだ。
「僕にはあなたのような神秘の力はありません。だから僕は僕なりの方法で頑張ってみます」
 固く握りしめた護符の裏には送り主からの言葉が刻まれていた。
 ナムジンがりっぱな族長になりますように  トレ



「ナムジン様、族長がお呼びですだ」
「また……魔獣退治のことですか……?」
「はあ。それもあるですだが……トレお嬢さんがお帰りに」
 姉上がお帰りになられた!?
 自分はなんて運がいいのだろう。彼女ならば自分の言葉を信じ、それを裏付けてくれるはずだ。
 踊る気持ちを抑え込み、いかにも気乗りしないといった感じになるように弱々しく声を出す。
「姉上が……? なら行ってみようかな」
 呼びに来てくれた者に礼を言ってパオを出る。はやる気持ちを落ち着けて自分に言い聞かせる。
 ……今は姉も欺くのだ。
 今、父の側にはシャルマナが控えている。もしも姉の神秘の力を奴が知ったら、彼女に危害を加えるに違いない。
 それを防ぐためにも、今は騙しきらなくてはならない。
 ……立派な族長になる事を望んでくれていた姉の前で愚鈍な男を演じるのは少し辛いけれど。
「父上……お呼びですか」
「おお、来たかナムジン」
「久しぶり。大きくなりましたね、ナムジン」
「あ、姉上?」
 高く結い上げられた桃色の髪、やや色白の肌も整った顔立ちも昔のままだ。記憶にある姉の姿がそのまま大人になった、そんな印象を受ける。しかし記憶の中の彼女とは決定的に違う点があった。
「お久しぶりです。……あの、目を患われたのですか?」
 神秘の力を宿した紫の瞳が固く閉ざされている。
「そういうわけではないですが……そうですね。昔と同じように見る事は出来ません」
「じゃあ、なんだ? もうゆーれーとか変なものは見えないのか?」
 シャルマナの目が険しくなった……のに気付いたのは自分だけのようだ。注意深く彼女の様子をうかがいながら、姉に問う。
「そうなのですか?」
「そうですね。司祭様に封じていただいたので、悪霊などは見えなくなりました」
 そうか、見えないのか。少しばかり落胆するが、すぐに思い直す。きっとそれはよいことなのだろうから。
 姉は昔から"視る力"に悩まされていた。それから解放されたのだから彼女にとってはよいことだ。そして"視る力"がないならばシャルマナが姉を害する理由はない。仮にも族長の義娘、害すれば立場はない。
「もう一つ、お訊きしたいのですが、そちらの方々は?」
 姉の側には三人の人間が立っていた。
 一人は旅芸人の女性が好むような派手な服を着た褐色の青年、もう一人はそれとは対称的に真っ白の肌をした暗い色の服を着こんだ青年、そしてもう一人は年端も行かない少年。……どこか、ぼうっとしているのは気のせいだろうか。
「こちらは私の連れでノーヴェさん、クワットロさん、そしてウーノ君です」
 紹介されて頭を下げてくれる彼らにあわてて挨拶する。
「は、はじめまして。ぼくはトレ姉上の義理の弟でナムジンといいます」
「おじ様、ナムジン……。とりこんでいるところ悪いのですが、少し尋ねたい事がありまして」
「なんだ?」
「はい。おじ様たちは黄金の果実を見かけたことはないでしょうか?」
「黄金の果実? 見たことねえな」
 首をかしげる父の隣でシャルマナがまた眉を寄せた。……彼女は何かを知っているのか?
「私も存じませぬ」
「お前の神秘の力でさがせねえか? 義娘の頼みだ、力になってやりてえ」
「今すぐには……。ならばこうしましょう。彼女らにはナムジン殿の魔獣退治を手伝ってもらいましょう。私はその間に手を尽くしてみますゆえ」
「……魔獣退治?」
「ああ。最近な、俺を狙って魔獣が集落に来やがるのよ。今の所部族の者に被害はねえが、出る前に退治した方がいいだろ」
「それをナムジンに命じたのですか?」
「ああ。魔獣一匹くらいナムジンだけでも対処出来るだろうが、トレがついてくれりゃ力強い」
「私はかまいませんが……」
 ちらりと後ろを振り返り、仲間たちの様子をうかがう。するとノーヴェと呼ばれた褐色の青年が笑顔でうなずいた。
「困ってるなら手伝うよ。他ならぬトレの家族の事だもの」
 残りの二人もうなずいてくれた。彼らの気持ちはありがたいが……。
「魔獣が出たぞー!」
 外から叫び声が聞こえてきた。
「行くぞ!」
 父が剣を片手にパオを飛び出す。その背中を姉たちが追い、さらに後ろをシャルマナが追った。
 外に出るとすでに魔獣……いや、ポギーは父と向かいあっていた。どうにかして父の脇をすり抜け、シャルマナに襲いかかろうと隙を探しているが彼女を背後にかばう父にそれはない。
「ナムジン何をしている!」
 父が視線をポギーから外す。ポギーはその隙を逃がさず父の隣を抜けようとするが……。
「おじ様危ない!」
 事情を知らない姉がその進路に割って入る。彼女の行動に驚いたのか、ポギーが足をとめる。そして鼻をヒクヒクと動かせて、わずかに首をかしげ……視線を父の遠く後方にいる自分へと向けてきた。
 それにうなずいて、他の者に聞こえないような小声で指示を出す。
 ……行け、と。
 ポギーが自分の指示に従い姉に背中を向け逃げていく。彼女はその後を追うことはせずに、わずかに首をかしげた。
 きっと彼女も気がついたのだろう。
 ポギーがあの時、母と共に助けた魔獣の子だということに。
 ポギーが無事に逃げていったのを確認して抜きかけていた短刀をしまう。そして怖くて動けなかったと思わせるために大袈裟に体を震わせながらその場に座り込んだ。
「……ナムジン!」
「す、すいません父上。今度こそ討ち取ろうと覚悟を決めていたのですが……こ、怖くて動けなくなってしまって」
 父が不機嫌そうに舌打ちする。かすかに耳に響いてきたその音が耳に痛い。
「誰か! ナムジンを狩り場まで連れて行け! いいか、ナムジン。魔獣を討ち取るまで帰ってくんじゃないぞ!」
「い、嫌だー!」
 両腕を父の側近の男たちにつかまれる。彼らの力に自分は抗うすべはない。そして抗うつもりも実はない。
 引きずられ、集落から追い出される直前、姉と目があった。いや、彼女は目を閉ざしたままだから目があうという表現はやや間違っているが、彼女の目の方向と自分の視線が通る道がピタリと一致したのだ。
 さぞ情けない自分に落胆しているだろうと思っていた姉の表情は、しかし自分の想像とは違い不思議そうな色に染まっていた。




「ポギー、頑張ってくれるのはありがたいが無理はしなくていいんだ。お前も獣なら引き際もわかるだろう? 無理をしていてはいつかお前が死んでしまう」
 母の墓で落ち合ったポギーがすまなそうに鼻を鳴らす。そんな彼を抱き締めると、ゴワゴワした毛が肌をくすぐった。
「いた!」
 聞きなれない声に頭を上げ入り口に目を向ける。するとそこには褐色の肌の青年―確かノーヴェといったはず―が立っていた。
「ノーヴェ、さん……なぜここが?」
「あなたがその子と落ち合うならおば様の所に違いないって私が言ったんです」
「姉上……」
「ノーヴェさんにはその子のことは話してあります。ナムジン……訳を話してくれますね」
 優しく諭すように尋ねてくれる姉の言葉に涙が出そうになった。
 彼女は昔からそうだった。
 泣いている時も怒っている時も、その理由を優しく尋ねてくれて……慰め、諭してくれていた。
 ああ……どんなに時間がたったとしてもやっぱり彼女は自分の姉なんだ……。
「……姉上。シャルマナをどう思いますか?」
 そう切り出して、あの女が来てからの集落の変化を話す。
 ふらりと現れた彼女が神秘の力で部族の心をつかんでいったこと、気付けば父の片腕に収まっていたこと、彼女が他の部族に戦いを仕掛けるよう進言していること……。
「あの女はどこかおかしい。確かに姉上のように神秘の力を持つ者はいます。それに頼りたくなるのもわかります。……父が美しい彼女に入れあげるのも理解できなくはありません。しかし人心を掌握するのが早すぎる……」
「彼女は魔性の者であると……そう言いたいのですか?」
 深くうなずくと姉は、奥で母の墓と向かい合っていたノーヴェを呼んだ。
「ノーヴェさんの目には彼女はどううつりましたか?」
「どう、と言われても……。そういうのを見抜く力は私にはないし……」
「……そうですか」
「でも、君のお母さんの故郷では伝わっているんでしょう? 魔性の正体をあばく、アバキ草ってのが」
「なぜ、それを!?」
「今、聞いたからね……君のお母さんに」
「……母上が、そこにおられるのですか」
「うん。とても心配してる。……それにしてもそんな便利な物があるなら何で取りに行かないの?」
「……母の故郷であるカズチャ村は村人以外を拒む門があります。母は、その門の解除方法を私に伝える前に亡くなりましたので……」
「そしてカズチャ村はすでに滅び、それを知る人は誰もいません」
「そっか……」
 ノーヴェが誰かに声をかけられたかのように後を向いた。そして何かの話を聞いているかのように相づちをうつ。
「……本当に母上がおられるのですか」
「……私は、死者を視る力を封じてしまいましたから、わかりません。けれどノーヴェさんがいると言うからには本当にいるのでしょう。大丈夫ですよ、ナムジン。あの人は信頼にたる方です」
 話が終わったらしく、彼は笑顔で振り向き、手を差しのべてきた。
「じゃ、行こっか」
「行くって、何処へ?」
「何処って……決まってるじゃない」
「入り方がわかったのですか?」
「……うん。っていうか付いてきてくれるってさ」
 後をクイッと指差して笑うが、相変わらず自分の目には何も見えない。……不安だ。
 こんな女物の服を着込むような、特殊趣味の青年の言葉を信じていいのだろうか。
 彼の身を保証しているのは姉の言葉だけ……。彼がどこの誰か、なぜ姉と共に旅をしているのかもわからない。
「……私の顔に何かついてる?」
「いえ、何も……」
「そっか。なら、今からカズチャ村に行こうか」
「……私もですか」
「そりゃそうだよ。君の集落の事なんだから。それに……」
「それに?」
「君の存在が必要なんだよ。カズチャ村出身の母を持つ君がね」




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